かながき水滸すゐこでん

             明治三十八年三月

泉鏡花

   全一章

 誰方どなた馴染なじみ種彦たねひこが、やく水滸すゐこでん文章ぶんしやうにつき、門弟もんていなりし尾州びしう熱田あつた仙果せんくわもとにおくりたる書面しよめんあり。饗庭あへば篁村くわうそんをう所藏しよざうのよしにて、水谷みづたに不倒ふたうちよ小説せうせつ史稿しかう文出ぶんいでたり。

    文章ぶんしやうのこと京山きやうざんやくのところあたり本朝ほんてう俗語ぞくごおほ水滸すゐこでんらしくなきよいふひやうなり七へんよりさるひとをたのみやくまをしすでに稿本かうほん二十ちやう出來しゆつたい候處さふらふところこれはことに俗語ぞくごなはだしく「のはつゝけやらうとがきには「くそでもくらへ」などいふことありこれではれぬというて版元はんもとより少々せう/\筆紙ひつしれうをおくり小子せうしをたのみ書直かきなほさふらふのなり、

 かくてたのまれて書直かきなほしたるが、すなはち柳亭りうてい種彦たねひこやく歌川うたがは國芳くによしぐわにて、文政ぶんせい庚寅こういんはるりん教頭けうとう風雪ふうせつ山神ざんじんべうよりいだしたる、國字こくじ水滸すゐこでんだいへんよりだいへんきふ先鋒せんぽう東角とうかく爭功さうこうまでなり。の七へんじよに、

    稗史はいし水滸すゐこでんでん楔子けつしより六ちついたるは、山東さんとう京山きやうでん先生せんせいやくなり、先生せんせい令伯れいはくよりの名家めいかにして、著述ちよじゆつ更地さらなりしよひ、鐡筆てつぴつもとむるもの机下きか啓處けいしよして少時しばらくかんたまはず、ゆゑ稿本かうほん遲々ちゝたり、にはしるの書肆しよしこれをたんじ、嗣編しへんことゆだぬ、是正これまさ山東さんとう羊頭やうとうをかけて、柳亭りうてい狗肉くにく計策けいさくなり、松魚かつを旨味うまきず、文〓魚とびうを麁味あぢなきくらたぐひにて、不會ふくわいよりでしことにはあらず、先生せんせいとは舊年きうねん相識さうしきなり、原來もとより女子ぢよし玩弄もてあそび高手かうしゆらうさんよりはと、すみやか承諾しようだくして、錦織きんしう貲布しふつゞる、看官みるかた鷹爪ようさうのちに、苦茗くめいすゝりたまふこゝちならん。

 敍文じよぶんすで調子てうしいつもず、はや水滸すゐこでんやくすといふ精神せいしんおのづからあらはれたり。もつ用意よういふかきをるべし、なほ仙果せんくわをしへたる書簡しよかんうちに、

    十一ペんよりはいますこしまじめなる文章ぶんしやうかたよかるべくぞんさふらふ、しかしかたくてもゆかず、御見おみはからひなさるべくさふらふ中略ちうりやく)あまりやくくるしみさふらふと、「かぜあめはげしくといふやうなこと出來できるものなり、風雨ふうゝいてもかなにやはぐれば、あめかぜといはねばならず。

      この作者さくしやこゝろゆかしさ、田舎ゐなか源氏げんじ十五へんじよにもゆ、

    あかぬものは、菜汁なじる月夜つきよくろ小袖こそで忠臣ちうしんぐら源氏けんじなれども、たま味増みそでは菜汁なじるもくへず、忠臣ちうしんぐら下手へたにかたると、しゝよりさきにいつさんに聞手きゝて逃出にげだ鐡砲てつばうさだらうがついては、くろ二重ぶたへ木綿もめんおとれり。(下略)

 かゝ注意ちういあればこそむらさき名譯めいやくは、明石あかしちやう出來できたるなれ。トルストイなんぞはらず、端唄はうたはいきなものなれども、葛西かさいせな濁聲だみごゑたかく、うそなみだるならば、と酒臭さけくさ呼吸いきいては、あまだれほどの風情ふぜいもなく、追分おひわけぶし悽愴せいさうながら、やまあねさんが、いと調子てうしをはづすときは、蚯蚓みゝずうたほどかんずるものなし。普門ふもんぼんまた然矣しかり外山とやま巖屋いはや合掌がつしやうして、伏姫ふせひめくんじゆせずしては、われ/\とてたれ菩提ぼだいしんおこすものぞ。

  どう十七へんじよ又曰またいはく、

    海鼠なまこ烏賊いか形異かたちことやうなるものから、うつしたるは風雅ふうがなり、章魚たこ河豚ふぐはをかしみあるうちに、西施乳ふ ぐはすこしにくのそひてゆるは、どくなりといふこゝろからなるべし、丹魚あかなはたじろの類はたぐひ佳肴かかうならざれども、ゑがくときは美艶うるはしく、鮫鱇あんかう鰻〓うなぎ美味びみなるも、かたちぐわしてはしなくだれり。(下略げりやく

 たとひ天堂てんだうをひいても、工匠たくみうでがかんなさへ使つかへぬものを如何いかにすべき。
  
    二重ぶたへきぬ最上さいじやうなれども、雨衣みちゆきにしたらんには、兜羅とろ綿めんにだにおとり、縮緬ちりめん前垂まへだれぬぐふにこゝちわろく、木綿もめんほどようはたりまじ、(三十二)

 といへるもおな心なこゝろるべし、またあめかぜ風雨ふううひとしきこと、十四へんじよにもあり。

    寛政くわんせいのころ、東内とうないといひし軍書ぐんしよよみおなことならべていふ口癖くちぐせあり、たとへば狼煙らうえんてんこがし、合圖あひづのけぶり立登たちのぼるとひとむらしげもりうちより、馬煙ばえんうまけぶりをたてゝといふたぐひなり、わらひとおほかりしが、うまけぶりでは語勢ごせいよわし、この草紙さうしに、うちしはぶきまでこわづくり、道具だうぐ調度てうどなんどいふ、添言そへこと重言かさねことばは、これよりのあんじなれば、物識ものしりびともしたま/\たまはんにはいとをかしとおぼすことおほからん、

 かくて手紙てがみつゞきにいはく、

    小子せうしの六十ちやうのうち揚志やうし弓射ゆみいことをいふくだりに、ひだりかひな大山たいざんするばかりにかためながら、みぎこぶしはみどりを、いだ心地こゝちにいとかろく、いたるゆみ滿みつつきながるゝほしよりやつはやく、

 この文章ぶんしやうばかりがうまく譯文やくぶんにはまりたるにて、あとはやくではなくさくなり、とあり、こゝに六十ちやうといふは七へんより九へんまで、五まいを一さつ、十二さつ、二さつを一ちつちつにて七八九の三ペんなり。種彦たねひ得意とくいといへる揚志やうしゆみ前後ぜんごぶんは、

    やうしうつぼのをとつてうちつがへつおもふやうもし今かれをいころしなばみよりのものゝさぞかしなげかんもとよりわれはしうきんにあだもなければうらみもなしいのちをたゝずにうすでのみおはせんにしくはなしとひだりのかひなは大山たいざんをのするばかりにかためながらみぎのこぶしはみどりをいだくこゝちにいとかるくひいたるゆみはみつるつきながるゝほしよりははやくめあてたがはずしうきんがひだりのかたさきはつしといればしばしもこらへずどうとおちうまはおどろきはせさりけり

 かなにてやはらかくいたれど一毫いちがうといへども、青面せいめんじう面目めんぼくきずつけず、十ぺん仙果せんくわふでにて

    「それはこなたものぞむところまたげん小五せうごにもたいめんしてかたるべきことのありこのほどかれにいへにあれやととへばこなたはうちうなづき「あれがすみかもうみのはたふねさしよせてさそひてんといひつゝうちをさしのぞきにようばうをよぴいだしふねへしくべきむしろをとりよせちやのよういなどせさせてのちいざめしたまへと呉用ごようをのせ阮小二はそのまゝにかいとりいだししばしがほどひたすらこぎてゆきけるがまこもあしのはしげりたるなか一そう小舟こぶねありすかしみてこてまねぎ「オイおとうとの阮小七、五らうはみぬかとよびかくればざわ/\/\とよしあしをこぎわけいづる阮小七

 (ざわ/\/\とよしあしを、)これにては折角せつかく修辭しうじもあだなり。げん小二せうじそのまゝかいをとりいだし、しばしがほどひたすらぎて、とつゞけては、ぐともえずおすともおもへず、
 
    「さてよいところで七らうどのおんみたちをたのみたきしさいあつてきたりしなり

 とこれが呉用ごようのことばにては、しらぬひものがたりの七らうを、すゝはきのつだひに、醫者いしやがたのみにたやうにて、智多星ちたせい先生せんせいおもかけもなく(十一ペんをつけよ、としかられたるはもつともなり。

 種彦たねひこまた十一ぺんじよしていふやう、 

    水滸すいこでんにだもふれず、皇國みくに勢語せいご源吾げんごあり、なんぞ漢土かんど趣向しゆかうらんと、いふは不學ふがく負惜まけをしみ、れども不讀よめずみてもせざるゆゑにてあり、そも/\水滸すゐこ文章ぶんしやう奇絶きぜつをたくみ、また文字もんじ使つかひざまに、めうきはめし小説せうせくながら、ごと下手へた作者さくしやこれ國字かんなになほすときは、さけんでは喧嘩けんくわをはじめ、盗人ぬすびとになることばかりで、面白おもしろみはさらになし、

 とげたやうにしるしながら、しか用心ざうじいおろそかならず、林教頭風雪山神廟、陸虞侯火燒草料場のあたり會心くわいしん文字もんじなり。

    のこくばかりに天王てんわうだうをたちいでぬこのわたりにひろきいけありてあまたのやなぎをうゑたりはるのみどりにはおとるといへどもとほくよりのぞむときはうすゞみのいとをたれたるごとくまたながめなきにしもあらずやゝけしきにとれたゝずむをりうしろのかたにひとありて

 と小二せうじになるあたりはいふも更也さらなり

    さうれうぢぢやうをこゝろざしみちいまだいくばくならずさむけきくもおほひかさなりゆきちら/\とふりいでゝあたかもたまのくづをみだしつるのけをちらすがごとく木々きゞのこずゑはときならぬはなる/\ふりつもりやまはしろがねにつくるににてみちにはさらせるぬのをひきはへともたにともふみわけがたく

 かなのみにして、景情けいじやうほねすにあらずや。

    かのおきながをしへおきしさとへゆきてさけをかひゑひにじようじてねぶるべしとくだんのふくべをやりのえにかけもんをしめぢやうをさしかぎをばしかとこしにつけひがしをのぞんではしりしがいまだ半里はんりならずしてものふりたるやしろあり林冲りんちうひろまへにぬかづきつ神明しんめいのかごをもてふたゝびよにいでさふらはゞかうをたきはなをさゝげあつくはいしやしまをさんとまたゆくとしぼしにしてはたしてこゝにむらさきありとればながきたけへはうきをさげて門口かどぐちよりなゝめにたかくいだしたるありこれさけをうるかんばんなればかのいへにひらりといりさけをかはんといひけるこゑにあるじはとくたちいでゝこゝらにめなれぬひとなるゆゑいづくよりきませしといぶかしげにとひけるにぞこれしれりやと林冲りんちうがさしだすふくべをつら/\てこはわがいへのとくいなりいかんぞわすれそふらふべき林冲りんちうはうちうなづきわれけふよりはおきなにかはりまぐさごやをまもれるなりときくよりあるじははいをなしさあらばきかくはこれよりしておのれがとくいにそふらふなり

 たゞさら/\とつくりたれども、くだんひさごやりにかけのごとき、つゞりかたいきほひにてやりながさもおしはかられ、せたる豪傑がうけつゆきんで、酒屋さかやへ三姿すがた髣髴はうふつとしてちあらはれ、東京トンキン八十萬禁まんきんぐん教頭けうとう英姿えいしまことにさわやかなり、「これしれりや、」といふあたり、ひと口吻こうふん氣概きがいのほどもおのづとゆ。酒家さかやのおやぢが、とんきように、「こはわがいへのおとくいなり、」もその顔色かほつきさへえて、輕妙けいめうなることたとふるものなし。

    (前略ぜんりやくとしごとあらはす歌舞かぶがかりの、草紙ざうしにひきかへて、正面しやうめん露臺ろだい卍欄まんじらんをとりつけ、下座げざへよせて大湖たいこ花石くわせき海棠かいだう釣枝つりえだといふやうなあつらへばかり、世話せわがかつた草料さうれうぢやう山神さんじんべうの三さんにんぎり朱貴しゆきみせまで雪場ゆきばが三まくだんぎりにやう/\いたり、揚志やうしでんにうつりしかど、花水はなみづばしといつものやうに、がるくいたとことかはり、なァがい/\天漢てんかんしうけう、おうまもお駕籠かごもどこやらちつと、からめかせねばうちがわるし、をひかるべき十六七のをやまのすくな狂言きやうげんにて、はらはざる學者がくしや眞似まね書房しよばうのたのみの黙止もだしがたく、ときをなししまでにして。

 となしゝまでなるひらがなのやなぎときのあさみどり、たれ學者がくしやにしかずといふ、偐紫げんしろうのあだすがた、つき風情ふぜい垣間かいまられなん。ついでなれば、一編いつぺんより七へんまでの京山きやうざん文章ぶんしやうもひいてんとおもひしが、故人こじんろんずるにたればおきつ。いまめかしく取出とりいでたれど、水滸傳すきこでい珍書ちんしよにあらず、ありふれたるくさ雙紙さうし、たゞよむひとすくなきのみ。うめかよふ火桶ひをけもたれて、よみつゝおもふことかいつけたり。さてうぐひすこゑならなくに、またくさ雙紙ざうしのゝしりたまはん、ひとたちよりすさまじき、三十日みそかといふがあるものを、つゝしまずんばあるべからず、豈學あにまなばずしてならんや。




             【完】







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