縷紅新草

泉鏡花


  あれ/\たか、
    あれたか。
  ふた蜻蛉とんぼくさに、
  かやつりぐさ宿やどをかり、
  人目ひとめしのぶとおもへども、
  はねはうすものかくされぬ、
  すきや明石あかしぢりめん、
  はだのしろさもあさましや、
  しろ絹地きぬぢあか蜻蛉とんぼ
  ゆきにもみぢとあざむけど、
  世間せけん稻妻いなづまひかる。
  あれ/\たか、
    あれたか。


 「をぢさんーー提灯ちやうちん・・・・・」
 「あゝ、提灯ちやうちん‥‥‥」
 唯今たゞいま午後ごご時半じはんごろ。
 「わたしちませう、いしだん打撞ぶつかりますわ。」
 一肩ひとかたうへつた、かたすそも、しなやかな三十ばかりの女房にようばうが、しろ差向さしむけた。
 およねといつて、これはのをぢさん、辻町つじまち糸七いとしちーーの從姉いとこで、一昨年をとゝしつたおきやうむすめで、土地とち老舗しにせ塗師ぬしなにがしの妻女さいぢよである。
 でつけの水々みづ/\しくいた、おとなしい、しづか圓髷まるまげで、頸脚えりあしがすつきりしてる。雪國ゆきぐにふゆだけれども、天氣てんきし、小春こはる日和びよりだから、コオトもないで、着衣きもののおめしつゝむもしい、いろきよしろいのが、片手かたてに、おきやうーーそのはゝはか手向たむける、小菊こぎく黄菊きぎく白菊しらぎくと、あれはわびしくて、こち/\とさびしいが、土地とちがら、今時いまどきは、おさだまりのぞくとなふるばうさんばなあざみやはらかいやうな樺紫かばむらさき鷄頭げいとうを、一束ひとたばにしてへたのと、一寸ちよつと色紙いろがみの二ほんたばねの線香せんかう一錢いちもん蝋燭らふそくへてつた、片手かたてべて」、「その提灯ちやうちんを」といつたのである。

 山門さんもんあふいでる、處々ところ/゛\くづれて、くさ尾花をばなもむらえのたかいしだんのぼりかゝつた、およね實家じつか檀那だんなでらーー仙晶せんしやうといふのである。が、燈籠とうろうでらといつたはうおほ城下じやうかによくとほる。
 さんぬる・・・・・いや/\、いつのとしも、盂蘭うらぼん墓地ぼち燈籠とうろうそなへて、こゝろばかりちひさなあかりともすのは、のあたりすべてかはりなく、親類しんるゐ一門いちもん、それ/゛\知己ちかづき新佛しんぼとけへ こゝろざしのやりとりをするから、十三にち迎火むかへびからは、寺々てら/゛\卵塔らんたふまをすまでもない、やまに、標石しめいし奥津おくつのあるところむかしいまおもしたやうな無縁むえんばか古塚ふるづかまでも、かすかなしめつぽいこけはなが、ちら/\と切燈籠きりこいて、つちしたの、仄白ほのじろさびしい亡靈まうれいみちが、くさがくれがくれに、暗夜やみにはしるく、つきにはかすけく、冥々めい/\としてあらはれる。なかでも裏山うらやまみねちかい、てら墓場はかばをかいたゞきに、一樹いちじゆえのき大木たいぼくそびえて、そのこずゑけるたか燈籠どうろうが、市街しがい廣場ひろばつじ小路こうぢいけぬまのほとり、大川おほかはべり。一西にしとほ荒海あらうみうへからも、のぞめば、あふげば、たゝずめば、みなそらに、面影おもかげつてえるので、んでられてる。

 この燈籠とうろうでらたいして、辻町つじまち糸七いとしち外套ぐわいたうそでから半間はんまつらした晝間ひるま提灯ちやうちんは、松風まつかぜさつさそはれて、いま二葉ふたは三葉みはりかゝる、をりからの緋葉もみぢともれず、ぽか/\とあたたゝかいしだん小草こぐさだまりに、あだしらけて、のびれば欠伸あくびちゞむと、くしやみをしさうで可笑をかしい。
 辻町つじまちは、欠伸あくびくさめへたやうな掛聲かけごゑで、
 「あゝ、提灯ちやうちん。いや、どつこい。」と一段いちだんむ。
 「いや、どつこい。」
 およね莞爾につこり
 「ほゝゝ、そんな掛聲かけごゑるやうでは、をぢさん。」
 「なに、くたびれやしない。くたびれたといつたつて、こんな、提灯ちやうちんひとつぐらゐ。・・・・・もつと持重もちおもりがしたり、邪魔じやまになるやうなら、一寸ちよつと、こゝいらのすゝき引掛ひつかけていても差支さしつかへはないんだがね。」
 「それはね、だれない、人通ひとどほりのすくなところだし、おてらですもの。そこにいといたつて、ひとうもしはしませんけれど。・・・・・ちませうといふのにたさないで、をぢさん、自分じぶんで‥」
 「自分じぶんで。」
 「あんな、らないかほをして、自分じぶんからお手向たむけなさりたいのでせう。こゝへいてつては、おこゝろざしとほらないではありませんか、わるいわ。」
 「お叱言こゞと恐入おそれいるがね、自分じぶんから手向たむけるつて、一體いつたいだれだい。」
 「それは誰方どなただか、ほゝゝ。」
 また莞爾につこり
 「せい/\、そんないきをして・・・・・此處こゝがいゝ、一寸ちよつとやすみなさいよ、さあ。」

 ちやう段々だん/\中繼なかつぎひと土間どまむかう桟敷さじきつたところ、さかりに緋葉もみぢしたつたはうで、うつむきなり片袖かたそでをさしむけたのは、すがれ、らう身構みがまへで、こし靡娜なよやか振向ふりむいた。踏掛ふみかけてぬり下駄げたに、模樣もやう雪輪ゆきわつめたくかゝつて、淡紅ときなが襦袢じゆばんがはらりとこぼれる。
 なまめかしさ、といふといへども、およねはをぢさんの介添かいぞへのみ、こゝろにもめなさうだが、人妻ひとづまなればはゞかられる。其處そこで、くだんひる提灯ちやうちん持直もちなほすと、はうむかうへした。黒塗くろぬり引取ひきとつたおよねは、しろくてやさしい。
 はゞかられもしようもの。いしだんたるや、山賊さんぞくかまへたいはほとりで火見ひのみ階子はしごつてもいゝ、縦横たてよこ町條まちすぢ家毎やごと屋根やねつじやなぎ遠近をちこちもり隱顯いんけんしても、十ちやうぱう城下じやうか往來わうらい人々ひと/゛\そばだつれば皆見みなみえる、容子ようすは、中空なかぞら手摺てすりにかけたいろ小袖こそで外套ぐわいたう熊蝉くまぜみとまつたにのまゝだらう。
 せみはひとりでジジとわらつて、緋葉もみぢかげ飜然ひらり飛移とびうつつた。
 いや、飜然ひらりとなんぞ、そんな器用きようくものか。

 「ありがたう・・・・・提灯ちやうちんのお力添ちからぞへに、片手かたてすがつて、一方いつぱう洋杖ステツキだ。こいつがまた素人しろうとひろつたかいのやうで、うまく調子てうしれないで、だらしなくそで掻込かいこんだところなさけない、まるで兩杖りやうづゑかたちだな。」
 「いやですよ。」
 「意氣地いくぢはない、が、むをない。お言葉ことばしたがつて一休ひとやすみしてかうか。ちやうどおあつらへ、苔滑こけなめらか・・・・・といふとつめたいが、日當ひあたりであたゝかところがある。さてと、ご苦勞くらうけた提灯ちやうちんを、これへくか。樹下じゆか石上せきじやうといふと豪勢がうせいだが、うしたところは、地藏ぢざうぼんむしろいてかねをカン/\とたゝく、はつち坊主ばうずのまゝだね。」
 「そんなに、せつかちにこしけてさ、どろがつきますよ。」
 「かまはない。あさだよ。たかが墨染すみぞめにてさふらふだよ。」
 「墨染すみぞめでも、喜撰きせんでも、所作しよさ舞臺ぶたいではありません、よごれますわ。」
 「どうも、これは。きれいな手巾ハンケチで。」
 「つてるもみぢのはうが、きれいです、はらつてはまないやうな、こんな手巾ハンケチ。」
 「何色なにいろといふんだい。おこゝろざしで、いし月影つきかげまでしてた。あゝ、いゝ景色けしきだ。いつも此處こゝは、といふうちにも、今日けふはまた格別かくべつです。あひかはらず、うみえる、しろえる。」
 といつた。

 就中なかんづく公孫樹いちやう黄也きなり紅樹こうじゆ青林せいりん見渡みわたもりは、みな錦葉もみぢふくみ、散殘ちりのこつたやなぎみどりを、うすくしや綾取あやどつたなかに、層々そう/\たるしろ天守てんしゆが、遠山ゑんざんゆきいたゞきいてそびえる。そこからなゝめあゐ一線いつせんいて、あをそら一刷ひとはけおないろつらねたのは、いふまでもなく田野でんや市街しがい城下じやうかいたうみである。荒海あらうみながら、日和ひよりおだやかさに、なぎさなみ白菊しらぎくはな敷流しきながす・・・・・友禪いうぜんをうちかけて、雪國ゆきぐにまち薄霧うすぎりとほして青白あをじろい。そのそでおも一端いつたんに、周圍しうゐときくみづうみは、ひるつきの、半圓はんゑんなるかとながめられる。
   
 「お米坊よねばう。」
 をぢさんは、うつして1
 「景色けしきもいゝが、容子ようすがいゝな。提灯ちやうちん親仁おやぢ見惚みとれたのをつてるかい。
提灯ちやうちんひとつ、いくらです。)といつたら、
うぞや、おちなされまして・・・・・おだいはお次手ついでとき、)・・・・・はうだい。そのかはり、遠國ゑんごく他郷たきやうのをぢさんに、りものを新聞しんぶんづつみ、かみづつみにしようとももないんだぜ。あにそれ見惚みとれたりとはざるをんやだ、親仁おやぢ。」
 「おつしやい。」
 と銚子てうしのかはりをたしなめるやうな口振くちぶりで、
 「たびひとだかなんだか、草鞋わらぢ穿かないで、今時いまどきそんな、たばかりでわかりますか。それだし、土地とちでは、まだ半季はんき勘定かんぢやうがございます。・・・・・でなくつてもさ、當寺おてらへおまゐりをするとき、ゆきかへりとほるんですもの。あの提灯ちやうちんさん、はゝかれた時分じぶんから馴染なじみです。・・・・・いやね、そんなから世辭せじをいつて、澤山たくさん。・・・・・をぢさんおまゐりをするのにきまりがわるいもんだから、おだてごかしに、はぐらかして。」
 「つた、つた。おきやうさんお米坊よねぼう、おまへさんのおつかさんのだ。」
 「はじめましてうかゞひます、ほゝゝ。」
 「ご挨拶あいさつ恐入おそれいつた。が、何々なに/\ゐんーー信女しんによでなく、ごめんをかうむらう。その、おつかさんのはかへおまゐりをするのに、なんだつて、わたしがきまりがわるいんだらう。第一だいいちそのためにたんぢやないか。」
 「・・・・・それはご遠慮ゑんりよまをしませんの。はゝとこへおまゐりをしてくださいますのはわかつてますけれどもね、のさきにーーだれかさんーー」
 「だれかさん、だれかさん・・・・・わからない。よねちやん、一體いつたいそのだれかさんは?」
 「はゝが、いつもういつてましたわ。をぢさんは、(きよりわるがり)といふ(なが)さんだから。」
 「どうせ、長屋ながや住居ずまひだよ。」
 「ごめんなさい、そんなんぢやありません。だからつても、なにわたしにーーそれとも、おもさない、わすれたのなら、それはひどいわ、あんまりだわ。だれかさんに、わるいわ、まないわ、薄情はくじやうよ。」
 「しばらく、しばらく、まあ、つておくれ。これはおもひもらない。唐突たうとつうけたまはる。よわつたな、なんだらう、といつちやわるいかな、だれだらう。」
 「眞個ほんとわすれたんですか。それでいんですか。うそでせう。それだとあんまりぢやありませんか。一層いつそちやんとひますよ、わたしから。ういつても釣出つりだしにかゝつてわたしはうきまりがわるいかもれませんけれども。・・・・・をぢさん、をぢさんが、むかし心中しんぢうをしようとした、婦人をんなのかた。」
 「‥‥‥‥‥‥」

 やぶからぼうをくらつてふくらんだ外套ぐわいたうの、くろむねを、辻町つじまちおさへる眞似まねして、みはると、
 「もう堪忍かんにんしてあげませう。あんまらないふりをなさるから一寸ちよつとおどかしてあげたんだけれど、それでも、もうおわかりになつたでせう。いつかの、そのときはなさかり夜中よなかに。あの、おしろもんのまはり、くらほりうへつたり、たり・・・・・」

 およねゆびが、つたりたり、ちら/\とほそうごくと、そのうごくのが、魔法まはふ使つかつたやうに、むかはるかなしろもりしたくゞりに、ちひさなをとこが、とぼんとて、羽織はおりない、しよぼけたかたちあらはすとともに、こまぬき、かうべれて、とぼ/\と歩行あるくのがおぼろえる。それ、かてゑてなうとした。それが辻町つじまちである。
 同時どうじに、もうひとつ。さびしい、うつくしいをんなが、はなくもからりたやうに、すつとかげつて、おなじほり垂々だら/\りに、まちつゞながさかを、むねやはらかそであはせ、かたほつそりとすそかせて、ちうたゞよふばかり。さし俯向うつむいたえりのほんのりしろ後姿うしろすがたで、さばつまゆらぐとえない、ものしづかなひんさで、はたゞくろし、花明はなあかり、つちいかだながるゝやうに、滿開まんかいさくら咲蔽さきおほ長坂ながさかりる姿すがたうつつた。

ーーゆびつゝめ、そでけ、お米坊よねぼうえりしろさ、かたのしなやかさ、あま姿すがたてならない。ーー
 いまのあたり、さかひとは、あれは、二十はたちばかりにして、、(からすをいふ)千羽せんばふち自殺じさつしてしまつたのである。げたのはいさぎよい。
 卑怯ひけふな、未練みれんな、おなじところをとぼついたをとこかげは、のめ/\ときて、こゝに仙晶せんしやういしだん中途ちうとに、こしけてるのであつた。






 「あゝ、まるで魔法まはふにかゝつたやうだ。」
 ほゝにあてて打傾うちかたむいたを、辻町つじまちつめたかんじた。ときみじか吸込すひこんだ煙草たばこが、チリゝとみゝかすめて、爪先つまさき小石こいしちた。
 「また眞個まつたくゆめがさめたやうだ。ときあけごろまで、ほりうへをうろついて、いつうちかへつたか、くさへもぐつたのか、蒲團ふとん引被ひきかぶつたのかわからない。めされたやうになつてみゝへ、
ーーにいさん・・・・・にいさんーー
 と、こえたのは、・・・・・おきやうさん。」
 「返事へんじをしませうか。」
 「ねがはうかね。」
 「はい、おほゝ。」
 「まをすまでもない、威勢ゐせいのいゝわかこゑだ。うだらう、おたがひ二十はたちとしです。んだひとは、たしかひとうへだつたやうにあといておぼえてる。まへばんは、雨氣あまけふくんで、はなあかりも朦朧もうろうと、かすみ綿わたいたやうだつた。格子かうし戸外そと元氣げんきのいゝこゑに、むつくりきると、おつとたりで、くぼんでゐる・・・・・おでこをさきへ、門口かどぐち突出つきだすと、顔色かほいろあをさをあぶられさうな、からりとした春爛はるたけなはあさ景色げしきさ。おきやうさんは、ひたての銀杏いちやうがへしで、半襟はんえり淺黄あさぎえも、くろ繻子じゆすおびつやも、かすみはらつてきつばりとつてて、(にいさん身投みなげですよ、おしろほりで。)(うそだよ、こゝにきてるよ。)と、うつかりわたしつたんだから、おさつしものです。すぐ背後うしろ土間どまぢや七十をした祖母ばあさんが、おひつそこの、こそげつぶで、茶粥ちやがゆとはきません、みぞれ雜炊ざふすゐてござる。前々ぜん/\ねんうちけて、つぎとし父親ちゝおやがなくなつて、まるで、掘立ほつたて小屋ごやだらう。むにも、ふにもーー昨夜ゆうべしろのこゝかしこで、はやかへるがもういた、うたうたつてるむしけらが、おようらやましい、とつた場合ばあひ。・・・・・祖母ばあさんはみゝとほいからかつたものの、(きてるよ。)は何事なにごとです。(なに寝惚ねぼけてるんです。確乎しつかりするんです。)ころ樣子やうすさつしてるから、おきやうさんーーまゝならない思遣おもひやりのじれつたさの疳癪かんしやくすぢで、ごぞんじのとほり、いちうちのまゆひそめながら、(・・・・・町内ちやうないですよ、此處こゝの。いまわたしまへとほつてたんだけれど、かど箔屋はくや。うちのひとぢやあない、世話せわになつて、はんけちの工場こうばつとめてむすめさんですとさ。ちやんとをあいて・・・・・あれ、あんなにひとつてる。)うらゝかなあさだけれど、みち一條ひとすぢ胡粉ごふん泥塗だみたやうに、ずつとしろく、寂然しんとして、ならび、三ちやうばかり、手前てまへどもとおなじかはです、けれども、なんだかとほはなれた海際うみぎはまで、突抜つきぬけにつたやうで、其處そこつてひとだかりがーーげたのはふちだといふのにーーつてなみけるやうに、むら/\とうごいて、つち其處そこばかり、ぐつしよりしほれてゐるやうにえた。
 はなはちら/\とまへつてる。

 わたし小屋こや眞向まむかひの・・・・・金持かねもちけないね・・・・・しもた後妻うはなりで、町中まちぢう意地惡いぢわるがーー今時いまどきはもうかげもないが、それときんでた、つばめはねかたちうしろねた、橋髷はしまげとかいふのをちひさくのつけたのが、かど敷石しきいしつて、おなじやうに箔屋はくやまへぢつとすかしてた。繼娘まゝむすめは、やさしい、うつくしい、上品じやうひんひとだつたが、二十はたちにもならないさきに、ゆきえるやうに白梅しらうめ一所いつしよみづつた。いぢめころしたんだ、あの繼母まゝはゝがと、町内ちやうない沙汰さたをした。いろ淺黒あさぐろ後妻うはなりまゆはなが、箔屋はくや見込みこんだ横顔よこがほで、およねさんの前髪まへがみにくツつきつた、とわたしえたときさ。(いとしや。)と後妻うはなりが、(なう、ご親類しんるゐの、ご新姐しんぞさん。)くはしくはなくても、むかまへだから、樣子やうすつてる、行來ゆきき出入でいりに、かほ見知みしりだから、こゑけて、(いつても、好容色ごきりやうなや、はゝゝ。)と空笑そらわらひをやつたとおおもひ、(非業ひごふとはいふけれど、おこなひでござりますなう。)とじろりと二人ふたりると、おきやうさん、母堂ぼだうだよ、いゝかい。怪我けがにも眞似まねなんかなさんなよ。即時そくじ好容色ごきりやうあごつけるやうにしやくつて、(はい、さやうでござります、なう。)とふがはやいか、背中せなか。」
 辻町つじまちは、ときに、まつげのふかいおよねかほ見合みあはせた。
 「その當寺こちらへおまゐりにがけだつたのでね、・・・・・おきやうさん、いしだんたかいから半纏はんてんおんぶでなしに、淺黄あさぎ鹿ひもでおぶつてた。背中せなかへ、べつかつこで、(ばあ。)といふと、カタ/\と薄齒うすばおとててうちなかはひつたらう。わたし後妻うはなりあかくなつた。
 おぶつてたのが、なにかくさう、こゝに好容色ごきりやうつてる、さて、ひさしぶりでおにかゝります。おまへさんだ、お米坊よねぼうーー二歳ふたつ、いや、みツつだつたか。かぞへどし。」
 「かぞへどし・・・・・」
 「あゝ、うか。」
 「をぢさんのいへけたとし、おさん間近まぢかに、おつかさんが、あの、火事くわじ飛出とびだしたもんですから、その所爲せゐですつて・・・・・わたしにはあざが。」
 睫毛まつげがふるへる。辻町つじょらは、ハツとしたやうに、ふとかたをすくめた。
 「あら、うつかり、をぢさんだとおもつて、つい。・・・・・眞赤まつかでしたわ、おとなになつていまぢやうつすりとたゞあをいだけですの。」
 をぢさんはせながら、わざまもつたやうにういつた。
 「えやしない、にもないぢやないか、何處どこなのだね。」
 「らない。」
 「まあさ。」
 「ちゝすこわきのところ。」
 「きれいだな、眉毛まゆげひとつたあとか、雪間ゆきま若菜わかな・・・・・とでもつてないとーーちゝがなくなつてかへつたけれど、わたし一度いちど無理むり東京とうきやう留守るすです。わたしうちのために、おきやうさんに火事くわじませて申譯まをしわけがないよ。ところで、その嬰兒あかんぼが、いま見受みうまをすお姿すがたとなつたから、もうかれこれ三十ねん。・・・・・だもの、記憶おぼえなに朧々おぼろ/\としたなかに、かなしいうつくしいひと姿すがた薄明うすあかりがさしてえる。とほくなつたり、ちかくなつたり、途中とちうえたり、目先めさきたりーー此方こつちも、とぼ/\としに場所ばしよさがしてたんだから、どうも人目ひとめ邪魔じやまになる。さきでも目障めざはりになつたらう。やがて夜中よなかの三時過じすぎ、天守てんしゆしたさかながいからね、さか途中とちう見失みうしなつたが、見失みうしなつたとき後姿うしろすがた一番いちばんはつきりとおぼえてる。だから、ひとふちんだとすると、一旦いつたんまちりて、もう一度いちどさか引返ひつかへしたことになるんだね。
 たゞし、ういつたところで、あくるあさ町内ちやうない箔屋はくや引取ひきとつた身投みなげのむすめが、はたして昨夜ゆうべわたしひとおなじだかうだか、じつところわかりません・・・・・それはいまでもわかりはしない。堀端ほりばたでは、前後ぜんご一度いちどだつて、横顔よこがほ鼻筋はなすぢだつて、えないばかりか、わかりもしない。が、あさ、おきやうさんにいたばかりで、すぐ、あゝ、それだとおもつたのも、おなじの、かんじたのであらうとおもふ・・・・・と、おきやうさんが、むかうの後妻うはなりをそらして、格子かうしはひつた。おぶさつたおまへさんが、それ、いまのべつかつこで、めうかほ・・・・・」
 「えゝ、ほゝゝ。」
 とおよねかる咲容ゑまひして、片袖かたそでむねへあてる。
 「おきやうさん、いきなりうち祖母ばあさんの背中せなかひとつトンとたゝいたとおもふと、鐵鍋てつなべふたつてのぞいたつけ、いきほひのよくない湯氣ゆげあがる。」
 およねかるびんでた。
 「ちよろ/\とえてる、かまど薪木たきぎだがね、なんだかげたひとをあぶつてあたゝめてるやうながして、えきえに其處そこへ、袖褄そでづまもつれてたふれた、ぐつしよりれたかみと、眞白まつしろかほえて、まるでそれがね、むかかどつて後妻うはなりに、はかないこひをせかれて、五年前ねんまへに、おなじふちげた、やさしいねえさんのやうにもおもはれた。餘程よほどどうかしてたんだね。
 半壊はんごはれのくるま井戸ゐどが、すぐそばで、そこはうに、ばたん、とさびしいしづくおと
 ざら/\とみづひゞくと、
ーー身投みなげだーー
ーー別嬪べつびんだーー
ーー身投みなげだーー
 と戸外おもてわめいてひとけた。
 このさわぎは さあ、それから多日しばらく四方しはう隣國りんごく八方はつぱうへ、大波おほなみつたらうが、
ーー三ねんあひだ、かたいつゝしみーー
 だツてね、おきやうさんが、そのひとことについては、當分たうぶんくちしてうはささへしなければ、またわたしにも、はなしさへさせなかつたよ。
ーーおなじさくらかぜだもの、にいさんをさそひにるとわるいからーー
 ばん、おなじ千羽せんばふちへ、ずぶ/\の夥間なかまだつたのに、なまじにはぐれると、いまさら氣味きみわるくなつて、まちをうろつくにも、やまつじまはつて、箔屋はくやまへとほらなかつた。・・・・・

 土地とち新聞しんぶん一種ひといろつてはめない境遇きやうぐうだつたし、新聞しんぶんしや掲示けいじばんまへつにも、土地とちせまい、人目ひとめつ、死出しで三途さんづともいふところを、一所いつしよ彷徨さまよつた身體からだだけに、自分じぶんからけて、けるやうに、けるやうに、世間せけんのうはさにとほざかつたから、はなつたのは、あめか、あらしか、ひとつぶてたれたか、邪慳じやけんえだられたか。いまもつて、取留とりとめた、くはしいことらないんだが、それも、もう三十ねん
・・・・・およねさん、わたしは、おなじとしの八ぐわつーーこゝいらはまだ、つきおくれだね、盂蘭うらぼんぎてから、いつも大好だいすきなあか蜻蛉とんぼ時分じぶんみちがあいて、東京とうきやうてたんだが。ーー
ーーあゝ、うか。」
 辻町つじまちは、いきれると、いしこしをずらして、ハタとかるひざをたゝいた。



 そのとき外套ぐわいたうそでにコトンとうごいた、いしうへ提灯ちやうちんつらは、またをかしい。いや、をかしくない、大空おほぞらくもあはすかして蒼白あをじろい。
 「・・・・・さて、これだが、手向たむけるとか、そなへるとか、お米坊よねぼうのいふーーだれかさんはーー」
 「えゝ、うなの。」
 と、小菊こぎくばうさんばな一寸ちよつとかこつて、およねしづかうなづいた。
 「その嬰兒あかんぼが、串戯じようだんにも、心中しんぢう仕損しぞこなひなどといふ。いづれ、あの、いけずな母堂ぼだうから、いつかその前後ぜんごことかされて、それでつてるんだね。
 不思議ふしぎな、あやしい、えんだなあ。はなあかりに、えてつた可哀相かはいさうひとはかはいかにも、燈籠とうろうでらにあるんだよ。
 若氣わかげのいたり。・・・・・」

 辻町つじまちは、ひたひをおさへて、提灯ちやうちん俯向うつむいて、 
 「なんおもつたか、東京とうきやうへーー出發しゆつぱつ間際まぎは人目ひとめしのんで・・・・・といふとわる色氣いろけがあります。なに、こそ/\と、ねずみあるきに、行燈あんどんなりちひ切籠燈きりこの、就中なかんづく安價あんかなのを一枚ひとつ細腕ほそうでいて、梯子はしごだん片暗かたくらがりをしのぶやうに、いしだんすみはうからあがつてた。むねも、いきも、どき/\しながら。
 ゆかたゞか、うすものだか、女郎花をみなへし桔梗ききやうはぎ、それともすゝきか、うす彩色さいしき燈籠とうろうより、うつくしくさびしからう、白露しらつゆしづくをしさうな、そのひと姿すがたそなへるです。
 中段ちうだんさ、ちやう今居いまゐる。
 しかるに、うだい。お米坊よねばう酒落しやれにもわたしを、薄情はくじやうだといふけれど、人間にんげん薄情はくじやうより三十ねん月日つきひじやうがない。提灯ちやうちんでいふのぢやないが、燈臺とうだい下暗もとくらしで、とぼんとしてがつかなかつた。申譯まをしわけより、面目めんぼくがないくらゐだ。
ーーすまして饒舌しやペつていからん、そのときは、のもみぢが、青葉あをば眞黒まつくろだつたしたて、うへ墓地ぼちると、むかうのみねをぼツと、きりにして、木曾きそのはゝきだね、こゝぢや、えない。が、有名いうめいたか燈籠どうろうえのきこずゑともれてる・・・・・をくゞつて、かげつゆさそつて、ちら/\とつたふのが、ながくかゝつて、まぼろしふぢふさを、すつとなびかしたやうにあふがれる。模樣もやうえないが、まるで、たか燈籠どうろうちうそでを、ひと姿すがたのやうにおもつて、うつかりとしてつた。
 ーーあゝ、あきれたーー
 まへに、しろいものとおもつたつけ、山門さんもん眞下まつさがりに、あゐがかつた浴衣ゆかたに、晝夜ちうやおび婦人ふじんが、
 ーー身投みなげにひにましたねーー
 ことことさ、だれだとおもひます。ぼだう母堂ぼだうさ。それなら、ひさうなことだらう。いきなり、ぐわんとくらはされたから、をぢさんの小僧こぞうをまるくしてきもつぶした。うだらう、たう親類しんるゐ墓地ぼちへ、といつては、つひぞ、つけとゞけ、ぼんのお義理ぎりなんぞに出向でむいたことのないやつが、」
 辻町つじまち提灯ちやうちんおさへながら、
 「酒買さけかたぬき途惑とまどひをしたやうに、燈籠とうろうをぶらげてつてるんだ。
 いふこと捷早すばやいよ、おきやうさん、う、のつけにやられたんぢや、事實じじつ親類しんるゐそなへにたものにしたところで、うとはいへない。
 ーー初路はつぢさんのおはかはーー如何いかにも、わかい、やさしい、が、なんだか、弱々よわ/\とした、げたをんなだけは、いつかいてた。
  ーーおはか場所ばしよつてますかーー
 るもんですか。おきやうさんが、がけ夜露よつゆに、すべところへ、いしころみち切立きつたてであぶないから、そんなにとぼついてるんぢや怪我けがをする。おてらあづけて、晝間ひるまあらためて、おまゐりを、うなさい、といふ。此方こつちはだね。日中ひなかのこ/\られますか。なにこゝろざしはそれでむからいしうへいたなりかへらうと、降參かうさんおよぶとね、犬猫いぬねこんでも、きれいなお精靈しやうりやう身震みぶるひをするだらう。とにかく、おてらまで、とつて、おきやうさん、今度こんど片褄かたづまをきりゝと端折はしよつた。

 此方こつち要心えうじんから、わざよるになつて出掛でかけたのに、今頃いまごろまで、なにをしてたらう。(あそんでた。なかうるさゝがなくててらすゞしい。裏縁うらえんいたやま清水しみづに・・・・・西瓜すゐくわおごりだ、和尚をしやうさん、小僧こぞうには内證ないしよらしくひやしていた、紫陽花あぢさゐかげうつる、あを心太ところてんをつる/\突出つきだして、芥子からしかして、つめたなみだながしながら、ところ三百さんびやくばかりのはか燈籠どうろうと、草葉くさばかげに九十九ばかり、お精靈しやうりやうまぼろしすゞんでた、そのなか初路はつぢさんの姿すがたも。)と、おきやうさん、すきなお轉婆てんばをいつて、山門さんもんはひつたいきほひだからね。・・・・・そのいきほひだから・・・・・むかつた本堂ほんだうよこ式臺しきだい、あのたかところに、晩出おそで參詣さんけいつて、お納所なつしよが、盆禮ぼんれい、おかへしのしるしと、紅白こうはく麻絲あさいと三寶さんぽうんで、小机こづくゑひかへたまへへ。どうです、わたし引込ひつこむもんだから、おきやうさん、引取ひきとつた切籠燈きりこをツイとすと、
ーーはるげた、おぢやうさんに。・・・・・心中しんぢう仕揖しぞこなつた、ひとの、こゝろざしーーわたしもんまで遁出にげだしたよ。あとをカタ/\とつてかへして、
 ーーそれ、あかいとつてた。縁結えんむすびにーーしろいのがかつたから、・・・・・あひてはまぼろし とほゝをかすられて、わたし中段ちうだんまでころちた。おほ袈裟げさだがね、とほくのくらうみうへで、稻妻いなづまがしてたよ。途中とちうからえらいりで。」・・・・・

     ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
     ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥                  

 辻町つじまち夕立ゆふだちおもごとく、少時しばらくいきしづめたが、やがて、一寸ちよつと語調ごてうをかへてつた。
 「お米坊よねぼう、そんな、こんな、おかあさんにいてたのかね。」
 「えゝ、およめつてから、あと・・・・・」
 「うだらうな、あの氣象きしやうでも、きまりどころば整然ちやんとしてる。嫁入よめいりまへわかむすめに、あまかせることぢやないから。
ーーさて、問題もんだい提灯ちやうちんだ。成程なるほどひとに、切籠燈きりこのかはりにそなへると、おもつたのはもつともだ。が、そんな、じつは、しをらしいとか、心入こゝろいれ、とかいふ奇特きとくなんぢやなかつたよ。懺悔ざんげをするがね、じつわれながら、とぼけてて、ひとりでをかしいくらゐなんだよ。月夜つきよ提灯ちやうちん贅澤ぜいたくなら、まつ晝間ぴるまぶらでげたのは、なんだらう、餘程よつぼど半間はんまさ。
 といふのがね、先刻さつきまへさんは、つれにはぐれた觀光くわんくわうだんが、はなしたばして、うつかり見物けんぶつして間抜まぬけに附合つきあで、だまつてついててくれたけれど、がけに坂下さかした小路こうちなかで、あの提灯ちやうちんまへへ、わたし茫乎ぼんやり突立つゝたつたらう。
 場所ばしよ方角はうがくも、まるでちがふけれども、むかしせう學校がくかう時分じぶん學校がくかう近所きんじよの・・・・・あすこは大川おほかはぢか窪地くぼちだが、でらがあつて、門前もんぜんに、みせくら提灯ちやうちんがあつた。ひげのある親仁おやぢが、こん筒袖つゝそでを、斑々むら/\胡粉ごふんだらけ。腰衣こしごろものやうな幅廣はゞびろ前掛まへかけしたのが、どろ繪具ゑのぐだらけ、あをや、あかや、のまゝころがつたら、樂書らくがき獅子ししになりさうで、牡丹ぼたんをこつてりと刷毛はけゑどる。桃色もゝいろさつながして、ぼかす手際てぎは鮮彩あざやかです。それからこひ瀧登たきのぼり。八橋やつはし一面いちめん杜若かきつばたは、風呂ふろ進上しんじやういはひだらう。そんな比羅びらを、のしかゝつていてるのが、うれしくて、面白おもしろくつて、繪具ゑのぐめたおほ摺鉢すりばちへ、鞠子まりこ宿しゆくぢやないけれど、柴蕷汁とろゝとなつて溶込とけこむやうに・・・・・學校がくかう歸途かへりには軒下のきしたへ、いつまでもつてこと思出おもひだした。時雨しぐれみぞれつてる。なつ學校がくかうやすみです。さくらはる、またゆきときなんぞは、その牡丹ぼたんえたことえたことにもこけにも、パツ/\と惜氣をしげなく金銀きんぎんはく使つかふのが、御殿ごてん廊下らうかしたやうにかゞやいた。うしたときは、うちかへ途中とちうの、大川おほかははしに、綺麗きれい牡丹ぼたんいたつけ。
 先刻さつきのあの提灯ちやうちんは、比羅びらなんにもいてはない。番傘ばんがさしろいのを日向ひなたならべてたんだが、つい、そのむかし思出おもひだして、あんまみせのぞいたので、たゞぢやにくゝなつたもんだから、觀光くわんくわうだん買上かひあげさ。
 
 ーーごもんはーー
 ーー牡丹ぼたんーー
 
 なにかせては手間てまがとれる・・・・・第一だいいち實用じつようむきのといつては、いさゝかもなかつたからね。これは、からかさでもよかつたよ。パツとひろげて、きくつたおよねさんに、背後うしろから差掛さしかけてのぼればかつた。」
 「どうぞ。・・・・・をんな萬歳まんざい廣告くわうこくに。」
 「おほせのとほり。いや、串戯じようだんはよして。いまのならべたかさ小間こま隙間すきまへ、やなぎいてのさすのが、ぎん色紙しきしひろげたやうなところへ、おまへさんのはなについてたらう、てふふたつ、あのみせ翔込たちこんで、かさうへつたのが、ゆき牡丹ぼたんへ、ちら/\とはく散浮ちりうく‥‥‥
 のまゝにえたとおもつたときもーーはくーーすぐてらはかのあるーーどう町内ちやうないに、ぐつしよりとれた姿すがたはかな引取ひきとつたーー箔屋はくやーーにもがつかなかつた。薄情はくじやうとははれまいが、世帶しよたい苦勞くらうに、朝夕あさゆふは、ほそきざんでも、とほい。年月としつきあまへだたると、目前めのまへきく日和びよりも、とほはなかすみになつて、ゆめおぼろえてく。
 が、あらためて、まないがする。母堂ぼだう奥津城おくつきてんじたあとで。・・・・・ずつとはなれてるといゝんだがな。ちかいと、どうも、としでもきまりがわるい。きつとひやかすぜ、石塔せきたふしたから、クツ/\、カラ/\とわらふ。」
 「こはい、をぢさん。おつかさんだがいゝけれど。・・・・・わたしがついてますから、ひやかしはしませんから、よく、おをがみなさいましよね。
 ーー(糸塚いとづか)さん。」 
 「糸塚いとづか・・・・・初路はつぢさんか。糸塚いとづかせいなのかね。」
 「いゝえ、あら、う・・・・・をぢさんは、ごぞんじないわね。
ーー糸塚いとづかさん、糸卷いとまきづかともいふんですつて。
 たにひとへだてた、むかうのやま中途ちうとに、鬼子きし母神もじんさまのおてらがありませう。」
 「あゝ、柘榴ざくろでらーーうじ。」
 「 一寸ちよつとごめんなさい。わたしはしはうへ、すこやすんで。・・・・・いゝえ、かまふもんですか。落葉おちばといつてもにしきのやうで、勿體もつたいないほどですわ。あの柘榴ざくろはなつたなかへ、鬼子きし母神もじんさまくもだといつて、草履ざうりいですわつたのも、つい近頃ちかごろのやうですもの。おつかさんにつれられて。しろくもあをくもむらさきくも何樣なにさまでせう。鬼子きし母神もじんさまあかくものやうにおもはれますね。」
 墓所ぼしよ直近ぢきちかいのに、面影おもかげはるかにしのんで、母親はゝおやおもふか、およね恍惚うつとりしてつた。
ーーくとともに、辻町つじまちは、壮年さうねん三四年さんよねん相州さうしう逗子づしごしたとき新婚しんこんかれ妻女さいぢよの、病厄びやうやくのためにまさえなむとした生命せいめいを、醫療いれうそれよ。まさしく觀世くわんぜおん大慈だいじ利驗りやくきたことをわすれない。南海なんかい靈山れいざん岩殿いはとのおく御堂みだう裏山うらやまに、一處ひとゝころ咲滿さきみちて、はるたけなはな白光びやくくわうに、しきかをりみなぎつたむらさきすみれなかに、しろ山兎やまうさぎぶのをつつ、病中びやうちうひとねんじたのを、ときまざ/\と、目前もくぜんくもて、かゞや靈巌れいげんだいたいし、さしうつむくまで、心衷しんちうに、恭禮きようれい默拝もくはいしたのである。


ーーおよね横顔よこがほさへ、らふたけて、
 「柘榴ざくろでら、ね、をぢさん、彼處あすこ寺内じないに、初代しよだい元祖ぐわんそ友禪いうぜんはかがありませう。一頃ひところひとどころか、こけしたつちれ、みづかわいてたんですが、近年ちかごろ他國たこくひとたちが方々はう/゛\からたづねてて、世評せひやうたかいもんですから、記念きねんあたらしくちましてね、名所めいしよのやうにりました。それでね、こゝのおてらでも、新規しんきに、初路はつぢさんの、矢張やつば記念きねんてることになつたんです。」

 「はゝあ、和尚をしやうさん、娑婆しやばつだな、人寄ひとよせに、黒枠くろわくで・・・・・とげたひとだから、うす彩色さいしきみづ繪具ゑのぐたて看板かんばん。」
 「だまつて。・・・・・いゝえ、お上人しやうにんよりか、檀家だんか有志いうしけん勸光くわんくわうくわい表向おもてむきの仕事しごとなんです。おてら地所ぢしよすんです。」
 「はうむつたつちとはべつなんだね。」
 「えゝ、それで、糸塚いとづか糸卷いとまきづか、どつちにしようかつていつてるところ。」
 「どつちにしろ、友禪いうぜんの(そめ)にたいする(いと)なんだらう。」
 「そんな、たゞおもひつき、趣向しゆかうですか、そんなんぢやありません。あのかた、はんけちの工場こうじやうかよつて、縫取ぬひとりをしていらしつてさ、それが原因もとで、あんなことになつたんですもの。いと紅絲べにいとからですわ。」
 「いと紅絲べにいと・・・・・はんけちの工場こうじやうかよつて、縫取ぬひとりをして、それが原因もと?・・・・・」
 「まあ、なんにも、ごぞんじない。」
 「怪我けがにも心中しんぢうだなどといふ、ういつちや、しかしまないけれども、なんにもらない。おなじ寫眞しやしんならんでつても、大勢おほぜいなかだと、いつとなく、生別いきわかれ、死別しにわかれ、としつと、それきりになることもあるからね。」
 辻町つじまち向直むきなほつていつたのである。

 「かにかふらにせてあなる・・・・・も可訝をかしいかな。おなじあなたぬき・・・・・んでもない。一升いつしやういりひさご一升いつしようだけ、なにしろ、あて推量ずゐりやう左前ひだりまへだ。だれもおきまりのひんのくるしみからだとおもつてたよ。」
 また、事實じじつうであつた。
 「まあ、うですか、いふのもお可哀相かはいさう。あのかた、それは、おくらしにちん仕事しごとをなすつたでせう。けれど、もと、千五百せんごひやくこくのおやしき女臈じやうらふさん。」
 「おゝ、ざつとお姫樣ひめさまだ。あゝ、しいことをした。あのばん一緒いつしよんでけば、今頃いまごろはうまれかはつて、いろのひとつもつた果報くわはうをとこつたらう。・・・・・いとも、紅絲べにいといてもゆかしい。」

 「それどころぢやありません。いとからおこつたことです。千五百せんごひやくこく女臈じやうらふですが、初路はつぢさん、お妾腹めかけばらだつたんですつて。それでも一粒ひとつぶだね、いゝ月日つきひもとに、うまれなすつたんですけれど、廢藩はいはん以來いらい、ほどなく、おやしき退轉たいてん兩親りやうしんみなあの。お部屋へやかた遠縁とほえん引取ひきとられなさいましたのが、いま、おはなしのありました箔屋はくやなのです。時節じせつがら、箔屋はくやさんもくらしが安易らくでないために、工場こうばがよひをなさいました。お邸育やしきそだちのおなぐさみから、縮緬ちりめん細工ざいくもお上手じやうずだし、おはりきます。すぐだい一等いつとう女工ぢよこうさんでごく上等じやうとうのものばかり、はんけちとつて、薄色うすいろもありませうが、おもに自絹しらぎぬへ、蝶花てふはな綺麗きれい刺繍ししうをするんですが、いゝしなは、國産こくさんほまれのひとつで、内地ないちより、外國ぐわいこく高級かうきふひんたんですつて。」
 「成程なるほど。」



   あれ/\たか
    あれたか
    ‥‥‥‥‥‥‥‥‥

 「あれ/\たか、あれたか、ふた蜻蛉とんぼくさに、かやつりぐさ宿やどかりて・・・・・うたを、工場こうばうたひましたつてさ。うた初路はつぢさんをころしたんです。
 ほそい、かやつりぐさを、あをふちへとつて、片端かたはし、はんけちのゆきのやうなあか蜻蛉とんぼふたつ。」

 およねふたゆびがしなつて、内端うちはえりをおさへたのである。
 「ひとツづゝ、蜻蛉とんぼべつならよかつたんでせうし、ほかひと考案かんがへで、あのかた、たゞ刺繍ししうだけなら、なんでもなかつたとふんです。どのみち、うつくしいのと、仕事しごと上手じやうずなのに、ねたそねみからおこつたことです。なんにつけ、につけ、ゆがみまがりに難癖なんくせをつけないではきません。ところ圖案づあんまで、あのかたがなさいました。なにからおもひつきなすつたんだか。そのあか蜻蛉とんぼ刺繍ししうが、大層たいそう評判ひやうばんだし、けて輸出ゆしゆつさきの西洋せいやう氣受きうけが、それは、すごいきほひで、どし/\註文ちうもんましたところから、外國ぐわいこくまで、はぢさらすんだつて、はねをみんな、手足てあしにして、あかいのを縮緬ちりめんのやうにうたはやして、身肌みはだせたと、さわぐんでせう。」

卷初くわんしよして一粲いつさんきようした俗謠ぞくえうには、二三ぎやう
  ‥‥‥‥‥‥‥‥‥
  ‥‥‥‥‥‥‥‥‥

 脱落だつらくがあるらしい、およね口誦くしようはゞかつたからである。)

 「いやですわね、をぢさん、蝶々てふ/\や、蜻蛉とんぼは、あれは衣服きものるでせうか。

 ーー人目ひとめしのぶとおもへども
     はねはうすものおだやかされぬーー
 それもひとつならまだしもだけれど、ひとつのひとつがつゞいて、すつと、あの、はねやツつ、しづかに銀絲ぎんしつたんです、やしません、んでゐるんですわね。えゝ、それをですわ、

 ーー世間せけん、いなづまひかるーー
ーーはぢらぬか、ぢないかーーとみんなでわあ/\、さも初路はつぢさんが、そんな姿繪すがたゑを、あかあをにまで、露呈あらはせて、おたからまうけたやうに、うたてられてには、内氣うちきな、やさしい、上品じやうひんな、もののうへからさはられても、毒蛇どくじや牙形はがたはだみる・・・・・ゆきいた、白玉しらたま椿つばきのお人柄ひとがらみゝたぶのあかくなる、もうそれが、くだけるのです、るのです。
 遺書かきおきにも、あつたさうです。あゝ、はづかしいとおもつたばかりにーー」

 「さつしられる、おもひやられる。おまへさんもいてようか。むかし、たゞしい武家ぶけ女性によしやうたちは、拷問がうもんしもと火水ひみづせめにも、だんじてくちひらかないときたゞきぬうばふ、肌着はだぎぐ、裸體らたいにするといふとともに、たゞちにつみちたといふんだ。そこへけると・・・・・」

 辻町つじまちは、かくも心弱こゝろよわひとのために、西班牙スペインセビイラの煙草たばこ工場こうぢやうのお轉婆てんばうらやんだ。
 同時どうじに、およねはゝおもつた。おきやうがもししよしたら、對手あひて工女こうぢよかほ象棋しやうぎばんるかばりに、ながら心太ところてんちまけたらう。

 「そこへけると平民へいみんはね。」
 辻町つじまちは、うつかりいつた。
 「だつて、平民へいみんだつて、ひとまへで。」
 「いゝえ。」
 「えゝ、どうせわたし平民へいみんですから。」
 辻町つじまちは、ちゝのわきの、あを若菜わかなを、ふとおもつて、おぼえずかたちぢめたのである。
 「あやまつた。いや、しかし、千五百せんごひやくこく女臈じやうらふむかしものがたり以上いじやうに、あはれにはかない。うしてきよらかだ。」
 「中將ちうじやうひめのやうでしたつて、しろ羽二重はぶたへうへへ、すべると、あのかたしろゆびえました。つゆひかるやうに、はりさきつたつて、うすむねからあかいとれてまつて、またかゞつて、ぎんいとがきら/\と、何枚なんまいか、いくつの蜻蛉とんぼが、すい/\といてうつる。ーー(わたしそばました)つて、はなひしやげのころ工女こうぢよが、茄子なす古漬ふるづけのやうなくちけて、としはなすんです。そのをんなだつて、そのくさくちこゑつてうたつたんだとおもふと、いてて、口惜くやしい、にらんでやりたいやうですわ。でも自害じがいをなさいました、あと一年いちねんばかり、一時ひところ土地とち湯屋ゆやでも道端みちばたでもうたつて、およわいのをたつとむまでも、初路はつぢさんの刺繍ししうはづかしいことにいひましたとさ。
ーーあれ/\たか、あれたかーー、ぎんはねがそのまゝ手足てあしで、ふた蜻蛉とんぼなんとかですもの。」

 「一體いつたいまたふたつの蜻蛉とんぼ何故なぜへんだらう。見聞みきゝせまい、らないんだよ。土地とちひとはーーういふわたしだつて、近頃ちかごろまで、ついがつかずにたんだがね。
 手紙てがみ次手ついでつておいでだらうが、わたしんでところと、京橋きやうばし築地つきぢまでは、うだね、此處ここから、ずつとて、むかうのうみまではあるだらう。今度こんど當地こちらがけに、いたんで、馴染なじみ齒科醫はいしやつたとおおもひ。その築地つきぢは、といふと、ようたしで、齒科醫はいしや大廻おほまはりに赤坂あかさかなんだよ。途中とちう四谷よつや新宿しんじゆく突抜つゝぬけの麹町かうじまち大通おほどほりから三宅みやけざか日比谷ひびや・・・・・銀座ぎんざる・・・・・歌舞伎かぶきまへ眞直まつすぐに、目的めあて明石あかしちやうまでと饒舌しやべつてもいゝ加減かげんあひだまち充滿いつぱい屋根やね一面いちめん上下うへした左右さいうたてよこも、微紅うすあかひかあめに、はな吹雪ふゞきかせたやうに、はねき、そまつて、數限かずかぎりもないあか蜻蛉とんぼの、大流おほながれをみなぎらしてぶのが、行違ゆきちがつたり、まんじ舞亂まひみだれたりするんぢやあない、うへなゝめしたなゝめみぎなゝめひだりなゝめといつたかたちで、おなじ方向はうかう眞北まきたへさして、見當けんたう淺草あさくさ千住せんぢゆ、それからさき何處どこまでだか、ほとん想像さうざうにもおよびません。明石あかしちやうひる不知火しらぬひ隅田すみだがはみづかげうつつたよ。
 で、いそいで明石あかしちやうから引返ひつかへして、赤坂あかさかはうむかふと、また、おなじやうにんでる。れてく。齒科醫はいしやで、椅子いすけた。まどそとを、ときは、幾分いくぶんか、かずはまばらにえたが、それでも、せん二千にせんぢやない、二階にかいまどをすれ/\のところむかいへひさしけんたうちやう電信でんしん電話でんわせんたかさをぶ。それより、たかくもない。ずつとひくくもない。どれも、おなじくらゐなそらとほるんだがね、はかられない大群たいぐんは、そうあつく、密度みつどこまやかにしたのぢやなくつて、うす透通すきとほる。ひとひとつのうすはねのやうにさ。
 なんことはない、ところ東京とうきやうひくそらを、淡紅とき一面いちめんしやつて、ぎんかすみつゝんだやうだ。聳立そびえたつた、洋館やうかんたかはやしもりなぞは、さながら、夕日ゆふひべにいた白浪しらなみうへいはしまつたかたちだ。
 ついくちた。(蜻蛉とんぼ大層たいそうんでますね。)齒醫師はいしやが(はあ、早朝さうてうからですよ。)とつたがね。とき四時よじぎです。
 歸途かへりに、赤坂あかさか見附みつけで、おなじことを、運轉うんてんしゆふと、(いますくなくなりました。こんなもんぢやありません。今朝けさ時頃じごろ見附みつけを、客人きやくじんとほりましたときは、上下じやうげ左右さいうすれちがふとサワ/\とおとがします。青空あをぞら青山あをやま正面しやうめんゆき富士ふじさんくもしたまで裾野すそのおほふといひます紫雲英げんげのやうに、いつぱいです。あか蜻蛉とんぼせられて、くるまいてこまつてしまひました。こんな經驗けいけんはゝじめてです。)とあらためて吃驚びつくりしたやうにふんだね。わたしも、そのほどおびたゞしいのははじめてだつたけれど、あか蜻蛉とんぼむれ一日いちにち都會とくわいみなぎるのは、あき、おなじころほとん毎年まいねんつてもいゝ。子供こどものうちから大好だいすきなんだけれど、これにのついたのは、ーーうつかりぢやないかーーの八九年以來ねんいらいなんだが、つきはかはりません。きつと十ぐわつなか十日とをかから二十日はつかあひだ、三ねんつゞいて十七にちといふのを、手帳てちやうにつけておぼえてます。季節きせつ天氣てんきといふものは、そんなに模樣もやうかはらないものとえて、いつのとしあき長雨ながあめ、しけつゞき、またおほあらしのあつた翌朝あくるあさ、からりと、うそのやうに青空あをぞらになると、つてたやうに、しづめたりいたり、かぜに、すら/\すら/\と、うすあかきりをほぐしてとほる。
ーーへんは、うだらう。」

 「え。」
 はなしにきゝとれて所爲せゐではあるまい、およねかほ緋葉もみぢかげにほんのりしてた。
 「・・・・・もうおそいんでせう、今日けふひとつもえませんわ。まへつき命日めいにち參詣おまゐりをしましたとき山門さんもんて・・・・・あら、このいゝ日和ひよりにむらさめかとおもひました。あか蜻蛉とんぼはねがまるでぎんあめるやうにえたんです。」
 「ひとツづゝかね。」
 「ひとツづゝ?」
 「ふたツづゝではなかつたかい。」
 「さあ、それはどうですか、一寸ちよつと私氣わたしきがつきません。」
 「がつくまい、うだらう。それをひたかつたんだ、いまの蜻蛉とんぼむれはなしは。それがね、のこらず、ふたつだよ、比翼ひよくなんだよ。刺繍ししう姿すがたと、おなじに、これ土地とちひとは、初路はつぢさんをころしたやうに、どんなうたうたふだらう。
 みだらだの、風儀ふうぎみだすの、はぢさらすのといつて、うするだらう。なみあらへますか、けますか、地震ぢしんだつてこはせやしない。てんおほみなぎる、といつたところで、颱風はやてがあればえるだらう。はかないものではあるけれどもーーあゝ、そのはかなさを一人ひとりけたのは初路はつぢさんだね。」
 「えゝ、ですから、ですから、をぢさん、のおなぐさめかた/゛\・・・・・いまでは時世じせいがかばりました。供養くやうのために、初路はつぢさんの手技てわざたゝへようと、それで、「糸塚いとづか」といふ記念きねんを。」
 「‥‥‥‥‥‥」
 「もう、出來できかゝつてるんです。圖取づどり新聞しんぶんにもました。臺石だいいしうへへ、見事みごとしろいしおほきな絲枠いとわくゑるんです。きざんだいといて、めるんだつていふんですわ。」
 「其處そこで、「友禪いうぜん」と、つゐするのか。しかし、いや、かくわることではない。場所ばしよは、位置ゐちは。」
 「さあ、つてませう。半分はんぶんうへ出來できるやうです。もんはひつて、きの場所ばしよです。」
 辻町つじまちは、あの、孟蘭うらぼん切籠燈きりこたいする、てら會釋ゑしやくつたへて、おきやうかれたはむれた紅絲べにいとおもつて、ものに手繰たぐられるやうに、提灯ちやうちんとともにふらりとつた。






 「おばけの・・・・・蜻蛉とんぼ?・・・・・をぢさん。」
 「なに、そんなもののようはずはない。」
 と落着おちついたらしく、こゑしづめた。くせたついまおもはず、「!」といつたのはだれだらう。
 いま辻町つじまちは、蒼然さうぜんとして苔蒸こけむした一基いつき石碑せきひ片手かたていてーーいや、くなどといふのははゞからうーーしもよりつめたくつても、千五百せんごひやくこく女臈じやうらふの、いしむくろともいふべきものにへてるのである。たゞし、そのうへに、しづんだ藤色ふぢいろのおよね羽織はおりそでをすんなりとはかのなりにかゝつた、が、おりだか、地紋ぢもんだか、影繪かげゑのやうにほそやなぎに、きくらしいのを薄色うすいろ染出そめだしたのが、しろ山土やまつち敷亂しきみだれた、枯草かれくさなか咲殘さきのこつた、一叢ひとむら嫁菜よめなはなと、入交いりまぜに、そらおほうた雜樹ざつじゆれる日光につくわうに、まぼろしかげめた、はかはさながら、こずゑちた、うらがなしい綺麗きれい錦紗きんしや燈籠とうろうの、うつむきした風情ふぜいがある。

 こゝは、切立きつたてといふほどではないが、巖組いはぐみのみちけはしく、くだいた藥研やげんそこあがる、れたたきあとて、くさ土手どて小高こだかところで、累々るゐ/\はかならび、かたむき、又倒またたふれたのがある。
 あがつた卵塔らんたふ一劃いつくわくたかところに、裏山うらやまみねいてしげつたのが、れいだか燈籠どうろう大榎おほえのきで、いはつてわだかまつたつて、先祖せんぞ代々だい/\とともに、およねのおつかさんが、ぱつとひらきさうにねむつてる。其處そこかげで、薄暗うすぐらい。
 それ、持參ぢさんひる提灯ちやうちんつちしたからぞ、半間はんまだと罵倒ばたうしようが、しろすわつて、ぱつとつゝんだ線香せんかうけむりなびいて、はだか蝋燭らふそくが、靜寂せいじやくかぜに、ちら/\する。
 えのきくゞつた彼方かなたがけは、すぐに、だい傾斜けいしや窪地くぼちになつて、やますそまで、てら裏庭うらにはりまはして一谷ひとたに一面いちめん卵塔らんたふである。
 初路はつぢはかは、おきやうのと相向あひむかつて、やゝ斜下なゝめしたひだりくさ土手どてところにあつた。

 たまへーーおよね外套ぐわいたう折疊をりだたみにしてそでつて、背後うしろ立添たちそつた、前踞まへこゞみに、辻町つじまち石碑せきひにかけた羽織はおりの、うらなまめかしいなかへ、さしはひれた。手首てくびえて淡藍うすあゐえる。片手かたてには、頑丈ぐわんぢやうな、さびた、木鋏きばさみかまへてる。
 おほ剪刀ばさみが、もしそらえだへでも引掛ひつかゝつてたのだと、うつかりにはしなかつたらう。孟蘭うらぼんけて、燈籠とうろうえたときのやうに、羽織はおりつゝんだ初路はつぢはかは、あはれにうつくしく、つあたりをめて、陰々いん/\として、鬼氣ききこもるのであつたから。

 はさちてた。これは、寺男てらをとこぢいやまじりに、三にん日傭取ひようとりが、ものにおどろき、あわつて、遁出にげだすのに、投出なげだしたものであつた。
 次第しだいうである。
 はじめ二人ふたりは、いしだんから、山門さんもんはひると、ひろ山内さんない鐘樓しやうろうなし。まつひかへた墓地ぼち入口いりくちの、とざさない木戸きどちかく、八分はちぶ出來できといふいしつかた。臺石だいいしとく意匠いしやうはない、ついとほりの巖組いはぐみ丈餘ぢやうあまりのうへに、あつらへのわくいた。が、あの、くる/\といとまはぼうえぬ。くりいたあとはあるから、これにはなに考案かうあんがあるらしい。およねもそれはまだらなかつた。わくよツつのは、半面はんめんたいしてもさいはひかなえない。かなえると、るもくも、いづれ殲楚かよわひとのためにしのびないであらうところを、恰好あたかもよしたまさゝぐるしろ珊瑚さんごなめらかなるえだえた。

 「かへりに、ゆつくり拝見はいけんしよう。」
 その母親はゝおや展墓てんぼである。自分じぶんからはいそがすのをためらつた案内あんないしやが、
 「みちわるいんですから、をつけてね。」

 わあ、わつ、わつ、わつ、おう、ふうと、はな呼吸いきいたつらならべ、げ、むねたゝき、こぶしりなど、なだれをち、あしたゞらをんで、一時ひといき四人よにん摺違すれちがひに木戸きどぐちへ、茶色ちやいろになつていてた。
 こゑ跫音あしおとも、ひゞくと、もろともに、ちかゝつたばかりである。
 不意ふいつかりさうなのを、かるいてみちけた、およねかほに、はなをまともに突向つきむけた、先頭さきてだい一番いちばんぢゞいが、つらも、すねも、一縮ひとちゞみのしわなかから、ニンガリとへんわらつたとおもふと、
 「たゞえゝ、幽靈いうれいだあ。」
 幽靈いうれい
 「おツさん、へびまむし?」
 およねはーー幽靈いうれいいたのにーー一寸ちよつとまゆひそめて、へびまむし憂慮きづかつた。
 「那樣そんげえなもんぢやねえだア。」
 如何いかにも、那樣そんげえなものにはおびえまい、面魂つらだましひしるし半纏ばんてんまじつて、布子ぬのこのどんつく、はん股引もゝひき、が入亂いりみだれ、屈竟くつきやう日傭取ひようとりが、はやく、糸塚いとづかまへ摺抜すりぬけて、まつしたに、ごしや/\とかたまつたなかから、寺爺てらぢいやのしろまゆの、びく/\とうごくがえて、
 「蜻蛉とんぼだあ。」
 「幽靈いうれい蜻蛉とんぼですだアい。」
 と、ふゆ麥稈むぎわらばうかぶつた、わかいのがこゑけた。
 「蜻蛉とんぼなら、幽靈いうれいだつて。」
 およねは、莞爾につこりして坂上さかのぼりに、衣紋えもんのやゝみだれた、淺黄あさぎゆきむねを、身繕みづくろひもせず、そのまま、見返みかへりもしないで木戸きどはひつた。
 いはするどい。踏上ふみのぼみちけはしい。が、およねさうつまさきは、しろ蝶々てふ/\に、をぢさんをせて、たかみちびく。

 「なんだい、いまのは、あれは。」
 「久助きうすけつて、寺爺てらぢいやです。卵塔らんたふはたらいてて、やすみのおちやのついでに、わたしをからかつたんでせう。子供こどもだとおもつてる。をぢさんがいらつしやるのに、さかひがない。馬鹿ばかだよ。」
 「わかいおまへさんと、一緒いつしよにからかはれたのはうれしいがね、おどかすにしても、てら幽靈いうれいをいふやつがあるものか。それも蜻蛉とんぼ幽靈いうれい。」
 「へびや、まむしでさへなければ、蜥蜴とかげけたつて、そんなに可恐こはいもんですか。」
 「るかい。」
 「時々とき/゛\。」
 「るだらうな。」
 「でも、時節じせつ。」
 「よし、わたしだつておどろかない。しかし、なんだらう、あゝ、うか。おはぐろとんぼ、くろとんぼ。また、なんとかいつたつけ。うるしのやうな眞黒まつくろはねのひら/\する、ほそあをい、たしか河原かはら蜻蛉とんぼともつたとおもふが、あのことぢやないかね。」
 「くろいのは精靈しやうりやう蜻蛉とんぼともいひますわ。幽靈いうれいだなんのつて、あのぢゞい。」

 爾時そのときであつた。
 「あゝ。」
 と、およねこゑてると、
 「ひどいこと、はかを。」
 といつた。こゑとともに、羽織はおりをすつといだ、が、ひもいたか、そでう、きくとほしたか、それはらない。花野はなのさつなびかした、一筋ひとすぢかぜ藤色ふぢいろとほるやうに、はやく、はかつつんだ。
 むかかたむけにくさたふして、ぐる/\まきといふよりは、がんじがらみに、ひしと荒繩あらなはきたないのを、無殘むざんにも。
 「初路はつぢさんを、ーー初路はつぢさんを。」
 これが女臈じやうらふだつたのである。
 「茣蓙ござにも、むしろにもつゝまないで、まるではだかにして。」
 と氣色けしきばみつつ、ぢたやうに耳朶みゝたぶあかくした。
 いふまじきことかもれぬが、辻町つじまちにも咄嗟とつさいんしたのはおなじである。臺石だいいしからつてへした、持扱もちあつかひのあらくれた爪摺つまずれであらう、青々あを/\こけしたのが、處々ところ/\むしられて、隈幽くまかすかに、石肌いしはだいたかげふくらませ、かげ又凹またくぼませて、殘酷ざんこくからめた、さながら白身はくしんやつれたをんなを、反接はんせつ緊縛きんばくしたにことならぬ。

 推察すゐさつかたくない。いづれかの都合つがふで、あたらしい糸塚いとづかのために、こゝの位置ゐちうごかして持運もちはこばうとしたらしい。
 が、こゝろない仕業しわざうする。およね羽織はおりに、うして、はか姿すがたかくしてかつた。はなやかともいへよう、ものにげきした擧動ふるまひの、のしつとりした女房にようばう人柄ひとがらないすばや仕種しぐさ思掛おもひがけなさを、辻町つじまちあやしまず、もありさうなことおもつたのは、おきやうむすめだからであつた。こんな出逢であつては、きつとおなじはからひをするにうたがひない。そのかはり、むすめちがひ、落着おちついたもので、まして羽織はおりぎ、背負しよひあげて、悠然いうぜんおびいはほいて、あらはなじゆばん襦袢じゆばんばかりになつて、小袖こそでぐるみはかせたにちがひない。

 なになつなら、炎天えんてんならなんとする?・・・・・と。ういふ皮肉ひにく讀者おかたにはよわる、が、はねば卑怯ひけふらしい、裸體はだかになります、しからずんば、辻町つじまち裸體はだかにされよう。
ーーはかへはまうでたーー
 引返ひつかへしてたのであつた。
 辻町つじまちなによりもはやくこゝでようこゝろは、立處たちどころなはつててることであつた。瞬時しゆんじいへども、人目ひとめさらすにしのびない。るとなれば手傳てつだはう、およねりてきほどきなどするのにも、二人ふたりさへてかねる。
 さしあたり、ことわりもしないで、勞業らうげふにするといふ遠慮ゑんりよだが、その申譯まをしわけと、渠等かれら納得なつとくさせる手段しゆだんは、さけもちで、そんなにわづらはしいことはない。まねいても澁面じふめんしわびよう。また庫裡くり心太ところてんくやうな跳梁てうりやうけん獲得くわくとくしてた、檀越だんをつ夫人ふじん嫡女ちやくぢよがこゝにるのである。
 栗柿くりかきく、庖丁はうちやう小刀こがたな、そんなものをりるのに手間てまひまはかゝらない。
 おほ剪刀おほぼさみが、あたか蝙蝠かうもりほねのやうにんでた。
 つてかまへて、勝手かつてわるい。が、繩目なはめしのびないから、きぬけたのまゝ、留南奇とめきく、伏籠ふせごねんじながら、もろを、づかと袖裏そでうらへ。驚破すは、ほんのりと、あたゝかい。ぷんかをつた、いしはだやはらかさ。
 おもはず、
 「。」
 とこゑてたのであつた。


 「ーーおばけの蜻蛉とんぼ、をぢさん。」
 「ーーなにそんなもののようはずはない。」
 胸傍むなわきちひさなあざ、このあをこけ、そのおよねちゝのあたりへはさみひゞきさうだつたからである。辻町つじまち一禮いちれいし、はかむかつて、きつといつた。
 「おぢやうさん、わたし仕業しわざわるかつたら、を、怪我けがをおさせなさい。」
 はさみさわやかおとてた、ちゝろもこゑせず、松風まつかぜつたのである。
 「やあ、塗師ぬしさま、ーーご新姐しんぞ。」
 木戸きどから、寺男てらをとこ皺面しわづらが、墓地ぼちしたくちをあけて、もうわめき、ひやめし草履ざうりれたもので、これは磽〓かうかくたるみちまない。くさ土手どてんでよこざまに、そばた。
 つゞいて日傭取ひようとりが、おなじく木戸きどへ、かた組合くみあつてひくた。
 「ごめんなせえましよ、お客樣きやくさま。・・・・・ご機嫌きげんよくかうやつてござらつしやるところると、間違まちげえごともなかつたの、なにも、別條へつでうはなかつたゞね。」
 「ところが、おつさん、少々せう/\別條べつでうがあるんですよ。きみたちの仕事しごとを、一寸ちよつと無駄むだにしたぜ。一杯いつぱいはう、これです、ぶつ/\になは切拂きつばらつた。」
 「はい、これは、はあ、いゝことをさつせえてくださりました。」
 「なんだか、あべこべのやうな挨拶あいさつだな。」
 「いんね、まつたくいゝことをなさせえました。」
 「いゝことをなさいましたぢやないわ、おいたはしいぢやないの、女臈じやらふさんがさ。」
 「ご新姐しんぞ、それがね、いや、この、からげなは畜生ちくしやう。」
 其處そこで、かゞんで、毛蟲けむし踏潰ふみつぶしたやうなつまさきへちかく、れてちた、むすびめの節立ふしだつた荒繩あらなは手繰たぐりてに背後うしろ刎出はねだしながら、きよろ/\とそら見廻みまはした。
 めうなもので、した木戸きど目傭取ひようとりたちも、申合まをしあはせたやうに、そろつて、かゞんで、そらが、皆動みなうごく。

 「いゝ鹽梅あんばいに、幽靈いうれい蜻蛉とんぼえたゞかな。」
 「一體いつたいなんだね、それは。」
 「もの、それがでござりますよ、お客樣きやくさまの、はい、石塔せきたふうごかすにつきましてだ。」
 「いづれ、あの糸塚いとづかとかいふのについてのことだらうが、なにかね、掘返ほりかへしておこつでも。」
 「いや、それはりましねえ。記念きねん發起ほつきつぼだての、帽子ばうしくつ洋服やうふくはかまひげえた、ご連中れんぢうさ、のつもりであつたれど、てら和尚をしやうさま承知しようちさつしやりましねえだ。ものこれ、三十ねんつたとこそいへ、わか女臈じやうらふうまつてるだ。それに、ひさしい無縁むえんばかだで、ことわりいふ檀家だんかもなしの、立合たちあつてくれるひと見分けんぶんもないで、とひと論判ろつばんあつたうへで、つちにはさはらねえことになつたでがす。」
 「うあるべきところだよ。」
 「ところで、はい、あのさ、石彫いしぼりでけ絲枠いとわくうへへ、がつしりと、立派りつばなおだうゑてをあけたてしますだね、そのなかの・・・・・」
 およね着流きながしのお太鼓たいこで、まことにいうつてる。
 「おゝ、成佛じやうぶつをさつしやるづら、しをらしい、嫁菜よめなはなのお羽織はおりきて、きりむらさきくものやうだ、しな/\としてや。」
 と、こけえたやうなでた。
 「あゝ、くすぐつたい。」
 「なんでがすい。」
 と、なにらず、久助きうすけはか羽織はおりを、もう一撫ひとなで。
 「石塔せきたふいつむもくろみだ。そのだうがもう出來できて、切組きりくみもましたで、持込もちこんで寸法すんぱふをきつちりはすだんが、はい、こゝはとほ足場あしばわるいと、山門さんもんうちまではこぶについて、今日けふさ、はこ手間でまだよ。かたがはりの念入ねんいりで、丸太まるたんぼうかつしますに。丸太まるたんぼうめら、丸太まるたんぼう押立おつたてて、ごらうじませい、彼處あすこにとぐろをいてますだ。あのさきへ羽根ばねをつけると、掘立ほつたて普請ぶしんときるだね。へい、墓場はかば入口いりくちだ、地獄ぢごく門番もんばん・・・・・はて、んでもねえ、肉親にくしんのご新姐しんぞござらつしやる。」
 と、どろでまぶしさうに、くちはたこぶしでおさへて、
 「ーーそのさ、かつしますに、いし直肌ぢかはだなはけるで、わらなりむしろなりの、はなものの草木くさき雪圍ゆきがこひにしますだね、あの骨法こつばふでなくばわるかんべいと、お客樣きやくさまめえだけんど、わし一應いちおうはいうたれども、丸太まるたんぼうめら。あに、はい、はか苞入つといりおよぶもんか、手間てまざいだ。まただれねえで、かまひごとねえだ、といての。
 和尚をしやうさま今日けふ留守るすなり、お納所なつしよ小僧こぞうも、總齋そうどきさしつた。まづ大事だいじねえでの。はい、ぐる/\まきのがんじがらみ、や、このしよで、ころがしした。それさ、かたでがすよ。わしさ屈腰かゞみごしで、ひざはだかつて、つら突出つきだす。奴等やつら三方さんぽうからかぶさりかゝつて、ぼう突挿つきささうとしたとおもはつせえまし。なんと、はなさき奴等やつらまへへ、縄目なはめいて、はねはじいて、あか蜻蛉とんぼふたた。
 たつたいまや、それまでといふものは、四人よにんやつツの、團栗どんぐりまなこに、糠蟲ねかむしぴきはひらなんだに、かけたなはしたからくゞつていしからいてたはうしたもんだね。やあ/\、しつ/\、くやら、はらひますやら、ぢつとしてあか蜻蛉とんぼうごかねえとなると、はい、時代じだいちがひで、なんもねえわかてやひも、さてはたらきにかゝつてれば、記念きねん糸塚いとづか因縁いんねんさ、よくいてつてるもんだで。
 ほれ、のろ/\と此方こつちつてるだ。あの、さきへつて、丸太まるたんぼうをついた、それ手拭てぬぐひをだらりとくびへかけた、たくましをとこでがす。やつが、女臈じやうらふ幽靈いうれいでねえか。たツと、またひげどのがさけぶと、蜻蛉とんぼがひらりとうごくと、くわつとふたつ、きうのやうなほのほつ。つめたあせびると、うらやまおろしのかぜ眞黒まつくろに、どつとた、けむりなかを、くらんでげたでござえますでの。・・・・・それでがすもの、ご新姐しんぞ、お客樣きやくさま。」
 「それぢや、わたしたち差出さしでことは、叱言こゞとなしにむんだね。」
 「ほつてもねえ、いゝ人扶ひとだすけしてくだせえましたよ。ときに、はい、和尚をしやうさまかへつて、はつせえても、萬々ばん/\沙汰さたなしにたのみますだ。」

 其處そこへ、丸太まるたんぼうが、のつそりた。
 「おぢい、もういゝか、だい丈夫ぢやうぶかよ。」
 「うむ、せえ、だい智識ちしきさ五十ねん香染かうぞめ袈裟けさより利益りやくがあつての、その、嫁菜よめな縮緬ちりめんなかで、幽靈いうれいはもう消滅せうめつだ。」
 「幽靈いうれいおほ袈裟げさだがよ、わるく、蜻蛉とんぼたゝられると、おこりむといふから可恐おつかねえです。なはをかけたら、またたゝつてやしねえかな。」
 と下精ぶしやうひげ布子ぬのこが、ぶつぶついつた。
 「ういふくちで、なんつゝむものつてねえ。糸塚いとづかさ、女臈じやうらふさまくゝつたおたゝりだ、これ、しき松葉まつば數寄屋すきやには牡丹ぼたん雪圍ゆきかこひひをするとおもへさ。」
 「よし、おれがく。」
 と、ふゆ麥稈むぎわらばうようとする。
 「あゝ、一寸ちよつと。」
 そでひらいて、およねめて、
 「そのまゝ、そのうへからおいはへなさいな。」
 不精ぶしやうひげがーー何處どこむかし提灯ちやうちんたが、
 「このまゝでかね、勿體もつてい至極しごくもねえ。」
 「かまひませんわ。」
 「かまはねえたつて。これ、しばるとなると。」
 「うつくしいおかたが、てるまへで、むざとなあ。」
 麥藁むぎわらと、不精ぶしやうひげ見合みあつて、なかつぶやくがごとくにいふ。
 「いゝんですよ、かまひませんから。」
 このとき丸太まるたんぼうてつのやうにえた。ぶる/\とうでちからみなぎつたたくましいのが、
 「よし、いし婉軟やんはりだらう。きれいなご新姐しんぞくとおもへ。」
 といふまゝに、くび手拭てぬぐひ眞額まつかうでピンとると、ばうをハグとげ、づかと諸手もろてはかにかけた。そでしなふをむねつた、前抱まへだきにぬつとち、こしつて土手どてりた。はうかゝ勝手かつてがいいらしい。巖路いはみちみはだかるやうにあしひろげ、タタと總身そうみ動揺いぶりれて、おほきなかに龍宮りうぐう女房にようばうむねいて逆落さかおとしのたきるやうに、づづづづづとりてく。

 「えらいぞ、權太ごんた怪我けがをするな。」
 と、ひげ小走こばしりに、土手どてはうからあとへ.りる。
 「おれだつて、出來できねえことはなかつたい、遠慮ゑんりよをした、えい、だれに。」
 と、およね見返みかへつて、ニヤリとして、麥藁むぎわらあとつゞいた。

 「頓生とんしやう菩提ぼだい。・・・・・小川をがはながすか、しますべい。」
 さういつて久助きうすけが、あつめたなはくづを、一束ひとたばねににぎつてこしもたげたときは、三にんはもう木戸きどえなかつたのである。
 「きう・・・・・ぢいや、ぢいやさん、羽織はおりはね。式臺しきだいへはふりんでいていんですよ。」
 この羽織はおりが、黒塗くろぬり華頭くわとうまどかゝつてて、窓際まどぎはつくゑむかつて、およねほつそりとすわつてた。ふゆ釣瓶つるべおとしといふより、こずゑ熟柿じゆくしつぶてつて、もうくれれて、客殿きやくでんひろたゝみ皆暗みなくらい。
 こんなにも、きよらかなものかとおもふ、およねえり差覗さしのぞくやうにしながら、ぼん澁茶しぶちやしたが、かぬ火鉢ひばちしにつくゑうへ提灯ちやうちんた。

(ーーこの、提灯ちやうちんないと、ご迷惑めいわくでもはなしまないーー)
 信仰しんかう頒布はんぷする、當山たうざん本尊ほんぞんのおふださゝげた三寶さんぽうかたはらに、硯箱すゞりばこひかへて、すゞりしゆはうふでめつつ、およね提灯ちやうちんひとみらして、まゆくやうにめてる。
 「 ー- きつおもひついた、初路はつぢさんの糸塚いとづか手向たむけてかへらう。あか蜻蛉とんぼーーくはへたのを是非ぜひたのむ。塗師ぬしさんの内儀ないぎでも、ぢよ學校がくかうぢやないか。といふと面倒めんだうだから圖畫づぐわくのさ。ペにいて、ふたつならべれば、羽子はねはねでもいゝ。胡蘿蔔にんじんせん松葉まつばをさしても、かたちます。ゆびはさんだたう辛子がらしでもかまはない。」
 と、たそがれの立籠たちこめて一際ひときはうるしのやうな板敷いたじきを、およねしろ足袋たびつたときそゝのかして口説くどいた。北辰ほくしん妙見めうけん菩薩ぼさつをがんで、客殿きやくでん退であつたが。

 みづをたつぶりとして、一寸ちよつとくちつて、つぼみくちびるをばツつりくろく、八まいはね薄墨うすずみで、しかし丹念たんねんにあしらつた。瀬戸せと水入みづいれしぶのついたこひだつたのは、あつらへたやうである。
 「出來できた、見事々々みごと/\。お米坊よねぼうつくゑうやつたところは、赤繪あかゑ紫式部むらさきしきぶだね。」
 「らない、おつかさんにいひつけてしからせてあげるから。」
 「失禮しつれい。」
 と、茶碗ちやわんが、また、赤繪あかゑだつたので、おもはず失言しつげんびつつ、じゆん藤原ぢよし女史ぢよし介添かいぞへしておまをす・・・・・羽織はおり取入とりいれたが、まどあかりに、
 「これは、大分だいぶうらに青苔あをごけがついた。わるいなあ。たゝんでつか。」
 と、つたのに、それにおよねへて、
 「ますわ。」
 「きられるかい、はかのを、のまゝ。」
 「おかはいさうなかたのですもの、これ、荵摺しのぶずりですよ。」
 そのやさしさに、おもはずむねがときめいて。
 「かた此方こつちへ。」
 「まあ、をぢさん。」
 「おつかさんの名代みやうだいだ、むすめせるのに仔細しさいない。」
 「はい、・・・・・どうぞ。」
 くるりときかはると、おもひがけず、辻町つじまちむねにヒヤリとかみをつけたのである。
 「わたし、こひしい、おつかさん。」
 前刻さつきからーー辻町つじまちは、演藝えんげい映畫えいぐわ、そんなものの樂屋がくやえんがあるーーほんの少々せう/\たけれども、これはすぢにしてかせげると、ひそか惡心あくしんきざしたのが、このときいろも、よくなんにもない、しみ/゛\と、いとしくてなみだぐんだ。

 「へい。お待遠まちどほでござりました。」
 片手かたて蝋燭らふそくを、ちら/\、片手かたてすこしばかりれた十能じふのうつて、ばあさんが庫裏くりからた。
 「糸塚いとづかさんへいてきます、あとでをつけてくださいましよ、からすくはへるといひますから。」
 およねも、式臺しきだいへもうかゝつた。
 「へい、もう、刻限こくげんで、危氣あぶなげはござりましねえ、嘴太烏ふとも、嘴細烏ほそも、千羽せんばふちもりんでました。」
 おほ城下じやうかは、したに、まちは、やなぎにともれ、かはながるゝ。いしだんしたへ、たにくらいやうにりた。場末ばすゑ五燈ごしよくはまだない。
 あきなひがへりの豆府とうふが、ぶつかるやうに、ハタととまつたとき
 「あれ、蜻蛉とんぼが。」
 およねひざをついて、あはせた。
 あの墓石はかいしせかけた、つか絲枠いとわくにかけて下山げさんした、提灯ちやうちんが、山門さんもんて、すこしづゝたかくなり、裏山うらやまかぜ一通ひとゝほり、あか蜻蛉とんぼそつうごいて、をんなかげが・・・・・二人ふたりえた。




            【完】
  



2style.net