北國空

泉鏡花

全一章

 月令げつれいに、冬日とうじつらいこゑをさむとあれども、北國ほくこくにては雪雷ゆきがみなりとなへて、しろきものゝらんとするにあたりては、例年れいねんかなら雷鳴らいめいのあらざることなし。また此頃このごろとして、鰤獵ぶりれふさかんなれば、ぞくかみなり鰤起ぶりおこしともふ。師走しはす中旬なかば、一きはめて、肩寒かたさむく、あしこゞゆるとき殷々いん/\としてらひとゞろくをけば、「もう、お正月しやうぐわつおとがするよ。」とはゝ添寝そひねなぐさむるなり。

 さるほどに寒威かんゐそうくはへ、くれども日光につくわうず、淡墨うすゞみまれる明窓あかりまど障子しやうじひらけば、暗雲あんうん漠々ばく/\として、灰色はひいろぬのは一てんつゝめり。はたせるかな其夕そのゆふべより狒々ひゝとして降積ふりつゆきは、一にして七八すん乃至ないししやくあまるをつねとす。

 これよりさき霜月しもつき上旬じやうじゆんより、霰降あられふり、霙落みぞれおち、つゞきて雪降ゆきふり、五六すんづゝも、つもりてはえ、えてはつもることおほむ日毎ひごとなれば、「今更いまさらめづらしきものが、りました。」と者無ものなく、相見あひみひとまゆひそめて、「おさむうございます。」と挨拶あいさつするのみなり。

 天色てんしよく昏蒙こんもうとしてひる黄昏たそがれごとく、はなはだしきは日中につちうともしびてんずることありて、手許てもとくら裁縫さいほう便べんならず、讀書とくしよわづらはしく、すべ精小せいせうなる職業しよくげふさまたげられざるはなし。ればとて日傭ひようとり大工だいく左官さくわんなど粗大そだいげふいとなものも、雪中せつちうはなは閑散かんさんなれども、かねてりとりて備荒びくわう貯蓄ちよちくおこたらざるがゆゑに、各々おの/\坐食ざしよくして飢渇きかつうれへず、かへりてはたらきたりしものは、平時へいじらうなぐさむるをべければ、じつふゆ北國ほくこく住民ぢうみんが、なが安息あんそくふもならんか。 

 渠等かれらわらあるひいたもつて、雪垣ゆきがき結繞ゆひめぐらせる薄暗うすぐらいへ閑居かんきよして、徒然つれ/゛\其日そのひくらあひだ兒童じどうやがきたらんずる「お正月しやうぐわつ」の希望きばうかゞやけるあいらしきかほを、かぜさらし、ゆきたせて、仇氣あどけなき聲々こゑ/゛\に、「ゆきは一しようあられ五合ごんがふ」と拍子びやうしならしてはやしつゝ、うさぎごと跳廻はねまはりてよろこべり。
 遊戯いうぎは「雪投ゆきなげ」「ゆき達磨だるまあるひは「あら坊主ばうす」ととなへて、二けん有餘いうよおほ入道にふだうつくる。こは渠等かれらちひさきには力及ちからおよばず、突飛とつぴなる壯佼わかもの應援おうゑんあふぐとるべし。

 氷辷こほりすべりはさかんにして、これもちゐる「ゆき下履げた」なるものは、竹片ちくへん茶合ちやがふごとりたるにをすげたるなり。たけ草履ざうりとて普通ふつう草履ざうりうら竹片ちくへん結附むすびつけたるもあり。 
 此等これら穿うがちて堅氷けんぴよううへはしるに、さながらながるゝごとく、一二ちようは一いきともはず瞬間しゆんかんなり。されども多少たせう鍛錬たんれんまざれば、一にして蹈辷ふみすべらし、二三げんにして投飛なげとばされいたちまいはほごとこほりきずつき、ときとしてその危害きがいふべからざるものあり。おやたちはくちくしてこの險惡けんあく遊戯いうぎきんずれども、其心このこゝろらざる兒輩じはいは、わすられざる愉快ゆくわいために、身體しんたい髪膚はつぷわすれざるはあらず。

 元來ぐわんらい雪國ゆきぐににてはいけうへおもなど、みづあるところもて遊戯いうぎつるにはあらず、五しやくしやくつもれるゆきうへつうぜるたゞでうみちは、頻繁ひんぱんなる往來ゆきゝために、あたか普請ふしんみちまれ/\て平夷へいいになりたるごとくなれば、そのまゝもちゐるに屈竟くつきやうなり。 

 されども所用しよようあるものも、by>所用しよようあるものも、この玉盤ぎよくばんごとゆきみちかざるべからず、足腰あしこし達者たつしやなるはいは、こほりすべり呼吸こきふもつあゆむがゆゑ無事ぶじなるをれども、老脚らうきやく鎗跟さうらうたるは、一支ひとさゝへさゝへずくつがへされて、おほ怪我けがかうむること屡々しば/\なり。これふせぐにには下駄げた後齒うしろばくぎちて、「ゆき下駄げた」とて、もちふ。こは、くぎさきもてく/\堅氷けんびようなめらかなるおもて突砕つきくだきつゝ足懸あしがゝりつくるなり。あるひ藁灰わらばひ散布さんぷしてむもあり。あゝあやふかな北國ほくこくみちきながらつるぎやまゆるなりけり。

 兒輩じはいよ、なんはやいへかへらざる、みちあかるけれども、すでれんとするなり。
 御身おんみはゝは、ものつくりて御身おんみつことひさし。ものとはなんぞ。鹽鰤しほぶり糟汁かすじるこれなり。
 ぶり冬籠ふゆごもり佳肴かかうにして、家々いへ/\に二三あがなひつ。ひさしき貯蓄ちよちくふるため、つよしほほどこしたれば、あぶりて其肉そのにくくらふさへ鼻頭びとうあせするばかりなり。しるあたゝかきが取柄とりえとて、多量たりやうさけかすをとかしてきこと宛然さながらとろゝのごときに、くだん鹽鰤しほぶりにく殘物ざんぶつ取交とりまぜて汁鍋しるなべなか刻入きざみい煮立にたて揚氣ゆげ濛々もう/\たるを、そのまゝおほいなる塗腕ぬりわん装出よそひいだし、一打寄うちよりてこれすゝる。晩食ばんしよくの一しつには、ときならぬかすみ棚引たなびきて朧月おぼろづきおもむきあり。されば三わん熱羮ねつかうに、春風しゆんぷうたちま腸胃ちやうゐりて、一はるむるをべく、酒量しゆりやうなき婦女ふぢよたちは、これにもひておもてむるも可笑をかし

 こゝにもつとあいすべきはゆき炬燵こたつにこそ。雪國ゆきぐにひといへ、といふには、かならず一以上いじやう炬燵こたつふくむものとるべし。
 親子おやこ夫婦ふうふ兄弟きやうだい姉妹しまい、四かくめん押並おしならびて、隔意かくいなく、作法さはふなく、雜談さつだん笑語せうご和氣わき靄々あい/\雜談笑語和氣靄々あい/\たるいへそとに、もやゝけてつまりたるとしくれながら、人跡じんせきやう/\えて、最靜いとしづかゆきのみひとりしきるときおもたげなる跫音あしおときたりて軒下のきしたまりぬ。

 やゝありて下駄げたゆきおとさんとて敷居しきゐ爪先つまさき打當うちあつるおときこゆ。「唯今たゞいまけます。」と二聲ふたこゑ聲内こゑうちよりおうずれども、なほほと/\とおとなひてまず、「應々おう/\といへどたゝくやゆきかど」とこれなり。 
 くるおそしと入來いりくるは、兒輩じはいつね兩手りやうてげて勸迎くわんげいせる、はなし上手じやうず伯父をぢさまなり、頭巾づきん合羽かつぱ眞白まつしろになりてさぎごとくなるを、家人かじんはうきもて掃落はらひおとすをちて、打笑うちゑみつゝ炬燵こたつすゝれり。
 さてかれ團欒だんらんむしろつらなりて、兒輩じはいれいごとくおもしろき物語ものがたりかせよとふがまゝに、がいがいしておもむろ説出ときいだせり。

 あいらしきよ。御身おんみいま伯父をぢうちらんとして、少時しばし軒下のきした躊躇ためらひたりしをらん。門口かどぐちきたりしときしろ無垢むくころもまとひて、同一おなじいろかづきかぶれる、一うつくしき上臈じやうらふあり。此家このや軒下のきしたたゝずみて、しきりうちうかゞひしが、來懸きかゝりし姿すがたるより、こゑひそめてとひけるやう、「いかに小兒こどもえんあるひとよ。わらは大雪おほゆきめて、何處いづちにもあれ幼兒をさなごある家内かないをばうかが歩行ある婦人をんななるが、ひと此家このや幼兒をさなご慈愛じあいぶかはゝ其袖そのそでもつひしその行爲かうゐおほひつゝ、わらはさへぎるため、その善惡ぜんあくるによしなし。ねがはくは御身おんみすることなく、かれての一さいかたられよ。しやうすべくばこれしやうばつすべくばこればつせん。」と。

 かつ御身おんみ種々しゆ/゛\惡戯いたづらして、はゝこまらすをりたれば、ありやうに打明うちあけんかと一たびおもひしが、て、かせんには上臈じやふらふ立處たちどころ何等なんらかの手段しゆだんもつて、可愛いとしつみたまはんと、「いなそれがしをひはよくはゝことばしたがひ、大人おとなしくさふらへば、褒美はうびをこそつかはされきものなれ。」とまめやかにげたるに、うれしげに莞爾につこみて打頷うちうなづたまふとえし、紛々ふんぷんたるゆきまぎれて消失きえうせたりし眞白ましろ扮装いでたち上臈じやうらふは、一ちやうばかり彼方かなたなる、御身おんみ惡戯わるさ朋達ともだちかど朦朧もうろうとしてあらはたまひ、雪垣ゆきがきへんきつもどりつ、うち樣子やうすうかゞひたり。これうたがふべくもあらぬゆき上臈じやうらふなり。上臈じやうらふけだしろきものゝなる精靈しやうりやうにして、冬季とうき小兒こども賞罰しやうばつつかさどりたま神女しんによにこそ。

 うたがふをめよ、御身おんみちゝはゝあねともに、平和へいわなる、幸福かうふくなる團欒だんらんをなしあたふは、みなこの伯父をぢ執成とりなしりて、幼兒をさなごしやうしたる、ゆき神女しんによたまものなりと。
 伯父をぢ所謂いはゆるゆき上臈じやうらふなるものは、ゆきける一しゆ現象げんしやうなりとす。

 元來ぐわんらいゆきおほいつもれるときは、はゞ三四けん道路だうろいへども、巨蛇きよだ蜿蜒ゑんえんたゞでうひとの一にんやうや通行つうかうべきほどほそ雪道ゆきみちひらくのみなれば、夜半やはん往來ゆきゝひとかたはら雪溜ゆきだまり踏込ふみこまざらんため、傍目わきめらで足許あしもと見詰みつめてく、さへぎるはたゞ銀沙ぎんさ渺々べう/\として物色ぶつしよくざるをもつて、素白そはくげんぜる視線しせん不圖ふとてんずるトタン、眼球がんきうえいずるところの、もりいへ垣根かきねなど、何等なんら物體ぶつたい作用さようりて、はしうへ軒端のきばやまあるひまつこずゑなどに、髣髴はうふつたる神女しんによ姿すがたみとむ、これけだし一しゆ異樣いやう幻影げんえいなり。




【完】





    *********

●表示について

2style.net