鬼の角

泉鏡花


「いや、どつこいしよ。そら/\其處そこみづたまりだよ、けな。やれ/\おれこそいてくれずとも、老人としより世話せわかすといふがあるものか。おまへ陪從ともれてるとめてならないぞ。傍見わきみばつかりするもんだから、それ泥濘ぬかるみだ、それどぶだ、と一々けてやらなければならない。その度毎たんびおれはもうあぶ/\する。壽命じゆみやうどくだとはおもふけれど、旦那だんな殿どのれてけとふものを、長松ちやうまつ世話せわけて不可いけないつてろ。それまた旦那だんな殿どののお目玉めだまだ。それが不便ふびんおもへばこそれてるやうなものゝ、まるで荷厄介にやくかいで、始末しまつをへない。いや、うはふものゝ、かうおれもおまへ年紀としごろには、矢張やつばりそのとほりであつた。はゝゝゝ、おまへだつても宿やどさがれば若旦那わかだんなだ。なあ長松ちやうまつ今夜こんや北風きたかぜいてさむいから、はやかへつてあつたまれ、さあ、そのつもりはやかう/\。」

 慈悲じひぶか老人らうじん小僧こぞうしたがへて出先でさきよりいま歸途きとけるなり。小僧こぞう御隱居ごいんきよ深切しんせつなる注意ちういかむともせで、しきり四邊あたりみまはしつゝ、

「やあ/\、面白おもしろいな。彼方あつちでも此方こつちでも、福者内ふくはうち福者内ふくはうちツてつてますよ。御隱居樣ごいんきよさま。」
「むゝ、今夜こんや節分せつぶんだの。」

 欲遊盛あそびたざかり小僧こぞう大勢おほぜい鯨波ときこゑげてまめひろにぎはしさのごときこゆるにぞ、

「あゝ! つてたいな、喰附くひついて、打倒ぶつたふして、引掻ひつかいて、匍匐はらんばひになつて、掻込かつこんで、たもとに一ばいひろふけれどもなあ。」
 とかこちがましくつぶやけり、老人らうじん頬笑ほゝゑみて、

おれあそばしてりたいが、さういふ我儘わがまゝをさしてはみせものしめしにならない、我慢がまんしろ/\。いわ、其代吾そのかはりおれ饂飩うどんかけをおごつてやらう。」
るべくなら、御隱居樣ごいんきよさま、えゝ、お汁粉しるこにしていたゞきたうございます。」

 ひもをはらでかれすばやまへまはりて、隱居いんきよひざ叩頭こうとうせり。老人らうじん噴出ふきだして、
「はゝゝゝ、一ばん附合つきあつてやらうかの。」
「へい、是非ぜひ、へい是非ぜひ是非ぜひへい、是非ぜひへい。」
 小僧こぞうは (是非ぜひへい) をうたひてをどれり。

「これさ、なんだな。何處どこでもおまへところはひんな。」
 くやいな小僧こぞう調子てうしはづれのこゑげ、
大願成就だいぐわんじやうじゆ、や、かたじけない!」

 ぎつくり見得みえをして矢庭やには駈出かけいだす、そのはやきこといたちごとく、四五けんさき小松こまつ團子だんごといへる名代なだい汁粉屋しるこや飛込とびこめり。

 老人らうじんはこれをて、
つみやつだ。」
 とわらひながらあとよりその汁粉屋しるこや店頭みせさきいたれば、
御隱居樣ごいんきよさま萬歳ばんざい!」
 と暖簾のれんかげにて不意ふいわめく。老人らうじん吃驚びつくりして、
「えゝ!おどろいた。この小僧がきめ。」

 小僧こぞう如才じよさい莞爾々々にこ/\して、
はいらつしやい!」

 汁粉屋しるこやはひりて老人らうじん手焙てあぶり引寄ひきよせつ、ればさすがにれいりて、小僧こぞう遙下はるかさがりて跪坐きざするをしをらしくおもひ、
「さあずつとい、此家こゝればわれもおまへ同一おなじ身分みぶんのお客樣きやくさまだ。遠慮ゑんりよい。」
 膝近ひざちかすゝませつゝ、
「さあ/\してあつたまるがい。めつきりさむいよ、なあ。」

 老人らうじん火鉢ひばちうへ揉手もみでをしながら、小僧こぞうかふじつて、
大分だいぶひゞらしたな。おゝ、る。さぞ疼痛いたむだらうの。むゝ・・・・・」

 そのあたまりたる掌以たなそこもて、やはらそのひゞ掻撫かいなでたり。小僧こぞう祖父ぢゞけるまごひとし温言をんげんうれさに、平生へいぜい奉公ほうこう艱苦かんく思出おもひだして胸迫むねせまり、差俯向さしうつむきてはなすゝれり。

 老人らうじんはなをかみしがきふへてわざ打笑うちわらひ、
辛抱しんばうしろ/\、なんのこれしきが、べろりとめてけ、ついなほる。」

 かくはげましつゝ老人らうじん仕舞しまひけたる鼻拭はなふききれて、
「ふむとはつし。へん、嬰兒あかんぽやうだな、あてこともい。」

 とき老人らうじんあつらへきたれり。みなこれ小僧こぞう註文ちうもんせしところのものなりき。






 この佛心ほとけごゝろ老人らうじん富有ふいうなる商家しやうか樂隱居らくいんきよにて年紀としすでに>六十のさかえたり。そのいへ身上悉皆しんしやうしつかいを一だいうち造上つくりあげたるほどの老人らうじんなれば、いままつたてゝ、いさゝか家事かじくちばしれざれども、ものはざる天道てんたうのなほよくひとせいするごとく、おのづから一支配しはいして帳簿ちやうぼに一てんあやまりなからしむ。しかもあらゆる艱苦かんくいま境遇きやうぐうきたれる老人らうじんなれば、すいあまきも噛分かみわけておもひやりいとふかく、ひとあはれむこと、いにしへ仁者じんしやふうあり。恩威おんゐならびおこなはれて敬愛けいあいさるゝこと一かたならず。さればなべての老人らうじんわかもの邪魔じやまにさるゝならひなれども、この隱居いんきよけつしてしからず。そのそとづることあれば、留守るす息子むすこふもさらなり、よめをはじめとして、番頭ばんとう手代てだい下婢かひ輩皆ともがらみな歸宅かへり待懸まちかれり。

 陪從ともなる小僧こぞう汁粉屋しるこやでゝ、幾度いくたびもお辭儀じぎをなし、

御隱居樣ごいんきよさま難有ありがたぞんじます。へい、なんともまをされませんうまいこつてございました。わたくしはもうお汁粉しるこさへべられますれば、そのうへなに出世しゆつせするにはおよばぬといふかねての覺悟かくごでございますよ。へい、ぼん養父入やぶいりときから今日けふまでおもひくすんでりましたんで、じつそのゆめます。えゝ、大抵たいてい毎晩まいばんでさあ。何故なぜまをしますと、へい、御隱居樣ごいんきよさま養父入やぶいりときいたゞきましたお小遣こづかひでもつてなによりきお汁粉しるこをとぞんじましたつけが、まあそれは後々あと/\のおたのしみ、一ばんいものが眞打しんうちといふので、前座ぜんざ鹽煎餅しほせんべいせん取着とツつきで、のどかわいたところこほりばいそれから大福だいふくつてかゝり、こいつを五ツとやつて歩行あるなが豌豆豆ゑんどうまめ、二せん午飯おひる天丼てんどん茶漬ちやづツて、一まく立見たちみとやつて、それから見世物みせものを三ツて、かへりに蕎麥そばを二ツ。それからほツつきましてすしべて、徐々そろ/\暮合くれあひでございますからおうちかへりがけに唯今たゞいま汁粉屋しるこやまへで、さあこれからだとづどきつくむね落着おちつけまして、五はいたしかべるつもりで、蝦蟆口がまぐちけてますと、うでございませう。御隱居樣ごいんきよさま、あゝ、いま思出おもひだしてもなみだます。へい、もうすつかり使つかつちまつて、五りん一ツとびたもんしかないだらうぢやございませんか。わたくしはもう/\落膽がつかりして、そのまゝ其處そこ打倒ぶつたふれててしまひたくなりました。それですもの、お汁粉しることいつちやあいのちから二番目ばんめで、いまにおのれ年紀としがいつたら小倉をぐら鹽餡しほあん御膳ごぜん田舎ゐなか、お汁粉しるこならばなんでもござれ、十二ケつき食倒くひたふしてやりたいばつかりに御奉公ごほうこう大切たいせつにいたします。あゝ、うまかつた。うも/\難有ありがたうございました。御隱居樣ごいんきよさま。」

 老人らうじんたゞあきるゝばかり苦笑にがわらひしてきたりき。小僧こぞうはまたことばぎ、すこしくこゑひそめつゝ、

旦那樣だんなさま御陪從おともをいたしますと、劍突けんつくばかりおはせなすつて、お汁粉しるこどころぢやございません。それに番頭ばんとうさんなんとにや、そりやうもひどうございますよ。わたくしがつい坐睡ゐねむりをいたしますと、彼奴あいつ! またお汁粉しるこゆめようから、流汁ながしじるすくつてめさせろ、なんてせんどんにふんですもの、邪慳じやけんぢやアありませんか。ひゞれていたいといへばえていたむのだからけばなほる。燒火箸やけひばし突込つゝこめなんて、それは/\おそろしうございます。おおくのおさんどんは掃除さうぢをするときそつと御隱居樣ごいんきよさまのおとりなすつたつめひろつてしまつといて、毎朝まいあさちやなかへ一へぎづゝれてせんじますつてね。これを三/\みんなませたら、些少ちつと御隱居樣ごいんきよさま類似あやかるだらうといふんださうです。」と眞面目まじめふ。

「いやはや、大變たいへんだ。そんなものをのませるかえ? 薄汚うすぎたねえ。」
 老人らうじんはます/\あきれぬ。

「なにきたないことがありますものか。犀角さいかくといふくすりけだものつのださうですね。それからりや御隱居樣ごいんきよさまつめあかはよつぽど難有ありがたい。」
わる胡摩ごまるな。まだお汁粉しるこ喰足くひたりないのであらう。」

 かくかたりつゝあひだに、とあるくらまへでたり。とき往來わうらいさびしくなれり。小僧こぞう饒舌しやべ草臥くたびれけむ、しばらく無言むごんになりて、そのくらかどひだりまがり、そのいへまへでたるに、またもやさゞめく追儺つゐなこゑせり。

「おや、御隱居樣ごいんきよさまやつてますぜ。」小僧こぞう立停たちとゞまりてまたうごかず。老人らうじん持餘もてあまし、
「そら、お汁粉しるこか。こまつたものだ。」とつぶやくとたん、格子戸かうしどうちまめおとばら/\とつぶてごとく、
鬼者外おにはそと!」

 さけぶやいなや、たけしやくあまりぬべき大漢おほをのこ異形いぎやうなるが赤裸あかはだかのまゝよこざまにまろでゝ、婀呀あなやくるひまもなく、ドンと小僧こぞう抵觸つきあたれり。






 小僧こぞう仰樣のけざままろぶとともに、異形いぎやうもの消失きえうせたり。

 老人らうじん咄嗟とつさあひだえんぜられたる一ぢやう怪事くわいじうばはれ、きよろ/\四邊あたり見廻みまはしけるに、なにかはらずちたるものあり。ひとみゑてれば、星明ほしあかりかゞやきて、そのもの金色こんじきひかりべり。

 なるつゑつきこゝろみるに、コトコトといふひゞきありて、堅牢けんらうなることいしごとし。一定怪物ぢやうくわいぶつおとせしものと、老人らうじん不氣味ぷきみながら、そとをのべてひろひつゝ、たなそこせてすかれば、そのながさ八すんばかり、ふとくしてさきとがれり。まはり三ずんあまりたる形獸かたちけものつのて、しつ金屬きんぞくことならざるがたゞすこしく暖味ぬくもりあり。何樣なにさま異樣いやう珍物ちんぶつなれば、隱居いんきよそのまゝ懷中くわいちうし、ほと呼吸いきをつきて、むねでぬ。

 數杵すうしよ鐘聲陰しようせいいんこもりて此時このとき萬籟ばんらい寂然せきぜんたり。をりから老人らうじんたゝずむあたりへ朦朧もうろうとしてあらはれたる一丈高たけたか赤鬼あかおにあり。さむさにもかゝはらずとらかは褌襠ふんどしならでは一けざる赤裸あかはがた手足てあしは一めんしゆもつけるがごとし。かれ遺失おとせしものをもとむるごとく、蚤取のみとりまなこを四はうくばりて、うそ/\地上ちじやうあさりつゝ、やがて老人らうじん間近まぢかきたりぬ。

 たれかこれをおどろかざらむ、すくなくとも氣絶きぜつすべきに、むしころさぬ老人らうじん意外いぐわいにもおそるゝいろく、睨附ねめつけて突立つゝたてり。

 おにひとありとて、まへすゝみ、
「これ、人間殿にんげんどのちとものがひたうござる。」謂出いひいでたるこゑ破鐘われがねごとくなれども、ことば慇懃いんぎんなるものなりき。

 かゝときには「あい/\なにようかえ。」とつねにはやさしき老人らうじんなるが、いかにしけむ此時このときは、昂然かうぜんとしてかたげ、
なんだ! きたいとは何事なにごとだ。」意氣いきすで鬼神きじんめり。赤鬼あかおにこしひくくし、
「えゝ、ほかのこつてもござりませぬが、なん此邊このあたりちてたものをお見懸みかけなさりはしませなんだか。」

 老人らうじんおの懷中くわいちうせる珍物ちんぷつ持主もちぬしの、それかあらぬかをたしかめて、いよ/\その獲品えもの眞價しんからむと、さあらぬてい空惚そらとぼけつ。

「はゝあ、いやべつにこれといふものもなんだが、してきさまおとしたものは一たいなんだ。」
それは・・・・・」と赤鬼あかおにその天窓あたまで、
「ちつとも手懸てがゝりがござりませぬので、はやもう途方とはうれまする。」
 かれ力無ちからなさまなりき。

「はてそのくしたものはなんだといふに。」
「へい/\。」とたゞ天窓あたまく。

 主客しゆかく勢趣いきほひおもむりきへて、老人らうじんかへりて尋問じんもんする位置ゐちち、
「へいではわからぬ。いやさ、なに遺失おとしたといふにわからぬやつだな!」

つの、・・・・・つのおとしました。」とおにつひ打明うちあかしぬ。

なんだ! つの遺失おとしたと。間抜まぬけだな。うしてまたそんな麁匆そさうをやつたのだ。」
「えゝ、此處こゝ角屋敷かどやしき豆鐵砲まめでつばうくらひまして、あわてゝ遁出にげだします拍子ひやうしに、なんでものあたりでなにかに抵觸つきあたつて轉覆ひつくりかへつたとぞんじましたが、眞闇まつくらぽう駈出かけだして、みちくと大事だいじつのがなくなりました。此處こゝいらに相違さうゐないのでございますが、なんとお見懸みかけなさりませぬか。」

 老人らうじんはいよ/\それきはまりたりと心密こゝろひそかよろこびながら、
「むゝ、さうしてそれ金々きん/\ひかつてような。」

 こは手懸てがゝり出來できたるぞと、おにおほきにちからつ。
「おつしやるとほ金色こんじきひかりがあるのでござります。」

「いやにはくなんぞをいてびか/\さしたところなんぎ、擬物まがひものらしいが、うだ。黄金わうごんつのなんてつひぞいたこともない。」
滅相めつさう人間にんげんになにがわかるもんで。鬼夥間おになかまでも黄金わうごんつのとなると、づツとくらゐいのでさあ。」

「ふむ、してるとぎんのもあるな。」
あをいのもござります。あをいのがくろくなります。それからぎんになつて、それからでなければ黄金色きんいろにはなりません。」

「いかさまな。」とほく/\うなづ老人らうじんは、遺失主おとしぬしたしかかれなることをしんじて今更いまさらうなづくにはあらず。その懷中くわいちうせる靈物れいぶつの一だん貴重きちようなるものなることをれうせしなりき。






 幽冥いうめい肉眼にくがん物色うかゞふべからざる惡鬼あくきでたるはすでなり。そのおに處女しよぢよごときもまたなり。しかれども優愛いうあいかれごと老人らうじんが一てう梟慾けうよく無慈悲むじひ小人せうじんとなれることのさらなるにはかざるなり。讀者どくしやかれおにつのひろひて、これを所有ものとしたりしをわすれざるべし。

 おに老人らうじん口振くちぶりりてすくなくともつの所在ありかれるをしんじ、はやくこれを取返とりかへさむと、ます/\おのれへりくだれり。

「えゝ、何卒どうぞ御手おてにございますならおかへくださいまし、それともところ御存ごぞんじならおをしくださるやうねがひます。」
 
「そんなものはらないね。」と老人らうじんよこきぬ。
 あま意外いぐわいなる返答へんたふおにはこれをまこととせぎりき。

御串戯ごじようだんおつしやりますな。」
らないよ。」
「もし、串戯じようだんではござりません。」
「はい、串戯じようだんではござりません。」
「こりやおどろいた。」おに老人らうじんみまもりぬ。老人らうじん空嘯そらうそぶき、
此方こつちおどろく。りもしないものを、汝飛おのれとんだ言懸いひがかりをしやあがる。」
 と逆捻さかねぢくらはしたり。

たゞらないぢやあわかりません。」
いやらないからわかりません。」

 無法むはふきはまる言分いひぶん赤鬼あかおにくわつとなり、けむりごと呼吸いきき、まなこいからし、きばみ、掴懸つかみかゝらむず氣勢けはひなりしが、たちま夜叉やしや相好さうかうくづれて、

おのれ! につく因業いんごふ親仁おやぢたゞ一くちおもふあとから、なんだか無暗むやみ不便ふびんになつて、つめもあてられねえ。はて、面妖めんえうな。うしたのだ。えゝ、たまらなくよわくなつたぞ。むゝ、口惜くちをしい。」と悄乎しよんぼりしてみづからそのこゝろあやしごとし。此方こなた彌増いやましにつよくなりて、
「むゝ口惜くやしくばくらけ。としこそよつたれ、うでたしかだ、さあい。」  とおににもまむず元氣げんきなり。おにはます/\悄氣返しよげかへり、
うも/\我慢がまんにもちからせねえ。はて、左樣さやう因業いんごふをおつしやらずに、もどしてくだされ、後生ごしやうでござる。」と老人らうじんたもとすがれば、「えゝ、つくな/\」と振拂ふりはらはれ、なほこりずまに取縋とりすがるを、老人らうじんはあらけなくもひぢけて突飛つきとばせば、おにはたじ/\と蹌踉よろめきて、おもはず小僧こぞうつまづきたるが、くわつはふにやかなひけむ。先前さきより其處そこ打倒うちたふれて、呼吸いきえたりし長松ちやうまつは、うむと一こゑ蘇生よみがへり、なざりし以前いぜん怪物くわいぶつ抵觸つきあたられしとき驚駭おどろきをこゝにいひあらはさむとなすかのごとく、わつとさけびて飛起とびおきしが、ればすさまじき赤鬼あかおにおのかたはらてるにぞ、さら婀呀あなや絶叫ぜつけうして、隱居いんきよこしにしがみき、「おたすけ/\。」
 とはず。

 しかるに小僧こぞうかね經驗上佛けいけんじやうほとけしんじて、おによりすくはれなむと、たのみつな投懸なげかけたる、隱居いんきよこゝろおになりき。

「えゝ! 煩惱うるさいな、この小僧がきめ。」

 その横面よこづら張飛はりとばせば小僧こぞういたさに目眩めくらめきてまたもや大地だいち伏轉ふしまろび、あいたいたうめところ土足どそくけて蹴飛けとばされ、小僧こぞう咽喉のんどけむずばかりに足手あしてもだえて號泣がうきふせり。おにあわてゝ抱上いだきあげ、
「おゝ、可哀相かはいさうくな/\。」

 そのせなでゝいたはりつゝ、老人らうじん強慾がうよくなる、いかに哀願あいぐわんすればとても、つのかへさむ氣色けしききに、いまほはや斷念あきらめけむ、うらめしげなる顔色かほつきにて老人らうじんみまもりつゝ、
汝人非人おのれにんぴにんすゑはいゝことがあるまいから、左樣さうおもへ! さアらばだア。」

 いと物凄ものすご音調おんてうて、ふかとれば姿すがたし、吹消ふきけごとせたりき。

 せみとびさらはれたる、そのとき心地こゝちいかんと我身わがみるは小僧こぞうなるべし。かれ隱居いんきよ蹴飛けとばされて、あまつおにとらへられつ。いたさ、かなしさ、おそろしさに、こゑ得立えたてゞ足掻あがくうち、その紙鳶たこばけしたるごと蹈堪ふみこたふべき足懸あしががりもなく、ふは/\とちうして、行方ゆくへかず舞揚まひあがり、下界げかいはるかになりけるにぞ、のち危難きなんはともかくも、今落いまおとされては微塵みぢんにならむと、おにこしにしつかとすがり、あととなれやまとなれ、ねむりつゝくほどに、海越うみこえ、山越やまこえ、谷越たにこえて、おにその棲家すみかなる怪雲洞くわいうんどうにぞきにける。







毘舎闍びLやじや今戻いまもどつた。おい、けてくれ。」
 おもてちて音信おとづるゝは、つの遺失おとせし赤鬼あかおににて、かれ鳩槃茶くはんだといふ。毘舎闍びしやじやといふはつまなり。

おう。」こたふるこゑ毘舎闍びしやじやなるべし。婦人をんなげなき裸體らたいにて、こしへうかはまとへるが、くろがねもん引開ひきあけつゝ、
「おゝ、旦那だんな殿どのかへりか。」
 紙燭しそくてらして出迎でむかへぬ。

「ついようがあつて、手間取てまどつて、ぞんじのほかおそくなつた。ねむかつたらうに堪忍かんにんしな。」
 かくひつゝ鳩槃茶くはんだは、小僧こぞう長松ちやうまつ背後うしろかばひて、毘舎闍びしやじやあとよりもんれり。女鬼めおに不圖ふと立停たちどまりて、しきりはなをひこつかせ、
「あれなんだか人臭ひとくさい、はてなあ、おまへうだえ?」

 てる紙燭しそく振照ふりてらして、彼方あなた此方こなた見廻みまはせり。鳩槃茶くはんだ素知そしらぬかほにて、
「そりやぬしせゐだ。閻魔えんまちやうから先觸さきぶれねえのに、今時いまどきたれるものだ。」とさあらぬさままぎらせども、毘舎闍びしやじやさら肯入きゝいれず、
「いゝやよ、たしか人臭ひとくさい。しかも生々なま/\しいにほひだによ。こりやうもをとこだ。」

 小僧こぞうこのこゑくとひとしく、ぶる/\と震上ふるへあがり、くちうちにて、 
南無なむ地藏樣々々ぢざうさま/\。」

 ほししたる毘舎闍びしやじやことばに、いまかくすもせんなしと、鳩槃茶くはんだ打明うちあかして、小僧こぞう連歸つれかへりたることのみをかたり、おのつのうしなひしことは、さすがにぢてひもでず、たゞその小僧こぞうおのいへやしなおくむねげぬ。そのくらふべからざるよしをきて、毘舎闍びしやじやはさも本意ほんいに、
「お土産みやげかとおもつたら食客ゐさふらふかい。物氣ものけたかいに迷惑めいわくなれど、今夜こんやいつくお前樣まへさんが、 (ねむかつたらうにどくだ。) なんて、やさしくいつておくれだから、あい、わつちふこときませう。これそこな小僧こぞうさん、大事だいじない此方こつちはひりや。」

 生命いのちには別條べつでうしと、小僧こぞうにはか元氣げんきづき、ちよこ/\とはしでゝ、毘舎闍びしやじやまへ叩頭こうとうし、
「へい、御新造ごしんぞさん今晩こんばんは。はじめましておかゝりまする。へい、つい御勝手おかつて心得こゝろえませんもんですから、失禮しつれいをいたしました。」

 愛嬌あいけうよく挨拶あいさつすれば、
んだ氣輕きがる小僧こぞうだの。」と夫婦ふうふひとしく打笑うちわらひ、そのまゝうちともなひたり。

 鳩槃茶くはんだどつかと胡坐あぐらき、

「あゝ! 滅法界めつばふかい草臥くたびれた。さてと留守るすなにもかはりはしか。さうしてたれなかつたか。」

先刻さつき閻魔樣えんまさまからお使つかひでね。明日あす新入しんいりが一にんあるからその目算つもりろと、報知しらせました。こりやうつくしい婦人をんなださうだが、嫉妬しつと狂死くるひじにをしたんだとさ。れいつてわかものが、おもてにはで、今夜こんや夜通よどほしおこして、たら火責ひぜめにしようといふので、折角せつかく支度したくをしてるが、おまへまあゆつくりとやすむがい。」

 小僧こぞう片隅かたすみうづくまりて、奇異きいおもひをなしたりき。男鬼をおにきつゝ打頷うちうなづき、
「あゝ、さうだつたか。これ一寸ちよつとその帳面ちやうめんつてくれ。」

 毘舎闍びしやじやをして、かはもて表紙へうしとしたる一さつ帳簿ちやうぼ取出とりいださしめ、人間にんげんつめあるひむねよりゆる火焔ほのほてらして、繰廣くりひろげつゝ、打視うちながめ、

「むゝ、こゝにる、これだな。年紀とし三十、つやといふか。家附いへつきむすめ養子やうしをすること、十六の年紀としからいまいたるまで五十一にん非道ひどやつだ。みな嫉妬しつとのために家内かない折合をりあはずして、不縁ふえんとなる。しまひ婿むこ何某なにがし居堪ゐたまらで遁出にげいだす。これは増花ますはな出來できたるせゐと、思僻おもひひがめて、ねたねたさがかうずるより、狂氣きやうきとなりて往生わうじやうするものなり。いかさま、これはおそろしい。」

 と怪雲洞くわいうんどうあるじしたきて三たんせり。かねてお饒舌しやべり長松ちやうまつひとえらばで談話はなしたきさがなるゆゑ、先刻さきよりくちはむず/\すれども、對手あひて氣心きごゝろれざるため、話柄わへい見出みいだすにくるしみて、不得止やむをえずもくしたるが、洩聞もれき帳簿ちやうぼちうえんなる婦人ふじんは、小僧こぞう心當こゝろあたりものなりしかば、たりかしこしと差出さしいでゝ、

旦那だんな、そりや破損町はそんまちものでせう。え、え、左樣さやうでございますか。そりやつてます。其處そこ老人としよりうち御隱居樣ごいんきよさま碁朋達ごともだちですから、よくお随伴ともまゐりますが、彼處あすこ御新ごしんさんとにや名代なだい嫉妬家やきもちやで、なんしろ門口かどぐちはひりますともうぷんにほひます。」

「ふむそんなこともいてある。」鳩槃茶くはんだ毘舎闍ひしやじや、かへりみ、ゑみふくみてたはむれたり。
ちとたしなむがいぜ。」






 毘舎闍びしやじやいまだものいはざるに酒落者へうきんもの小僧こぞうり、
「へゝゝ、御新姐ごしんぞさんもそれですか。道理だうりなまぐさにほひがする。其癖そのくせひとのことを人臭ひとくさいとおつしやつたが、たとへにいふくさいもの身知みしらずですな。」

 毘舎闍びしやじやまゆげて、
「この小僧こぞう天窓あたまからしほけるぞ。」

 おどされて小僧こぞうあをくなり、
「おつと、だまらう。此口このくち不可いけな餓鬼がきだ。」と自分じぶんくちびるをぷつりとつねりて、また片隅かたすみ引退ひきさがれり。毘舎闍びしやじや小僧こぞう流眄しりめけて、良人をつといかりふくみ、
「おまへなんだつてわるいことをふえ。」

「なに串戯じようだんだ、串戯じようだんだ。仲直なかなほりに一ばいらう。」

 つまはやくも意解こゝろとけて、異議いぎ酒肴しゆかう按排あんばいせり。鳩槃茶くはんだは、髑髏盃どくろはいしゝ生血せいけつがせながら、ゆきなすいろにくあるをて、そのまゆひそめたり。

「このさかなぢやあめねえな。」
「おや、めうなことをおひだ。こりや>十八の婦人をんなにくだ。脂肪あぶらつてるから甘味おいしいよ。おまへなにより好物かうぶつだらうぢやいか。」

 鳩槃茶くはんだ身震みぶるひして、
「おゝ、いやなことかな。おらあもうなんだかこんなもの薩張さつばりがねえぜ。あんまむごたらしいからの。かう、きりたてだとえて、まだびく/\うごいてるやうぢやいか、氣味きみわるい。」

 と鬱込ふさぎこむ、毘舎闍びしやじやいたくこれをあやしみ、
「まあうしたといふのだね。をかしなおにだよ。おまへさん今日けふかぎつてうかしやしないかい。」
 鳩槃茶くはんだくびれつ。
うもうもえはな。まあ/\二三にち精進しやうじんだとおもつてくれ。たばかりでもむねつかへる。えゝ、さうしてこのさけよわつた、まだの濁酒どぶろくはうにしよう。あのさ、うしよだれしな。」弱々よわ/\しき良人をつと言種いひぐさ平時いつもとはつてかはりて、あたか別人べつじんごとくなるにぞ、毘舎闍びしやじやうたがひまなこみはりて、かれかほ右瞻左瞻とみかうみ

「あれ、めうなものをおまへかぶつてるね。そりやなんだえ。」鳩槃茶くはんだつのなき天窓あたまかくさむため、みちにて工夫くふうきたりたる、被物かぶりものけられ、南無なむ三とすこしく狼狽うろたへ、

「これかえ、こりやなんだ、娑婆しやば毛僧帽子もつそうばうしといふものだ。おつりき、、、、なものよなう。みちあめ降出ふりだしたから、一寸ちよつとつてたのさ。」

「そんなものはいでおしまひ。はゞかりながら怪雲洞くわいうんどうあめりやしないから。」

 これをぎてはたゞちに露顯ろけんと、鳩槃茶くはんだ天窓あたまおさへ、
あつたかくつて心持こゝろもちだ、ぐが最後さいご風邪かぜをひく、大眼おほめてくれ。」

なんだい、まあ不景氣ふけいきな、さうしてそりや坊主ばうずかぶるもんぢやいか、えゝ、たくでもない、いやなこつた。」

「そんなことをいふけれどの、よめいびりの鬼婆おにばゞ天窓あたまると坊主ばうずなのがある。寒凌さむさしのぎだからいではいか。はや濁酒どぶろくかんしてくれろ。あついのをひつかけよう。」

「おさかななんにしようね。」とかんをしながら毘舎闍びしやじやへり。鳩槃茶くはんだ打案うちあんじ、
油揚あぶらげ、ひじきに青豆あをまめといふところはあるまいか。」
 毘舎闍びしやじやあまりのことに噴出ふきだしたり。

うかしてるよ、このおには。異國いこく食物たべものはうなんて。」
「むゝ、さうだつけの。なに、なければ総菜そうざいい。さあいでくだつし。」

「ぐつとやつて、元氣げんきをおけな。なんだかあんま不景氣ふけいきだ。」
 うしよだれしやくをする。

「おとゝある/\。おれかまはず、おまへRuby>可いものをはつしよ。」
べなくてさ。もう、たまらない、これをちやあ。」

 毘舎闍びしやじや若婦人わかきをんな料理れうりしつといふなる、くだんしろにくのなほ體温ぬくみそんしたるが、鮮血なまちるをくひきつゝ、きもつぶせる小僧こぞうかほ微笑ほゝゑみながら見返みかへりぬ。

小僧こぞうさん、おまへなにかくはねえか。」
 いははれて小僧こぞう苦笑にがわらひして、
「へい、じつ先刻さつきからはらいて、咽喉のどがぐび/\つてますが、婦人をんなにくだなんて、うも共食ともぐひおそれますなあ。」

「むゝ、ぢやこれにしろ。」鳩槃茶くはんだに一さら食物しよくもつあたへたり。小僧こぞう恐々こは/\差覗さしのぞき、
へん青臭あをくさうございますな。こりやなんといふ野菜やさいですね。へい、めうにほひますな。」
「そりやへび雷干かみなりぼしだ。」






 小僧こぞうは 「えゝ!」と摺下すりさがり、顔色かほいろへておどろきたり。鳩槃茶くはんだはこれをて、
種々いろん食好しよくごのみをする贅澤ぜいたくやつこさんだ。雷干かみなりぼしべられなけりや、これをるからつてな。」と食懸くひかけたる吸物椀すひものわんを、小僧こぞうまへ押遣おしやりつ。小僧こぞうとほくより打視うちながめ、

蜥蜴とかげぢやありませんかね、せめて赤蛙あかがへる蝸牛まひ/\つぶりならうにかやつておけますが、へび雷干かみなりぼしなんざ、いてもおそれますよ。へい、折角せつかくくださるものをお辭儀じぎしちやあかへつて失禮しつれいにあたりませうが、じつむしだけは御免ごめんかうむりたうございます。」
「そりや、むしぢやい、幽靈いうれいさ。」

 平然へいぜんとしてかた毘舎闍びしやじやことばに、小僧こぞうはます/\逡巡しりごみして、とみにはこたへでざりき。小僧こぞういた因循いんじゆんなるに氣疾きばや毘舎闍びしやじや苛立いらだてり。

「えゝじれつてえ! 折角せつかくわたしるものを愚圖々々ぐづ/\してはないと、てめえはうつちまふぞ!」
「ひえゝ、ひます。いたゞきますよ。うも大變たいへんなことにつてたなあ。なんんだ幽靈いうれいでせう。傳染病うつりやまひぢやございますまいか。」と小僧こぞうすで泣聲なきごゑなり。鳩槃茶くはんだはらかゝへて、

なにかとおもへばわけもないことをやつだ。ひとんだのぢやい、幽靈いうれいといふのは五位鷺ゐさぎ吸物すひものだ。」
「五位鷺ゐさぎですとえ。ぢやあまあ人間にんげん御縁ごえんがあります。へいいたゞきませう。」
 小僧こぞうはやう/\人心地ひとごゝちせり。
 
うだそれならばはれよう。まだ亡者まうじやとなへて海豚いるか刺身さしみもある。」
 小僧こぞう正體しやうたいきてこゝろやすんじ、空腹すきはらのことなれば、 (亡者まうじや) と (幽靈いうれい) を多量たりやうしよくし、けばすな眠氣ねむけざしつ。朝來てうらい主人しゆじんのために散々さん/\使つかはれし疲勞ひらうもあり、こと角屋敷かどやしき戸口とぐちにて異形いぎやう怪物くわいぶつ抵觸つきあたられしをはじめとして、こゝろげきすることぎたれば、前後せんごわすれて坐睡ゐねむりはじめ、はてはころりと肱枕ひぢまくらして、ついぐつすりと熟寐うまいせり。

 かく幾時いくときたりけむ、小僧こぞうゆめやぶりしときは、おに夫婦ふうふかたへにあらで、酒肴しゆかう調度てうど片付かたづきたりき。

 小僧こぞう主家しゆかにありしときあさとはちがひ、ひておこされしにあらざれば、分明はつきりきたれども、こゝろなか夢路ゆめぢ辿たどれり。

生命いのちには別條べつでうしと、こゝで落着おちついて相談さうだんをせねばいかんよ。なあ長松ちやうまつ。」
「へい。」とみづから小聲こごゑこたへつゝ、くびすくめてしたき、

なん馬鹿々々ばか/\しい。えゝと、あゝして、あゝやつて、お汁粉しるこべたと、それはしで、それからあゝなると、あゝなつて、さうして、あゝして、それがむとちうへふわり。・・・・・てよ、此處こゝいらからあやしいんだ。 (ゆめゆめゆめる) ことがあるもんだつて番頭ばんとうさんがつたつけが、おらあ、いくつめのゆめだらう。 (ゆめゆめゆめるか) さあ、わからない。 (ゆめゆめゆめ・・・・・) えゝ、つまらない。こんなむづかしいことかんがへてると、ねむくなつて、またゆめだ。さう/\ゆめばかりちやあめない。なんでもいとして、こゝは何處どこだらう。めう薄暗うすぐらへんいへだ。」

 なほしきりにつぶらなるまなこをきよろつかせ、
「おつと、めう不思議ふしぎ奇代きたい素敵すてき面白おもしろいことがある。彼處あすこたなつてるなあ、昨夜ゆうべをすはうおにけてて、「おやき御新ごしんさん」の何時いつ何日いくか往生わうじやうするといふことをしらべた帳面ちやうめんだぜ。て/\、一つらう。玉乘たまのりたいものだが、あれと、大社おほやしろ縁結えんむすび帳面ちやうめんほどたいものはないよ。」

 と無遠慮ぶゑんりよなる長松ちやうまつきはめて秘密ひみつなるものならむとおもふにぞ。跫音あしおとぬすみておそる/\帳簿ちやうぼ取下とりおろし、手疾てばやひらきて一眼ひとめしが、にはか失望しつばうこゑげたり。

「あゝ! なさけない。こりやよわつたな。ちつともめない。みんなが (手習てならひをしろ/\) といふのを、 (へンならばろ、) なんてつて馬鹿ばかにしたが、あゝ! わるかつた。こゝでめようもんなら、番頭ばんとう佐兵衞さへゑ今日こんにち頓死とんしとやつてころりとさせてやらうものを。口惜くやしいな。てよ、一寸ちよつと天神樣てんじんさまにお汁粉しるこつてようからむ。」

 小僧こぞうは一めざれども、またと得難えがたたからなれば、未練みれんおこりててもならず。はじめよりをはりまで一一葉々々いちえふ/\丁寧ていねい繰返くりかへし、あなのあくまで視詰みつめつゝ、うつかりとするみゝつらぬき、
「きやつ!」とさけベる婦人をんなこゑせり。

 小僧こぞうおもはず飛上とびあがりて、
「ほう、吃驚びつくりした。見着みつけられると天窓あたまからしほだらう。」ともとところ帳簿ちやうぼをさめつ。みゝませば婦人をんな悲鳴ひめいしきりきこゆ。






 小僧こぞう婦人をんな泣聲なきごゑしたきて、とある板圍いたがこひ隙間すきまより、そのかたのぞきけるに、其處そこく、くさき、一めん砂原すなはらなるが、中央ちうあうに六しやくめんばかりのおほいなるあな穿うがちて、これをとなし、すみやまごとくに積上つみあげて、焔々えん/\おこし、牛頭ごづ馬頭めづおに大團扇おほうちはてはた/\と煽立あふぎたてつ。上座じやうざともゆるところに、一きやく鐵榻てつたふはいして、鳩槃茶くはんだそのつま毘舎闍びしやじやとゝもにり。

 此方こなたこぶほどのちひさいつのありて、いぬかは褌襠ふんどししたる、劣等れつとうおに兩個ふたりあり。左右さいうより無手むずと一妖艶えうえんなる婦人をんなとりしばりて、あららかに引立ひつたてなむとす。

 悲鳴ひめいぐるはこの婦人をんななり。すで奪衣婆だつえば剥取はぎとられぬとおぼしくて、こしのみぬのもておほへるが、たけなす黒髪くろかみおどろごとくはら/\と亂懸みだれかゝれるあひだよりほのかるゝかほ物凄ものすごきまであをざめたり。かれ全身ぜんしんゆきいま烈火れつくわうへかるゝならむ、かよわきかひなちからあしつちりつゝそのまゝつちおろして、一歩いつぽうごかじとぞもだゆるなる、その容貌ようばうたれなるかを、をのゝきながら小僧こぞうたり。はたせるかな、これ昨夜さくや風説うはさされしところ妬婦とふなりき。

 小僧こぞう呼吸いきひそめつゝ、一しゆ殘虐ざんぎやくなる演戯しばゐ見物けんぶつせり。かひなき婦人をんなちからにていかばかり抵抗ていかうするとも、いかんぞ渠等かれらてきすべき。もなくちう引立ひつたてられ、まさ火坑くわかうとうぜられむとしたりしとき突然とつぜん鳩槃茶くはんだげて、兩個ふたりおにせいめ、

て、て。」
てとは?」獄卒ごくそつあやしめり。鳩槃茶くはんだ弱々よわ/\しく、
あま可哀相かはいさうだ。塵芥ちりあくたではあるまいし。生身なまみ人間にんげん火責ひぜめにするなんて、そんな非道ひだうなことがあるものか。まあやめにしろ/\。」

 元來ぐわんらいものゝ憐愍あはれ側隱そくいんじやうなるものは、直立動物ちよくりつどうぶつ形造かたちづく分子ぷんしのうちにるものなれば、いかに殘忍ざんにんなるものといへども、衷心ちうしんてん慈悲じひきはあらざるべきも、渠等かれらおに社會しやくわいには寸毫すんがうもさせるかたむきのなきものなれば、ほとん豫想よさうにだもおよばざる鳩槃茶くはんだことばきて、雌鬼めおに毘舎闍びしやじやふにおよばず、一どうあきれしさまなりき。

 鳩槃茶くはんだ渠等かれらむかひて、憐愍あはれぷか老人らうじん口氣こうきび、
うぞ堪忍かんにんしてつてくれ、おらあもうういふものか、いぢらしくてこたへられねえ。」

「いぢらしいたなんのこつたい。」と毘舎闍びしやじやたまねて呻出うめきいだせり。

先刻さつきからいてりや、イヤあはれだの不便ふびんだのとおまへそりやほとけはうふこつた。馬鹿々々ばか/\しい!」
「さうでないことさ。ほとけだつてあながちうそばかりふでもない。たまにや感心かんしんなこともいふわな。」と生暖なまぬるきいひぶりなり。

「だつておまへ、それにしたところこの婦人をんな惡性者あくしやうもので、澤山たくさんをとこ玩弄おもちやにした淫婦ふんばりだといふぢやあないか。」
姉御あねご左樣さうだとも。」鬼等おにらこゑそろへてふ。鳩槃茶くはんだかうべり、

「うんにや、普通なみ人間にんげんより罪障ざいしやうふか女人をんなはなほ不便ふびんだ。つみつくつたやつおもへばおらあ可哀相かはいさうなみだる。」と眞實しんじつなみだながす、毘舎闍びしやじや癇癪かんしやくきばみ、

このおに串戯じようだんぢやないぜ。おまへ閻魔樣えんまさまからいひつかつて、地獄ぢごくから出張しゆつちやうして、最寄もより亡者まうじや此方こつち處分しよぷんをしようといふ、怪雲洞くわいうんどう主人あるじぢやないか。そんなことをつてむとおもふかい、ぜい六め。」

 鳩槃茶くはんだ投首なげくびして、
なんはれたつて仕方しかたい! 一極樂ごくらく宿替やどがへをしようからむ。」

姉御あねご親方おやかたちがつたんだ。」
さうしてや、へんなものをかぶつてらあ。」
 鬼等おにらさけべり。
 毘舎闍びしやじや氣着きづきぬ。

「うむ、さうへば、昨夜ゆうべかへつたまんまで、まだがねえ。なんでもこれをかぶつててから、しみつたれなことばつかしいふが、こりや一ばん穿鑿せんさくものだよ。おい、その頭巾づきんつてせな!」

「えゝ!」
 と鳩槃茶くはんだ顔色かほいろへて、毘舎闍びしやじやさへぎりぬ。

「おや! いよ/\あやしいぞ。みん一寸ちよつとしな。」
合點がつてんだい!」
「それ無暗むやみにひんめくれ。」

 ばら/\と立懸たちかゝれば、こはたまらじと掻潛かいくゞる、毛僧帽子もつそうばうし抜取ぬきとられて、鳩槃茶くはんだどうし、
「いやはや面目めんぼく次第しだいい。」と天窓あたまかゝへてうづくまる。

 そのつの坊主頭ばうずあたまに、左右さいうかこめる鬼等おにどもは、かほ見合みあはせて茫然ばうぜんたりき。





「あれ! あれ! ひどいことをあそばすよ。あれえ! だれくださいまし。」
 と泣聲なきごゑげてすくひぶに、女隱居をんないんきよあわしくかけく一には、おにつのひろひし老人らうじん肌脱はだぬぎになりてよめ胸倉むなぐらつてふくせ、片手かたててるさかづきさけそのくちそゝがむとして、くすり幼兒をさなごますときごと大騒おほさわぎをなしつゝありけり。

 女隱居をんないんきよおほいおどろき、 
酒狂しゆきやうにもこといて、お爺樣ぢいさんなにをなさる。」とあまりの所業しよげふ腹立はらだたしく、勃氣むきになりて極附きめつけたり。老人らうじん血走ちばしりたるまなこきてぎろりとにらみ、
婆々ばゞあまくではい。引込ひつこんでろ!」

「いゝえ、引込ひつこんぢやあられません。何處どこ何處いづくにかおまへさん、わか婦人をんなつかまへてさけをロくちなか注入つぎいれるなんて、狂氣きちがひみた眞似まねをするものがありませう。お對手あひてくてさみしければ、せがれなり、わたしなり、いくらもお對手あひてをしようではいか。ほんに/\本氣ほんき沙汰さたとはおもはれません。」

 たゝみたゝきて詰寄つめよりぬ。老人らうじんつてもけず、
おれのしたいことをおれがするに、たれ遠慮ゑんりよるもんだ。なにさけ對手あひてをさせようといふのでない、世話せわかずと引退ひつさがれ。ちとおもはくのあることだ。」
 
そのおもはくきませう。」と老婆らうばひらなほりて、
「お前樣まへさんよめどのは九月こゝのつき病人びやうにんだよ。手荒てあらいことをして、もしひよつと仕損しそこなひがあつたらうなさる。ちやつと其處こゝをお退きなさい。」と老人らうじん押退おしのくれば、よめ這々はふ/\擦抜すりぬけて、きながら遁出にげだしたり。老人らうじん突立つゝたちて、
「やい、て! ようがある。おのれ、しうとのふことをきかないか。」

 追懸おひかくるを懸隔かけへだてゝ、あらそ老婆らうば突飛つきとばし、血相けつさうへて躍出をどりいづるを、
「まあ/\/\、したください、これ父樣おとつさん。」

 此時このとき馳來はせきたれる若主人わかしゆじん戸口とぐちにてそのちゝなる老人らうじん抑留よくりうし、からうじてじゆかしめ、
「もし、うしたものでございます。母樣おつかさんこりやまあうしたことで。」
 と老婆らうばかたかへりみたり。老婆らうば此方こなた向直むきなほり、

「おゝ、せがれか、ところてくれた。」とそのでうかたるをきて、若主人わかしゆじんまゆひそめ、
おどろきますな、んだことをなさいます。」
ぶもばぬもおまへつかまへどころのある所業わざぢやないわね。」
「さればですな。病人びやうにんよめつかまへて、押伏おしふせて、咽口のどくちつてさけなんざ、おはなしになりません。」

 二人ふたりしきり非難ひなんするを、空耳そらみゝはしらせてかざるさまよそほへる老人らうじんは、此時このとき不意ふいに一くわつせり。

だまれ! だまれ! きさまがそんなことをしやベるくちもとおれこしらへてつたのだ。おれといふものが、もしさ、此己このおれといふものがらなかつたとかりおもつてろ。きさまといふものが此世このよようはずのない理屈りくつだ。なあしか、すできさまがなかつたものとしてれば、よめなにもあるもんぢやあい。身體からだこしらへてもらつたれいとして、よめおれれろ。なん異存いぞんはあるまいな。」

父樣おとつさんなにをおつしやるやら、とかく御酒ごしゆうへでございませう、はゝゝゝ。」と若主人わかしゆじんわらひまぎらす。しかるに老人らうじん生眞面目きまじめなり。

「おのれ! さけうへだなんぞと、わるおれ嘲弄てうらうしやあがる、串戯じようだんではけつしていぞ。」
さうしてまたせがれよめなんになさる。」老媼おうなかたはらよりへり。

「うむ、なんにしようと、にしようと、もらつたうへおれ勝手かつてだ。」
「いえさ。」と老婆らうば推返おしかへして、
無暗むやみさけまさうとして、おもはくがあるとおつしやつたが、さあ、ういふおもはくか、それかせて。」と詰寄つめよれり。

 老人らうじんすまみ、
「なにも、高價たかいさけ醉狂すゐきやう振舞ふるまわけはない。一寸ちよつと酒汐さかしほあぢをつける目算つもりさな。」と眞顔まがほにてふ。

「おや。酒汐さかしほあぢをつける。せがれや、なんのことだらうの。」
「へい、奇代きたいなことをおつしやいますが、父樣おとつさんなにでございますえ。」
 母子おやこ老人らうじんみまもりぬ。

なにをつて、よめをよ。」
「えゝ!」
彼奴あいつ、むつちりして何樣どんなにかうまからう。」
 と老人らうじんはやしたなめずり。






「あゝ、おなさけない父樣おとつさ左樣さやうなことをおつしやるのは果然まつたく御病氣ごびやうきせゐでございます。何卒どうぞとつくりおこゝろ落着おちつきなすつて、おくすり召上めしあがつてくださいまし。此間このあひだから些少宛ちつとづゝ御樣子ごやうすへんでございますので、種々いろ/\くすり差上さしあげましても、さらにおもちゐございませんが、それではおわるうございます、え、もし父樣おとつさん。」と愁然しうぜんたり。老人らうじん無頓着むとんぢやく

くすりしなつちやあまんでもいが、葛根湯かつこんたうやなんか元伯げんばく調合てうがふぢやあえの。」

「ではまあ何樣どんなくすりいのだえ。」
老年としよりくすりには、蝦蟆がま精血せいけつが一ばんいて。」
「え、なに、蝦蟆がま精血せいけつ!」と母子おやこ吃驚びつくり
「むゝ蝦蟆がま精血せいけつかぎる。せがれや、早速さつそくませてくれ。」

 若主人わかしゆじんこうて、
御無理ごむりばつかりおつしやります。今時いまどき何處どこ蝦蟆がまが・・・・・いえさ、あつたにしたところで、ひとむものでございますか。」
れたことだ。人間にんげんやう不味物まづいものめるかい。」
「あれですもの、母樣おつかさん。」
「おいなう。」と母子おやこかほ見合みあはせぬ。
「おい、早速さつそくながら蝦蟇がま精血せいけつ有附ありつきたいな。」
 若主人わかしゆじん益々ます/\きうし、
此節このせつ蝦蟆がまりますものか。あま御無理ごむりでございます。」
「だからよ、しひくすりませろとははん。よめれりやそれいのだ。」
嫁御よめごきてりますわね。」

 老人らうじん冷笑あざわらひ、
んではまるつきりあぢかはる。なにがなし、きてるやつ引裂ひつさいて、手足てあしをばら/\にする。いか、しりにく刺身さしみにして、心臟しんざう打懸ぶつかける。あとは啖物すひものよ。ほねたゝきにしてもり/\とお茶請ちやううけだ。ところ生肝いきぎも甘煮うまにになる。臟腑ざうふはぶつ/\ぎりにして腦味噌なうみそあへやつさ。こゝにもつとおれけるのはあれのはらんで嬰兒あかんぽで、こいつ附燒つけやきにして天窓あたまからむ。まあんなにかうまいだらう。」 と言懸いひかけてよだれながしぬ。

 若主人わかしゆじんあをくなれり。老婆らうばこゑふるはせて、
「えゝ、もうなん因果いんぐわ此樣こんなおそろしいことをくことだ。ほんに/\むしころさぬほとけやうひとだつけが・・・・・」

 みなまではせずせゝらわらひ、
けがらはしい、うそにもほとけなんていつてくれめえ。しやくさはる。」
 とうそぶけり。

 老婆らうばむねゑて擦寄すりよせ、
らざる長生ながいきをするからおこつて、くまいこともいたり、まいこともたりします。わたしはもう此世このよ愛想あいそきた。あの可愛かはい嫁殿よめどのゆびぽんでもされようか。ちやつとおあがりなさい、よめのかはりにわたしはつしやれ。さあ、喰附くらひつけ、覺悟かくごした!」

「なに、わたしへだ、おしつよい。脂肪氣あぶらつけなんにもない、まるで金魚麩きんぎよぶやうなものだ。薄汚うすぎたねえ。」
 かつぶとたん吐懸はきかくる、狼籍らうぜきすで人列じんれつほかにあり。

あんまりだ/\、父上おとつさんあんまりだ。とても本氣ほんき沙汰さたではあるまい。みせもの使つかひけばさむからうといつては御自分ごじぷん炬燵こたつにあたらせておりなさる。老人らうじんはやきてはわかものねむからうと無理むり御寝げしなつてらつしやる、といつたやう父上おとうさんが、たれうらみなんばつで、あさましい。折角せつかく御丹精ごたんせいあそばしたうち暖簾のれんきずく。貴父あなたはぢおもひますから番頭ばんとうはじみせもの親類しんるゐ不殘のこらずかくしてれば相談さうだんもならず。一たい節分せつぶんばんかへりなされてからきふにをかしくなんなすつたは、大方おほかたみちでひよんなことがあつたのでもあらうかと、推量すゐりやうをするばかり。お陪從ともをさした小僧こぞうれば、些少ちつとはあたりもかうとおもへど、あれそれツきり行方ゆくへれず、なにうしていのやら、ほとん途方とはうれまする。」ちゝへの意見いけんはゝへの繰言くりごとおの愚癡ぐちさへ取交とりまぜて若主人わかしゆじんつぶやきつ。れば老人らうじん足踏あしふみのば仰樣のけざま踏反ふんぞりて、鼾聲かんせいらいごとくなり。若主人わかしゆじん歎息たんそくして、
母樣おつかさん。」とそのかたはら差俯向さしうつむけるそでく。

「おいよ。」と老婆らうば振返ふりかへる。
母樣おつかさん。」
せがれや。」
よわつたことになりましたな。」
なんとかよめとも相談さうだんして。」
方法かたけねばなりますまい。」

 さまさしては面倒めんだうと、ぬきあししてしので、よめ居室ゐまいたれば、衣類いるゐ調度てうど取散とりちらして、おや/\おや! よめく/\落支度おちじたく





十一


 若主人わかしゆじんあわてゝよめたもとひかへ、
「これ/\おはなまへこりや何處どこく。」とおろ/\ごゑなり。よめはなくれなゐ襦袢じゆばんそで噛切かみしめながら、
何處どこへもきはいたしません。お父樣とつさんのおのぞみならわたしころされてもいけれど、おなかまでおそろしい附燒つけやきにされては可哀相かはいさうでございますから、みませぬが暫時しばらく實家さとまゐります。何卒どうぞ堪忍かんにんしてくださいまし。そのかはりふたつになりますれば、かへつてて、なますにでも刺身さしみにでもなりませうと、覺悟かくごしてりまする。」とわつとばかりに泣出なきいだせり。
 若主人わかしゆじん貰泣もらひなきして、
「おゝ、それではのこらずいてたか。」
「あい、心許こゝろもとなさに竊聽たちぎきしてわたし酒汐さかしほまされたことも、手足てあしをばら/\にされることも、もう、とつくぞんじてりますよ。」
「やれ勿體もつたいない。爺樣ぢいさんふことかうなどと、うそにもつておくれでは、かへつてばちがあたります。はやくおさとげておくれ。おまへさだめし愛想あいそつかして、またかへつててはくれまいけれど、たのしみにして初孫うひまごかほだけは、これぢや、をがみます。そつとせてくだされや。」と打合うちあはせて老婆らうばく。若主人わかしゆじんさへぎりて、
「しかし母樣おつかさんいまよめかへりますと、さとをはじめあやしんで何故なぜといふうたがひをおこしませう。すればかくすにもかくされず、けてはねばなりませぬ。狂氣きちがひおほいけれど、何處どこ人間にんげんはうといふおそろしいのがありませう。わたくしうしても父樣おとつさんはぢひとらしたうございません。これおはな、まさかおまへきながら肉俎まないたうへせるやうなこともせまいから、我慢がまんしてかずにれ。わたしが一しやうたのみぢやほどに、肯分きゝわけてくれまいか。」とねつなみだそゝぎける。よめもよもあられぬおもひきつこころさだめたり。
はいよろしうございます。貴下あなたさへ御承知ごしようちなら、なん生命いのちをしみませう。さとまゐるとまをしたのも、おなか大切たいせつに、おもうたゆゑ、わたしまんが一ぶつ/\ぎりになりましても、ちつともいとひはいたしませぬ。」といといさぎよ言放いひはなちぬ。
 
「おゝ、よくいつてくれたぞ。」としうとめよめすがれり。
「これで一ぱう片附かたついたが、さてこまるのは父樣おとつさん容體やうだいぢや。」
 息子むすこ思案しあん腕拱うでこまぬく。
「もし、貴下あなたなんとかしやうはございませぬか。」
「さればさなう。」  と三にんひとしくかうべをうなだれて、暫時しばらく言途絶ことばとだえたるときしもしんけて、丑三うしみつかねかすかきこえ、さむさ、さびしさ、みて、鬼氣きゝ陰々いん/\ひとせまるに、一おもはず慄然ぞつとする、天井てんじやうはうにてくす/\わらひ婀呀あなやればひとく、たゞこゑばかりきこえつゝ、
「はゝゝゝ、へい、旦那だんな今晩こんばんは。御新姐樣ごしんぞさま、おさむうござい。はゝゝゝ、御隱居樣ごいんきよさま御機嫌ごきげんよろしうツ。」
「あれえ!」
「おや!」
 よめ老婆らうばあをくなりぬ。
だれだ。」
「へい、御存ごぞんじの長松ちやうまつで。」
「なに、長松ちやうまつだ。をかしなやつだな、何處どこる/\?」
 若主人わかしゆじんはあたりをきよろ/\。
旦那だんな此處こゝますよ。此處こゝに/\、はゝゝゝ。」小僧こぞう破風口はふぐちよりかほいだして、「あばツ」





十二


 小僧こぞうは三にんおどろかせり。
 三にんじつおどろきたり。おどろきたる三にんかたはら小僧こぞう身輕みがる飜然ひらりりて、主人あるじまへかしこまりぬ。

「へい、多日しばらく御不沙汰ごぶさたいたしました。」
御不沙汰ごぶさたいものだ。きさまたいいままで何處どこを・・・・・」
 若主人わかしゆじん語末ことばいまなかばならざるに小僧こぞうきふさへぎりたり。

いえ旦那だんな。 (いままで何處どこを) なんてわたくししかつていらつしやるひまはありませんよ。へい、おどろいちやあ不可いけません。」

 これより小僧こぞうかねてのお饒舌しやべり〓懸しんにうかけたる疾口はやくちにて、お汁粉しるこ以來いらい怪談くわいだんをさら/\と物語ものがたりり、

「でね、旦那だんなわたしおもはず噴出ふきだしました。やつ天窓あたまかゝへて悄氣しよげかへつたその風采ふうつきツちやあないんですもの。

 へい、つのおにはじめてましたね。ところわらつたのをいたとえて、 (や、人間にんげんこゑがする) と、青鬼あをおにんでて、わたし掴出つかみだします。一ばうぢやめすおにが、 (つの何處どこうしてた) つて おすはう小突こづきまはすと、其奴そいつがいふにやあ、 (つい節分せつぶんまめめんくらつて、遁出にげだ機會はずみに、この小僧こぞう抵觸つきあた拍子ひやうしおつことしたのだ) とわたくしゆびさして、 (これの主人しゆじんえる老年としよりられた、) といひました。もし、旦那だんな御隱居樣ごいんきよさまおにつのをおひろひなすつたといふのですが、そんなものをつていらつしやいますか。へい、へい、成程なるほどはあ、邪慳じやけん非道ひだうなことを。へい、いやそりやきつそのせゐでせう。ですもの、つのおとしたおにはうは、無暗むやみあはれつぼくなつてまさあ。ところ鬼等おにどもつて、かゝつて、 (そいつは異事ことだ、はや取返とりかへさねば、不可いけない) つてせつゝいてね、たうとう赤鬼あかおに納得なつとくさして、其處そこわたし案内者あんないしやにして、暗雲やみくも御家おうちまでかけけてました。するとれひ赤鬼あかおにが、 (こんななり不意ふい推込おしこんぢや、家内かないもの吃驚びつくりしてでもまはすとどくだつて、) 何處どこまでもやさしいね。ほか奴等やつらが、 (なにかまふものか) といふのを無理むりひかへさして、わたくし先觸さきぶれ一寸ちよつと御案内ごあんない寄越よこしました。はや何處どこかへおげなさい。いまにも飛込とびこんでまゐりますぜ。わたくし御免蒙ごめんかうむりましておさきげます。またへび雷干かみなりぼしなんて、亂暴らんばうなものをされると大變たいへんだ。誰方どなたもおはやく。」  とひもあへず、しり引〓ひつから遁出にげだしたり。

 三にんはなほ半信はんしん半疑はんぎあひだまよひて、げむともせで猶豫ためらうちなまぐさなまぐさ}かぜぢん破風口はふぐちるよとえし、鳩槃茶くはんだ牛頭ごづ馬頭めづおにしたがへて、にはか姿すがたあらはせり。

 これにぞ婀呀あなやおどろきて、けつ、まろびつ、げんとする、いとさわがしき物音ものおとに、おくなる老人らうじんさまし、
「ばた/\する! ばた/\する!! ばた/\する!!! おのれ! よめがすんだな。」

 ふよりはやをどいでたり。母子おやこすでにげたれども、身重みおもなるよめはしることこゝろまかせず、をのみあせりて這擦廻はひずりまはるを、老人らうじん目疾めばや見着みつけ、矢庭やには髷髮たぶさ無手むずつかみて、ちう突立つゝたところを、おにどもははや押取卷おつとりまき、

「やい老耄おいぼれ鳩槃茶くはんだつのかへせ。」
いやだといふが最後さいごだぞ。」
 鐵棒てつばう突立つきたてゝ牛頭ごづ馬頭めづとがよばはりたり。老人らうじん怯氣びくともせず、冷笑あざわらひてよめゆびさし、

おらあこれのしうとなら、汝等うぬらは千びきところでたかゞ小姑こじうと分際ぷんざいだ。なに猪口才ちよこざいな、一たん寶物たからもの舎利しやりになつてもわたすものか。ならば腕盡うでづくつてろ。」

問答もんだふ無益むやくだ!」
遣附やつゝけろ。」
 鐵棒てつばう取伸とりの身構みがまふれば、老人らうじんさわげるいろなく、しづか懷中くわいちう掻探かいさぐり、くだんたから取出とりいだして、
きんつのだぞ。」

 牛頭ごづ馬頭めづ逡巡しりごみせり。けだきんつの渠等かれらたいして、おほいなる位階ゐかいと、勢力せいりょくとをたもてばなり。

きんつのだぞ。」老人らうじんふたたいはへり。
 渠等かれらは一どう平伏へいふくせり。

 老人らうじん得意とくいになりつ。繰返くりかへしてまたさけびぬ。
きんつのだそ。やい! たけえ。」

 彼等かれら頓首とんしゆ再拝さいはいせり。これを老人らうじんはにこやかに、
「うゝ、し、し、汝達きさまたち折角せつかく娑婆しやばたものだ、むざ/\とももどされまい、此奴こいつすこづゝむしつてけてらう。」
 ととらへたるよめはな正體しやうたいきを差示さししめしぬ。

「へい、難有ありがたぞんじます。」
たばかりでもはしる。御馳走樣ごちそうさまでござります。」
 牛頭ごづ馬頭めづとは恐悦きようえつす。

 鳩槃茶くはんだ悄然せうぜん片隅かたすみたゞずみしが、いま老人らうじんよめつかみて、あしよりかむとするをるより、あわてゝこれを押留おしとめたり。

んだことをなされます。つみいお嫁御よめご滅相めつさうな、お土産みやげなんぞいりますものか。」
「でも己等おいらつちほしいんだい。」とかたはらより牛頭ごづさけべり。

 鳩槃茶くはんだこゑいかりびて、
ひかへろ!」
 と一くわつせしが、きんつのたざれば、すこしも渠等かれらするをざりき。

 馬頭めづ輕侮けいぷいろあらはし、
「おまへいまぢやなんにもならない。御隱居樣ごいんきよさまたのもしいや。」
「あゝ!是非ぜひい。」鳩槃茶くはんだ悄然せうぜんたり。

 老人らうじん委細いさいかまはず、あはや犠牲いけにへほふらむとするとき後馳おくればせなる雌鬼めおに毘舎闍びしやじやくもみて忽然こつぜんあらはれつ。

おのれ! 老耄おいぼれ良人をつとつのかへさぬか。阿修羅王あしゆらわうより借請かりうけたこのつるぎかへせとあるぞ。」

 玉散たまちつるぎひたひかざし、星眼せいがんするどくはつたとにらめば、さすが魔王まわうおそれて、老人らうじん打戰うちわなゝき、ちもせず膝行しつかうして、つの鳩槃茶くはんだかへしける。鳩槃茶くはんだうや/\しくそのつのを三いたゞき、一たび天窓あたまかうむれば、こゝにふたゝそなはりたる、夜叉やしや形相凄ぎやうさうすさまじき鳩槃茶くはんだにはか氣色けしきへ、ぎんひげうごめかし、きんまなこいからして、朱盆しゆばんごとくちき、
無禮ぶれい至極しごく人非人にんびにん餌食ゑじきにして腹癒はらいせせうにも、木葉こつばやうおのれにくは、くちれるも氣味きみわるい。そのかはりによめふぞ!」とほのほごとしたく。

「やれかなしや。」と老人らうじん投出なげいだしてよめかばひぬ。

 よ、老人らうじんその本性ほんしやう歸着きちやくせしは、おにつのてしにるを。こゝにふでさしおきて、そゞろ亂神らんしんけるをしやす。幼年諸子えうねんしよし諸子しよしまた讀過どくくわぺんのちは、このおにつの匝底かふていてゝ、さら机上きじやう經典バイブルひもどけ。





                 【完】






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