醜婦しうふ

泉鏡花

全一章

          明治三十年八月

 そん夫子ふうしふ、女性ぢよせいたつとぶべきは、其面そのめんなるにはあらずして、たん其意そのこゝろなるにありと。なんぞあやまれるのはなはだしき。夫子ふうしあながちにしか道義だうぎてき誤謬ごびう見解けんかいくだしたるは、だい早計さうけいにも婦人ふじんもつたゞちに内政ないせいさん家計かけい調てうする細君さいくん臆斷おくだんしたるにるなり。婦人ふじん細君さいくんおなじからむや、けだ其間そのあひだ大差たいさあらむ。勿論もちろんひとつまなるものも、吾人ごじんしやうとなりこうとなり、はたのうとなるがごとく、女性ぢよせい此世このよしよせむとほつして、えらところの、身過みすぎ方便はうべんには相違さうゐなきも、そはたゞ藝妓げいぎといひ、娼妓しやうぎといひ、矢場やばをんなといふとひとししく、一個いつこ任意にんい職業しよくげふたるにぎずして、ひとつまたるがゆえ婦人ふじんその本分ほんぶんつくしたりとはいふをず。渠等かれら天命てんめい職分しよくぶんたるや、はなごとく、ゆきごとく、たゞ、これをもつ吾人ごじん男性だんせいたいすべきのみ。

 男子だんしのゝはなとし、ゆきとし、つきとし、つゑたづさへて、へうになひて、赤壁せきへきし、松島まつしまぎんずるは、畢竟ひつきやうするにいま美人びじんざるものか、あるひこひ失望しつばうしたるものゝ萬止ばんやむをずしてなす、負惜まけをしみ好事かうずぎず。

 たまかひなしんたまよりもよく、ゆきはだへあめ結晶けつしやうせるものよりもよく、太液たいえき芙蓉ふようかんばせは、不忍しのばずはすよりもさらし、これをしからずとひとかたるは、俳優やくしやたがるわか旦那だんなと、宗教しうけうかい僞善ぎぜんしやのみなり。

 されば婦人ふじん宇宙うちうかんもつとなるものにあらずや、猶且なほかつならざるべからざるものにあらずや。

 こゝろといふ、こゝろ貞操ていさうか、淑徳しゆくとくか、こゝろみにゑがきてよ。色黒いろくろ眉薄まゆうすく、はなあたかもあるがごとく、唇厚くちびるあつく、眦垂まなじりたれ、ほゝふくらみ、おもて無數むすう痘痕とうこんあるもの、ゐのこごとえたるが、女装ぢよさうして絹地きぬぢたば、たれかこれを節婦せつぷとし、烈女れつぢよとし、賢女けんぢよとし、慈母じぼとせむ。たとひこれが閨秀けいしうたるの説明せつめいをなしたるのちも、吾人ごじん一片いつぺんじやううごかすをざるなり。婦人ふじんといへども亦然またしからむ。卿等けいらゑがきたる醜惡しうあく姉妹しまいたいして、よく同情どうじやうへうるか。おそらくはざるべし。

 薔薇ばらにはおそるべきとげあり、しかれども吾人ごじん其美そのびあいし、其香そのかよろこぶ。婦人ふじんもしえんにしてにしてえんならむか、薄情はくじやうなるも、殘忍さんにんなるも、殺意さついあるも亦害またがいなきなり。

 こゝろみおもへ、糞汁ふんじふはいかむ、其心そのこゝろなるにせよ、一見いつけんすれば嘔吐おうともよほす、よしやつまとするの實用じつようてきするも、たれしのびてこれをにせむ。またそれはへいとふべし、しかれどもこれを花片はなびら場合ばあひ假定かていせよ 「したしるなますさくらかな」食物しよくもつをかすは同一おなじきもなるがゆゑ春興しゆんきようたり。なほ天堂てんだうける天女エンゼルにして、もしその面貌めんばうしうならむか、濁世だくせい惡魔サタン花顔くわがん雪膚せつぷくわしたるものに、嗜好しかうおよぼざるや、はなはとほし。

 こひねがはくば、滿まん天下てんか妙齡めうれい女子ぢよし卿等けいらつとめて美人びじんたれ。其意そのこゝろをいふにあらず、にくかはとのならむことを、熱心ねつしんに、忠實ちうじつに、汲々きふ/\としてつとめてときのなほらざるをうらみとせよ。讀書どくしよ習字しふじ算術さんじゆつとう一切すべて科學くわがくなにかある、たゞ紅粉こうふん粧飾さうしよく餘暇よかおいまなばむのみ。ことや、うたや、われはたむしと、とりと、みづおとと、かぜこゑとにこれをく、しひ卿等けいららうせざるなり。

 裁縫さいほうらざるも、庖丁はうちやうまなばざるも、卿等けいら其美そのびもつてすれば、天下てんかにまた無上むじやうけんいうして、拔山ばつざん蓋世がいせ英雄えいゆうをすら、掌中しやうちうろうするならずや、百まんてきおそるゝにらず、おそるべきはいつ婦人ぷじんといふならずや、そも/\なにくるしんでか、紅粉こうふんいてあくせくするぞ。

 あはれねがはくは巧言かうげん令色れいしよくびて吾人ごじんたいせよ、貞操ていそう淑氣しゆくきそなへざるも、てよく吾人ごじんせしむ。しかとき吾人ごじん其恩そのおんかんじて、これあたらしきとこき、三じやくすさつてはいせんなり。もしそれやけに紅粉こうふんはいして、讀書どくしよし、裁縫さいほうし、音樂おんがくし、學術がくじゆつ手藝しゆげいをのみこれことゝせむか。ぢよ教師けふしとなれ、産婆さんばとなれ、針妙しんめうとなれ、むし慶庵けいあん婆々ばゝとなれ、にあらずしてなんぞ。婦人ふじん令孃れいじやう奥樣おくさま姫樣ひいさまとなるをむや。あゝ、淑女しゆくぢよめんしゆうなるは、藝妓げいぎ娼妓しやうぎ矢場やばをんな白首しろくびにだもかざるなり。如何いかんとなれば渠等かれら紅粉こうふん職務しよくむとして、婦人ふじんぶんまもればなり。たゞ醜婦しうふしうぢてならむことをほつするものは、その衷情ちうじやうあわれむべし。しかれどもめんしゆうなるをぢずして、かへつてこれをほこもの渠等かれら男性だんせい蔑視べつしするなり、す、つねげい娼妓しやうぎ矢場やばをんなとう教育けういくなき美人びじんを罵のゝしる處ところの、教育けういくある醜面しうめんの淑女しゆくぢよす、ーー如斯かくのごとくふものあり。稚氣ちきわらふべきかな。




 
                  【完】







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