何一つ、後悔はねェや
全ての罪を洗い流すようなひどい雨。
「泣いているのか?」
その声に少年は顔をあげ、笑う。
「いいえ」
凍てつく氷
「この子はなんて使えないのかしら!」
「まあまあ、一生タダで使えるんだ。そう言うな」
「その前に飢えや傷で死んじゃうんじゃなーい?」
怒りの声、いやらしい声、下品に笑う声。
思いっきり殴られ、木の方へ投げられる。
ドンッとぶつかった時の鈍い痛み、それすら慣れた。
「八吉!早く水をくんでおいで!」
両親が死んで、俺は母の妹の家へと置かれた。
何をやっているのかは知らないけれど儲かる仕事なのだろう。
人がいっぱいいた。どれも汚い人ばかり。
「水…もってきました」
「遅いじゃないの!」
「!」
顔に向けて投げられた皿が割れる。
「本当に役立たずだね。その皿、片付けときなさいよ!」
ドクドクとおでこから血が流れるのが分かる。
「はい」
「まあヘラヘラした顔で憎たらしい子ね!」
「おーい、早く寝ようぜ」
やっと寝るのだろう。襖を凄い音で閉めた。
「閉められたら明かりがなくて皿が分からねェや…」
ポツリと言いつつも手を這わせて探る。
「おお、怖いのォ」
「!?」
急に聞こえた声に驚き後ろを向くといつの間にやら男がいた。
「まあ、何かやっとる感があってええがのォ。お前、この家の子か?」
「んー…少しこの家の子、かな」
「何じゃそりゃ…」
俺は俺自身に話しかけてくれる人が久々で嬉しくて、つい話してしまった。
「ほう、それで『少しこの家の子』ってわけか。まあ…この家は悪事を働いており抹殺の依頼がある」
「抹殺?」
「だから運が悪かったと思えや。いや忍に急に殺されず話聞けただけでも感謝してもらおうかのォ」
自分を忍だという男はそう言ってケラケラと笑う。
「死ぬってこと?」
「ああ」
「死…死ねるの!?早く…早く!!」
「なっ…何をそんな嬉しそうに」
男は俺の行動に心底驚いた、という顔をする。
「好きで笑ってんじゃねーんでさァ。泣いたらアイツらがもっと喜ぶだけなんでさあ。
ああ、でも今は本当に嬉しいのかもしんねーや!」
俺はドキドキするような気持ちで、いつもどおり笑った。
「あ、雨」
「俺、倉に住ませてもらってるんでさァ。さ、そこ行きましょうぜ」
「おっ…おい…!俺は仕事で来てるんだ!さっさと終わらせて帰るんじゃ!」
「だから倉で殺して下せェ。アイツらとは別の場所でお願いしまさァ!」
俺はその男の手をひいて倉へと導いた。
「そこまで死にたがられるとこっちの調子が狂うのォ。お前はココの暮らしが楽しいか?」
倉に入り、男はポツリ言う。
「そんなワケねーだろィ」
「そうだろうな。汚い着物、たくさんの傷。あんな人間のところじゃ楽しくなかろう」
「でもどーしようも無ェんだ。逃げても捕まる。何も変わりゃしねーなら、何もせず怒らせねー方が良いんだィ」
急にカラン、と足元で音がした。
「倉にも良いもんがあるんじゃのォ」
男は俺の真面目な話も流すかのようにニヤリと笑う。
「何人ン家の倉を勝手にあさってるんでィ!」
「忍なんざ一歩違えば盗人じゃー!」
ケラケラと笑いながら倉を見回す。
「いかんのォ。面白い子がおるとすぐ感情が出てしまうわぃ。決めた!生かしてやるから俺のとこに来い!」
「はあ?」
「本当の親がおらんのなら誰が育てても同じじゃろ?」
「さ、剣を手にとれや。人がくるぞ」
男が今までとは違う艶めいた笑みを見せると同時に扉の開く音がした。
「八吉!適当な皿の片付け方するから手、切っちまったよ!」
また始まった言いがかり。でも女の方を見て、俺は驚いた。
手に握られた包丁が雨水を垂らしていた。それは今から切られる俺の血のように感じた。
「おいおい。切ったら使えなくなるだろ」
「煩い!あたしゃコイツの所為で怪我したんだ!」
俺は逃げようと思ったけどとっさに立ち上がることができなかった。
目の前には忍が掘り出した刀。
(怖い…怖い…!!!)
刀なんか握れるのか。包丁ですらこうして動悸がするのに。
(でも…!!!)
「なっ…刀握りやがった!」
「大丈夫。子供が振り回すなんざしれてるさ」
(!そういえばあの人が居ない!)
俺は先程までいた忍がいなくて、辺りを見回した。
「うわっ!」
「そう、抑えといてね」
余所見した時、俺は男に抑えられた。女の持つ包丁が真上にある。
(やられる…!!)
とっさに眼を瞑った。
でも何も起こらない。それどころか俺の隣で何かが倒れる音がした。
「倉ってのはええのォ。すぐに身を隠せるわ」
(いっ…いたのか…!)
俺はケラケラと笑う忍にポカンとする。
「今日は機嫌が良いから姿もだし、たくさん喋ったが。そろそろ飽きたのォ」
そう言って忍が一歩踏み出したとき、俺の後ろで声がし、同時に倒れる音がした。
どうやらいつの間にか俺の後ろには母の妹が雇っている「悪人」がいたみたいだ。
『一歩踏み出した』ようにしか見えなかったが、その瞬間に何かをしたのだろう。
肩に一発くらった母の妹は逃げ出そうとしていた。
「…あれは俺のでィ!」
「おう。その為に生かしてるんじゃ」
母上の妹。母上にそっくりな人。
「刀って…重い…」
でも、違う。アレは違うんだ。
「うわああ!!!!」
さ よ う な ら
「泣いているのか?」
「いいえ」
俺は『いつもどおり』の笑顔を見せた。
「夜で良かった。雨で良かった。はっきりと血を見なくてすむ」
そう、夜ならどんな顔してるかも気付かれない。
雨なら血が流れていく。零した雫も雨に混じって消えていく。
「ちゃんと、連れて行ってくだせェよ」
「ああ、おいで」
後、この人が忍を育成している人の子ということを知った。
そして俺はこの人のもと、忍となった。
思えばこの日からもう後戻りはできない場所にいたんだ。
そう、非日常の始まり。