父さんの鼻歌<前編>

<1>引っ越しの決意


ギイィィィ・・・。

 怪しげな音とともに扉が開く。懐中電灯をつけると、ぼうっと長い廊下が照らし出された。
 空き家に入る泥棒ってこんな感じなのかしら・・・と考えてみる。でも、そんなことはすぐに止めた。だって、泥棒は一軒家に入る時は窓から入るって、何かのテレビ番組で見たばかりだったから。いくらそろりそろりとはいえ、玄関から五人という大人数で入るのは、私の頭の中に描かれている泥棒のイメージが崩れる。
 何はともあれ、私達は三つの懐中電灯を頼りに足を踏み入れ、玄関の扉を閉めた。
「この部屋は?」
「和室だ。うん、六畳の。」
暗闇の中、母さんがこの家の間取り図を懐中電灯で照らしながら答える。
「ねぇ、電気は?つかないの??」
 私の背中にしがみつきながら、五歳年上の姉和子が誰にともなく聞く。それに対して私と六歳離れたもう一人の姉昭子が、廊下の壁にある電気のスイッチををパチパチッと入れて、答える。
「うん、つかないみたい。・・・あれっ??」
「何?」
「あれ、やだ、お父さん?ど、どこに行っちゃったの?」
暗闇の中、昭子が前方を手探りしているのがわかる。
「ったく、一番大きい電気持っているのにぃ・・・」
 母さんが懐中電灯をもち、昭子を押しのけて押しのけてずんずん奥に入っていく。
 やがて、
「きゃあぁぁ!!」
という母さんの悲鳴と同時に、目の前がぱっと明るくなる。すると奥から
「失礼なやつだな、お前は。化け物でも見たような声上げて。」
と、父さんがにたにたしながら姿を現した。
 どうやら父さんが洗面所のブレーカーを上げたので、先程昭子のつけた電気が光り出したらしい。
 前方を見れば、母さんが「たはははは・・・」と笑いながら後ずさりをしていた。ちょっと顔がひきつっている。かなり驚いたらしい。
 やっぱり、夜に仮住まいの家を見学しに来たのは失敗だったのかも・・・。娘三人は苦笑いを浮かべてしまった。

「あの家の第一印象は?」
 家に帰ってきて、簡素な食事をしながら、私は家族みんなに問い掛けてみた。
 私の質問に、母さんは「怖い感じ。一人で留守番はイヤ」。昭子は「明るいうちに見に行きたかったなぁ・・・」。和子は「期待はしてなかったから、別に何とも・・・。」と答えた。
 父さんにも聞こうかなと振り返ると、父さんは一人食事には参加せず、家の間取りと家賃の書かれた書類とにらめっこしていた。近くによると、「う〜〜〜〜む、草刈りをやるからとか言ったら、もうちょい値切れるか・・・うむ、言ってみようか・・・」などとぶつぶつ言っている。
「真実はあの家をどう思っているの?」
 母さんの質問に、私は用意していた答えを得意げに言った。
「建替えの期間は三ヶ月なんでしょ?だったら、私はあの家でいいよ。」
「うっわ〜〜ぁ、真実ちゃんたらやっさし〜〜い!!」
和子が大袈裟にわざとらしく私を誉めた。
 どこがどう優しかったのかしら??私は思わず首をひねった。

 私達福本家は、今年六月の中旬から九月の中旬にかけて、二十年を迎えるこの家を建替えることになった。姉二人が私立の大学に進学して、あとは私が大学受験だと意気込んでいる時に、
「お父さんは田舎のじいちゃんやばあちゃんを家に招きたいなぁ・・・。長期休暇とかの度に遊びにきてもらいたいな。」
と父さんがつぶやいた。
「え〜・・・。来るとしたら家が遠いから泊まりでしょ?今の家じゃ狭すぎて、人なんかほとんど泊められないわよ」
と母さんがよく言っていたので、父さんは建替えを真剣に考え出した。
 私ははじめとても大喜びした。が!ふと自分の進学のことを思い出し、お金のほうが気になると父さんに言った。すると、
「お前の学力のほうが父さんは心配だ。」
と言い返された。むかっとする反面、言い返せないという複雑な思いを抱えながら、でもやっぱりお金が気になるというと、
「思い切り値切る!!」
と父さんらしいドけち根性の入った返事が返ってきた。
 我が家が建替えを決心した。それが私の高校一年生の二月。吐く息も白いある日のことだった。
 多くのメーカーを調べ、モデルハウスを見学し、家の間取りのことで父さんと女四人の希望が合わずにケンカをし、結局金額が予算を超えてお断りとなる。数えるのも面倒になるくらいお断りをしていくうちに、ちょうどよいメーカーに出会えた。
 安い。家の間取りも、予算よりも一回り狭いが程よく良い。社員の口調もはきはきしていて信頼も出来そうだ。父さんがこのメーカーに決めたのが、若葉の緑がまぶしくなり始めた五月のある日。契約が結ばれてからはとんとん拍子で事が決まっていった。引越しは六月、家の解体の日や地鎮祭、上棟式など。
 引越しの準備をしていなかった私達は、当然慌てた。父さんは仕事帰りに必ず不動産に立ち寄って仮住まいの資料を持って帰るようになった。一方私達はダンボールをスーパーから持ち帰って、仕事や学校から帰ってくる夜10時ごろから荷造りをするようになった。
 五月も終わりにさしかかる頃、ついに安くて現在の家からそう遠くもない物件を見つけた。その家に、塾帰りの私を含め、仕事帰りの父さんと昭子、駅まで車で迎えに来てくれた和子と母さんの、家族みんなで見学に来たのだった。夜の九時ごろに。

「でも、第一印象が良かろうが悪かろうが、あの借家しか行くところがないのよねえ。なんてったって、六月の三週目には今のこの家が取り壊されちゃうんだし。」
 昭子が母さんに話しかける。すると借家のことを「怖い」「暗い」とばかり言っていた母さんも、がっくりと肩をおとしてうなずいた。
「しょうがないわ。家の解体の日が先に決まっちゃうんだもん。お父さんはいつもの通り、安いところじゃないと納得しないし・・・。」
その言葉をめざとく聞いて、父さんはむっとして資料を見ていた視線を母さんに向けた。
「なんだと?!どうせ同じ三ヶ月間を過ごすなら、少しでも安くしたほうが絶対にいいんだ!!」
「・・・そうかなぁ。お父さんはいいじゃない、家には寝に帰るだけなんだから。私なんか夜だって子ども達が帰ってくるのは遅いから、朝昼晩ずっと一人で過ごさなきゃならないのよ。もうすこし家賃が高くて明るい雰囲気の家が良かったんだけどなぁ。」
母さんがご飯を食べながら言い返したため、父さんはさらに顔をしかめた。だんだん、父さんは言い捨てるような口調になった。
「お前はそうやっていつも俺のやることに文句をつける。・・・おい、昭子、和子、真実!母さんが文句言ってるから、借家にいる三ヶ月間は早く帰宅しなさい。」
矛先が娘たちになった。一番に反論したのは和子だった。
「無理に決まってるよ!私大学の授業まともに受けてから帰ってきても、夜の8時はまわっちゃうからね。」
「私も、仕事終わるのが8時だから、帰ってくるのは9時過ぎちゃうかな。」
「・・・私、塾の授業が9時半の時もあるし、授業なくても自習室で勉強してるから・・・。」
私と昭子も反論した。
 すると父さんは「ふんっ」と鼻で笑った。
「和子、どうせろくな大学に通ってるわけじゃないし、将来役に立つかどうかも分からない勉強ばっかりしてないでとっとと帰ってこい!」
「・・・んだとぉっ?!」
何を言い出すかと思えば、父さんはみんなの反論に文句をつけ始めたのだ。当然、和子はキレた。食べていた味噌汁のお椀を持って台所まで行き、鍋に戻して、お椀を流し台に叩き付けた。
「もういらない!!食欲なくなったわ、ごちそうさま!!」
そうリビングに響く大声で怒鳴り、床を踏み鳴らしながら二階へ行ってしまった。
「ちょ、ちょっと和子・・・」
母さんの声もむなしく、言った時には和子はもう部屋にはいなかった。
 さらに父さんは昭子に言った。
「昭子、お前だって仕事をしているから帰宅が遅いとは言っているが、どーせオトコと会ってるんだろう。いつもいつもデートばかりしてないで、きちんと帰ってこい!!」
昭子には大学時代から付き合っているボーイフレンドがいる。週に一回、仕事が早く終わる日に食事をしてから帰ってくるという日課を過ごしていた。
父さんは『週に一回』という部分を抜かして解釈をしていたのだろうか・・・。
「そ、そんなぁ・・・。」
ただでさえ最近仕事の調子で会えないとぼやくことが増えた昭子にとって、『いつもいつも』と言われたことは悔しかったに違いない。目に涙を浮かべて反論しようとしたが、その言葉すら遮って、父さんは今度は私に矛先を向けた。
「真実、お前はどーせ授業だって居眠りばかりだろう。偏差値だってちっとも上がっちゃいないじゃないか。自習室なんかで勉強したってお前は馬鹿なんだから成果なんか上がらないさ。家で母さんの家事を手伝ってたほうが身のためだな。女なんだから家事ぐらいできなきゃ嫁にも行けないぞ!」
「・・・最近はきちんと授業起きてるんだけど・・・。」
『偏差値』のことは本当なので、私は多くは語れなかった。
 それでも父さんの文句は終わらなかった。今度は母さんに言った。
「お前ももっと家賃の高い家に住みたいなら、働いて収入を家に入れたらどうだ。俺ぐらい稼いでから文句は言え!!」
「なんですって、だれが家の掃除洗濯してご飯作って子ども育てたと思ってんのよ!!あんたの服にアイロンかけてやってんのは誰だと思ってんの?!」
 母さんもキレた。
 すると、父さんはくるりと背を向けて、テレビのスイッチを入れた。
 テレビからはお笑いタレントが面白おかしく何かをしゃべっている。その笑いがリビングに空しく響く。
「あ〜あ、お父さんは文句ばっかり!!嫌になっちゃう!!」
母さんが食べ終えた食器を持って、台所へ行く。
 私は、父さんにむかって、おそるおそる言った。
「・・・父さんだって、いつも帰りが11時過ぎだけど・・・仕事が終わってから同僚の人と飲みに行かないで帰ってくれば、7時には帰ってこれるのに・・・。」
 すると父さんは、
「まったく、この家はみんなして俺をいじめる・・・。」
とすねている。ぶつくさ呟きながら、父さんはすねている。
 年功序列、男尊女卑の故郷で育った父さんは、自分が家族4人それぞれの一番痛いところを責めて文句を言ったことを棚に上げて、すねている。思い通りにならないと、父さんはいつもこうなのだ。

 母さんは台所で、ガシャガシャと食器を乱雑に扱いながら洗い始めた。昭子は食べることやめ、ほろほろと泣いている。私は、‘自分のことは棚に上げて’家族の文句を言ってすねている父さんの背中を見ながら、のろのろと米粒を口に入れていった。
 どうなることやら、我が家の引っ越し・・・。



<2>引っ越し一日目


「さぁ、素敵な一日の始まりだ!!」
 六月の第一土曜日、みんなより一足先に朝食を食べ終わった父さんが窓を全開にした。
「真実、早くご飯食べて。そんでもって早く学校に行く支度をして。出かける前にゴミ出しも忘れないでね。・・・あ、昭子に和子、おはよう。早く食べて食器を片づけておいてね。」
母さんは寝起きでぼーっとする娘たちにテキパキと指示をする。
 今日、私達は引越し一日目を迎える。親戚で車を持っているおじさんやおばさん総出で、自力で引っ越すのだ。

「えぇぇぇぇええ??引っ越しを引っ越し業者に頼まないって、どーゆーこと?!」
 そのことが決まった日、母さんは顔をしかめた。和子も昭子も同じだった。だが、父さんは大きく息をつき、
「金はかけれないんだ。いいじゃないか、昔の人はみんな自分達で荷物をまとめて引っ越したんだし、別に不可能じゃないんだから。」
と開き直ったのだ。さすが戦後の田舎育ち。「今も昔もたいして変わらない」と思い込む父さん。
 その時、私はというと父さんの意見に「あ、そ〜なの?いいけど、別に。」と答えたのだ。賛成した、というよりは、父さんの言っていることの本当の恐ろしさをまだ知らなかったのだ。
 その恐ろしさを知ったのは、学校から帰ってきてからだった。

 学校から帰るとまず、帰ろうとしている親戚の聡おじさんに出会った。
「こんにちは〜!」
と私はにこやかに、手伝いに来てくださってありがとう〜vという笑顔を浮かべながら明るく挨拶した。しかし、おじさんは腰に手を当てて顔を歪めたまま、
「じゃ、じゃあね。」
と言った。そして奥さんと車に乗って帰ってしまったのだ。
 おや?と思いながら家に入ると、玄関にはすごい形相の母さんがいた。
「真実ぃ!!何で中学の教科書をまとめてひとつのダンボールに入れたの!!!」
はじめはぽかんとしてしまって、私は何も考えられなかった。
 どうやら、聡おじさんは私の荷物を運ぼうとしてぎっくり腰になってしまったらしい。
「えぇ〜?そんなに重かったっけ?私確か、一人で自分の部屋から玄関に運べたと思ったんだけど・・・。」
「じゃあ一人で持ってみなさいよ。そこにまだあんたのダンボールがあるから。」
 母さんに言われて学校道具を降ろして、ダンボールの取っ手に手をかけた。そして持ち上げる!!!・・・が、すぐにやめ、
「そうだ、これ昭子に手伝ってもらって二人で持ったんだった。」
てへへへへへ・・・・・・と笑った私を待つものは、家族全員の冷たい視線だった・・・。

 次なる恐ろしさは香澄おばさんだった。車の運転の出来るおばさんは、ダンボールを車に積んで借家に運び、それらを降ろし、二階に運ぶものを二階に運んで、また戻ってくるという役割を持っていた。
 はじめのうちは順調に仕事をしていたのだが、午後にもなると福本家のダンボールがなくなってしまった。つまり、引っ越し第一日目のノルマは達成してしまったのだ。しかしこれは、おばさんにとって仕事がなくなって退屈になるということを示している。仕方なくおばさんは、父さんが数え切れないほど貯め込みすぎて、もう二度と見ないと思われるビデオテープをダンボールに詰めることにした。
 それは引っ越しの際、母さんが「もう見ないビデオはちゃんと処分して!!」と手を出さずに父さんにやらせようとしたものだった。母さんは「助かるわ」と言っている。
 しかし。おばさんがやれば父さんはやらなくて済む。つまり、いらないビデオも捨てられずに借家に直行するということだ。ダンボールの中にあればもう開けるのが面倒になって、新居にも直行するだろう。母さんだったらそのことで迷って、時間をかけて父さんにやらせるだろうけど・・・。ここは他人だ。
「時間がないから全部入れちゃうわよ〜」
手際良くビデオはすべてダンボールに入れられる。引っ越しでは今まで見たことのない人の一面が見られることを初めて知った。

「今日の出費はぁ・・・香澄お姉ちゃんとうちの家族でお礼もかねて外食でお昼をごちそうしてぇ、およそ六千円。」
 夕食後、家計簿をつけながら母さんがレシートを見てつぶやく。
「四日間引っ越しの日にちを取っているから、しかも来週は聡お兄ちゃんも腰が復活してくるから、多めに見て九千円かける三日間。」
ぐはぁっ、と言って母さんはカーペットの上に寝っころがった。
「しかも最後の夕飯はコンビニ弁当の予定だし。あぁぁぁぁ・・・すごい出費だぁっ!!」
「なにっ?!何がすごい出費だって??」
 父さんがむっとしたように、けんか腰に声をかける。母さんも負けずに言い返す。
「来てくれる人全員にお礼のごちそうはするし、軽トラック貸してくれている遠い親戚にもお礼の品を持っていくんでしょ?だとしたら、業者さんに頼んでも自力で引っ越しても、たいして出費は変わらないんだよね〜!!!」
 父さんに言い聞かせるように母さんは大きな声で言った。すると父さんも負けじと声を張り上げる。 「なんだと、そんなハズはない!!お前はすぐに俺を悪者に仕立て上げて悪口を言うから・・・」
「なんですって?!事実なんだから仕方ないでしょ!!」
 私が風呂に入ろうとする頃には、父さんも母さんも顔にしわを寄せて、借家についての話は一切しない、という雰囲気になっていた。その場にいると、何もないのに肩がずしーんと重く、もし空気に色があるとしたらまさしく父さんと母さんの辺りの空気は「黒」だろう。
 さて私はというと、風呂の中で一人落ち込んでいた。
 だって、久々の外食で浮かれて、ハンバーグステーキの一番値段の高いものを頼んだのを思い出したからだ。まぁ、母さんたちが頼んだ定食よりは安かったけれど、でも子ども達の中では一番高いものだった。
 福本家が借金を重ねて、怖い顔をした大男にドアをどんどん叩かれている光景が目に浮かんできた。あぁ、私は親に経済的負担をかけないように新聞配達かなんかをして、自分で貯めたお金で大学進学を希望するのだろうか。世間の冷たい風の中で、仕事を黙々とこなし、ちょっとした空き時間に必死で勉強するのだろうか・・・。それはそれでかっこいいかもしれないけれど、意志の弱い私にはきっと無理なんだろう。苦労するくらいなら進学しなくてもいいや〜♪と挫折してしまうだろう。別に楽をするために大学に進学するわけじゃないけど・・・でも、そんな苦労に私が耐えられるかというと・・・う〜む。
 そこでガラッとお風呂のドアが開く。
「まだ出ないの?」
私がお風呂に入るのを順番待ちしている和子が、不機嫌そうに聞いてきた。
 はっと我に返って、急いで風呂から出た。居間に行くと母さんに会った。私は昼食で高いものを頼んだことを謝ろうとした。が、父さんとのケンカで機嫌が悪そうだったので、やめておいた。やっぱり謝ったあとはにこやかに優しい言葉をかけてもらいたいものだからだ。今言ったら、出費のことを思い出して余計に怒られそうだと私は思った。
「おやすみなさい。」
「あぁ、おやすみ。明日も早いよ。」
 母さんの忠告をしっかり聞いてから、私は自分の部屋へ向かった。



<3>引っ越し第二日目


 翌日の日曜日、聡おじさんは来なかった。というわけで、奥さんも今日は来なかった。そのかわり香澄おばさんが長男の渉くんを連れてきた。25歳になる彼は、ジャージに軍手に帽子にと完全装備で手伝いに来てくれた。
 一方福本家は、徹夜で仕上げた荷物をおばさんの車のトランクに積んで、その後はへたり込んでしまった。眠いのだ。
「ほらほら、疲れてないで。ここにあるゴミみたいなのはどうするの?」
 香澄おばさんは元気に声をかけながら、まだ残っているテーブルの上のレポート用紙を手に取った。
「あ、それ私の。」
「なになに、『数学の中間テスト直し』?」
「来週締切なんだけど、引っ越しで忙しくなるだろうから、昨日荷造りの最中に仕上げたのよ。頑張ったでしょ?へへっ」
と、様にならないガッツポーズをしてみせる。おばさんはちらりとも私を見ずに、
「枚数が意外に多いわね。」
「・・・・・・・・・。」
 私が誉めてもらいたかったところは、枚数ではなく忙しい中仕上げたということなのに・・・。頭が良かったとうわさされている香澄おばさんに自慢した私が馬鹿だったのだ。ガッツポーズがかなりむなしかった。

 父さんが趣味で集めていた物置のガラクタを、父さんと渉くんが車や軽トラックで運び、母さんとおばさんが借家の整理をし、三人娘は新たに荷造りを始めた。
 和子は大学生活に必要なもの以外はポイポイ捨てていったが、昭子は思い出にひたってしまい、ちっとも片付かなくなっていった。
 あまりの手際の悪さに、和子はおずおずと尋ねる。
「・・・手伝おうか?」
「ん〜〜・・・じゃ、お願い。」
 そしてしばらくすると、
「はい、これ捨て。」
「えぇ?!これには‘あんな’思い出が・・・」
「んじゃ、こっち捨て。」
「えぇ?こっちにも‘こんな’思い出が」
「ああぁぁぁぁあああ、もうっ!!!そんなんだから片付かないんだってば、イライラする〜〜〜〜!!!」
と手伝っている和子が怒り出し、ケンカになる。
 さわらぬ神に祟りなし。私はそんな二人を無視して自分の分を着々と片づける。勉強机の上の小物をダンボールに入れる。取り寄せていた大学のパンフレットや資料もダンボールに、もう誰もぎっくり腰にならないようにぎゅうぎゅう詰めにならないように入れる。ついでに高校二年の教科書に手をつけた時、
「あんた、それに手をつけたら今週いっぱい学校どうする気なの?」
「あれぇ?引っ越しが終わると期末試験なんじゃなかったっけ?」
と、いつのまにかケンカも人段落した姉二人のお言葉が・・・。
 父さんがメーカーを決めた時から、私は誰よりも早くに小学校の教科書を片づけ出したのに、最終日の最後まで学校道具を片づけなければならないのか・・・。なんだか、気が重くなってしまった。

「お昼だよぉっ!お食事に行きましょ〜!!」
 借家にいた四人が帰ってくると、三人娘はらんらんと目を輝かせて車に乗り込んだ。行き先は近場の安いファミリーレストランだ。
 今日はちょっと人数が多いので、大人と子どもとに分かれてテーブルについた。ただ、びっくりしたのが、昭子と和子のメニューを知った時。二人とも値段の張るものを選んでいるのだ。昨日のことを考えると、人のことは言えないけれど・・・でも、私はびっくりしてしまい、急いで一番安いものを注文しようとした。
「あれ、真実、いいの?あんたの好きなとろの定食もあるのに・・・。」
「うん、いいの。今日は。」
「どうしたの?おなかでも痛いの?」
「そうなの、実はおなかの子が八ヶ月で・・・。」
「ははっ。それだけ言えれば大丈夫ね。」
二人は私のメニューから気を逸らした。話はすっかりギャグになってしまったけれど。でも、あぁ冷や汗。本当に大丈夫なのだろうか、福本家の財産は。
 満腹になると、みんなはそれぞれ自分の家の車に乗り込んだ。こういった車での移動の時が、家族だけで話が出来る時間だ。私は食事の値段のことで、話をどう切り出そうか考えた。そんな時、
「そうだ、お母さん。真実ったらね、家のお金が気になるらしくって、一番安いのを食べてたんだよ。」
と和子が人の心配をよそに見事に話し出した。昭子も隣で、うんうん、とうなずいている。私は真顔になって言った。
「だって、そんなにお金があるようには思えないんだもん。本当にうち、大丈夫なの?ねぇ・・・。」
 私の話を聞いて、母さんはすまなそうに助手席から振り返った。
「気を使わせちゃってごめんね、真実。でも、今度は気にしなくていいよ。私達が安いのを選んでいると、ご馳走になっている人達が遠慮しちゃうからね。」
「・・・うん、分かった。」
 驚いた。そんな気の使い方もあったなんて。もし私が母さんだったら、きっと家族だけでも安いものを選ばせて食費を浮かそうと考えただろう。
   そうか。
 もしかして、昭子も和子も母さんの気持ちに気がついていたのだろうか。なんか、普段接している時はそんなに年が離れていないような感じがするけど、やっぱり二人ともお姉さんなんだ・・・。当たり前のことに始めて気がついたように、私はぼうっとしてしまった。

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