風流蝶花形

泉鏡花


「あら/\はぎはながこぼれるのかとおもつたら。」
 中庭なかにはなる琵琶びはいけ夕凪ゆふなぎ空蒼そらあをみてひる月白つきしろ水底みなそこ宿やどりたり。いけ琵琶びはかたちしたるなり。みぎはには丈低たけひくえだかたちまどかなるかえでしげりたるが、くれなゐいろめて、彼處かしこ此處こゝ飛々とび/\七株なゝかぶばかりゑられたる、其蔭そのかげのみみづくらうして、ひともしたる灯籠とうろういまだあたりをばてらさゞるが、此隈このくまにのみちら/\とうつりてゆ。靴脱くつぬぎいしおほいなる、たとへばいかだ縄切なはきれて、ばら/\になりたるごとせうふえかたちなり。こもまた樂器がくきなぞらへけむ、篳篥ひちりきもありや、太鼓たいこもありや、飛石とびいし處々ところ/゛\袖垣そでがきしたあたり、かの沓脱くつぬぎ周圍しうゐにも、みぎはなるもみぢのにもはぎ花咲はなさきみだれつ。をぎはあらなくにその上風うはかぜ一陣ひとしきりわたれるにぞ、そらいろつきなり紅葉もみぢかげ、はたともしび宿やどりたる、ひとまぜにみだれかさなり、池水いけみづ小波さゞなみちて、緋鯉ひごひなゝ打群うちむれてフといたるとき樓上らうじやうらんりて、清香きよかをいふうつくしきが、はぎはなこぼるゝかとたりしは、こまかき花片はなびらばかりなる、むらさきてふくるへるなりき。

「まあ、可愛かはいいことね。」
 燃立もえたごとなが襦袢じゆばん水色みづいろ縮緬ちりめん扱帶しごきまとひ、部屋へや袖長そでなが欄干らんかんにかけながら、清香きよかちて見惚みとれたる、むかひなる階下したなが廊下らうかにのし/\と跫音あしおとして、やがて植込うゑこみあひだよりしろきものきつ。ツと椽側えんがはにあらはれたるはかしさきといふ關取せきとりなり。いまよりあがりしとゆ、ぬれ手拭てぬぐひをばにさげつ。おわたぶさのびん掻撫かいなでながら、くろがねごとひたひをあげて、樓上ろうじやうたりしに欄干らんかんなるはいとごと其背そのせなをばふるはしつ。る/\いろをかへてうつむきぬ。






「ちよいと。」
「は。」
「おぢうどん。」と眉根まゆねせたる、鼻高はなたかく、色冴いろさえ、いろいとしろく、ほゝやせたる、紀年としは二十六七なるべし、かゝるなかにあるものゝ打身うちみにはわかし。かみをば三輪みつわひたり。すらりとして中背ちうぜいなる、にはふらんねるの單衣ひとえて、幅狭はゞせまむらさき繻子しゆすおびむねをせめて引締ひきしめつ。げなく凜々りゝしくとりなしたる、つまはづれの尋常じんじやうさ、くろ草履ざうりをばゆきなす素足すあしひつかけて、つむぎの飛白がすりあはせ羽織はおりひも打結うちむすびて着做きなしたる、この菅原すがはらこのみぞとよ。薄紫うすむらさき襦絆じゆばんえりにをとがひをひたとつけて、キツとひとみせながら、遣手やりてかほ打視うちながめぬ。

「おぢうどむ、あのな、彼處あすこ關取せきとりにはどの座敷ざしきるんだえ。」
 はれて、小戻こもどりして、傍近そばちかすゝり、
「あれはね、それなんですよ。築地つきぢ殿樣とのさま取卷とりまきれておでなすつたんでね、えゝ、清香きよかさんがます。あのまた見上みあげるやうなおほきいのにちひさいおいらんのひと一倍いちばい可愛かはいいのが、からむんですもの、んなにかうつりがようございませう。」
 と莞爾々々にこ/\して遣手やりてこゝろなくかたりたり、菅原すがはらるうちにハヤすこしくいろして、
「え、だれだと、清香ちひさおいらんだとね。」
「えゝ。」
 といひながらかほいろたゞならぬを、遣手やりてのやうやく心着こゝろづきけむ、いぶかしげにぞみまもりたる。菅原すがはうなづきたり。
いもうとしましたね、茶屋ちやゝ何處どこだい、茶屋ちやゝは。」
山本やまもとでございますよ、はい、山本やまもとでございますがね。」
し。」
 くるりとばかり背向うしろむきて、白齒しらは鬼灯ほゝづきみたれば、ゆかしきおとならしつゝ、早足はやあしぐる、そでひかへてあわたゞしく遣手やりてあと引留ひきとめたり。
なんでございます。なにかわけのあることでございますかね、もし、もし、おいらん。」
 菅原すがはらかへりて、
おほありさ、な、おまえ一體いつたいだれ取持とりもつたんだからないが、アノ大々でえ/\したものに、おまへ清香ちひさおいらんたあ可愛かはひさうぢやあないか。ちひさなものにさ、ね、ひどいぢやあないか。」
 遣手やりてぢううなづきぬ。
「さうですよ、それがね、だれかれだと、はじめつたんでございます。けれどもおいらん、皆樣みなさん去嫌さりぎらいをなすつておげなさるもんだから、ま、あのにしたんでございますわね。そこへいくと柔順すなほ優柔おとなしくつて、言句もんくをおつしやらないからうございます。」

「だから、な、なほ可哀かはいさうぢやないか。つとめだ、苦界くがいだとおもつて、柔順すなほにするからなほ可愛かはいんだね、あの大々でえ/\したものをらうとした其時そのときのアノ心持こゝろもちかんがへてごらん。まだてからもないものを、あてえなんざ、むかしそんなときをまはしておそれたもんだね。眞個ほんたうさ。茶屋ちやゝへかけあふまでもないからお前早まへはやとりかへておやり。よ、おぢうどん、いかい。」

「だつて、なんでございますもの。はたらきのあるおいらんたちらうといひませんし、ほかだれといつて。」
「ないことがあるものか。はたらきがあるもすさまじい、なんだ、ばらがきが大勢おほぜいくせに。いからあれにおし、あすこのつきあたりに、な、夏中なつぢうあつい/\ツてうなつて肥滿ふとツちよの、頭痛づつうこうをはつているをんながあらあね、あのをんなにおし。いぢやあないか。」
「いえ、おのかた一番いちばんげたんでございますもの。」

 きゝもあへずかた頬笑ほゑみて、
いから、菅原すがはらがさういつたといへばるよ。言句もんくらない。」
うして、おいらん、ありや、なかなか。」
 遣手やりてはうべなへるいろあらず。菅原すがはら聲鋭こゑするどく、
「ぐづ/\いふとはりばしてやるから。」
 あきれて、
「まあ、」
いツてば。」
「だつて、おいらん。」
 菅原すがはら語急ことばきふに、
面倒めんだうならつておいで、あてえつて、ばしてらう。關取せきとり冥利みやうりだ、ちつとんでやつたら横綱よこづなになれやうよ。有難ありがたおもふがい。」
 とひやゝかにわらふにぞ、遣手やりて詮方せんかたなげに苦笑くせうして、
うも、まことに。」
うちいもうとらしちやいけないよ。屹度きつとだよ。」
 うなづくをひらきつ。菅原すがはら肩寒かたさむげに羽織はおりそで打合うちあはせて、またほゝづきをならしながら、すら/\ととほりたる、フト其耳そのみゝそばだてたり。

  れてやがれ、唯置ただおくものか、
   わら人形にんぎやう五寸釘ごすんくぎ

 振返ぶりかへりて、
何處どこだえ。」
 遣手やりて二階にかい打仰うちあふぎぬ。
おつうやつてますね、夕顔ゆふがほさん。」






 窓々まど/\ひるはいとあかるく、廊下らうか黄昏たそがれくらうして、しらけてにごりたるあかりのさすに、菅原すがはらたゞ一人いちにんさみしきかげよこたへつ。晝顔ひるかほ札打ふだうつたる、二階にかい部屋へやせたり。

「ちよいと、ちよいと、うしたね。」  くれどおともせざる、うちなるひとねむりてあらむ、障子しやうじそとには草履ざうりみだれて、ひツそとしてぞしづまりたる、。
てるの、む、このお長屋ながやもおつかれすぢだね。」
 いひすてゝ行懸ゆきかけしが、一足ひとあしあとへきて立戻たちもどれる、菅原すがはら色穩いろおだやかならず、
新造しんぞしゆ新造しんぞしゆ。」
 やゝこえはげまして、
新造しんぞしゆないのか。」
「は、誰方どなた。」
 とはじめてなまけたるこゑしてこたへつ。そとなるひとわざともくしたれば問返とひかへしぬ。
「は、誰方どなた。」
江戸えどだ。」
 とつよくいふ、
「え、菅原すがはらさん。」
 といひたるが、いたあわてし氣勢けはひなりき。
用事ようじはないがね、ものをいつたら返事へんじをおしよ。」
うも、ツイ、んだ……」
 とつゞけにいふをてに、あたふた障子しやうじをあけし新造しんぞをばかへらで、ツととほぎて廊下ろうかきたへ五七間隔けんへだてつゝ、ひく爪彈つめびきおとしたるべつなる部屋へやまへ立停たちどまりぬ。

夕顔ゆふがほ夕顔ゆふがほ。」

らつしい。」
 といふよりはやく三味さみはハタとみぬ。菅原すがはら障子しやうじあくるとて、きよらかなるをあげて、そとかけたるに、袖動そでうごきて、小銭こぜになるべしちやら/\とたもととのそこおとしたり。

 うつむきざまにさしのぞけば長火鉢ながひばちのむかひにして、ひざ三味さみせんよこたへたるまゝ、あふぎ微笑ほゝえみむかへ、蒲團ふとんかへしてゆずりぬ。
「おはひんなさいましな。」
「またやう。おまへ意氣いきなことをおりだね、だれだえ、お師匠しゝやうさんは。」
うち新造しんぞしゆなんです。」
結構けつこうだね。」
「いえおはづかしいでございますよ。」
なに結構けつこう、だがね、おまへ、いい言句もんくみると、ぞツとしてにたくなるものだ。また二階にかい情死しんぢうでもはじまるとわるいわな、ほゝゝ、さ、折角せつかく。」
「まあ、よろしいわ、おいらん。」
「いゝえ。」
 とばかり障子しやうじめ、またほゝづきをくちずさみて、草履ざうりをばみもらさで、する/\と立去たちさりしが、階子はしごくちよぎれるとき、いま晝遊ひるあそびのきやくおくりて、たづさへて引返ひつかへせし二人ふたりをんなにふと出逢であひぬ。

 二人ふたりひとしく目禮もくれいしつ。この菅原すがはら行違ゆきちがひ、としわかきが目早めばやて、
「おいらん、おくしが。」
「あい。」と立停たちどま菅原すがはらそばり、をさしのべてぬけかゝりしかれがさしぐしなほ次手ついではら/\とこぼれたる後毛おくれけをもでつけつ。
「もうようごさんす。」
 といひかけて羽織はおりそでなにやらむ、ちりつきしとて、はらひたる、そのするがまゝにさせてゝ、ものをもいはず、もかへらず、悠々いう/\をうつして、やがてその居室ゐま立歸たちかへり、すらりと障子しやうじひきあけし、つぎには新造しんぞて、なが火鉢ひばちりかゝりつ。ハヤ電燈でんとうひともりて、ほのかにしろかゞやきたり。

「もうくらくなつたね、夕顔ゆふがほさんの部屋へやなんざ、まだ晝中ひるなかだに、こゝうち半分仕切はんぶんしきツておもておくとは晝夜ちうややうだよ。」
「えゝ、いけむかひましたかわはやくらくなるんでございます。みなみ三階さんかいぢやあはきたけますのにきたはう二階にかいではあぶらをつぎしてるぢやあございませんか。階子はしごだん眞暗まつくらだつたり、はゞかりがあかるかつたり、とんともうよるひるもございませんね。」

 いひつゝ蒲團ぶとんなほしたる、なが火鉢ひばちのむかひにすわりて、新造しんぞがついでしたる湯呑ゆのみり、たゝみありたる新聞しんぶん裏表うらおもて引返ひつかへしてわづかけしのみかたへてつ。
 煙管きせるりて、片膝かたひざて、ふすまかげより差覗さしのぞく、十疊じふでふじきしんとしたるかみくらきなかに、みどりきぬつやゝかに、電燈でんとうひかりをうけて、玉蟲たまむしれたるごと夜具やぐなかひそめ、くれなゐ蒲團ふとん打重ちかさねし眞綿まわたなか姿すがたをかくして、金糸きんしかけたるたか島田しまだ、むかふむきまくらして、身動みうごきもせず打伏うちふしたる、まくらよりすそへかけ、兩袖りやうそでのあつちこち、ちひさくくろけだものふたツならず、ツならず、ちよろ/\とけめぐるが墨絵すみゑうごくにことならず。






清香きよかや、ねずみにひかれやしないかい。」
 とみつゝやさしくこゑかけぬ。ばれてしづかまくらかへしつ。うつくしきかほ此方こなたけて、露垂つゆたるばかりすゞしきふたねやなかみひらきたり。
「おいらん、かへりかい。」
「ああ。きなくつもいよ、ておいで、ておいでよ。」
 といひながら煙管きせるたふして、火箸ひばしにしつ。はひうへ一文字いちもんじふたツばかりゑがいてめぬ。

うすさむいのね。」
「もうなんですよ。一昨日をとゝひばんあたりからすつかりなくなりましたよ。」
「またみるんだね、いやなこつたな。」
 とかうべれ、むねをあてうつむきしが、ふとおもひつきたるさまにて、
てつうした。」
「また朝顔あさがほさんのところへでもまゐつたんでございましやうよ。しやうのないひとだことね。」
いやな、よひくちからねずみさわ座敷ざしきだもの。あてえようや、さ、おまへももうてしまひ。」
 とえりあはしてたむとしつ。新造しんぞあきれたる顔色かほつきにて、
「だつて昨晩さくばんはやくふせりましたり、あんまりでございますわね。おいらん、」
 菅原すがはら微笑ほゝえみたり。
此人このひともつまらない、お長屋ながやなみなこといつてるね、きやくなんかなににするものか、小遣こづかひにもなりやしないよ。百圓いつそくとふつかけると大概たいがいふるへツちまわあね、きもたまちひさな奴等やつらあてえ内職ないしよくはう餘程よつぽどましだ。チヨイとまた二三まいむいてたよ、それ、」
 といひつゝたもとさぐ銀貨ぎんくわ銅貨どうくわ紙幣さつをば取交とりまぜ、てのひらつかいだして、ちざまになが火鉢ひばち引出ひきだしにばらりとれてとんとさしぬ。

「さ、お小遣こづかひれといたよ。翌日あしたまたなに見繕みつくろつて、うまいものをたべさしておくれ。些少ちつとふとらうぢやあないか。おまへもやりばなしにおごるといゝや、な、内職ないしよくほうすごいだらう、うだ。」
おそります。ほゝゝゝ、これぢや苦界くがいもへツたくれもあつたもんぢやあごさいません。お陰様かげさま毎晩まいばんらくをいたします。そでしたをつかつて起番おきばん何處どこかへおツつけの、高鼾たかいびきとやらかしませう。新造しんぞばうか、たんとおしげりなさいまし。」

おく女中じよちうぢやあるまいし、なあ、清香きよか。」
 となにたきしめたる羽織はおりうらあたりをかをらし、はらりとげば、はなやかにひるがへる、ぬしさみしき單衣ひとへのまゝ、かみあゆり、清香きよか枕頭まくらもとをくづしつ。蒲團ふとんうへ頬杖ほゝづゑつきてなゝめせ、ちかまさりする清香きよかかほぢつと微笑ほゝゑみながら、しろあひだより鬼灯ほゝづきを、くちうつしに、「さ。」とくちびるをさしよすれば、はなじろみつゝ、おもてあかめて、ソと其口そのくちけいれつゝ、わざとにはあらでならしながら、かひなをあげて、ふくらかにきぬ夜具やぐをかゝげたれば紅裏もみうら奥深おくふか清香きよか寢姿ねすがたなよやかにかをりはこゝにもときめきつ。
 菅原すがはらたりけり。

らつしやい。」
 といとせめてちひさきこゑにて清香きよかはいひたり。
「むゝ、おいらんはじめましてだ」
「は、うぞ末長すえながうおたのまをします。あなた、おいくつでらしやいます。」
「むゝ、おいら二十六だ。おまへはえ。」
「は、十八になりました。」
 とそでもてくちおほうたり。菅原すがはらおもはずふきいだしぬ。
なにかいつてるね、がいゝぢやあないか。コウ清香きよかや、ちつとはこはくなくなつたかい。」
「おいらん、御覧ごらんなさいまし。」
なんだよ。」
「ね。」
御覧ごらんなさいましなね。もう些少ちつとふるへやしませんから。」
 と眞顔まがほになりてみはりつ。菅原すがはらこらへず、またわらへり。
「さうさ、おまへをんな同志どうしでふるへちやあ、あけがらすのゆきだあな。でも清香きよかや。」
「はい。」
「あの關取せきとりにはこまつたらうの。」
「あゝ、ねえさん。さつきは難有あえがたぞんじます、わたしうしやうかとおもつてましたら、うちのおさださんが、もうなくツてもいゝと、さういひましたら、ほんたうにをがみましたよ。いつでもあんなぢやあわたしいけへでもはひつてしまひますわ。」
 と菅原すがはらむねひたひをよせつ。前髪まへがみをあてゝすがりたる、かたかひなけたるとき跫音あしおとして、
「おいらんお煙草たばこぼんを。そしておぶうを。」
「あ、てつかへつたかい。」
唯今ただいま、晝顔ひるがほさんところのおくまどんと一緒いつしよにつれだつてまゐりました。なんでございますか、先刻せんこくはおいらん、あなたともぞんじませんで、んだ失禮しつれいをいたしました。あとでお座敷ざしきのにもしかられましておそります。ツイ晝顔ひるがほさんもふせつてりましたもんですから、行届ゆきとどきませんで、なにかおにさわりましたようで申訳まをしわけがないとさういひましてね、いずれ、おいらんもあとでおわびにあがりますが、あしからずと、さういつてお部屋へやまでまゐつたのでざごいますが、おいらん、あそばしたのでごさいますえ。」

 菅原すがはらまして、
晝顔ひるがほらないこツた、新造しんぞに、な。」
「はい。」
堪忍かんにんすると、さういつてかへしておやり。」
うございますか。」
「あゝ。そしてチヨイと、ちよい/\むしてうるさいからないが蚊帳かやつておくれ。今夜こんや清香きよかはなさないから、そのつもりだよ。てつや、おまへつちまひな。おい、まだ、それからふすまをしめるんだ。」






清香きよかや、もとな、おまへ此處こゝときに、あてえ馴染なじみのつれ初會しよくわいで、それおまへ一座いちざをしたときさ、アノときだつた。あてえなんもなしに、(大事だいじにおつとめよ) とさういつたら、あくるあさあてえかほるとおまへけてて、そでにつかまつてさ、おぼえておいでだらう。(おいらん、一生いつしやう懸命けんめいつとめました) とさういつたのをいて、ツイほろりとしたことがあつたツけ。それから無性むしやうにおまへ可愛かはゆくなつて、こんなにな、なかよしになつたんだもの。いまういつちやをかしなものだけれど、さつきの關取せきとりのやうな、あんなにくらしい、大々でえ/\した不具かたはものなんぞ、らなかつたらことわつてしまふがからきやくつても振飛ぶりとばしておやり。あてえがついてるのに、何故なぜさういつて、はじめツからおかせでない。打明うちあけておはなしだつたら、なに、わけのないことをさ、おまえそりや水臭みずくさいといふものなんだよ。」
「はい。」
 とこゑをばくもらしたる、紅閨こうけいうちしめやかに、
「そんなわがまゝをいひましては、ねえさん、おまへ苦勞くらうをかけるもの。あんまりあまへて、愛想あいそかされると、わるいからさ。」
なんだな、つまらないことをいふぢやないか。んなに、我儘わがまゝだつたつて、あまえられたつて、このひと愛想あいそかされるもんかよ。あてえうやつてうちあ、おいらんのお姫樣ひめさまで、おまへとほしてあげやうわ。澤山たんと我儘わがまゝをいふがい。」
 とがつくりうつむきてほゝずりする、菅原すがはらかほをじつとて、清香きよかうれしげに微笑ほゝゑみつ。
「ぢやあねえさんや。」
「むゝ、清香きよかや。」
「わがまゝをいつてもいのかい。」
いとも。」
「ぢやあね、ねえさん。」
「む。」
ねえさんや。」
なんだい。」
「あの、ねえさん。」
なんだよ。」
ねえさんたらさ。」
なんだツてば。」
「あら、ねえさんといふのに。」
なんだツたら、此人このひとは。」
「ねえ、ねえさん、ねえさん。なんとかおいひよ、ねえさん。」
懊惱うるさい!」
「あら、ねえさんといふのに。」
 清香きよかはまとひつきて、
ねえさんからねえさん、ねえさんてばさ。」
 フとれば菅原すがはら寢返ねがへりして、あちらきて、ふさぎたるにすがりつきてふるはし、
堪忍かんにんしてくださいな、ね」
 ぶればはやく打解うちとけたり。
「おまへそれわるくせだよ。にくむしだツちやあない。眞個ほんたうそれをはじめられると承知しやうちをしながらはらたわね。」
「だからさ、堪忍かんにんしてくださいな、ほゝゝゝ。」
 と他愛たあいもなく打笑うちわらふに、菅原すがはら詮方せんかたなげになほりて、
串戯じやうだんぢやあないよ、おまへその蟲むしぢやあ、いつでも母樣おつかさんかせたといふぢやあないか。」
「は、わたしはもうんでもいゝからこれをいつてぢれてたくツてなりませんの。なんだかじり/\じりして身體からだうでもいゝやうになりますもの。わたしはこんなことをいひますのはくに母樣おつかさんとそれからねえさん、おまへさんばかりだワ。」
「いまにまた一人ひとり出來できようさ。」
「え。」
なに、お天氣てんきのことさ。母樣おつかさんといやあ病氣びやうきうだい。」
 としんみにはれて打悄うちしをれ、
昨日きのふ便たよりがあつたんですが、よくないとさういひます。」
それこまつたね。一體いつたいなんわづらひだね。」
「えゝ、子宮しきうから、あの、おなかはひつて、むねたんですツて、お醫者いしやさまがさういふんですツて。」
それこまつたね。」
うしませう、もとからよわいんですのに、苦勞くらうばツかりしますから。父上おとつさんはもう六十になりますし、くなったおとうとますともう十五ですから、些少ちつと看病かんびやうもしてあげてくれませうけれど。おとうとはねーーおいらん。」
「むゝ。」
わたしちひさいときからわがまゝもので母樣おつかさん々々/\やあてつちやあね、あのくせをやりますの。しまひにはらつてきのけやうとしますのを、しつかりそでにつかまつてちやあ、りもぎられる拍子ひやうしにいつでも母樣おつかさんそでをびり/\りましたんですツて。おとうとはねーーおいらん。」
「むゝ」
「そんなんじやあゝありませんの。それはもうやさしい/\でね、十一のときから十軒店けんだな奉公ほうこうをしてたんですが、些少ちつとづゝもら小遣こづかひぢやあ、わたしにお雛樣ひなさまだの、かんざしだの。錦繪にしきえだの、なんのツて、つててくれましてね、それから母樣おつかさん母樣おつかさんツて、もうんなにやさしくしましたでせう。それがね十四の時亡ときなくなりましたが。」
いひかけてフとをみひらき、仰向あをむけになりて清香きよかつ。行燈あんどうともし此時このときかすかに、蚊帳かや色黒いろくろえて二人ふたりねやおほうたり。

 清香きよかきふ思出おもひだしけむ。
「おいらん、蝶々てふ/\にはむらさきのがりますのね。」






なにむらさき蝶々てふ/\があるえ。」
先刻さつきね、何心なにごゝろなしにおにはましたらかぜいてね、はぎはながこぼれましたの。わたしはぎはなるのだとおもつてましたが、よくたら可愛かはいらしい蝶々てふ/\でした。でもむらさきのでかつたワ。おいらん、其時そのときのはしろ蝶々てふ/\だつたの。」

いつときさ。」
「あれ、おとうとくなりましたときさ。ちやうど今頃いまごろでございましたつけかねえ。其時そのとき母樣おつかさんわづららつてゝ、大變たいへん鹽梅あんばいわるかつたのばんで、わたし枕元まくらもとについてました。さうするとね、おいらん、何處どこからはひツたのか、しろ蝶々てふ/\ふたんだぢやあありませんか。母樣おつかさんが、あれ/\とさうおいひで、はじめてわたしきましたの。

 おとうと病氣びやうきることは、そのさきかられてたもっですから、母樣おつかさんねつがあるのに、うはごとのやうに、(あゝ、いやてふだ、いやてふだ、おきよ。)ツてわたしんで (三吉さんきちさんちやんといふのはね、おいらん、わたしおとうとなの。(三吉さんきちくなつたんだよ。うしやう)といつてふるへるんですもの。」

 かくいへりしときろう上下うへしたはしらふすましんとしたるにから/\と唯一たゞひと手水てうづばち柄杓ひしやくおと、いづくにかひゞきつゝ、二階にかいのはてのはてのはてのなほ其奥そのおくおぼしきに、かなしき端唄はうたきここゆるおりから、鼠出ねずみいでゝひとめぐり弓弦ゆんづるおとさして、蚊帳かやすそにあふりをたしぐる/\といてけたる、不意ふいおどろきてまくらそばだて、清香きよかはあたりをまはしたる、蚊帳かやそとにものこそありけれ。引裂ひつさきがみきれはしの、すきもるかぜにひらめくごとく、ちひさきてふ色白いろしろきが上下うへしたつがうてつ。

「あゝれ、あれ、あれえ! いけませんよ。おいらん。」
清香きよかはひたとうつむきしぬ。菅原すがはらあやしみて、
うしたんだよ、おまへなにがさ、おや、ふるへてる、うしたのさ。」
蝶々てふ/\が、蝶々てふ/\たんですよ。あゝ、いやな。」
なにてふが、た、しろいのか。」
「えゝ。」
「どれ。」
 とて菅原すがはらまくらもたげ、只見とみればさせるかげもあらず、行燈あんどうのみぞまたゝきたる。

御覧ごらんな、なにやえしないぢあないか、お前氣まへきのせゐだよ、つまらない。」
 とまたまくらしつ。清香きよかはなやましげにかほをあげて、
たしかましたもの。」
まよひだよ。」
「さうですか不知しら。えゝ、あれ、あれ、矢張やつぱりんでるぢやあありませんか。」

 ひとたび菅原すがはらたりしときはものゝくまにかくれしなりけむ、いまゝたつがうてきたりぬ。菅原すがはらことともせで、
「だつてさ、なにてふたつていぢやあないか。なんでもありやしないぢやあないか。そりや蝶々てふ/\はひらうしさ、ねずみやうさ。不思議ふしぎなことがあるものかね。にかゝつたらないがい。」
 とたなそこをもて菅原すがはら清香きよか兩眼りやうがんをふたぎるとて、其額そのひたひゆびをふるれば、前髪まへがみぬれてひやゝかに、つめたきあせたり。

「いゝえ、いゝえ、なんでもないことはありません。あゝ、母樣おつかさんがおなくなりぢやあないか不知しら。」
なにをいふのだよ。」
ねえさんや。」
なんだよ。」
「あら、ねえさんたらさ。」
なんだツてば、またはじまったね。」
「きつと、きつと、母樣おつかさんんだんですよ。」
つまらないことをいふもんぢやあゝりません。蝶々てふ/\んだってなにがあるものかね。」

「いゝえ、おとうとくなったときもさうでした。あの母樣おつかさん枕元まくらもと蝶々てふ/\たのをて、きつとんだのだつてさういふから、そんなことはありません、そんなことがあるもんですかツて、はたからみんながさういふとね。母樣おつかさんが、いいえわたしねえさんがくなつたときもちゃうどこんなふうてふたのがになつてになつてたまらなくツて、さうとさうおもつたら、わきへそれてお佛壇ぶつだんのなかへはひつちまふと、ぐしらせがたことをわすれないでる。きつとそうだ、三吉さんきちくなるんだ。なんにしてもソツとしてはないでいておくれ。また、お佛壇ぶつだんのなかへえてしまふとわるいからツて。」

 菅原すがはらまゆをひそめぬ。
「さういつてるうちに、父上おとつさんもうつむいて、なるほどゝいふ顔色かおつきをおしだつたぢやあゝりません。」
 菅原すがはらはそとあたりをしがかほいろたゞならざりき。
「それだつたつてなに母樣おつかさんがさうツてことあゝりやしないよ。」
「いゝえ、きつとですよ。おいらん、わたしうしたらからうね、六ねんのあひだるんですもの。いまくなられちやわたしうしましやう、おいらん、ねえさん、ねえさんたらさ、ねえさん!」
「そんなにになつたらあしたにも手紙てがみしておきだといゝ。そして返事へんじがありや無事ぶじなことがわかるぢやあないか。」

 いひなぐさめてもかしらりて、
うして、ほんとうのことをいふものですか。母樣おつかさんだつて、いまだにさんちやんのくなつたことはらないでゐるんですもの。其晩直そのばんすぐしらせがたんですけれど、やまひさはつちやあわるいツて、かくしたツきり。もう/\あのおとうとをたよりにしつてるんですから息災そくさいときだつたつて、そんなことかせやうもんなら、それこそ落膽がつかりしてきちやあませんから、かくとほして、いろんなこといつてだまして、あゝしてくに引込ひつこみました時分じぶんにも、あはせないでしまひましたんですから、此方こつちからひといてもらつて手紙てがみを、母樣おつかさんは、おとうと手習てならいをしてけるようになつたんだとばかり、おもつてますもの。いま、母上おつかさんがおなくなりだつて、わたしに、ほんたうのこといふものですか。手紙てがみで、きいて、まめだつて、いつて、寄越よこしたつて、もう、母樣おつかさんくなつてしまつたんですよ。うそをいつたツていけません。つてたくツたつて、ねんがあけなけりや、其處そこいらまでだつて、うつかりられない身體みからだですもの。うしたつてんだんですよ。おいらん、ねえさん、ねえさんたら、うしやうね、ねえさんたらさ。」

こまつたね。」
「よう、あねさんてば、ねえさん!」
こまることね。」
 といひながら、菅原すがはらなにやらむ、じつとものおもふさまなりし。ことばたゞしく、
清香きよかや、きつとだね。」
「え。」
蝶々てふ/\にそんなことのあるのは眞實まつたくだね。」
「ですからさ。」
いよ、ぎつとだね。」
「ですからさ、といふんでさあね。」

 菅原すがはらみはりて、ほそゆびかぞへつ。くちなかさんして、またさんして、をもわすれしさましたるが、いとしづみたるこえをもて、
清香きよか何時なんどきだらう。」
「もう十二、いえ、一時半じはんぐらい。」
うしだね、む、うしこくうし・・・・。」
つぶやきてまくらげつ。蚊帳かやごしにすかしたり。
清香きよかあてえにもみえるんだ。」
「あれ。」
じつは、はじめのうちえなかつたが、佛壇ぶつだんはなしをしたころからした。たしかに二ツる、二ツたしかにるんだよ。」
「あゝ、いやなねえ。」
「一だらう。まだはんにやあなるまいとあてえおもふんだよ。清香きよかさうぢやあないか。うし・・・・」
こはうございますワ、おいらん。」
「しつかりおし!」
かためて菅原すがはら蒲團ふとんにはらばひたり。

清香きよかや、あてえるからお前起まへおきてツてごらん、佛壇ぶつだんはないからうしたツて、此上このうへけさせるやうな心配しんぱいはないから、な、いかい。わるいことをしらせにたものなら縁起えんぎなおしだ、していまふがい。そしてあした手紙てがみをおし、どうしても安心あんしん出來できたなくばさ、あてえだつて、さしあたり、おまへを一にちなり二なり、くにかへしてあげるほどの才覺さいかくもつかないから、うしやう。うつむいてとか、仰向あをむいてとか、またよこになつてとか、おまへのすきな姿すがたにして母樣おつかさん寫眞しやしんらして、おくつてもらつたらいだらう。さうすりやたしか證據しようこだ、安心あんしんをするがあてえ身體からだうなつても、おまへにや心配しんぱいをさせないから、な、さあ、つてごらん、つてごらん。」
 いはれて清香きよかはいきせきつゝ、
「さうしましやう。もうしてやるんだ。わたし追出おひだしてやるんだ。追出おひだして。」
みだれしもすそつくろひあへず、縮緬ぢりめん襦絆じゆばんなりに、すらりとふすまでつ。びんをおさへてひざ立萩てざま、、あをけむりめたるごとき、蚊帳かやのゆら/\とげたる、金絲きんしめらめき、脛白はぎしろく、紅長くれなゐなが清香きよか姿すがた蚊帳かや彼方あなたとなるまゝに、そでしぼつてかたにかけ、ひらりとかへしてりはたくむねのあたりをらず、かざしのあたりをらず、一つはうへしたに、またさがちあがり、れちがひてくるひつゝ、ふにつれてちら/\と蚊帳かやをめぐりて彼方あなたび、此方こなたびて、しろてふと、萌黄もえぎ蚊帳かやくれなゐ清香きよか姿すがた行燈あんどうのあかりのなかにみだれあひ、ものくるはしげなるさまなりし。清香きよかはあれ/\とばかりにあまりこゝろげきしたれば、くたびれしてうつかりと、とこはしらにみをもたせつ。兩手りやうてれてといきをつきめをみはりてうちまもれば、まぼろしにちらついたる、二ツのてふ此時このときなりけり、次第しだい眼前めさきはなれ、ともしかげとなつたりしがしろはね蚊帳かやいろの、あおきをすかしてる/\うちにゆるがごとくうすれ/\て、此方こなたにみえずなれりしトタンねやうちなる菅原すがはらがまたゝきもせで見詰みつめしひとみに、しろくさやかにあらはれつ。はねやすめてまりしを、凄艶せいえん冷絶れいぜつなる一雙いつさうみひらいたにキツとて、あをくなりて、ちわなゝき、
のろひヽヽヽいたな。」
 とつぶやきさま、さきよりひかけてわすれたる、煙管きせるをはたとおとせしが、吸殻すひがらごとあかびて、枕元まくらもとなるたゝみうへけむりいんしてむら/\と蚊帳かやめてちのぼり、まれるてふ姿すがたをかすめて、やゝありてりたるまで、まじろぎもせでみまもてつ。あふいではしらにもたれたる清香きよかかほ一目見ひとめみしが、
「うむ。」と深痛しんつうなるこえしぼりて、天鵝絨びろうどえりみ、よこさまにせぬ。

 〓呀あなやとばかりりつ。
「おいらん。」
「・・・・・・・」
ねえさんや、ねえさん。」
「・・・・・・・・」
ねえさんたらさ、ねえさんてば、ねえさんてば!」
 菅原すがはらはものもいはずなりぬ。清香きよか且怪かつあやしみ、つきづかひ、あしつまだてゝ見入みいりたる、ともしをすかす蚊帳かやごしけむりごと蒼味あおみびて、ねむれるかほしろかりける。

 其夜そのよ滿願まんぐわんなりしとよ。
 菅原すがはらいのちをかけてのろひたる、かれにつれなかりしをとこのことの一切いつさいは、清香きよかこゝろやすんずべく、やがてその遺書かきおきなかしるされき。









            【完】






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