※この話は、『大森村の人々』の番外編にあたります。
そんな話読んだことないよ。という方で、
本編から読んでみるという場合は
【こちら】へ。
この話だけで良い、という場合は【予備知識】を御覧下さい。
 
 
 
8.漂う…  
 
 
 
 日本にはバレンタインと呼ばれる日がある。
 
 
 2月14日天気晴れ。
 五十嵐朝紀。現在中学二年生。校舎はぼろいが体育館は冷暖房完備という、素晴らしい公立中学校に通っている。
 
『それでは…卒業式予行練習を行います』
 
 バーコード頭の教師が、マイクを片手に気取って言った。
 予行練習をする人間は、三年生4人、二年生4人、先生4人。合計12人。それが体育館でちんまりまとまっている姿は、なかなか笑えた。
 卒業式らしく、三年生は証書の受け渡し練習をしたり、お辞儀の角度とかも指導されている。
 対して、在校生代表の二年生は、やることもなくかなりダレていた。
 卒業式で二年生がやることは、卒業生が退場する時にリコーダーを吹くことである。それ以外はあくびをかみ殺すか、ちぱちぱとやる気のない拍手を送るくらいだった。
「ねえねえノリ君。ウチの学校って校歌あったんだね」
 古瀬村の啓子さんが、大発見とばかりに目を輝かせた。私語にしては声がでかい。体育館なのでとても響く。でも、先生方は彼女を放置していた。理由を聞けばかわいこぶりっこで言うだろう、「だってこわいんだもん」と。威厳も何もないおっさんのそんな姿は見たくない。
「……前々から、体育館にちゃんと立派な額入りで飾ってあったでしょう」
 朝紀がステージ横の壁を指す。丸い時計の下に、金文字で校歌の書かれた額が飾られている。たぶん何年も前の卒業生がおいていったモノだろう。こういうものは、どこの学校でもだいたいかわらない。階段の踊り場なんかにおかれている、何に使うのか良く分からない、むしろ七不思議くらいにしか役に立たない鏡も、たいてい卒業生が残していったものだ。
「あ?人間近くにあるモノほど見えないようにできてんのよ」
「……自分のことについて、人間まで範囲を広げるのはどうなんでしょう……」
 村民憩いの場でもある体育館は、学校が休みの日でも開いていて、1年365日中350日くらいはお世話になっているのだ。それで今まで気付かなかったというのは、よほど周囲を見ていないものだと思われる。
「予行練習、さっさと終わぬものか……」
 それまで二人の会話を黙って聞いていた志麻が、ふとため息をついた。彼女は送辞を読むので、朝紀よりやることはあるのだが、やはり退屈なようだ。
「今はすることなくても、『マイ・ウェイ』を演奏するんですから、我慢して下さい」
「そもそも何が悲しくて、4人でリコーダー演奏しなきゃいけないのよ。場内ときが止まるか凍り付くかのどっちかじゃない」
「その意見には賛成ですけど、兵頭先生が何かやりたいって……」
「ちっ、これだから体育会系は……」
 啓子が舌打ちをして、校長の代役をしている担任の兵頭を睨み付けた。瞬間、彼の上からバレーボールが山のように降ってくる。
「わっ、とっとっ」
 ちょうど証書を受け取る練習をしていた三年生の女子が、反射神経でそれをすべて避けた。中には一度バウンドしたものもあり、まさに四方八方からの攻撃だったのだが、かすってもいないのだから素晴らしいとしか言いようがない。ドッジボール大会があったら、彼女は間違いなくスターだ。
 一方、本職体育教師の兵頭は、当たり所が悪かったのか、白目をむいて倒れていた。かなり格好悪い。
「う〜ん、すっきり」
 騒いでいるステージ上を見ながら、啓子はにこにこと笑う。
「……キャットウォークには、いたずら好きの妖精でも住んでいるんですかね……」
 朝紀は、遠くを見つめ、顔を引きつらせてつぶやいた。
「ノリ君。目を開けて夢見てるヒマがあるんなら、セージ探してきたら?」
 呆れ口調で啓子が言った。
 その間、ステージ上に担架が運ばれて、兵頭が体育館から去っていった。残った先生方は必死に散らばったボール拾いだ。退屈なはずの二年生は、誰一人として手伝おうとしない。
「セージ?さっきまでここに……」
 啓子の言葉に、朝紀は後ろを見たが、そこにはいるべきはずの人間が見当たらなかった。
「騒ぎに乗じて姿をくらますとは……なかなかやりおるの」
「シマさん、顔が悪代官です」
 人間の性格って表情とかに出るよな、と朝紀は思った。
 ステージではボールの回収が思うように進まないのか、練習が再開する兆しが見えない。
 朝紀は立ち上がった。
「……セージ探してきます」
「あら?ノリ君がサボるんだ〜」
 にやにや笑って、さも悪いことのように啓子が言う。行けと言ったのはあんただ、と朝紀は思ったが、歯向かうことはせずに体育館を後にした。
 
 
 校舎に入ると、人がいないせいか閑散としていた。卒業式に出ない一年生が授業をしているはずだが、いいかげんと定評のある中学校だけに、もしかしたら、インフルエンザが流行っているわけでもないのに、突然学級閉鎖とかになったのかもしれない。
 あちこちガタがきている校舎は、歩くたびにヘンな音がした。それでも廊下や教室にはめ込まれている窓だけは、ヘンな落書きもひび割れも曇りすらなく、とてもきれいだ。それもそのはずで、昨年啓子によって校舎中の窓ガラスが全壊するという事件があったので、そう取り替えがなされたのだ。現在はめられているのは、教師陣の意向により、すべて防弾ガラスである。
 体育館と窓だけきれいな学校って何かイヤだな、と朝紀は思いながら、行方不明の同級生をさがす。
 それほど大きくはない校舎、教室をしらみつぶしにさがしても、それほど時間はかからない。
「セージ?いないのか?」
 立て付けの悪い教室のドアをガラリと開ける。朝紀の声だけが、むなしく響き渡った。今のところ、すべて空振りだ。
 一年から三年までの各教室にはおらず、事務室・職員室・校長室・保健室・音楽室・家庭科室・美術室にもいなかった。鍵のかかっている教室もあるので、窓からのぞくとかそんなことしかしていない部分もあったが。
 そうこうしているうちに、授業終了のチャイムが鳴ってしまう。卒業式の練習も終わったことだろう。
 誠次を見つけられず、サボる意味が全くなかったことに、朝紀は精神的な疲労を感じた。
(何やってるんだろう…俺)
 技術室も空振りで、指折り数えてあと行っていない所は、と考える。サボり場所として定番な屋上は、この中学には存在しない。屋上へ行く階段やはしごもないし、そんな所へ行くのは自殺行為だ。雨漏りする教室を使っているからこそ、そう思う。絶対腐っているのだ。バキッとか言う音とともに落っこちるに決まっている。
 いくら誠次が人間を飛び越えた存在だろうが、屋上へは行かないはず。朝紀はそう信じた。
(たとえ、幽霊と会話出来ようが…異次元空間とアクセス出来ようが……)
 だんだん自信がなくなってきた。
 ――と。
 不意に前方から、得も言われぬ匂いが漂ってくる。
(この匂いは――!)
 朝紀は漂う匂いを辿っていって、まだ見ていなかった教室――理科室へと足を踏み入れた。
「あ、トモ!」
 入口のすぐ近くに誠次がいた。エプロンをして、鼻の頭に何かつけている。
 そして、普段は薬品等、理科室独特の匂いが漂うはずの教室に、今は、まったく違う匂いが充満していた。
 甘ったるい匂い。――でも、焦げ臭い。
 一番近い実験台には、乳鉢と乳棒が放り出され、バーナーがあり、それを覆うように三脚、上に金網、ビーカー。ビーカーの中には、こっぽんこっぽんと茶色というか黒っぽい何かが沸騰しようとしていた。
 朝紀は、へらへら笑っている誠次を見た。どっと疲れが出てきた。
「セージ。今から言うこと良く聞いておけ…。ここは理科室であって家庭科室じゃない。でもって今日は確かにバレンタインだが、基本的にそれは女子が男子にチョコを送る日だから、お前が作る必要はない。さらに言うなら、ビーカーやらで代用していたようだが、根本的に作り方が間違ってる」
 そう、古瀬村誠次は、理科室でチョコレートを作っていたのである。
「まーにぃ……にじ」
 朝紀が言った最後の部分に反応して、誠次が落ちこんでいく。つまり、理科室やバレンタインという日の問題については、彼にはどうでも良いらしい。
「セージ、真一さんにあげるつもりだったのか?」
 作業を中断させ、おそらくチョコを削る時に使ったのだろう乳鉢と乳棒を洗いながら、朝紀は誠次に聞いた。
 誠次はこくりと頷く。
 あまりの落ちこみように、朝紀は、中身と外見が一致していないことを知っているにもかかわらず、救いの手を差し出してしまう。
「セージ、これ片付け終わったら、家庭科室で作り方教えてやるから、落ちこむなよ」
 バーナーは誠次が消したようなので、朝紀はヤケドしないように注意しながら、金網や三脚をもとあった場所に片付けた。
 近くにいた誠次は、先程の暗さが嘘のように嬉しそうに笑った。
 一番最後に残った、チョコレートがべったりくっついたビーカーは、もう使えないだろうと判断して捨てた。捨てる直前、なんとなくビーカーの底からちらりと中をのぞくと、焦げ焦げチョコと白い物体があった。
「……セージ、もしかして沸騰石入れたのか?」
「うぃ!」
 その声に朝紀は、さらに疲労の色を濃くした。
 
 
 場所は家庭科室に移動した。
 何を考えて、誠次が真一にバレンタインチョコを送ろうとしたかなんて、さっぱり分からない。朝紀はとりあえず、家族サービスの一環だろうと勝手に納得した。
 しかし、チョコを送るなら手作りじゃなくても良いと思う。
 これは彼自身が昔経験したことなのだが、好きでもない人からもらった愛情たっぷり手作りチョコというのは、この世で最も食べにくいものなのだ。しかも、手作りなので、指紋がくっついていたり、最悪の場合、髪の毛が入っていることがある。好意は大変嬉しいが、もう少し料理の腕を磨いて欲しいと思ったものだ。
 誠次は間違いなく料理が下手な部類に入るので、ここはヘンな色気は出さずに、市販されているバレンタイン用のチョコでも買った方が無難だ。チロルだろうが5円だろうが、チョコはチョコ、誠次がくれる物なら、真一は喜んでもらうに違いないし、文句を言ったりもしないだろう。
(失敗して捨てたあのビーカー……明日になったら消えてたってコトはないよな)
 誠次を溺愛するあの兄は、たとえ分離していようが焦げ焦げだろうが、誠次の手作りってだけで感涙する。となると、せっかく誠次の作ったものだし、と、理科室で作ったアレを回収する可能性がないとは言い切れない。あの真一が何を食べようが、朝紀には関係なかったし、沸騰石入りのチョコを食べた所で彼がどうなるとも思ってはいなかったが、想像するだけで精神的ダメージが大きいし、捨てたのは自分だ。誠次がせっかく作ったものを粗末に扱った、とか言って、タコ殴り判決や死刑判決が言い渡されるとも限らない。
 朝紀は、ビーカー行方不明事件――自分の身の危険を含む――を未然に防ぐために、誠次に見栄えの良い手作りチョコをさっさと伝授することにした。
 もうそろそろHRが始まるだろうが、のびていた兵頭が短時間で復帰するとは考えづらい。おそらく代理の先生が来て、勝手に帰れと言われて終わりだろう。つまり、いてもいなくてもあんまり意味はないはず。毒を食らわば皿までと、朝紀はサボることにした。
 鍵がかかっているはずの家庭科室を、誠次がものともせずに開けた。
「いいか、セージ。まずはかわいたまな板と包丁を使って、チョコを細かく砕くんだ。なるべく細かく、均等に。できるな?」
「うぃ!」
 家庭科室の机を一つ利用して、朝紀と誠次はチョコレート作りにのりだした。
 朝紀は誠次が持っていた手作りチョコの材料を見て、どうやらアーモンドとコーンフレークを入れたものが作りたいようだと判断した。
 誠次がまな板と包丁でチョコを砕いている間に、朝紀はフライパンをだして、スライスアーモンドを乾煎りした。
 ボウルやめん棒やゴムべらやオーブンペーパーや型を準備して、誠次が細かく砕き終わるのを待つ。型はハートと星だ。
(男二人でチョコ作りって……不毛だ)
 我に返っては負けだと、朝紀は首を振った。
 そうだ、湯せんをするためにお湯が必要だ、と朝紀は適当な鍋に水を入れ、火をかけた。
「トモー!」
 しばらくすると、誠次が刻み終わったチョコを、朝紀に見せてきた。なかなか良い感じだ。
「じゃあ、セージ。それをこのボウルに入れて」
 用意した二つのボウルのうち、小さめの方にチョコを入れさせる。
「じゃあ、湯せんだ。このチョコのボウルには水が入らないように注意すること。水が入ると分離したりムラになったりするからな。それと、まんべんなく熱が通るように大きくかき混ぜて」
「うぃ!」
 誠次が元気よく返事をする。朝紀は彼にゴムべらを渡した。
 湯の温度は50度から60度。熱湯は厳禁。もう一つのボウルに鍋の湯を入れて、朝紀は、再度水を入れないように、と言って誠次に渡した。
 自分でやることがなくなったので、一生懸命、チョコをかきまぜる誠次を見ながら、朝紀は安堵のため息をつく。今のところは順調だ。
 ボウルから、チョコレートの甘い匂いが漂う。とろうりと溶けるチョコレート。
 朝紀が誠次に作らせようとしているのは、フレークとアーモンドがまざったチョコを、板状のチョコではさんだチョコレートサンドだ。
 この後はテンパリングして、板状用のチョコは、オーブンペーパーの上にのせて、平たくして少しの間固める。固めている間にサンドする方を作り――フレークとアーモンドを混ぜる――、あとは、少し固まった板状チョコを型でくり抜いて、フレーク&アーモンド入りチョコをはさみ、再度固めて完成だ。
 作業工程を復習しながら、朝紀は甘い匂いの中に身を浸していた。
 
「ちょっとノリ君!こんな所で何してんのよっ!!」
 
 まったりと漂っていた空気が、突然の侵入者によって霧散する。
「……ケーコさん、と、シマさん」
 振り向けば、女性陣が男性陣の分のカバンまで持って立っている。
「HRは出てこないし!おかげで連絡事項頼まれちゃったじゃない」
「うむ。明日は椅子を並べて予行練習をやるそうでな。二年生はその作業のために三十分前には学校に来るようにと」
 啓子が近くの机にカバンを放りながら文句を言い、志麻が冷静に連絡事項を告げる。
「ありがとうございます。ああ、セージ、それはその位で良い。次は――」
 二人にお礼を言いつつ、朝紀はチョコが良い感じになったので、誠次に次の工程を言い渡した。
「チョコ作り?」
 行儀悪く机の上に座って、啓子は朝紀と誠次がやっていることを見る。そしてなぜだか知らないが、顔を顰めている。
「バレンタインですから。セージは真一さんに送りたいらしくて、沸騰石と焦げたチョコの入ったビーカーを持って行かれる……じゃなかった、え〜と、食べられるチョコを作って真一さんを喜ばせるために、正しいチョコの作り方を教えてるんです」
「ああ、昨日、母さんが父さんのために媚薬入り特大チョコレートケーキつくるの見て、兄貴騒いでたからね……。『セージ、兄ちゃんにチョコくれ』ってさ……」
 媚薬入り?いや、注目すべき点はそこではないな、と朝紀は思って、ははは、と愛想笑いを浮かべた。下手なことは言わない方が良い。
 それからしばらくの間、女性陣が作業を見ている中、男性陣がチョコを作るという、なんだか奇妙な光景が、家庭科室では見られた。
 
「ファイア〜!」
 
 誠次の素っ頓狂な声が家庭科室に響き渡った。あまりに大きい声だったため、校舎が若干揺れたが、すぐにおさまる。
 机の上には、きちんとラッピングされたチョコが置かれている。青い包装紙で包まれた箱に、銀色のリボンがまかれ、少し歪んだちょうちょ結びがなされていた。
「あ、できたの?」
 ボウルの中の余ったチョコを指ですくいながら、啓子が自分の弟に言った。
 誠次は嬉しそうな顔をして、えへらと笑う。顔や手や服のあちこちにチョコがついていて、彼の奮闘ぶりがうかがえる。理科室の時から鼻についていたチョコは、すでに固まってぱりぱりだ。
「……今の状態のセージをあげた方が、兄貴喜ぶ気がする」
「ちょっ!ケーコさん何言ってるんですか!そんな、ダメです!セージが危険です!」
 ぽつりとそんな感想を漏らす啓子に、朝紀は顔を真っ赤にして叫んだ。きょとんとした啓子は、
「こんだけ自分のために頑張ってくれたんだ〜とかって、感涙するかなって思ったんだけど……。ノリ君何か別のことでも考えた?」
 にやにや笑って朝紀を見る。
「……イエ、別に」
 顔を背けて、朝紀は言った。
(そ、そうだよな。真一さんはあくまで家族として……)
 彼が何を考えていたかについては、推して知るべし。
 朝紀は、話題をそらすために、誠次に顔や手を洗うよう指示を出した。
「ケーコさん、道具片付けちゃうんで、もうなめるの良いですか?」
 チョコを入れていたボウルを啓子から受け取ると、朝紀は道具を片付け始める。啓子は手伝おうともせず、今度はくり抜かれたあとの板状チョコを食べ始めていた。
「のう、つかぬ事を聞いても良いか?」
 ボウルをふきんでふいていると、志麻が珍しくも遠慮がちに聞いてくる。
「何ですか?」
 もしかして、彼女もチョコを作りたいとでも言うのだろうか。意外と言えば意外だが、いくら大森村民と言えど、彼女も立派な女の子である。可能性がないとは言い切れない。
「ああ、その……『ばれんたいん』とはなんだ?」
 朝紀はふいていたボウルを落っことした。くゎらんくゎらんボウルが音を立てて床を回る。
 いくら時代劇オタクとはいえ、まさかこの行事を知らないとは思わなかった。
 ボウルを拾って再度洗いながら、朝紀は自分の頭が先程のボウルと同じように、奇妙な音を立てて回っているのに気付いた。きちんとした言葉を使えば、その状態は頭痛と言うことになる。
「え〜と、ですね……」
 朝紀は蛇口の水を止め、どう言おうかと逡巡する。
 微妙な空気が、家庭科室に漂った。
 顔を洗い終わった誠次が、きょとんとした表情で、二人を見る。
「バレンタインというのは……」
「私が教えてあげるわ、シマちゃん!」
 朝紀が言うのを遮って、啓子がバンッと机を叩いた。ミシッという音が続いて、机にひびが入る。
「セ、セージ。チョコしっかり持ってろ。なくしたりしたら真一さん悲しむだろ」
 小声で誠次に告げて、チョコレートを避難させる。このチョコに何かあったら、真一が悲しむ上に、せっかく未然にふせごうとしていた、ビーカー行方不明事件が起こる可能性がある。
 誠次は大事そうにチョコの入った箱を、どこからか取りだした紙袋に入れた。カバンにつっこむという愚行を犯さなかったことに、朝紀はほっとする。
 その間に、啓子の講義が始まっていた。
「良いこと、シマちゃん。バレンタインというのは、単純に言ってしまえば、2月14日に女子が男子にチョコをあげる日よ」
「ふむ」
 朝紀は、啓子の説明が結構まともだったので、感動する。お菓子業界の陰謀とか語り始めたらどうしようと、思っていたのだ。
「でもね、それは形式化されたものでね、本当の意味は違うのよ」
「ほほう」
 ちょっと待て、と朝紀は口をはさもうとしたが、啓子が睨んできたので黙るしかなかった。というか、天井からいきなり大きなフライパンが落ちてきて、それを必死で避け、ばくばく言っている心臓を落ち着かせていたので、言葉が発せなかった。
(キャ、キャットウォークの妖精さんは、家庭科室が散歩コースだったりするのか?)
 混乱している頭で、ヘンなことを考えている間に、啓子は話を進めてしまう。
「シマちゃんの好きな大岡越前が死んでから、数百年後。1945年に日本は戦争に負けたわ」
「8月15日の終戦のことだな…」
「そうよ。それから半年後が2月14日でしょ?15日じゃないのは、わざとらしくしないための工夫よ」
「ふむ。だが、なぜ……」
「当時日本は貧しくて、『ギブ・ミー・チョコレート』って言いながら、アメリカ兵を追いかけたでしょ。バレンタインって言うのは、そこからきてるのよ。男が情けない日本人の役で、女が余裕のあるアメリカ人の役ってわけ」
「なるほど!それが形式化されて……」
「そうそう。で、3月14日には、逆のこと男が女にバレンタインのお返しをするって行事があるんだけど」
「ほう…初耳じゃ」
「この行事は、戦後高度経済成長やらバブルやらで頑張って儲けた日本人が、『へヘン、どんなもんだい』って言って、『あの時の礼だ、喜んで受け取っておけ』って感じに、お返しをする所からきているの。三倍返しがまぁ妥当だって言われているのも、妙なプライドからよ」
「やはり、男が日本人役で女がメリケン役か」
「そう。だって逆だったら女ばっかり損するじゃない。ていうか、男が女に貢ぐのは当然でしょ?日本人のアメリカ人への妙なプライドと、男の女への妙なプライドを重ね合わせているわけ」
「ふむ。なかなかに奥の深い行事なのだな」
「そうなのよ。ま、私には関係ないけどね。来月にお返しはもらいたいけど、そのためにチョコばらまくなんて面倒じゃん」
 そんなことを言って、啓子の講義は終了した。
「……」
 朝紀は呆れ果てていた。よくもそんなこじつけができたものだ。
 聖バレンタインの命日だからとか、そもそもこの行事は外国産だとか色々と言いたかったが、妖精さんがどんないたずらをしてくるか分からなくて、朝紀は何も言うことができなかった。
 疲れた顔色の朝紀と、間違った説明に納得した志麻と、あまりのチョコを食べきった啓子と、兄へあげるプレゼントができた誠次と。一人以外は満足そうな顔のまま、無断使用した家庭科室を後にした。
 外はすっかり暗くなっていて、その中を、四人はそれぞれの家路を辿っていく。
 今日も一日お疲れさま。明日は朝からイス出しがあるから、早めに寝るんだよ。
 空の上から星が瞬いた。
 
 
 
 朝紀達が帰ってから二時間後。職員さえも帰ってしまった学校で、兵頭は目を覚ました。
 体育館にいたはずなのに、いつの間にか保健室に寝かされていて、必死にその時のことを思い出す。そして恥ずかしい失態にため息をついた。
 職員室によって荷物を取って、真夜中の学校を出ようとする。
 ――が。
「ち、ちょっと待て!何で開かないんだ!!」
 昇降口のドアが開かないのだ。鍵はきちんと開けたにもかかわらず。いくら寺子屋よりもぼろい校舎だからといって、いきなりガタがきたとかそう言う可能性は低いような気がする。
 それに、兵頭は知っていた。夜の学校が大変危険だと言うことを。去年肝試しをやって思い知らされている。
「誰か!誰かいないかっ!!」
 恐怖にかられてそんなことを口走る。
「また、ここかよ」
 兵頭の声に呼ばれるかのように、一人の少年が昇降口前に現れた。
「ぎゃ〜っ!出た〜」
「ちょっと待てよ、お前が呼んだんだろうが」
 少年は黒い帽子を目深にかぶったまま、ため息まじりにそう言った。
「そうだった……。お、お前、ここ開けられるか?」
「……現金なヤツ。別にいいけどよ」
 少年はそう言うと、ひょいと昇降口を開けてやる。兵頭が苦戦していたのが嘘のようだ。
「おお!ありがとう、助かった。ついでに鍵かけてくれるか?」
 昇降口から外に飛び出した兵頭は、少年にそう頼む。少年は小さく頷くと、ぱちんと指を鳴らした。
「ほらよ。……でも良いのか?」
「ん?開けっ放しよりは良いだろう」
 兵頭は出られたことがよほど嬉しいらしく、舞い上がっていた。これで教師が務まるのだから、日本の教育もおしまいまできているに違いない。
「……俺は、知らねぇからな」
 少年は校門の向こうに消えていく兵頭の背中に、ぼそりとそう呟くと、姿を消す。
 
 誰もいなくなった校舎に、しゅーしゅーという音が響き渡る。
 発信源は理科室だ。誠次が使っていた辺りから聞こえてくる。
 
 真夜中の学校。ぼろい校舎全体に、ガスの臭いが漂っている。
 
 
 
 
 ・fin ・
 
 

あとがき
 
「漂う…」というお題を見て、一番初めに思ったのは、煙でした。煙→火葬場とか考えていたのですが、いやいや、それはマズイだろうと思い直し、この話にしました。
この時、UPするのがバレンタイン後だなんて、すっかり忘れていました。時季外れでごめんなさい。しかも、この頃ってちょうど高校の受験日じゃないか?卒業式の予行練習ってもっと後?とか思ったりもしたのですが……。まぁ良いやと開き直ってます。
女性陣がバレンタインにチョコをあげる姿が想像できなかったので、誠次に作らせてみました。家に帰って真一に渡し、とても喜ばれたと思います。
 

出題者の言葉
 
大森だ!大森村だ!!元気がいいぞ大森村!!
つくづく、ケーコさんったらいろいろとこじつけて物事を説明できるなぁとか思ってしまいました。ってか、シマさん・・・シマさんらしさ爆発!
トモ君ってさぁ、トモ君ってさぁ・・・普通の男の子なんだね。男の子同士でがっかりしてさ。私はセージの行動にもホッとするけど、トモ君の無意識の行動にホッとしますね。チョコレート作りが普通にできてしまうところが、今までケーコさんやセージ君に作らされていたんじゃという疑念を抱いたり・・・。大魔王(真一)もたいそうお喜びでしょう。
ちなみに、「漂う」は紅茶を飲んでいるときに葉っぱが漂うように浮いていたから。
そんなんでお題を出すな〜!ッて感じですね。はい。すみません。
・・・ホワイトデーバージョンが短編で出るかもしれませんねv(きさらぎさんの労力を考えない発言)


 
 
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【予備知識】…という名の主要キャラ紹介
 
五十嵐朝紀(いがらし とものり)
大森村在住の中学二年。中の上は確実にある顔。
成績もスポーツも人並みにこなし、料理の腕も良いらしい。
基本的には普通の人間。頑張って生きています。
 
古瀬村啓子(こせむら けいこ)
大森村在住の中学二年。誠次の双子の姉。
上の下は確実にある可愛らしい顔。ただし手入れはまったくしない。
自己中心的な性格で、誰に対しても容赦のない女王様。
「窓ガラス全壊事件」をひきおこすなど、言動はかなり乱暴。
 
古瀬村誠次(こせむら せいじ)
大森村在住の中学二年。啓子の双子の弟。
上の下は確実にある可愛らしい顔。言動は色んな意味でおかしい。
性格自体は悪くないが、色んな意味ではた迷惑。
 
古瀬村真一(こせむら しんいち)
大森村在住の大学生。啓子と誠次の兄。
上の上、むしろ特上は確実にある顔。
全てにおいて秀でているが、世界は弟中心に動いていると思っているブラコン。
弟のためなら次元すら超越してみせる大魔王。
……ここまで紹介していますが、今回本人自体は登場していません。
 
森一志麻(もりひと しま)
大森村在住の中学二年生。大森村村長の娘。中の上はある顔。
成績良好、運動神経は謎の、才女。一応学級委員。
大岡越前とホームズを愛する時代劇マニアでミステリーオタク。
時代の流れを逆行する、ある意味イマドキ珍しい中学生。
 
兵頭広重(ひょうどう ひろしげ)
中学二年生の担任。まだ二十代の体育教師。
熱血漢で単純な反面、時々うざいとか思われている。
 
 
……容姿は今回(も)関係ありません。
名前と、血縁関係、あと真一の性格さえ分かっていれば大丈夫かと……。
 
 
本編
2style.net