眉かくしの靈

泉鏡花


 木曾きそ街道かいだう奈良井ならゐえきは、中央ちうあうせん起點きてん飯田いひだばしより一五八マイル海抜かいばつ三二〇〇しやく、と言出いひだすより、ひざ栗毛くりげおもはう手取てつとりばや行旅かうりよじやうもよほさせる。

 こゝは彌次郎兵衞やじろべゑ喜多きだ八が、とぼ/\と鳥居とりゐたうげすと、西にしやまかたむきければ、兩側りやうがは旅籠はたごより、をんなども立出たちいでゝ、もし/\おとまりぢやござんしないか、お風呂ふろいてづにおとまりな/\ーー喜多きだ八が、まだすこはやいけれどーー彌次郎やじらう、もうとまつてもよからう、なうねえさんーーをんな、おとまりなさんし、お夜食やしよくはおまんまでも、蕎麥そばでも、お蕎麥そばでよかあ、おはたごやすくしてげませづ。彌次郎やじらう、いかさま、やすはうがいゝ、蕎麥そばでいくらだ。をんな、はい、お蕎麥そばなら百十六もんでござんさあ。二人ふたり旅銀りよぎんとぼしさに、そんならうとめてとまつて、からあがると、その約束やくそく蕎麥そばる。早速さつそくにくひかゝつて、喜多きだ八、こつちのはうでは蕎麥そばはいゝが、したぢがわるいにはあやまる。彌次郎やじらう、そのかはりにお給仕きふじがうつくしいからいゝ、なうねえさん、と洒落しやれかゝつて、もう一ぱいくんねえ。をんな、もうお蕎麥そばはそれりでござんさあ。彌次郎やじらう、なに、もうねえのか、たつた二ぜんづゝつたものを、つまらねえ、これぢやあひたりねえ。喜多きだ八、はたごがやすいもすさまじい。二はいばかりつてられるものか。彌次郎やじらう・・・・・馬鹿ばかなつらな、ぜにすからめしをくんねえ。・・・・・無慙むざんや、なけなしの懷中ふところを、けつく蕎麥そばだけ餘計よけいにつかはされて悄氣しよげかへる。その故郷こきやう江戸えど箪笥たんすまち引出ひきだ横町よこちやう取手とつて鐶兵衞くわんべゑとて、工面くめんのいゝ馴染なじみつて、ふもとの山寺やまでらまうでゝ鹿しか鳴聲なきごゑいたところ‥‥‥

 ・・・・・とおもふと、ふと此處こゝとまりたくつた。停車ていりうぢやうを、もう汽車きしやようとする間際まぎはだつたとふのである。 の、筆者ひつしやともさかひ贊吉さんきちは、じつつたかづら木曾きそ棧橋かけはし寐覺ねざめとこなどを見物けんぶつのつもりで、上松あげまつまでの切符きつぶつてた。霜月しもつきなかばであつた。
「・・・・・しかも、その (蕎麥そばぜん) には不思議ふしぎえんがありましたよ・・・・・」
 と、さかひはなしたーー

 昨夜さくや松本まつもとで一ばくした。御存ごぞんじのとほり、せん汽車きしや鹽尻しほじりから分岐點のりかへで、東京とうきやうから上松あげまつくものが、松本まつもととまつたのはめうである。もつとも、松本まつもとようがあつて立寄たちよつたのだとへば、それまでゞざつむ。が、それだと、しめくゝりがゆるんで辻褄つじつまはない。なに穿鑿せんさくをするのではないけれど、じつ日數につすうすくないのに、汽車きしやあそびをむさぼつた旅行たびで、行途ゆき上野うへのから高崎たかさき妙義山めうぎさんつゝ、横川よこがはくまひら淺間あさまながめ、輕井澤かるゐざは追分おひわけをすぎ、しのせん乘替のりかへて、姨捨うばすて田毎たごとまどからのぞいて、とまりは其處そこ松本まつもと豫定よていであつた。その松本まつもとには「いゝむすめ旅館りよくわんがあります。懇意こんいですから紹介せうかいをしませう」と、のきこえた寶家たからやそへ手紙てがみをしてくれた。・・・・・よせばいゝのに、昨夜さくやその旅館りよくわんにつくと、成程なるほど帳場ちやうばにはそれらしい束髮そくはつをんな一人ひとりえたが、座敷ざしき案内あんないしたのは無論むろん女中ぢよちうで。・・・・・さてその紹介せうかいじやうわたしたけれども、むすめなんぞつてもかない、・・・・・ばかりでない。霜夜しもよに、だしがらの生温なまぬる澁茶しぶちや杯汲ばいくんだきりで、お夜食やしよくともおまんまとも言出いひださぬ。座敷ざしき立派りつばたく紫檀したんだ。火鉢ひばちふとい。がはぽつちり。で、はひしろいのにもかみついて、なにしろあたゝかいものでお銚子てうしをとふと、板前いたまへいてしまひました、なんにも出來できませんと、女中ねえさん素氣そつけなさ。さむさはさむし、成程なるほどいたやうな、家中かちう寂寞ひつそりとはしてたが、まだ十一時前じまへである・・・・・さけだけなりと、たのむと、お生憎あいにくさけはないのか、ござりません。ぢや、麥酒びいるでも。それもお毒樣どくさまだとふ。ねえさん、・・・・・さかひ少々せう/\居直ゐなほつて、何處どこ近所きんじよから取寄とりよせてもらいへまいか。へいもうおそうござりますで、飲食いんしよくてんましたでな・・・・・飲食いんしよくてんだとやあがる。はてな、停車ていしやぢやうから、ふるへながらくるま途中とちう、ついちかまはりに、つめたおとして、かはながれて、はしがかゝつて、兩側りやうがは遊廓いうくわくらしいいへならんで、ちやめしのあか行燈あんどんもふはりとまへにちらつくのにーーあゝ、うとつたら輕井澤かるゐざはつた二合罎がふびんを、次郎じちうどのゝいぬではないが、みななめてしまふのではなかつたものを。おほ歎息ためいきとともに空腹すきばらをぐうとらして可哀あはれこゑで、ねえさん、うすると、さけもなし、麥酒びいるもなし、さかなもなし・・・・・おまんまは。いえさ、今晩こんばん旅籠はたごめしは。へい、それがひませんので・・・・・いたあとなもんでなあーーなんうらみらないが、ると冷遇れいぐう通越とほりこして奇怪きつくわいである。なまじ紹介せうかいじやうがあるだけに、喧嘩けんくわづらで、宿やどへるともはれない。前世ぜんせごふ斷念あきらめて、せめて近所きんじよで、蕎麥そば饂飩うどん都合つがふるまいか、とおそる/\申出まをしでると、饂飩うどんならいてませう。あゝ、それを二ぜんたのみます。女中ぢよちう遁腰にげごしのもつたてじりで、敷居しきゐ半分はんぶんだけ突込つきこんでひざを、ぬいとつこいて不精ぶしやうく。

 こと少時しばらくして、ぼん突出つきだしたやつると、どんぶりたつひとつ。はらいたかなしさに、ねえさん二ぜんとたのんだのだが。となじるやうにふと、へい、二ぜんぶん装込もりこんでございますで。いや、あひわかりました。うぞおかまひなく、お引取ひきとりを、とふまでもなし・・・・・ついとしりせて、すた/\と廊下らうかくのを、繼兒まゝつこのやうなつきでながら、抱込だきこむばかりにふたると、成程なるほど、二ぜんもりみだけにしたぢがぽつちり、饂飩うどんしろかわいてた。

 旅館りよくわんが、秋葉あきばやま尺坊じやくぼうが、飯綱いひづな權現ごんげんへ、きやくたちものヽヽヽヽにしたところ打撞ぶつかつたのであらう、くよりわらひだ。

 その・・・・・饂飩うどん二ぜんの昨夜さくやを、むかし彌次郎やじらう喜多きだ八が、ゆふべ旅籠はたご蕎麥そば二ぜんにおもくらべた。いさゝ仰山ぎやうさんだが、不思議ふしぎえんふのはこれでーーきふ奈良井ならゐとまつてたくつたのである。

 あしも木曾きそやまかたむいた。宿しゆくにはひと時雨しぐれさつとかゝつた。

 あめぐらゐの用意よういはしてる。驛前えきまへくるま便たよらないで、洋傘かささびしくしのいで、鴨居かもゐくらのきづたひに、いしごろみち辿たどりながら、度胸どきようゑたぞ。つてい、蕎麥そばぜん、で、咋夜ゆうべ饂飩うどん暗討やみうちだ、ーー今宵こよひ蕎麥そばのぞところだ。たびのあはれをあぢははうと、硝子がらすばり旅館りよくわん一二けんを、わざけて、のきやま駕籠かご干菜ひばつるし、土間どまかまどで、割木わりぎく、わびしさうな旅籠はたごからすのやうに覗込のぞきこみ、くろ外套ぐわいたうで、御免ごめんと、はひると、頬冠ほゝかむりをした親父おやじかまどしたいてる。かまちがだゞぴろく、おほきく、すゝけた天井てんじやう八間行燈はちけんかゝつたのは、やま駕籠かごつゐ註文ちうもんどほり。階子はしごしたくら帳場ちやうばに、坊主ばうずあたま番頭ばんとう面白おもしろい。

らつぜえ。」
 蕎麥そばぜん蕎麥そばぜんと、さかひ覺悟かくごまへへ、身輕みがるにひよいとて、慇懃いんぎん會釋ゑしやくをされたのは、燒麩やきふだとおもふ (しつぼく) の加料かやく蒲鉾かまぼこだつたやうながした。

「お客樣きやくさまだよーーつるの三ばん。」
 女中ぢよちうも、服装みなり木綿もめんだが、前垂まへだれがけの薩張さつぱりした、年紀としすくな色白いろじろなのが、まど欄干らんかんのぞく、まつなかを、攀上よぢのぼるやうに三がい案内あんないした。十疊數でふじき。・・・・・はしら天井てんじやう丈夫ぢやうぶぶづくりで、とこあつらへにもいさゝかの厭味いやみがない、玄關げんくわんつきとはもつかない、しつかりした屋臺やたいである。

 しき蒲團ぶとん綿わたあたゝかに、くまかは見事みごとなのがいてあるは。はゝあ、ひざ栗毛くりげ時代じだいに、峠路たうげみちつてた、さるはらごもり、大蛇おろちきもけものかはふのはれだ、と滑稽おどけ殿樣とのさまつてくだんくまかは着座ちやくざおよぶと、すぐに臺十能だいじふれて女中ねえさんがあが つてて、惜氣をしげもなくあかおほ火鉢ひばちぶちまけたが、また夥多おびたゞしい。あをさきが、堅炭かたずみからんで、眞赤まつかおこつて、まど沁入しみい山颪やまおろしさつえる。三がいいきほひは、おほ地震ぢしんのあとでは、まをすのもはゞかりあるばかりである。

 にもはひつた。

 さてぜんだが、ーー蝶脚てふあしうへ ると、蕎麥そばあつかひにしたは氣恥きはづかしい。わらさ、、、照燒てりやきはとにかくとして、ふつとけむり厚燒あつやき玉子たまごに、わん眞自まつしろはんペんのくずかけ。さらについたのは、のあたりで佳品かひんく、つぐみを、なんと、かしら猪口ちよくに、またをふつくり、むねひらいて、五ほとんど丸燒まるやきにしてかんばしくつけてあつた。

難有ありがたい、・・・・・じつ難有ありがたい。」
 さかひは、女中ぢよちうれないつきの、それうれしい・・・・・しやくをしてもらひながら、くまつて、仙人せんにん馳走ちそうるやうに、慇懃いんぎんれいつた。
「これはたいした馳走ちそうですな。・・・・・じつ難有ありがたい・・・・・まつたれいひたいなあ。」

 心底しんそこことである。はぐらかすとは樣子やうすにもえないから、わか女中ぢよちうもかけひきなしに、
旦那だんなさん、おりましてうれしうございますわ。さあ、もうお一つ。」
頂戴ちやうだいしよう。かさねて頂戴ちやうだいしよう。ときねえさん、うへのおねがひだがね、・・・・・うだらう、つぐみべつもらつて、此處こゝなべけて、ながらべるとふわけにはくまいか。つくぐみはまだいくらもあるかい。」
「えゝ、ざるに三ばいもございます。まだ臺所だいどころはしらにもたばにしてかゝつてります。」
「そいつは豪氣がうぎだ。すこ餘分よぶんもらひたい、此處こゝるやうに・・・・・いかい。」
「はい、まをします。」
次手ついでにお銚子てうしを。がいゝからそばくだけでもめはしない。・・・・・かよひがとほくつてどくだ。三ぼんばかり一つておいで。・・・・・うだい。岩見いはみ重太郎ぢうたらう註文ちうもんをするやうだらう。」
「おほゝ。」

 今朝けさ松本まつもとで、かほあらつた水瓶みづがめみづとゝもに、むねこほりとざされたから、なんかんがへもつかなかつた。こゝであたゝかにこころけると、・・・・・わかつた、饂飩うどん虐待ぎやくたいした理由わけふのがーー紹介状せうかいじやうをつけた畫伯ぐわはくは、近頃ちかごろでこそ一をなしたが、わかくて放浪はうらうした時代じだい信州路しんしうぢ經歴たどつて、その旅館りよくわんには五つきあまりも閉籠とぢこもつた。とゞこほ旅籠代はたごだい催促さいそくもせず、歸途かへりには草鞋わらぢせんまで心着こゝろづけた深切しんせつうちだとつた。が、あゝ、それだ。・・・・・おなじひと紹介せうかいだから旅籠はたごだいとゞこほらして、草鞋わらぢせんもらふのだとおもつたにちがひない。・・・・・

「えゝ、これは、お客樣きやくさま、お粗末そまつことでして。」
 とこん鯉口こひぐちに、おなじ幅廣はゞびろ前掛まへかけした、せた、いろのやゝ青黒あをぐろい、陰氣いんきだが律儀りちぎらしい、まだ三十六七ぐらゐな、五分刈ぶがりおとこ丁寧ていねい襖際ふすまぎはかしこまつた。

ういたして、・・・・・まこと馳走ちそうさま。・・・・・番頭ばんとうさんですか。」
「いえ、當家たうけ料理れうりにんにございますが、いたつて不束ふつゝかでございまして。・・・・・それに、やうな山家やまが邊鄙へんぴで、一かうくちひますものもございませんで。」
んでもないこと。」
「つきまして、・・・・・唯今たゞいまをんなどもまでおつしやりつけでございましたが、つぐみを、貴方あなたさまなになべでめしあがりたいといふおことばで、如何いかやうにいたして差上さしあげませうやら、みぎをんなどもも矢張やは田舎ゐなかものゝことでございますで、よくおことばがのみめかねます。ゆゑに失禮しつれいではございますが、一寸ちよいとうかゞひにましてございますが。」

 さかひすくなからずめんくらつた。
「そいつはうも恐縮きようしゆくです。遠方ゑんぱうところを。」
 とうつかつた。・・・・・
串戯じやうだんのやうですが、まつたく三がいまで。」
つかまつりまして。」
「まあ、此方こちらへーーおいそがしいんですか。」
「いえ、おぜんは、差上さしあげました。それが、お客樣きやくさまも、貴方あなたさまのほか、お二組ふたくみぐらゐよりございません。」
「では、まあ此方こちらへ。さあ、ずつと。」
「はツ、うも。」
失禮しつれいをするかもれないが、まあ、一杯ひとつ。あゝ、ーー丁度ちやうど銚子てうした。女中ねえさん、おしやくをしてあげてください。」
「は、いえ、手前てまへ調法てうはふで。」
「まあ/\一杯ひとつよわつたな、うも、つぐみなべでとつて、・・・・・なんですよ。」
旦那だんなさま帳場ちやうばでも、あの、まをしてりますの。つぐみいてめしあがるのが一ばんおいしいんでございますつて。」
「おぜんにもつけて差上さしあげましたが、これあたまから、そのなう味噌みそをするりとな、ひとかじりにめしあがりますのが、おいしいんでございまして、えゝんだ田舎ゐなか流儀りうぎではございますがな。」

「お料理れうりばんさん・・・・・わたしけつして、料理れうりをとやかううたのではないのですよ。・・・・・よわつたな、うも。じつはね、ある宴會えんくわいせきで、せき藝妓げいしやが、木曾きそつぐみはなしをしたんですーー大分だいぶさけみだれてて、なんとかぶしふのが、あつち此方こつちではじまると、木曾きそぶしふのがこの時顯ときあらはれて、ーーきいても可懷なつかし土地とちだから、うろおばえにおばえてるが、(木曾きそ木曾きそへと積出つみだこめは) なんとかつてふのでね・・・・・」

やうで。」とかく猪口ちよくをおくと、ふたさげ煙草たばこいれから、ひかけた煙管きせるを、かね火鉢ひばちだ、遠慮ゑんりよなくコツゝンとたゝいて、
「・・・・・(伊那いな高遠たかとあまごめ)・・・・・とふでございます、こめ女中ぢよちうでございます、およね。」
「あら、なんだよ、伊作いさせくさん。」
 と女中ぢよちうよこにらみにわらつてにらんで、
旦那だんなさん、ーーひとは、うち伊那いなだもんでございますから。」
「はあ、勝頼かつよりさま同國どうこくですな。」
「まあ、勝頼かつよりさまは、こんな男振をとこぶりぢやありませんが。」
當前あたりまへよ。」
 とむツつりした料理れうりばんは、苦笑にがわらひもせず、またコツゝンと煙管きせるはたく。

「それだもんですから、伊那いな贔屓ひいきをしますのーー木曾きそうたふのはちがひますが。(伊那いな高遠たかと積出つみだこめは、みんな木曾きそあまごめ)ーー
 とひますの。」
「さあ・・・・・それはどつちにしろ・・・・・その木曾きそへ、木曾きそへの機掛きつかけはなしなんですから、わたしたちもつてはるし、それがあとの贄川にへがはだか、たうげしたさき藪原やぶはら福島ふくしま上松あげまつのあたりだか、よくはかなかつたけれども、藝妓げいしやが、きやく一所いつしよに、つぐみあみをけに木曾きそつたとはなしをしたんです。・・・・・まだくらいうちに山道やまみちをづん/\のばつて、案内あんないしや指揮さしづ場所ばしよで、かすみをつてをとりげると、夜明よあけまへきりのしら/\に、むかうの尾上をのへを、ばつと此方こちらやまわたつぐみむれが、むら/\とて、ばたきをして、かすみにかゝる。じわ/\ととつてめて、すぐに焚火たきび附燒つけやきにして、あぶらあつところを、ちゆツとつてべるんだが、そのおいしいこと、・・・・・とつて、はなしをしてね・・・・・」
「はあ、まつたくで。」

「・・・・・ぶる/\さむいから、煮燗にえかんで、一ばいのみながら、いきもつかずに、幾口いくくちつぐみかじつて、あゝ、おいしいと一いきして、焚火たきび獅噛しがみついたのが、すつとつと、案内あんないについた土地とち獵師れふし二人ふたり、きやツとつたーーそのなんなんですよ、藝妓げいしやくちだらけにつてたんだとさ。生々なま/\とした半熟はんじゆく小鳥ことりです。・・・・・とはなしをしながら、うつかりしたやうに藝妓げいしや手巾はんけちくちおきへたんですがね・・・・・たら/\とあかいやつがみさうで、わたしかほましたよ。さはるとしなひさうなせぎすな、すらりとした、わかをんなで。・・・・・いてもうまさうだが、これはすごかつたらう、そのとき東京とうきやう想像さう/\しても、けはしいとも、たかいとも、ふかいとも、峰谷ほうこくかさなつた木曾きそ山中さんちうのしら/\あけです・・・・・くらすそ焚火たきびからめて、すつくりと立上たちあがつたとふ、自然しぜんしたみねよりもたかところで、きりなかから綺麗きれいくびが。」

可厭いや旦那だんなさん。」
はなしまづくつても、なんとなく不氣味ぶきみだね。くちだらけなんだ。」
「いや、如何いかにも。」

「あゝ、よく無事ぶじだつたな、とわたしふと、うして?とくから、ふのが、あわてる銃獵じうれふだの、のさした獵師れふしに、峰越みねごし笹原さゝはらから狙撃そげきふた彈丸だまくらふんです。・・・・・場所ぼしよひ・・・・・時刻じこくひ・・・・・むかしから、夜待よまち、あけがたとりあみには、がさして、あやしいことがあるとふが、まつたくそれがさしたんだ。だつて、覿面てきめん綺麗きれいおにつたぢやあないか。・・・・・うせうよ、・・・・・わたしおによ。でもひとはれるはうの・・・・・なぞとひながら、でも可恐こはいわね、ぞつとすると、又口またくち手巾はんけちおさへてたのさ。」

「ふーん。」
 と料理れうりばんは、われわすれてしづんだこゑして、
「えゝ、旦那だんな。へい、うも、いや、まつたく。實際じつさいあぶなうございますな。場合ばあひには、きつ怪我けががあるんでして・・・・・よく、そのねえさんは無事ぶじでした。贄川にへがは川上かはかみ御嶽おんたけぐち美濃みのよりのかひは、よけいにれますが、そのかた場所ばしよ何處どこでございますかぞんじませんーー藝妓げいしやしう東京とうきやうのどちらのかたで。」
なに下町したまちはうですがね。」
柳橋やなぎばし・・・・・」とつて、のぞくやうに、ぢつた。
「・・・・・あるひはその新橋しんばしとかまをします・・・・・」
「いや、その眞中まんなかほどです・・・・・日本橋にほんばしはうだけれど、宴會えんくわいせきばかりでのはなしですよ。」
「おところわかつて差支さしつかへがございませんければ、參考さんかうのために、場所ばしようかゞつてきたいくらゐでございまして。・・・・・の、深山幽谷しんざんいうこくことは、人間にんげん智慧ちゑにはおよびませんーー」

 女中ぢよちう俯向うつむいてくらかほした。
 さかひは、場合ばあひだれもしよう、乘出のりだしながら、
なにか、へんかはつたことでも。」
「・・・・・べつにその、とつてございません。しかし、ながれがございますやうに、やまにもふちがございますで、をつけなければりません。唯今たゞいまさしあげましたつぐみは、これは、つい一兩日りやうじつつゞきまして、めづらしくうへ峠口たうげぐちれふがあつたのでございます。」
「さあ、それなんですよ。」

 さかひあらためて猪口ちよくをうけつつ、
料理れうりばんさん。きみのお手際てぎはぜんにつけておくんなすつたのが、てもうまさうに、かんばしく、あぶられさうなので、ふと思出おもひだしたのは、いま藝妓げいしやくちの一けんでね。しかしわたしぼんさんでも、精進しやうじんでも、なんでもありません。のぞんでも結構けつこうなんだけれど、見給みたまへ。まどそとあめと、もみぢで、きりやまつてる。みねなかには、ゆきいたゞいて、くもつらぬいてそびえたのがえるんです。ーーどんな拍子ひやうしかで、ひよいとちでもした時口ときくちつてくびうへると・・・・・野郎やらうつらだから、その藝妓げいしやのやうな、すごうつくしく、やまかみ化身けしんのやうにはえまいがね。落殘おちのこつたかきだとおもつて、まどそとからからすつゝかないともかぎらない、・・・・・ふとへんがしたものだから。」

「およねさんーー電燈でんき何故なぜか、おそいでないか。」
 料理れうりばんしづんだこゑつた。

 時雨しぐれれつゝ、木曾きそ山々やま/\くれせまつた、奈良井ならゐがはひゞく。






なんだい、うしたんです。」
「あゝ、旦那だんな。」
 と暗夜やみよにはゆきなかで。
さぎて、うをねらふんでございます。」
 すぐまどそと間近まぢかだが、いけみづわたるやうな料理れうりばんーーその伊作いさくこゑがする。
人間ひとちたか、かはをそでも駈廻かけまはるのかとおもつた、えらいおとおどろいたよ。」  これは、その翌目よくじつばん、おなじ旅店はたごやの、した座敷ざしきでのことであつた。‥‥‥

 さかひ奈良井ならゐ宿じゆく逗留とうりうした。こゝにつもつたゆきが、あさから降出ふりだしたゝめではない。べつのあたりを見物けんぶつするためでもなかつた。・・・・・咋夜さくやは、あれからーーつぐみなべでとあつらへたのは、しやも、かしはをするやうに、ぜんのわきで火鉢ひばちけてるだけのこと、とつたのを、料理れうりばん心得こゝろえて、そのぶつきりを、さらやまもり。目笊めざるに一ばいねぎのざく/\をへて、醤油しやうゆ砂糖さたうも、むきだしにかつぎあげた。およね烈々れつ/\すみぐ。

 こしはうだが、さかひ故郷こきやうゐまはりでは、季節きせつると、つぐみ珍重ちんちやうすること一とほりでない。料理れうりつぐみ料理れうり、じぶこのみなどゝたて看板かんばんのきかゝげる。つぐみうどん、つぐみ蕎麥そば蕎麥そばまでが貼紙びらる。たゞし安價やすくない。なんわん、どのはち使つかつても、御羹おんあつもの、おん小蓋こぶた見識けんしきで。ぽつちり三臠みきれ五臠いつきれよりはけないのに、ねぎ一所ひとつ打覆ぶちまけて、なべからもりこぼれるやうな湯氣ゆげを、天井てんじやうてたはうれしい。

 あまつさ熱燗あつかんで、くまかは胡坐あぐらた。
 藝妓げいしやばけものが、山賊さんぞくにかはつたのである。

 ときには、厚衾あつぶすまに、くまかはうへ かぶさつて、そでつゝみ、おほひ、すそつゝんだのも面白おもしろい。あくるゆきらうとてか、夜嵐よあらしの、じんとむのも、木曾川きそがはすごいのも、ものゝかずともせず、さけと、けものかはとで、ほか/\して三がいにぐつすり寐込ねこんだ。

 次第しだいであるから、あさ朝飯あさめしから、ふつ/\といてすゝるやうな豆腐とうふしるつた。

 一昨日さくじつ旅館りよくわんあさうだらう。・・・・・どぶ上澄うはずみのやうなつめたしるに、御羹おんあつものほどにしゞみおよいで、生煮なまにえくささとつたらなかつた。‥‥‥

 やまも、そらこほりとほごと澄切すみきつて、まつ枯木かれききらめくばかり、晃々きら/\がさしつゝ、それで、ちら/\としろいものがんで、奥山おくやまに、くま人立しとだちして、はりくやうなゆきであつた。

 朝飯あさんで少時しばらくすると、さかひはしく/\とはらいたした。しばらくして、二三はゞかりへかよつた。
 あの、饂飩うどんたゝりである。つぐみ過食くわしよくしたゝめではだんじてない。二ぜんぶんうろにしたなまがへりのうどん中毒あたらないはふはない。おなかおさへて、饂飩うどんおもふと、おもしたからチク/\とすぢうごいていたす。もつとも、戸外そと日當ひあたりにはりんでようが、少々せう/\はらいたまうが、我慢がまんして、汽車きしやれないと容體ようだいではなかつたので。・・・・・たゞだれらない。宿やど居心ゐごころのいゝのにつけて、何處どこかへのつらあてにと、逗留とうりうするつたのである。

 ところ座敷ざしきだがーーその二めだつたか、かはやのかへりに、座敷ざしきはひらうとして、三がい欄干てすりから、ふと二かいのぞくと、階子段はしごだんしたに、けた障子しやうじに、はうきとはたきを立掛たてかけた、なか座敷ざしき炬燵こたつがあつて、とこ見通みとほされる。・・・・・とこ行李かうりふたつばかりかさねた、あせた萌葱もえぎ風呂敷ふろしきづゝみの、眞田さなだひも中結なかゆはへをしたのがあつて、たび商人あきんどえる中年ちうねんをとこが、づつぶりとこ背負しよつてあたつてると、向合むかひあひに、一人ひとりの、ちう年増どしま女中ぢよちう一寸ちよいと浮腰うきごしで、ひざをついて、さきだけ炬燧こたつれて、すこ仰向あをむくやうにして、たび商人あきんどはなしをしてる。

 なつかしい浮世うきよさまを、やまがけから掘出ほりだして、旅宿やどめたやうにえた。
 座敷ざしきくまかはである。さかひは、ふと奥山おくやまてられたやうに、里心さとごゝろいた。

 一昨日をとゝひ松本まつもとしろて、天守てんしゆのぼつて、の五つめ朝霜あさしも高層かうそうつて、悚然ぞつとしたやうな、くもつらなる、山々やま/\ひしふたゝまどて、せまるのをおぼえもした。バスケツトに、等閑なほぎりからめたまゝの、しろあとのくづぼりこけむす石垣いしがきつて枯殘かれのこつたちひさなつたくれなゐの、つぐみのしたゝるごときのををるにつけても。・・・・・きふさびしい。「およねさん、下階した座敷ざしきはあるまいか。炬燵こたつはひつ てぐつすりとたいんだ。」

 二かい部屋々々へや/゛\は、ときならず商人あきんどしゆ出入ではひりがあるからと、のぞところした座敷ざしき、おもから、土間どま長々なが/\いたわたつてはなれ座敷ざしきのやうな十でふみちびかれたのであつた。

 肱掛ひぢかけまどそとが、すぐにはで、いけがある。

 白雪しらゆきなかに、緋鯉ひごひ眞鯉まごひひれ むらさきうつくしい、うめまつもあしらつたが、大方おほかた樫槻かしけやき大木たいぼくである。ほゝの二かゝへばかりなのさへすつくとつ。が、いづれもふるつて、素裸すはだか山神さんじんごとよそほひだつたことはふまでもない。

 午後ごゞ時頃じごろであつたらう。えだこずゑに、ゆきくのを、炬燵こたつ斜違はすかひに、くのつてーーいいをんなだとおけたい。

 肱掛ひぢかけまどのぞくと、いけむかうの椿つばきした料理れうりばんつて、つくねんと腕組うでくみして、ぢつみづみまもるのがえた。れいこん筒袖つゝそでに、しりからすぼんといた前垂まへだれで、ゆきしのぎに鳥打とりうちばうかぶつたのは、いやしくも料理れうりばん水中すゐちうこひのぞくとはえない。おほばんぬまどぢやうねらつてかたちである。やまみねも、雲深くもふかそら取圍とりかこむ。

 さかひ山間さんかん旅情りよじやうかいした。「料理れうりばんさん、ばん馳走ちそうに、こひるのかね。」
「へゝ。」と薄暗うすぐらかほげてニヤリとわらひながら、鳥打とりうちばうつてお時儀じぎをして、またかぶなほすと、のまゝごそ/\とくゞつてひさしかくれる。

 帳場ちやうばとほし、あとはゆきがやゝしげつた。

 同時どうじに、さら/\さら/\とみづおとひゞいてきこえる。「ーー又誰まただれ洗面せんめんじよ口金くちがね開放あけぱなしたな。」これがまた二めで。・・・・・今朝けさがい座敷ざしきを、此處こゝ取替とりかへないまへに、とほいが、手水てうづるのに清潔きれいだからと女中ぢよちう案内あんないをするから、離座敷はなれちか洗面せんめんじよよくると、三ケしよ水道口みづぐちがあるのにのどれをひねつてもみづない。ほどのさむさとはおもへないがてたのかとおもつて、こだまのやうにたかならして女中ぢよちうふと、「あれ、汲込くみこみます。」と駈出かけだしてくと、やがて、スツとみづた。座敷ざしき取替とりかへたあとで、はゞかりにくと、ほか手水てうづばちがないから、洗面せんめんじよの一つをひねつたが、そのときはほんのたら/\としたゝつて、からうじてようりた。

 しばらくすると、しきりに洗面せんめんじよはう水音みづおとがする。炬燵こたつから潛出もぐりでて、土間どまりてはしがゝりからそこをのぞくと、三ツの水道口みづぐちのこらず三すぢみづが一ときにざつとそゝいで、いたづらにながれてた。たしないみづらしいのに、と一つ一つ、丁寧ていねいにしめて座敷ざしきもどつた。が、そのとき料理れうりばんいけのへりの、おなところにつくねんとたゝずんでたのである。くどいやうだが、料理れうりばんいけつたのは、これで二めだ。・・・・・あさのは十時頃じごろであつたらう。トとき料理れうりばん引込ひつこむと、やがて洗面せんめんじよみづが、ふたゝたかひゞいた。

 またしても三すぢ水道すゐだうが、のこらず開放あけはなしにながれてる。おなじこと、たしないみづである。あとであらはうとするときは、きつれるのだからと、またしても口金くちがねをしめていたが。 ーー

 いま、午後ごゞの三ごろ、ときも、さらみづおときこしたのである。にはそとには小川をがはながれる。奈良井ならゐがはひゞく。木曾きそて、みづおとにするのは、ふねつてなみまいとするやうなものである。のぞみこそすれ、きらひもけもしないのだけれど、不思議ふしぎ洗面せんめんじよ開放あけはなしばかりつた。

 さかひまた廊下らうかた。はたして、三三條すぢともそろつてーーしよろ/\とながれてる。「旦那だんなさん、お風呂ふろですか。」手拭てぬくlひつてたのをて、こゝへなほしに、臺十能じうのうつてかゝつた、およねこゑけた。「いやーーしかし、もうはひれるかい。」「きでございます。・・・・・今日けふ新館しんくわんのがきますから。」成程なるほどゆきりしきるなかに、ほんのりとかよふ。洗面せんめんじよわき西洋せいやう湯殿ゆどのらしい。このまどからもえる。あたらしく建増たてました柱立はしらだてのまゝ、むしろがこひにしたのもあり、足場あしばんだところがあり、材木ざいもくんだ納屋なやもある。が、れたうまやのやうにつて、落葉おちばうもれた、一たいわき本陣ほんぢんとでもひさうな舊家きうかが、いつか成金なりきんとかつた時代じだい景氣けいきれて、くはかひこあたつたであらう、のあたりもえるやうな勢乘いきほひじようじて、蟄川にへがははそのむかしは、がはにして、温泉いでゆいたところだなぞと、こゝが温泉をんせんにでもりさうな意氣込いきごみで、新館しんくわん建増たてましにかゝつたのを、の一座敷ざしきと、湯殿ゆどのばかりで、そのまゝ沙汰さたやみにつたことなど、あとでわかつた。「女中ねえさんかい、みづながすのは。」めたばかりの水道すゐだうせんを、女中ぢよちうちながら一つづゝけるのをて、たまらずなじるやうにつたが、次手ついで仔細しさいわかつた。・・・・・いけは、とひせてうらかはからくのだが、一ねんに一二づゝ水涸みづがれがあつて、いけみづようとする。こひふなも、一ところかたまつて、あわてゝよわるので、臺所だいどころ大桶おほをけ汲込くみこんだ井戸ゐどみづを、遙々はる/\洗面せんめんじよおくつて、はしがゝりのしたくゞらして、いけ流込ながしこむのださうであつた。

 木曾きそ道中だうちう新版しんばんを二三しゆばかり、まくらもとにらした炬燵こたつへ、づぶ/\ともぐつて、「およねさん、・・・・・折入をりいつて、おまへさんにたのみがある。」とひかけて、初々うひ/\しく一寸ちよつと俯向うつむくのをると、猛然まうせんとして、喜多きだ八をおもおこして、さかひ一人ひとりわらつた。「はゝ、心配しんぱいことではないよ。おかげはら按配あんばいいたつてつたし、・・・・・午飯ひるいたから、ばんには入合いりあはせにひ、おほいむとするんだが、いまね、伊作いさくさんが澁苦しぶにがかほをしていけにらんできました。うも、こひのふとり工合ぐあひ鑑定めきゝしたものらしい・・・・・きつ今晩こんばん馳走ちそうだとおもふんだ。昨夜ゆうべつぐみぢやないけれど、うもえんあつていけまへしてて、こひとなり附合づきあひにつてると、まへから引上ひきあげられて、まないた輪切わぎりひどい。・・・・・板前いたまへ都合つがふもあらうし、またがまゝをふのではない。‥‥‥

 いきづくりはおことわりだが、じつ鯉汁こひこくだい勸迎くわんげいなんだ。しかし、魚屋さかなやか、なにか、都合つがふして、ほかのこひ使つかつてもらふわけにはくまいか。差出さしでことだが、一びきか二ひきりるものなら、おきやく幾人いくにんだか、今夜こんや入用いりようだけはわたし原料げんれうつてもいから。」女中ぢよちう返事へんじが、「いえ、いけのは、いつもお料理れうりにはつかひませんのでございます。うちの旦那だんなも、おかみさんも、御志おこゝろざしほとけには、ふなだの、こひだの、・・・・・いけはなしなさるんでございます。料理れうりばんさんも矢張やつばり。・・・・・そして料理番あのひとは、いけのを大事だいじにして、可愛かはいがつて、その所爲せゐですか、ひまさへあれば、だまつてあゝやつてにはて、いけのぞいてますんです。」「それはおあつらへだ。ありがたい。」さかひれいつたくらゐであつた。

 ゆきいたゞきからほしが一つさがつたやうに、入相いりあひ座敷ざしき電燈でんとういたとき女中ぢよちう風呂ふろらせにた。「すぐにぜんを。」とこゑけていて、待構まちかまへたどのへ、一さんーーれい洗面せんめんじよむかうのけると、上場あがりばらしいが、ハテ眞暗まつくらである。いやいや、提灯ちやうちんが一とうぽうと薄白うすじろいてる。其處そこにもう一枚扉まいひらきがあつてしまつてた。そのなかどのらしい。

はん作事さくじだとふから、まだ電燈でんきかないのだらう。おゝ、二つどもゑもんだな。大星おほぼしだか由良之助ゆらのすけだかで、はなく、鬱陶うつたうしいともゑもんも、此處こゝると、木曾きそ殿どの寵愛ちやうあい思出おもひださせるから奥床おくゆかしい。」
 とおびきかけると、ちやぶりーーといふーーひと使つか氣勢けはひがする。とき洗面せんめんじよみづおとがハタとんだ。
 さかひはためらつた。
 が、いつでもかまはぬ。・・・・・ひとんで、のあいたときらせてもらひたいとつていたのである。だれはひつてはまい。とにかくと、きかけたおびはさんで、づーとつて、提灯ちやうちんうへ から、にひつたりとほゝをつけてうかゞふと、そでのあたりに、すうー とくらる、蝋燭らふそくが、またぽうとあかる。かげあざつて、ともゑひと片頬かたほゝうつるやうに陰氣いんき沁込しみこむ、とおもふと、ばちやり・・・・・内端うちはうごいた。なん隙間すきまからか、ぷんうめを、ぬくもりでかしたやづな白粉おしろいがする。

婦人をんなだ。」

 なにしろ、あかりでは、男客をとこきやくにしろ、一しよはひると、くらくてかたまたぎかねまい。ちゝ打着ぶつかりかねまい。で、ばた/\と草履ざうり突掛つゝかけたまゝ引返ひきかへした。

「もう、おあがりにりまして?」とふ。
 かよひとほい。こゝでかんをするつもりで、およねがさきへ銚子てうしだけつてたのである。
「いや、あとにする。」
「まあ、そんなにおなかがすいたんですの。」
はらもすいたが、だれかおきやくはひつてるから。」
「へい、・・・・・此方こつちどのは、ひさしく使つかはなかつたのですが、あの、つてはわるうございますけど、しばらくぶりで、お掃除さうぢかた/゛\旦那だんなさまてましたのでございますから、・・・・・あとでいたゞきますまでも、・・・・・あの、まだ誰方どなたも。」
かまやしない。わたしはゆつくりでいんだが、婦人ふじんきやくのやうだつたぜ。」
「へい。」
 と、をかしなべソをかいたかほをすると、銚子てうし湯沸ゆわかしにカチ/\カチとふるへたつけ、あとじさりに、ふいとつて、廊下らうかた。一ひつそり跫音あしおとすやいなや、けたゝましいおとを、すたんとてゝ土間どまいたをはた/\とならして駈出かけだした。

 さかひはきよとんとして、
なんだい、あれは・・・・・」
 やがてぜんつてあらはれたのが・・・・・およねでない、年増としまのにかはつてた。
「やあ、ちうかいのおかみさん。」
 ぎやう商人しやうにんと、炬燵こたつむつまじかつたのはこれである。
亭主ていしゆうしたい。」
りませんよ。」
是非ぜひうけたまはりたいんだがね。」
 なか串戯じやうだんに、ぐツとこゑひくくして、
るのかい・・・・・なにか・・・・・あの、湯殿ゆどのへ・・・・・眞個まつたく?」
「それがね、旦那だんな大笑おほわらひなんでございますよ。・・・・・誰方どなたらつしやらないとおもつて、申上まをしあげましたのに、婦人ふじんかたはひつておいでだつて、旦那だんながおつしやつたとふので、よねちやん、大變たいへん臆病おくびやうなんですから。・・・・・ひさしくつかひません湯殿ゆどのですから、うちのおうへ さんが、ねんのために、 」
「あゝうか、・・・・・わたしはまた、一寸ちよつとるのかとおもつたよ。」
大丈夫だいぢやうぶどのへはませんけれど、そのかはりお座敷ざしきへはこんなのが、ね、貴方あなた。」
「いや、結構けつこう。」  おしやくはうが、けつくめる。

 ながい、ゆきはしん/\と降出ふリだした。とこつてから、さけをもう一、そのいきほひでぐつすりよう。晩飯ばん加滅かげんぜんげた。

 跫音あしおと入亂いれみだれる。ばた/\と廊下らうかつゞくと、洗面せんめんじよはう落合おちあつたらしい。ちよろ/\とみづおと又響またひゞした。おとここゑまじつてきこえる。それがむと、およねふすまからまるかほして、
うぞ、お風呂ふろへ。」
大丈夫だいぢやうぶか。」
「ほゝゝゝ。」
 ととてれたやうにわらふと、廊下らうかくのに、押續おしつゞいてさかひ手拭てぬぐひげてた。 

 はしがゝりの下口おりくちに、昨夜さくや帳場ちやうば坊主ばうずあたま番頭ばんとうと、女中ぢよちうがしらか、それとも女房にようばうかとおもけたをんなと、もう一人ひとり女中ぢよちうとが、といつたかたちかほならべて、一團ひとかたまりつて此方こなたた。其處そこへおよね姿すがたが、足袋たびまでえてちよこ/\とはしがかりをえてわたると、三にんふところ飛込とびこむやうに一團ひとかたまり

苦勞くらうさま。」
 がために、とゞけやく人數にんずで、風呂ふろしらべたのだとおもふからこゑけると、一そろつてお時儀じぎをして、屋根やねかやぶきの長土間ながどまいた、そのあゆみいたわたつてく。土間どまのなかばで、のおぢやのかたまりのやうな四にんかたちくらつたのは、トタツに、一つ二つ電燈でんとうがスツといきくやうにあかつて、はしがゝりのも洗面せんめんじよのも一せいにパツとえたのである。

 とむねくと、さら/\さら/\と三すぢに・・・・・じゆんながれて、洗面せんめんじよみづしたに、先刻さつき提灯ちやうちん朦朧もうろうと、なかくらく、ともゑひとてらして、すみでかいたほのほか、なまづねたか、とおもかたちともれてた。

 いまにも電燈でんとうくだらう。湯殿口ゆどのぐちへ、これをつてはひで、さかひがこゞみざまけようとすると、提灯ちやうちんがフツとえてえなくなつた。

 えたのではない。矢張やつばこれ以前いぜんごとく、湯殿ゆどの戸口とぐちいてた。これはおのづからしつくして、した板敷いたじきれたのに、加滅かげんで、むかうからかげしたものであらう。はじめから、提灯ちやうちん此處こゝこにあつた次第わけではない。さかひは、なゝめかげ宿やどつた水中すゐちうつきらうとしたと同一おなじである。

 つまさぐりに、れいあがへ・・・・・で、ねんのために戸口とぐちると、いきえさうに寂寞ひつそりしながら、ばちやんとおとがした。ぞツとさむい。湯氣ゆげ天井てんじやうからしづくつて點滴したゝるのではなしに、屋根やねゆきけてちるやうな氣勢けはひである。

 ばちやん、・・・・・ちやぶりとかすかうごく。と又得またえならずえんな、しかしつめたい、そして、にほやかな、きり白粉おしろいつゝんだやうな、人膚ひとはだがすツとかたまつはつて、うなじでた。

 はず衣紋えもんつしめて、
「およねさんか。」
「いゝえ。」
 とひと呼吸いきいて、どののなかからきこえたのは、勿論我もちろんわこゝろみゝひゞいたのであらう。およねでないのはふまでもなかつたのである。
 洗面せんめんじよみづおとがびつたりんだ。
 おもはず立竦たちすくんで四邊あたりた。思切おもひきつて、
はひりますよ、御免ごめん。」

「いけません。」とみつゝ、湯氣ゆげれ/\としたこゑが、はつきりきこえた。


勝手かつてにしろ!」
 われわすれてつたときは、もう座敷ざしき引返ひきかへしてた。
 電燈でんとうあきらるかつた。もえゑ提灯ちやうちんひかりされた。が、みづは三すぢさらにさら/\とはしつてた。
馬鹿ばかにしやがる。」

 不氣味ぶきみより、すごいより、なぶられたやうな、反感はんかんおこつて、炬燵こたつ仰向あをむけにひつくりかへつた。

 しばらくして、さかひが、飛上とびあがるやうに起直おきなほつたのは、すぐ、まどそとに、ざぶり、ばちや/\ばちや、ばちや、ちやツと、けたゝましくいけみづ掻撹かきみださるゝおといたからであつた。

なんだらう。」
 ばちや/\ばちや、ちやツ。
 其處そこへ、ごそ/\といけまはつてひゞいてた。ひとるのは、何故かせ料理れうりばんだらうとおもつたのは、いけうを愛惜あいせきすると、いてつたゝめである。・・・・・

なんだい、うしたんです。」
 雨戸あまどけて、一めんゆきいろのやゝうすところこゑけた。そのいけしろいまでみづすくないのであつた。







「どつちです、白鷺しらさぎかね、五位鷺ゐさぎかね。」
「えゝーーどつちもでございますな。兩方りやうはうだらうとねもふんでごJざいますが。」
 料理れうりばん伊作いさくて、窓下まどした戸際とぎはに、がツしり腕組うでぐみをして、うしろむきつてつた。
「むかうの山口やまぐち大林おほばやしからりてるんでございます。」
 ことばなかにもあらはれる、ゆき降留ふりやんだ、そのくもの一ぱううるしごともりくろい。

 不斷ふだんことではありませんが、・・・・・の、旦那だんないけみづれるところねらふんでございます。こひふな半分鰭はんぶんひれして、あがきがつかないのでございますから。」
怜悧りこうやつだね。」
馬鹿ばか人間にんげんこまちまひますーーうを可哀かはいさうでございますので・・・・・うかとつて、夜一夜よつびて立番たちばんをしてもられません。旦那だんな、おさむうございます。おしめなさいまし。・・・・・そちこち註文ちうもん時刻じこくでございますから、なにか、手際てぎはなものでも見繕みつくろつて差上さしあげます。」
都合つがふがついたら、きみて一ばい、ゆつくりつきつてくれないか。わたしふかしは平氣へいきだから。一しよに・・・・・此處こゝんでたら、いくらか案山子かゝしるだらう。・・・・・」
「ーー結構けつこうでございます。・・・・・もう臺所だいどころ片附かたづきました、つゝけうかゞひます。いたづらな餓鬼がきどもめ。」
 と、あとをくちこゞとで、くうにらみながら、えだをざら/\とくゞつてく。

 さかひは、しかし、あとのまどめなかつた。勿論もちろん細目ほそめにはいたが。じつは、ゆきいけこゝ幾羽いくはさぎの、うをさまを、さながら、炬燵こたつるお伽話とぎばなしのやうにおもつたのである。驚破すはへば、追立おひたつるとも、おどろかすとも、その場合ばあひこととして・・・・・だい一、もそゞろなことは、二まで湯殿ゆどのおとは、いづれの隙間すきまからかゆきとゝもに、さぎんでゆあみしたらう」とうさへおもつたほどであつた。

 そのまゝぢつのぞいてると、薄黒うすぐろく、ごそ/\とゆきんでく、伊作いさくそでわきを、ふはりと ともゑ提灯ちやうちんいてく。おゝいま窓下まどしたでは提灯ちやうちんつてはなかつたやうだ。それに、もうやがて、にはよこぎつて、濡縁ぬれえんか、戸口とぐちはひりさうだ、とおもふまでへだゝつた。とほいまでちひさくえる、唯少時としばらくして、ふとあとへもどるやうな、やゝおほきくつて、あの土間廊下どまらうかそとの、かや屋根やねのつました をすれ/\に、段々だん/\此方こなた引返ひきかへす、引返ひきかへすのが、所為せゐだか、いつのにか、なかはひつて、土間どまくらがりをともれてる。・・・・・はしがゝり、一ぱう洗面せんめんじよ突當つきあたりが湯殿ゆどの・・・・・ハテナとぎよツとするまでがついたのは、そのともれて提灯ちやうちんを、座敷ざしき振返ふりかへらずに、ぎやくまどからにははう乘出のりだしつゝことであつた。

 トタンにえた。あたまからゾツとして、首筋くびすぢこは振向ふりむくと、座敷ざしきに、白鷺しらさぎかとおもをんなうしろ姿すがた頸脚えりあしがスツとしろい。
 違棚ちがひだなわきに、十でふのその辰巳たつみゑた、姿見すがたみむかつた、うしろ姿すがたである。・・・・・湯氣ゆげ山茶花さゞんくわしをれたかとおもふ、れたやうに、しつとりとについた藍鼠あゐねずみ縞小紋しまこもんに、朱鷺ときいろしろのいちまつのくつきりした伊達だてまきちゝしたくびれるばかり、えさうな弱牌よわごしに、すそ糢樣もやうかろなびいて、片膝かたひざをやゝかした、つま友染いうぜんほんのこばれる。つゆりさうな圓髷まるまげに、桔梗ききやういろ手絡てがら背自あをじろい。淺葱あさぎなが襦袢じゆばんうらなまめかしくからんだしろで、刷毛はけやさしく使つかひながら、姿見すがたみすこしこゞみなりにのぞくやうにして、化粧けしやうをしてた。

 さかひつもるもらずいきめたのである。

 あはれ、きぬゆきしたなるうすもみぢで、はだゆきが、かへつてうすもみぢをつゝんだかとおもふ、ふかいだ襟脚えりあしを、すらりといて掻合かきあはすと、ぼつとりとして膝近ひざぢかだつた懷紙かみつて、くる/\とまるげて、てのひらいておとしたのが、たゝみ白粉おしろいのこぼれるやうであつた。

 衣摺きぬずれが、さらりとしたときどのできいた人膚ひとはだまが留南奇とめきかをつて、すこなゝめに居返ゐがへると、煙草たばこふくんだ。吸口すひくちしろく、艶々つや/\煙管きせるくろい。

 トーンと、灰吹はひふきおとひゞいた。

 きついて、さかひ瓜核うりざねがほは、ぶちがふつくりと、鼻筋はなすぢとほつて、いろしろさはすごいやう。こもつたやさしまゆ兩方りやうはうを、懷紙かみでひたとして、おほひとみぢつて、
「・・・・・似合にあひますか。」
 と、莞爾につこりしたくろい。莞爾につこりしながら、つまあはざまにすつくりとつた。かほ鴨居かもゐに、すら/\とたけびた。

 さかひむねんで、こしいて、かたちうあがつた。ふはりと、をんなそで抱上だきあげられたとおもつたのは、うでない、よこくち引銜ひきくはへられて、たゝみくう釣上つりあげられたのである。

 やま眞黒まつくろつた。いや、にはしろいと、さへぎつたときは、スツとまどたので、手足てあしはいつか、尾鰭をひれり、われはびち/\とねて、をんな姿すがたひさしよこに、ふは/\と欄間らんま天人てんにんのやうにえた。

 しろもりも、しろいへも、したに、たちまさつと・・・・・空高そらたかく、松本まつもとじやう天守てんしゆをすれ/\にんだやうにおもふと、みづおとがして、もんどりつていけなかちると、同時どうじ炬燵こたつでハツとわれかへつた。

 いけにおびたゞしい羽音はおときこえた。

 案山子かゝしになどへるものか。
 バスケツトの、つたるにつけても、あを呼吸いきをついてぐつたりした。

 廊下らうかへ、しと/\とひとおとがする。ハツといきいてつと、料理れうりばんぜん銚子てうしへてた。
「やあ、伊作いさくさん。」
「おゝ、旦那だんな。」






昨年さくねんちよう今頃いまごろでございました。」
 料理れうりばんはひしと、せ、かたをしめてはなした。 
今年ことし今朝けさからゆきりましたが、のみぎりは、わすれもしません、前日ぜんじつゆきりました。つもかたは、もつとおほかつたのでございます。二時頃じごろに、めますやうな婦人ふじんきやくが、たゞ一方ひとかたで、おいでにつたのでございます。めるやうだとまをしましても派手はでではありません。婀娜あだなかに、なんとなくさびしさのございます、二十六七のおとしごろで、高等かうとう圓髷まるまげでおいででございました。容子やうすのいゝ、のすらりとした、見立みたての申分まをしぶんのない、しかし奥樣おくさままをすには、何處どこなまめかしさがぎてります。其處そこは、田舎ゐなかものでも、大勢おほぜい客樣きやくさまをおかけまをしてりますから、きにくろうとしゆだとぞんじましたのでございまして、これ柳橋やなぎばし蓑吉みのきちさんとねえさんだつたことが、のちわかりました。宿帳やどちやうはうはお艶樣つやさまでございます。

 その婦人ふじんを、旦那だんなーー帳場ちやうばで、のお座敷ざしき案内あんないまをしたのでございます。
 風呂ふろがおきで・・・・・勿論もちろん、おいやかた澤山たんとございますまいが、あのへ二、おきにつて、すぐと、それに夜分やぶんに一、おはひりなすつたのでございますーー都合つがふで、新館しんくわん建出たてだしは見合みあはせてをりますが、温泉をんせんごのみにいしたゝみました風呂ふろは、自慢じまんでございまして、きうの二かいがいのお客樣きやくさまにも、とほうございますけれども、おはひりをねがつてりましたところがーーじつはその、時々とき/゛\不思議ふしぎことがありますので、のお座敷ざしき同樣どうやう多日しばらく使つかはずにきましたのを、旦那だんなのやうなかたこゝろみていたゞけば、おのづとへんこともなくなりませうと、相談さうだんをいたしまして、まをすもいかゞでございますが、今日こんにちちひさしぶりで、かしも使つかひもいたしましたやうな次第わけなのでございます。

 ところで、お艶樣つやさま、その婦人ふじんでございますが、うちひと風呂ふろびになりますと、(鎮守ちんじゆさまのおみやは、) といて、お參詣まゐりなさいました。蟄川にへがは街道かいだうよりのをかうへにございます。山王さんわうさまのおやしろで、むかし人身ひとみ御供ごくうがあがつたなどゝ申傳まをしつたへてございます。森々しん/\と、ものさびしいおやしろで。・・・・・村杜そんしやはほかにもございますが、鎮守ちんじゆふ、おたづねにつけて、その帳場ちやうばまをしますと・・・・・みちたづねて、其處そこでお一人ひとりでおのぼりなさいました。少々せう/\わづらひのやうで、ゆきがきら/\していたむからとつて、こんな土地とちでございます、ほんの出來できあひのくろ目金めがねはせて、けて、洋傘かうもりつゑのやうにしてお出掛でかけで。れは鎮守ちんじゆさま參詣さんけいは、奈良井ならゐ宿じゆくとうへの禮儀れいぎ挨拶あいさつふおこゝろだつたやうでございます。

 無事ぶじに、づおかへりなすつて、夕飯ゆふはんとき、おぜんで一くちあがりました。旦那だんなまへでございますが、板前いたまへへと、丁寧ていねいにおこゝろづけをくだすつたものでございますからてまい・・・・・一寸ちよいと挨拶あいさつましたときふおたづねでございますーーおやしろへお供物くもつにきざがき楊枝やうじとをひました、・・・・・石段いしだんした其處そこ小店こみせのおばあさんのはなしですが、山王さんわうさまおくふかもりで、おく桔梗きゝやうはらふ、はらなかに、桔梗きゝやういけふのがあつて、そのいけに、お一方ひとり、おうつくしい奥樣おくさまらつしやると、ふことですが、眞個ほんとうですか。ーー
ーー眞個まつたくでございます、とみなまでうけたまはらないで、てまいまをしたのでございます。
 ろんより證據しようこまをして、よいか、わるいかぞんじませんが、げんてまいが一度見どみましたのでございます。」

「 ・・・・・・・・・・」

桔梗きゝやうはらとはまをしますが、それは、秋草あきぐさ綺麗きれいきます、けれども、桔梗きゝやうばかりとふのではございません。唯其たゞそ大池おほいけみづまつ桔梗きゝやうあをいろでございます。桔梗きゝやうかへつて、しろはなのが見事みごときますのでございまして。・・・・・

 四ねんあとにりますが、正午まひるふのに、峠向たうげむかうの藪原やぶはら宿じゆくからました。正午しやううまこく火事くわじおほきくると、何國いづくでもまをしますが、まつた大燒おほやけでございました。

 山王さんわうさまをかあがりますと、一目ひとめえます。は、七條なゝすぢにもあがりまして、ばち/\ばん/\ともえおとるやうにきこえます。・・・・・あれは山間やまあひたきか、いや、ぽんぷのみづはしるのだとまをすくらゐ。おほ南風みなみかぜいきほひでは、やま火事くわじつて、やがて、こゝもとまで押寄おしよせはしまいかとあんじますほどのはげしさで、けつけるものはけつけます、さわぐものはさわぐ。てまいなぞは見物けんぶつはうで、お杜前やしろまへは、おなじ夥間なかま充滿いつぱいでございました。

 二百十まへで、殘暑ざんしよはげしいときでございましたから、つい/\すこしづゝおやしろもりなかながらはひりましたにつけて、不斷ふだんは、しつかりくまじきとしてあるところではございますが、陽氣やうきで、ひといて場所ばしよから、ふかいとつても半町はんちやうとはない。大丈夫だいぢやうぶと。ところで、てまい陰氣いんきもので、あま若衆わかしゆづきあひがございませんから、だれさそふでもあるまいと、すぎひのき森々しん/\としましたなかを、それも、おもつたほどおくふかくもございませんで、一めん草花くさばな。・・・・・しろ桔梗きゝやうでへりをつた百疊敷でふじきばかりの眞青まつさをいけが、とますと、そのみぎは、ものゝ二、・・・・・三・・・・・十けんとはないところに・・・・・お一人ひとりなんともおうつくしい婦人ふじんが、鏡臺きやうだいいて、なゝめむかつて、お化粧けしやうをなさつてらつしやいました。

 おぐしうやら、おめしものがなにやら、一目ひとめました、ときすごさ、可恐おそろしさとつてはございません。唯今たゞいま思出おもひだしましても御酒ごしゆこほりつてむねみます。慄然ぞつとします。・・・・・それでてそのおうつくしさがわすれられません。勿體もつたいないやうでございますけれども、いへのないものゝお佛壇ぶつだんに、うつしたお姿すがたぞんじまして、一にちでも、いけみづながめまして、その面影おもかげおもはずにはられませんのでございます。さあ、そのときは、前後ぜんごぞんぜず、はねれたとりが、たゞそらからちるやうなおもひで、もり飛抜とびぬけて、一目散もくさんに、たか石段いしだん駈下かけおりました。てまいがそのかほいろと、おびえた樣子やうすとてはなかつたさうでございましてな。・・・・・お社前やしろまへ火事くわじ見物けんぶつが、ひと雪崩なだれつて遁下にげおりました。もりおくからすばかりつめたかぜで、大蛇だいじやさつつたやうで、げたてまいは、野兎のうさぎんでちるやうにえたとことでございまして。

 とおもむきをーーお艶樣つやさま、その婦人ふじんまをしますと、ーーうしたおかたを、うして、女神をんなかみさまとも、お姫樣ひめさまともはないで、おくさまとふんでせう。さ、それでございます。てまい唯日たゞめくらんでしまひましたが、前々ぜん/\より、ふとお見上みあまをしたものゝふのでは、桔梗きゝやういけのお姿すがたは、まゆをおとしてらつしやりまするさうで・・・・・」

 さかひはゾツとしながら、かへつて炬燵こたつわきはらつた。

誰方どなた奥方おくがたともぞんぜずに、いつとなくまをすのでございまして・・・・・旦那だんな。お艶樣つやさままをしますと、ぢつとおきなすつてーーだと、そのおくさまのお姿すがたは、ほかにもかたがありますか、とおつしやいますーーえゝ、つきやまはな麓路ふもとぢほたるかげ時雨しぐれ提灯ちやうちんゆきかはべりなど、隨分ずいぶん村方むらかたでも、ちらりとをがんだものはございます。お艶樣つやさまこれをきいて、猪口ちよくしたいて、なぜか、悄乎しよんぼりとおうつむきなさいました。

ーーところ旦那だんな・・・・・その婦人ふじんが、わざ/\木曾きそ山家やまが一人ひとりたびをなされた、用事ようじがでございまする。」






「えゝ、ときの、村方むらかたで、不思議ふしぎ千萬せんばんな、いろ出入でいり、ーーへん姦通まをとこ事件こじけんがございました。

 村人むらびと雁股かりまたまをところに (代官だいくわんばゞ) とふ、庄屋しようやのおばあさんとへば、まだしをらしくきこえますが、代官だいくわんばゞ。・・・・・渾名あだなわかりますくらゐ可恐おそろしく權柄けんぺいな、いへ系圖けいづはなけて、おらいへはむかし代官だいくわんだぞよ、と二言ふたことめには、たつみあがりにりますので、了筒れうけんでございますから、中年ちうねんから後家ごけりながら、手一てひとつで、づ・・・・・せがれどのを立派りつぱそだてゝ、これ東京とうきやう學士がくし先生せんせいにまで仕立したてました。・・・・・其處そこで一ころ東京とうきやう住居ずまひをしてりましたが、なんでも一たん微禄びろくした、いへを、故郷ふるさと打開ぶつぱだけて、村中むらぢうつら見返みかへすとまをして、沽券こけんつぶれ古家ふるいへひまして、りやう年前ねんぜんから、せがれ學士がくし先生せんせい嫁御よめご近頃ちかごろまをわか夫人ふじんと、二人ふたり引籠ひきこもつてりますが。・・・・・菜大根なだいこん茄子なすびなどは料理れうり醤油したぢつひえだと儉約けんやくで、ねぶかにら大蒜にんにく辣韮らつきやうまをす五うんたぐひを、空地あきちぢう植込うゑこんで、しほべんずるのでございまして。・・・・・もうとほくからぷんと、いへにほひます。大蒜にんにく屋敷やしき代官だいくわんばゞと。・・・・・

 ところわか夫人ふじん嫁御よめごふのが、福島ふくしま商家しやうかむすめさんで學校がくかうをでたかただが、當世たうせい似合にあはないおとなしいやさしい、内輪うちわぎますぐらゐ。もつとこれでなくつては代官だいくわんばゞ二人ふたり住居ずまひ出來できません。・・・・・大蒜にんにくばなれのしたかたで、すきにも、くはにも、連尺れんじやくにも、ばゞどのに追使おひつかはれて、いたはしいほどよく辛抱しんぼうなさいます。

 霜月しもつきなかぎに、不意ふい東京とうきやうから大蒜にんにく屋數やしきへお客人きやくじんがございました。學士がくし先生せんせいのおともだちで、かた何處どこへもつとめてはなさらない、もつと畫帥ゑかきださうでございますから、きまつたつとめとてはございますまい。學士がくし先生せんせいはうは、東京とうきやうある中學ちうがくかう歴乎れつきとした校長かうちやうさんでございますが。ーー

 で、その畫師ゑかきさんが、不意ふいに、大蒜にんにく屋敷やしき飛込とびこんでまゐつたのは、ろく旅費りよひたずに、東京とうきやうから遁出にげだしてたのださうで。・・・・・とまをしますのはーーはやはなしが、細君さいくんがありながら、よそにふか馴染なじみ出來できました。・・・・・それがために、首尾しゆび義理ぎりなかは、さん/゛\で、おもあまつて細君さいくん意見いけんをなすつたのを、なにを! とつて、ひと横頬よこぞつぽくらはしたはいゝが、先祖せんぞ、お兩親ふたおや位牌ゐはいにも、くらはされてしかるべきは自分じぶんはうで、佛壇ぶつだんのある我家わがやにはたゝまらないために、からかど駈出かけだしたはたとして、知合ちかづきにもともだちにも、女房にようぼう意見いけんをされるほどの始末しまつれば、行處ゆきどころがなかつたので、一夜ひとよしのぎに、木曾きそだにまで遁込にげこんだのださうでございます、げましたなあ。・・・・・それに、その細君さいくんふのが、はじめ畫師ゑかきさんには戀人こひゞとで、れて夫婦ふうふるのには、學士がくし先生せんせい大層たいそうなお骨折ほねをりで、そのおかげおもひかなつたとまをしたやうなわけださうで。・・・・・遁込にげこ場所ばしよには屈竟くつきやうなのでございました。

 ときに、よわりものゝ畫師ゑかきさんの、そのふか馴染なじみふのが、もし、なんと・・・・・お艶樣つやさまーー手前てまへどもへ一人ひとりでおとまりにつた婦人ふじんなんでございます。・・・・・一寸申上ちよいとまをしあげてきますが、これは畫師ゑかきさんのあとをたづねて、ゆきけておいでにつたのではございません。そのあひだざつ半月はんつきばかりございました。そのあひだに、唯今たゞいままをしました、姦通まをとこさわぎがおこつたのでございます。」
 と料理れうりばん一息ひといきした。

其處そこで・・・・・また代官だいくわんばゞへんくせがございましてな。くせよりやまひでーーるものしりかたうけたまはりましたのでは、訴訟そしようきやうとかまをすんださうで、ねぶかれたとつてはむら役場やくばだ、小兒こどもにらんだとへば交番かうばんだ。・・・・・派出はしゆつつじよ裁判さいぼんだと、なんでも上沙汰かみざたにさへ持出もちだせば、われがあると、それ貴客あなた代官だいくわんばゞだけに思込おもひこんでりますのでございます。

 その、大蒜にんにく屋敷やしき雁股かりまたかゝります、この街道かいだう棒鼻ばうはなつじに、巖穴いはあなのやうな窪地くぼち引込ひつこんで、石松いしまつ獵師れふしが、小兒がき澤山だくさんこもつてります。四十親仁おやぢで、小僧こぞうときは、まだ微禄びろくをしません以前いぜんの・・・・・ばゞとこ下男げなん奉公ばうこう女房かゝあ女中ぢよちう奉公ばうこうをしたものださうで。・・・・・ばゞえら家來けらいあつかひにするのでございますが、石松いしまつ獵師れふしも、かた親仁おやぢで、はなはだしく主人しゆじんたてまつつてりますので。‥‥‥

 よひあめゆきりまして、そのとし初雪はつゆきおもひのほか、夜半よなかけてつもりました。やまの、しゝうさぎあわてます。れふときだと、夜更よふけに、のそ/\ときて、鐵砲てつぱうしらべをして、爐端ろばた茶漬ちやづけ掻食かつくらつて、手製てづりくさるかは頭巾づきんかぶつた。むしろ戸口とぐちへ、白髪しらが振亂ふりみだして、蕎麥切そばきりいろふんどし・・・・・ 可厭いややつで、ときいろ禿げたのを不斷ふだんまきます、しり端折ばしよりで、六十九さい代官だいくわんばゞが、跣足はだしゆきなか突立つゝたちました。「うちばけものがた、てくれせえ。」と顔色がんしよく手振てぶりあへいでふので。・・・・・こんなとき鐵砲てつぱうつようございますよ、ガチリ、實彈たまをこめました。・・・・・きう主人しゆじん後室こうしつさまがお跣足はだしでございますから、石松いしまつ跣足はだし街道かいだう突切つゝきつてにら辣韮らつきやう葱畑ねぶかばたけを、さつ/\と、ばけものを見届みとゞけるのぢや、しづかにとことで、ばゞました納戸なんどぐちからはひつて、なか土間どましのんで、ゆびさされるなりに、板戸いたど節穴ふしあなからのぞきますとな、ーーなんと、六枚折まいをり屏風びやうぶなかに、まくらならべて、とまをすのが、てはなかつたさうでございます。わか夫人ふじんなが襦袢じゆばんで、掻卷かいまきえりかたから、すべつた半身はんしんで、畫師ゑかきひざしろをかけて俯向うつむけりました、背中せなかをとこが、でさすつてたのださうで。いつもは、もんぺを穿いて、木綿もめんのちやん/\こで嫁御よめごが、姿すがたで、しかのありさまでございます。石松いしまつばけもの以上いじやうおどろいたに相違さうゐございません。「おのれ、不義ふぎもの・・・・・にん畜生ちくしやう。」と代官だいくわんばゞつち蜘蛛ぐものやうにのさばりんで、「やい、・・・・・うごくな、そのざまを一すんでもうごいてくづすとーー鐵砲あれだぞよ、彈丸あれだぞよ。」とふ。にじりあがりの屏風びやうぶはしから、鐵砲てつぱう銃口くちをヌツと突出つきだして、えたひきがへるのやうな石松いしまつが、ひからしてねらつてります。

 人相にんさうひ、場合ばあひまをし、ヅドンとりかねないいきほひでございますから、畫師ゑかきさんは面喰めんくらつたに相違さうゐございますまい。「天罰てんばつ立處たちどころぢや、あしほん四つ、顔二つらふたつのさらしものにしてるべ。」で、代官だいくわんばゞは、近所きんじよ村方むらかたけんふもの、あしでたゝきおこしてまはつて、石松いしまつ鐵砲てつぽうけたまゝの、のありさまをさらしました。のあけがたには、派出はしゆつじよ巡査おまはり檀那だんなでら和尚をしやうまで立會たちあはせるとくるかたでございまして。學士がくし先生せんせいわか夫人ふじん色男いろをとこ畫師ゑかきさんは、ると、鹿子がのこ扱帶しごきわらすべで、彩色さいしきをした海鼠なまこのやうに、ゆきにしらけて、ぐつたりとつたのでございます。

 をとこはとにかく、よめ眞個ほんとうに、うしろくゝりあげると、細引ほそびき持出もちだすのを、巡査おまはりしかりましたが、しかられるとたけつて、たちまち、裁判さいばんしよむら役場やくば派出はしゆつじよ村會そんくわいも一しよにして、姦通かんつう告訴こくそをすると、のぼせあがるので、何處どこへもらぬ監禁かんきん同樣どうやうおもむきで、一先ひとま檀那だんなでらまで引上ひきあげることりましたが、いき證據じようこだと言張いひはつて、よめ衣服きものせることをきませんので、巡査おまはりさんが、ゆきのかゝつた外套ぐわいたうけまして、なんと、しかし、ぞろ/\とむらをんな小兒こどもまであとへついて、てらまゐつたのでございますが。」

 さかひはきつゝ、たゞ幾度いくたび歎息たんそくした。

「ーーがしたのでございませうな。畫師ゑかきさんはそののうちに、てらからかげをかくしました。これうあるべきでございます。さて、きますれば、せがれ親友しんいう兄弟きやうだい同樣どうやうきやくぢやから、せがれ同樣どうやう心得こゝろえる。・・・・・半年はんとしあまりも留守るすまもつてさみしく一人ひとりことゆゑ、嫁女よめぢよや、そなたも、せがれおもうて、つもるはなしもせいよ、とまをして、じまひをさせて、きものまでかへさせ、ときは、にこ/\わらひながら、とこならべさせたのだとまをすことで。・・・・・嫁御よめご成程なるほど、わけしりの弟分おとうとぶんひざすがつてきたいこともありましたらうし、藝妓げいしやでしくじるほどの畫師ゑかきさんでございます、背中せなかさするぐらゐはしかねますまい、・・・・・でございますな。

 代官だいくわんばゞ憤方いきどほりかた御察おさつしなさりたうぞんじます。學士がくし先生せんせい電報でんぱうばれました。なんなだめても承知しようちをしません。是非ぜひとも姦通かんつう訴訟そしようおこせ。いや、はぢ外聞ぐわいぶんもない、代官だいくわんへば帶刀たいたうぢや。武士ぶしたるものは、不義ふぎものを成敗せいばいするはかへつて名譽めいよぢや、とうまで間違まちがつてはこと面倒めんだうで。つて、裁判さいばん沙汰ざたにしないとなら、もきてらぬ。咽喉のどぶえ鐵砲てつぱうぢや、鎌腹かまばらぢや、奈良井ならゐがはふちらぬか。・・・・・枯梗きゝやういけしづめる・・・・・、このばゞあめ、沙汰さたかぎりな、桔梗きゝやういけしづめますものか、身投みなげをしようとしたら、いけ投出なげだしませう。」
 とつて、料理れうりばん苦笑くせうした。

「また、今時いまどきめづらしい、學校がくかうでも、倫理りんり道徳だうとく修身しうしんはう研究けんきうもなされば、おをしへもなさいます、學士がくしいたつての孝心かうしんかね評判ひやうばんかたで、嫁御よめごをいたはるはたには、弱過よわすざるとおもふほどなのでございますから、こうてゝ、なんともまをしわけも面目めんばくもなけれども、とにかく土地とちもらひたい。萬事ばんじはそのうへで。とふーー學士がくし先生せんせいから畫師ゑかきさんへのおたのみでございます。

 さて、これは決鬪けつとうじやうより可恐おそろしい。・・・・・勿論もちろんむらでも不義ふぎものゝつらへ、つばいしとを、人間にんげんみちのためとかまをしてさわかたおほ眞中まんなかでございますから。・・・・・どのつらさげて畫師ゑかきさんが奈良井ならゐへ二度面どつらがさらされませう、旦那だんな。」
「これはなんはれてもられまいなあ。」
「とつて、學士がくし先生せんせいとの義理ぎりあひではないわけにはまゐりますまい。ところで、その畫師ゑかきさんは、そのとき何處どこたと思召おばしめします。・・・・・いろのことから、しからん、横頬よこぞつぽつたと細君きいくんの、そでのかげに、まをしわけのない親御おやごたちのお位牌ゐはいからあたまをかくして、しりあしもわな/\とふるへてましたので、よわつたかたでございます。・・・・・かならず、れてまゐりますーーと代官だいくわんばゞに、ちかつて約束やくそくをなさいまして、學士がくし先生せんせい東京とうきやうたれました。

 その上京じやうきやうちう。そのあひだことなのでございます、ーー柳橋やなぎばし蓑吉みのきちねえさん・・・・・お艶樣つやさまが・・・・・こゝへおとまりにりましたのは。・・・・・」






「ーーどんな用事ようじ都合つがふにいたせ、夜中やちう近所きんじよしづまりましてから、お艶樣つやさまが、おたづねにらうとふのが、代官だいくわんばゞところうけたまはつては、一人ひとりではおまをされません。たゞみちだけけば、とのことでございましたけれども、おともが直接ぢかについてわるければ、桓根かきね裏口うらぐちにでもひそみまして、内々ない/\まもつてしんじようで・・・・・帳場ちやうば相談さうだんをしまして、人選じんせんあたりましたのが、の、つゝかなてまいなんでございました‥‥‥。

 お支度したくがよろしくばと、てまいこゝへ・・・・・のお座敷ざしき提灯ちやうちんつてうかゞひますと・・・・・」
「あゝ、ふたどもゑもんのだね。」と、ついきそはれるやうにさかひつた。
「へい。」
 とくらく、ふくむやうな、をとがひ返事へんじつて、
「よく御存ごぞんじで。」
「二まで、湯殿ゆどのいてて、つてますよ。」
「へい、湯殿ゆどのに・・・・・湯殿ゆどの提灯ちやうちんけますやうなことはございませんが、ーー
 それとも、へーい。」

 樣子やうすでは、いましがたにはとき料理れうりばんとゝもに提灯ちうちんとほつたなどゝは言出いひだせまい。さかひはなしうながした。
「それから。」
へんがいたしますが。えゝ、ざつとお支度したくずみで、二めの湯上ゆあがりにうす化粧げしやうをなすつた、めしものゝ藍鼠あゐねずみがおかほかげ藤色ふぢいろつてえますまで、おいろしろさつたらありません、姿見すがたみまへで・・・・・」
 さかひおもはず振返ふりかへつたことふまでもない。

きん吸口くちで、烏金しやくどうつた煙管きせるで、一寸ちよつとめなさつたやうにえます。懷紙くわいしをな、まゆにあてゝてまいを、おもなが御覽ごらんなすつて、 
「ーー似合にあひますか。」

「むゝ、む。」とさかひこゑは、こほり頬張ほゝぱつたやうに咽喉のどつかへた。

たゝみのへりが、桔梗きゝやうしろいやうにえました。
「えゝ、勿體もつたいないほどお似合にあひで。」
 とふのをいて、懷紙くわいしをおのけにると、まゆのあとがいま剃立そりたての眞青まつさをで。・・・・・「桔梗きゝやういけ奥樣おくさまとは? 」ーー「お姉妹きやうだい・・・・・いや一ばい綺麗きれいで。」とばちもあたれ、まをさずにはられなかつたのでございます。

 こゝをおきなさいまし。」・・・・・
「おつやさん、うしませう。」
ゆきがちら/\あめまじりでなかを、やぶれた蛇目傘じやのめで、すぼらしい半纏はんてんで、意氣いきにやつれた畫師ゑかきさんの細君さいくんが、をとこ寝取ねぎつた情婦をんなともはず、お艶樣つやさまーー本妻ほんさいが、そのていでは、情婦いろだつて工面くめんわるうございます。わづらつて、しばらく親許おやもとへ、納屋なや同然どうぜんな二階借かいがりで引籠ひきこもつて、内職ないしよくに、むすめ子供こども長唄ながうたなんか、さらつてくらしてなさるところへ、思餘おもひあまつて、細君さいくんたづねたのでございます。」

「おつやさん、わたしぞんじます。わたしが、貴女あなたはどおうつくしければ、「こんな女房にようばうがついてます。なんやどが、木曾きそ街道かいだうをんななんぞに。」と姦通まをとこよばはりをするばゞあに、つてるのが一ばん早分はやわかりがするとおもひます。」「えゝ、なによりですともさ。それよりか、其上そのうへに、おめかけでさへのくらゐだ。」とつてわたしせてりますはうが、うへおくさんとふ、奥行おくゆきがあつてうございます。「おくさんのほかに、わたしほどのいろがついてます。田舎ゐなか意地いぢぎたなをするもんですか。」ばゞあつてやりませうよ。そのおよめさんのためにも。ーー」


「ーーあとで、お艶樣つやさまの、したゝめもの、かきおきなどに、樣子やうすえることに、なんともうも、も、つい立至たちいたつたのでございまして。・・・・・これでございますから、なん木曾きそ山猿やまざるなんか。しかし、ねんのために土地とちをんな風俗ふうぞくようと、山王さんわうさま參詣さんけいは、その下心したごゝろだつたかともぞんじられます。・・・・・ところを、桔梗きゝやういけの、すごい、うつくしいおかたことをおきゝなすつて、これが時々とき/゛\人目ひとめにもれるとふので、自然しぜん代官だいくわんばゞにもとまつてて、自分じぶん容色きりやう見劣みをとりがするだんには、うつくしさでつことは出來できない、と覺悟かくごだつたとおもはれます。もつと西洋せいやう剃刀かみそりをおちだつたほどで。それで不可いけなければ、なかうるさばゞあひとだすけにちまふーーそれも、かきおきにございました。

 雪道ゆきみち雁股かりまたまで、棒端ばうはしをさして、奈良井ならゐがは枝流えだながれの、青白あをじろいつゝみをまゐりました。こほりのやうなつき皎々かう/\えながら、山氣さんききりつてつゝみます。巖石がんせき、ぐわう/\のほそ谿川たにがはが、さむさに水涸みづかれして、さら/\さら/\、・・・・・あゝ、ちやうど、あのおと、 洗面せんめんじよの、あのおとでございます。」

一寸ちよつと、あの水口みづぐちめてないか、身體からだ筋々ふし/゛\沁渡しみわたるやうだ。」
同然どうぜんでございましてl・・・・・えゝ、しかし、うも。」
一人ひとりぢや不可いけないかね。」
貴方あなたさまは?」
「いや、なにうしたんだい、それから。」
いはいはに、土橋どばしかゝりまして、むかうにゑんじゆおほきいのがれてちます。それがあぶなかしく、みづれるやうに月影つきかげえましたとき、ジ、イと、てまいちました提灯ちやうちん蝋燭らふそくえまして、ぼんやりきます。「くらくなると、ともゑひとつにつて、人魂ひとだまくろいのが歩行あるくやうね。」お艶樣つやさま言葉ことばにーーてまいはツとしてのぞきますと、注竟ちういにも、なんにも、お綺麗きれいさに、そはつきましたか、と、もうかけがとぼしくつて、かへの蝋燭らふそくれてございません。おつきまをしてはります、月夜つきよだし、足許あしもと差支さしつかへはございませんやうなものゝ、當館たうくわんもん提灯ちやうちんは、一寸ちよつと土地とちでははゞきます。あなたのおためにとおもひまして、みちはまだ半町はんちやうらず、つい一走ひとつはしりで、駐戻かけもどりました。これ間違まちがひでございました。」

 こゑも、ことばも、しばらく途絶とだえた。

うら土塀どべいから臺所だいどころぐちへ、‥‥‥
 まだはひりませんさきに、ドーンと天狗てんぐぼしちたやうなおとがしました。ドーンとこだまかへしました。鐵砲てつぱうでございます。」
「 ・・・・・・・・・・」
吃驚びつくりして土手どてますと、かはべりに、うすぎんのやうでございましたお姿すがたえません。提灯ちやうちんなに押放おつぽりして、自分じぶんでわツとつてけつけますと、居處ゐどころすこしずれて、バツタリと土手どてはらゆきまくらに、帶腰おびごし谿川たにがはいしたふれておいででした。「さむいわ。」とうつゝのやうに、「あゝ、つめたい。」とおつしやると、そのくちびるからいとのやうに、三條みすぢわかれたれました。

ーーなんとも、かとも、おいたはしいことにーーすそをつゝまうといたします、みだづま友染いうぜんが、いろをそのまゝにいはこほりついて、しも秋草あきぐささはるやうだつたのでございます。ひと立會たちあひ、抱起だきおこまを縮紬ちりめんが、こほりでバリ/\とおとがしまして、古襖ふるぶすまから錦繪にしきゑがすやうで、はうが、お身體からだおもひがしました。むねたまつたあたゝかながれましたのに。

ーーちましたのは石松いしまつで。・・・・・親仁おやぢが.生計くらしくるしさから、今夜こんやこそは、うでもものをと、しとぎ、、、もちやまかみいのつてました。たま味噌みそなすつて、くしにさしていてちます、その握飯にぎりめしには、るとまをします。がり/\ばしふ、土橋どばしにかゝりますと、お艶様つやさまはうではひとるのを、よけようと、みづすくないから、ついかはいは片足かたあしおかけなすつた、桔梗きゝやういけあやしい奥様おくさまが、みづうへよこつたふとて、バツと臥打ふしうちねらひをつけた。おれ退治たいぢたのだ。村方むらかたのためにとつて、いまもつてくるつてります。ーー

 旦那だんな旦那だんな旦那だんな提灯ちやうちんが、あれへ、あ、あの、どのゝはしから、・・・・・あ、あ、あゝ、旦那だんなむかうから、てまいます、てまいとおなじをとこまゐります。や、ならんで、お艶樣つやさまが。」

 さかひをくひしめて、
確乎しつかりしろ、可恐おそろしくはない、可恐おそろしくはない。・・・・・うらまれるわけはない。」

 電燈でんとうたまともゑつて、くろくふはりとくと、炬燵こたつうへ提灯ちやうちんがぼうとかゝつた。



似合にあひますか。」



 座敷ざしきは一いちめんみづえて、ゆきはひが、しろ桔梗きゝやうみぎはいたやうにたゝみみだいた。





             【完】















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