蝶々の目

泉鏡花


銀杏樓いてふやのおいらんは、うだい、もうみせつてやしないかい。」
 と、手拭てぬぐひ片手かたて圭吉けいきちが、細君さいくんふと、
うね、時間じかんなんですから、まだだらうとはおもひますがーーでも、あのおいらんは道中だうちうなしで、うちるとすぐに縁臺えんだいですからね、るかもれませんよ、一寸ちよつとませう。」

 とのまゝ玄關げんくわんて、格子戸かうしどつて半分はんぶんかくれるやうにして、町内ちやうないのおなじがはを、かたかげをかほうつしてかすと、がはおなじだのに、小隱こがくれて差覗さしのぞくのであるから、あからさまにはえないけれども、おほ銀杏いてふしたに、母樣かあちやんひざかれて、縁臺えんだいこしけた、可愛かはい三重子みへこ可愛かはいさにんで、みんみい、の姿すがたがちらりとえる。  なつことで、みんみいがまだ這々はひ/\出來できなかつた時分じぶんであつた。所謂いはゆる善良ぜんりやうなる家庭かていいては、銀杏樓いてふやだの、おいらんだの、張店はりみせだのとくちにするのもはゞかるべきことながら、なに我等われらしき所帶しよたいだから御免ごめんかうむる‥‥‥ ーーと話手はなして圭吉けいきちは、わたしにまたはなしてふのである。ーー  で、銀杏樓いてふやのおいらんがみせると意味いみは、くだん嬰兒あかんぼかあちやんにかれて、嬰兒あかんぼうち眞向まむかうのおほ銀杏いてふが、少々せう/\驟雨ゆふだちぐらゐではかげらさないほどしげつてすゞしいので、晝寐ひるねがはりにすゞみにるのをふのである。
「あゝ、ます ・・・・・ますよ。」
 と仰々ぎやう/\しく抜足ぬきあしつて、おどかすやうに、くせ莞爾々々にこ/\してふと、
すみやかに出張しゆつちやうかいーー其奴そいつよわつたな。」
 と中腰ちうごし立構たちがまへで、意地いぢぎたなくのんで煙管きせるおとす。  圭吉けいきち小父ぢいちやんは、行水ぎやうずゐきらひ錢湯せんたうくのに、一ばんすいて時刻じこくねらふと、丁度ちやうどまたおな時分じぶんみせつてて、とほりかゝる小父ぢいちやんをると威勢ゐせいのいゝ矢聲やごゑける。「此奴こいつ」とか、「ばあ」とかつて、一寸ちよつとからかつて、くツくツくとうれしがつてわらうちを、ひよいとけてくと、「いゝゝゝ」だか、「あゝゝ」だか、よくはわからないが、おほきこゑひゞかして呼留よびとめる。また引返ひきかへして、べツかツこをして、またくと、ぐによびめる、また引返ひきかへして、機嫌きげんうかゞつて、「失禮しつれいやうなら」などゝつて、とツとゝ急足いそぎあしると、たちまち、「いゝゝ」「あゝゝ」とおほきこゑをする。もうまちかど乾物屋かんぶつやまがらうとしても、振切ふりきれないで、すた/\もどるとつた工合ぐあひで、暑中しよちうにつき、草摺くさずりびきには毎度まいどあせいてるのである。
なんなら、もうちつとあとになすつたら。」
「いや、うにかる。」
かまはず、ずん/\らつしやい。」
うはまゐりません、これでも情人いゝひとなんだから、振切ふりきるとおいらんがきます。」
うね!苦勞くらうさま。」
「ごれは、挨拶あいさつだ。」
 と、がらりとる。
今日こんちはーー」
 銀杏いてふしたつてる。
失敬しつけい。」
「いゝゝゝ、あゝゝゝ。」
 と、なんだか眞白まつしろなちやん/\このやうなものをて、むねところ一寸ちよつとあかひもむすんだのが、ちひさな丸々まる/\とした兩手りやうてはりれて、突張つゝぱるやうにして、れい呼留よびとめる。  つてた!
「どツこい。」
 と蹴躓けつまづいたやうに反身そりみまつて、いさゝ浮腰うきごし引返ひきかへして、かほからさきつてく。
「ばあ。」
 くツくツくツくツとわらつて、むづかしくへばをどるやうに、露出むきだしの手足てあしねてうれしがる。  そんなにうれしがられては、「ばあ、」だけでは相濟あひすまない。・・・・・ついけいぶつをへたくる・・・・・細君さいくんつゝんでわたした、石鹸しやぼんばこして、懷中くわいちうれようとして、だらしがないから、ぐわちやんとおとして、
おつこッた。」
 なぞとこゑけながら、ひろつたうへみぎ手拭てぬぐひ唐茄子たうなすかぶりで、さがかほをぬいとして、
瓢男ひよつとこ。」
 これが炎天えんてん日盛ひざかりだ、いゝなもので。






 はなし次手ついでだが、みんみいがだいすきで、大概たいがい毎晩まいばんのやうに小母ばあちやんにおんぶをして學校がくかう横町よこちやう錢湯せんたう出掛でかけた。勿論もちろん母樣かあちやんだの、みんみいのねえさんたちと一しよこともあるが、みんみいぐらゐあつ平氣へいきはひ近所きんじよ一人ひとりもないとつて、小母ばあちやんはよろこんだ。ーー當日たうじつ行水ぎやうずゐをぼちや/\つたぐらゐではをさまらない、ばんにまたれないと機嫌きげんわるかつた。そなはつた綺麗きれいずきなところへ、かあちやんがまたよく行届ゆきとゞいて、一寸ちよつとでも濕氣しめりけのあるものははだにつけてかないから、おしめを取替とりかへるときなんぞ、仰向あをむけにしてひもくと、たゞしろいろが、はつとひらいて、夕顔ゆふがほはなくやうに、ゆかしいあまぷんとする。・・・・・自慢じまんではないが、たゝみへも、えんへも、にはへだつて一だつて粗相そさうをしたことはない。  殘念ざんねんながら、圭吉けいきち細君さいくんも、毎日まいにちのやうにきつゑつしてながら、ひざへもふところへも粗相そさうをされたおぼえはない。が、なさけない・・・・・二人ふたりとも因縁いんねんであらう、ちゝたりはゝたる洗禮せんれいないのである。

 嬰兒あかんぼ粗相そさうれるのは、家庭かてい洗禮せんれいであらうと、熟々つく/\おもことがある、とのない圭吉けいきちまたふのである。  讀者どくしやは、「おまツちやん、」ととなふる馳走ちそう御存ごぞんじであらうか。勿論もちろん御存ごぞんじはあるまい。みんみいがだいすきなもので、それはお蕎麥そばであります。  何時いつあぢおぼえたからないが、一口ひとくち二口ふたくちついふくましたので、べさせると、もおいしさうにしたうちをするから、ついそれうれしくつて、すこしづゝべさせ/\したのが、次第しだいどんぶりくちからする/\といきほひつた。  錢湯せんたう此方てまへ蕎麥屋そばやがある。きは、れいあり、かたちある姫君ひめぎみ小母ばあちやんのおひなかに、何事なにごともなくをさまつてとほるが、からかへりがけに、此處こゝまでると・・・・・(ざめをしないやうに)ーー半纏はんてん笈摺おひずりがづゝんとおもる。・・・・・諸國しよこく遍歴へんれき神巫みこだと、此處こゝおひおろして、菖蒲あやめ づかくか、小町こまちやなぎゑようと段取だんどりである。  あの、睫毛まつげながい、おほきなをばつちりとーーこゝに、「一寸ちよつとさらのやうに」と形容けいようがある。妙齡めうれいむすめを「さらのやうに」とつたには、妖怪えうくわいとも變化へんげともたとへやうはないのだが、嬰兒あかんぼだと不思議ふしぎ水晶すゐしやうのやうにきこえよう、これだけでも小兒こども可愛かはいいーーの、をぱつちりといてときは、重量おもさきよくがついて、かたから、ぶる/\と小母ばあちやんの背筋せすぢかゝるのださうである。が、湯屋ゆや上場あがりばかごのわきで、いゝ心持こゝろもちに、すや/\とて、やはらか人形にんぎやうのやうなのをおぶつてても、きつ蕎麥屋そばやまへまでるとおもる。あきあめ小雨こさめつて、行燈あんどんくらときなどは、番傘ばんがささしたうでにこたへて自然しぜんおもい。・・・・・はう可恐こはいやうで、しか小母ばあちやんは餘計よけいうれしかつたさうである。  べさしたいとおもこゝろが、自然しぜんつうじるらしいと、無教育むけういくことふ。‥‥‥  湯上ゆあがりのしろ咽喉のどながのばして、はなをおぷひ半纏ばんてん黒繻子くろじゆすえりにつけて、振向ふりむいて、其處そこにほた/\とすべツこいみんみいの頬邊ほつべたを、やなめがまへにそつしたさきしてーー此奴こいつがおばけでーーぢつると、ちやんとおほきなけて、ひとみ行燈あんどんを、ぱつちりる。  母樣かあさんが一しよときだと、ちひさな手桶てをけ、ぽちや/\人形にんぎやうなら、手遊おもちやを一つゝみくほどにもちつて、ずつとつて、
「おや、またおもくりましたか。」
「は、少々せう/\ばかり。」
 と、ひつたりと立留たちどまる。
貴方あなたになさるからですよ。・・・・・かまはずどん/\らつしやいまし。」
「でも・・・・・‥」
 と、はしから、はないのだが、わざおもはせぶりに、すこ外方そつぱうかへりかけると、
「うゝゝ、」とふ、おだやかならぬこゑて、ずん/\とおしりはう重貫おもみかゝるーーとかほあたま半纏はんてんなか引込ひきこんで、兩手りやうてかたにつかまりながら、あし突張つゝぱつて摺下ずりさがる。
「これはたまらん。」
 と小母ばあちやんは、一寸ちよつとおどけて、おびゆすつて、揺上ゆりあげながら、
「おゝ/\、神樣かみさまはあらたか/\。」
 と、更科さらしなとあるこん暖簾のれんくゞると、くゞらぬさきから、
「あゝあゝゝ、」と今度こんどは、かたうへ體半分からだはんぷんをどあがつて、一ぱいむねつて、あしも一しよ跳廻はねまはる。  で、蕎麥そばのおあつらへがむと、みぎおほ銀杏いてふしたあたりを、こゑばかりで、うただか、はなしだかわからないことを、冴々さえ/\饒舌しやべりながら、自分じぶんまへ素通すどほりにして、きつ小父ぢいちやんのうちかへつてる。
唯今ただいま・・・・・」
「‥‥‥‥‥‥」
「みんみい、おかへり!」
 圭吉けいきちおもてかいで、もう銀杏いてふのあたりから、こゑいて、ひとりで莞爾々々にこ/\してるのであるが、「唯今たゞいま、」を一寸ちよつとおいて、の、「みんみい、おかへり。」がきたさに、一呼吸ひといきめてて、私笑にやりとしてく。・・・・・みんみいおかへり!・・・・・
「おつとた。」
 と、どゞどん/\とけたゝましく階子段はしごだん駈下かけおりて、
かへつたか。」
 と押被おつかぶさるやうにして、嬰兒あかんばのふかしてのごとき、あい/\しさも桃色もゝいろかぼながめる。  が ー ー これはしかし、小母ばあちやんが代理だいりをするのでなしに、おなじことばを、みんみいが自分じぶんで、唯今たゞいまーーおかへり、とへるやうにつてからのことだつたかもわからない。ーー階子段はしごだんしたて、小母ばあちやんの背中せなかからだつたり、自分じぶんでちよろ/\と歩行あるいてたり。・・・・・
唯今ただいま!」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
「みんみい、おかへり。」
 とくまでめて、
「おつとた。」
 矢張やはりうだ、ーーみんみいが自分じぶんふやうにつてからのことだ。が、うぴつたりとつて、小母ばあちやんとかよふほどにつてたのだから、どつちのこゑも、あと記憶きおくにかはりはない。
瓢男ひよつとこ!」
 と一つさんがりめで、手拭てぬぐひなしに、くツくツわらはせて、
「おきまりは?」
「すぐ、あとから。」
 母樣かあさんが、うちよんとすわつたのをかヽむやうにして、いとゞやはらかつたみんみいの頭髪かみを、ふうはりとでながら、
小父ぢいちやん、ーー毎晩まいばんのやうにみません。」
ういたしまして、此方こつち勝手かつてで・・・・・貴方あなたこそ、あさはやいのに恐縮きようしゆくです。」
 さらしなの提灯ちやうちんが、宵闇よひやみもんをふら/\とて、
「お待遠まちどほさま。」
 (これだ、が、まだおわかりにはりますまい。)  立派りつぱたツちの出來できるやうにつてからーー誕生前たんじやうまへから、しやん/\歩行あるいたーー湯歸ゆかへりの、更科さらしな待兼まちかねてたとえて、かど提灯ちやうちん・・・・・とるやいなや、
「あら、おまツちやん。」
 と小父ぢいちやんのひざから、ひよいとつと、ちうくらゐに兩手りやうてげて、手首てくびり/\、可愛かはいゆびをーーあゝ、げん其處そこいまにつくーーうつすりとしろく、淡雪あはゆきのやうにちら/\と、をどるやうな姿すがたで、ふら/\と、あゝとに、玄關げんくわんすべつて、ひよいとかまちた。出會であひがしら提灯ちやうちんがスッとはいる。
「おまツちやん。」  と、も一一度いちどつてうれしがるあしいたとおもふと、ストンと、素直まつすぐ土間どまちた。
「やあ、おぢやうちやん。」
「あ。」
「みんみい!」
 と夫婦ふうふ駆出かけだとき蕎麥屋そばやのかつぎと、きてんもので、サソクに提灯ちやうちんくちに、どんぶりだいゑたまゝ、見事みごと片手かたて抱起だきおこした。が、怪我けがどころか、けろりとしてる。・・・・・おとしたのではない、土間どま抱取だきとつたにひとしい。  が、吃驚ぴつくりした、小母ばあちやんの、
「みんみい」がたかひゞいて、むかうのうちから兩親りやうしん駈附かけつけた。  兩隣りやうどなりも、かたり、かた/\と戸口とぐちる。 ・・・・・とさわぎで、以來いらい蕎麥そばことを、おまツちやん‥‥‥  かけ一ぱいで、勸喜よろこび。おまツちやんもうれしからうが、小父ぢいちやん、小母ばあちやんのうれしさは、 冥加みやうがあまる・・・・・勿體もつたいない。






 あんずるに、「おまツちやん、」は、お待遠まちどほさまチヤマいた、ちやんであらう。何故なぜなら、みんみいの、まだものをひはじめに、一ばんおほ言葉ことばには、みなちやんヽヽヽいてた。  おかあちやん、おとうちやん、小母をばちやん・・・・・はゞかりながら、つゞいては小父ぢいちやんであつたから・・・・・

「あんなに、まあ、わたしことを・・・・・」
 と、あとで小母ばあちやんは、嬉泣うれしなきにいたつけが、一などのうち、圭吉けいきちもと立續たてつゞけにきやくがあつて、みんみいに不沙汰ぶさたをした。晩方ばんがたから陰氣いんきあめつて、しよぼ/\とあきの、やがて九時頃じごろ遠慮ゑんりよをしてかあちやんが、かさをさしてれてたが、格子かうしけると、いつもは、「小母ばあちやん、」とたちまさかんこゑして、「今晩こんばんは、」などゝおしやまをるのが、一にちくらして、じれたり、すねたりで、草臥がつかりしたらしい。ると、おかあちやんの半纏はんてんおんぶにまるくなつてかた頬邊ほつぺたよこ押着おしつけて、半病人はんぴやうにんのやうに、元氣げんきのないかほをしながら、それでもくちうちで、
小母ばあちやんは、小母ばあちやん/\、小母はあちやん。」
 とうたのやうに、くやうに、ちひさなこゑ言續いひつゞけにちやあがつた。

「まあ、どんなに小母ばあちやんのとこへ。」
 とつて、かあちやんがきおろしながら、・・・・・あゝ、おや慈悲じひ廣大くわうだいである、餘所よそ小母おばちやんに浮氣うはきをする我兒わがこを、水臭みづくさいともおも微塵みぢんもないーーきわらひにうれしさうにしてわたすのを、

「みんみい!」
 と、小母ばあちやんが涙聲なみだごゑで、しめつけると、
「ばゞん!」
 とつた、はじめてつた。しがみついて、「小母ばあちやん」とふのを、いて、せきんだからである。

「ばゞん。」
 とつて、ぐつたりした。
 風情ふぜい!‥‥‥
 小父ぢいちやんは、みな天人てんにん天女てんによのやうにえて、一しゆ敬虔けいけんねんきんぜず・・・・・佛壇ぶつだんまへおもはず、うなぢれて、潸然さんぜんとしてえりぬらしたのである。 

 ときに、早速さつそくおまつちやんで機嫌きげん取結とりむすんだが、ばんうしてもうちかへらうとはないで、のまゝちやへころんとた。十二時頃じごろ、おかあさんがそついてかへつたつけ。ーーとまことおぼえて、小父をぢちやんが留守るすて、かへるのをまち草臥くたびれると、
かへつたら、おこして。」
 とつて、さつさとる。‥‥‥

「ーーさあ!・・・・・わすれた。」
 いきほひ、外出ぐわいしゆつさきで、うつかりをふかしたときなぞは、少々せう/\あかりしでもすれば、をしめたみせたのんで、おもちやをつてかへらずにはられない。

小父ぢいちやんお出掛でかけ。」
「みんみい、お土産みやは?」
「おもちや!」
 と、ひゞきのものにおうずるがごとしであるもの。

 却説さて以來いらいときは、「小母ばあちやん、」で、ようありげに、近々ちか/゛\かしいで、ものをひかけるときは、「ばゞん。」とふ。

「ばゞんーーあのウ」とふ。・・・・・はい。けれども、
小父ぢいちやん、小父ぢいちやん。」
 くち護謨ゴムまりのやうに發奮はずんで、
「ぢゞい!」
 ・・・・・は不埒ふらちだ。けだしみんみいの發見はつけんではない、しからん小母ばあちやんがをしへたのである。 ーーなんだ、なんだ、ーーいましがたいたくせにーー
「ぢゞい!」

 ともだちのうちでも、はやいのがおとうさんにつたばかり。餘程よほどあわてたのでないと、まだ餘所よそ初孫うひまご知己ちかづきさへたぬ。しかいはんや、小父をぢちやんはまだ父親ちゝおやにもならない、ずつとお婿むこさんの了簡れうけんるのに・・・・・

小父ぢいちやん/\。」
 悄氣しよげるのをつて、
「ぢゞい!」
此奴こいつめ。」

 けた/\とわらつてげてく。やツと追縋おひすがると、すとんと尻餅しりもち、それでもかずにげてく。‥‥‥  し、し、おぼえてろ。そんなにくまれぐちをきくなら・・・・・あそんでらないからい。






「おくんなさい。」
「へい、らつしやい、ーーなに差上さしあげます。」
「おねぎ
「いかほど。」
「おねぎせんばかり。」

 物價ぶつかあがとつつきごろで、まださしたることはなかつたのであるから、みんみいのうちは五にんぐらしだがーー眞似まねおぼえたのが一せんばかりーーで、小父ぢいちやんは、一しよばん御飯ごはんましたあとで、當分たうぷんきつのまゝごと見習みならひのお相手あひてうけたまはる。

「へい/\おいれものは。」
「はい。」
 とつて、がちや/\いそがしいあと片附かたづけ臺所だいどこでねだつて、小母ばあちやんだか、女中ぢよちうだかにたゝんでもらつた風呂敷ふろしきを、しなづくつてつたやつをぶらりとす。

「へい、おねぎごく上等じやうどうところ。」
「とこよ。」
 と、あとのはうだけ、くちなかおぼえてる。

 ところへ、煙管きせるを一ぽんくる/\とつゝんで差出さしだす。
「ありがたうござい。」
 氣取きどつてふたつばかり合點々々がてん/\をして、
やうなら。」
 と、ちよこ/\と襖際ふすまぎはを、箪笥たんすよこに、くかとおもふと、ぐに引返ひきかへす。

「おくんなさい。」
らつしやい、毎度まいどどうもありがたうぞんじます。」
「ど・・・・・いたち、まち、まち。」とおしやまをる。

「えゝ、今度こんどなに差上さしあげます。」
「おらいこん。」
ちひさな奥樣おくさま・・・・・」
「はい。」
唯今ただいまのはお大根だいこんーーお大根だいこん。」
 一寸ちよつとくびかたむける、が矢張やつぱりみんみいは・・・・・
「おらいこん。」

 結構けつこうむかし大根だいこんあぶみて、あいさるゝものゝためにぞくつた。・・・・・みんみいがふのなら、大根だいこんが、らいこんで、らいこんが、頼光らいくわうでも、間違まちがつたはう眞個ほんとうだ。

「へい、いかほど?」
「一せんばかり。」
 かさねて人參にんじん
「一せんばかり。」
 それからおいもも、‥‥‥
「一せんばかり。」

 卷莨まきたばこから、煙草たばこいれ當日たうじつ新聞しんぷん、ありあはせたものを風呂敷ふろしきへ。・・・・・おしきせ一銚子てうしで、とろんこの小父ぢいちやんは、無精ぶしやうつのが面倒めんだうだから、手近てぢかにあるものであはせをするのであるが、まるいものとながいものぐらゐは區別くべつをつけないと合點がてんしない。.・・・・・あまつさちひさな奥樣おくさま
「まけて、・・・・・澤山たくちやん。」

 とおひんがよくない。・・・・・もつてのほかし所帶しよたいれてなさるから、 一品ひとしな一個ひとつでは堪能たんのうしない。往々おう/\にして、一せんねぎが三ぼんだつたり、おなじく人參にんじんが二ほんだつたり、おいも五顆いつゝごときにいたつては、とてながらでは手廻てまはねる。・・・・・お茶臺ちやだいそろへて、ぼんして、吸子きびしよふたをはづすにおよんで、小父ぢいちやんはすなはち一けいあんじる。

「えゝ、勘定かんぢやうねがひますーーおだいだよ、みんみい、おたから、おたから。」

 、みんみいはまるあごで、さがすやうに、自分じぶんかたからむねはうみまはすが、わすれた、・・・・・ひよいとのついたはりつて、すた/\臺所だいどころはしつてく。

「ばゞん、ばゞん。」
 と、一大事だいじさうにんで、
八百屋やほやちやん、勘定かんぢやう。」

「あいよ。」

 で、お惣菜そうざい仕入しいれの鶉豆うづらまめだの、あの時節じせつだと、青緡あをざし一貫匁いつくわんもん思入おもひいれで、さや 隱元豆いんげんなどをたして寄越よこすのだけれど、ともすると面倒めんだうだつたり、あるひ間接かんせつふうするところあるがごとく、
晦日々々みそか/\。」とふ。

畜生ちくしようめ。」
 と、此方こつち苦笑くせうをしてところへ、ーー
「みちよか!」
不可いけません。」
 とかぶりつてせる。が、此處こゝだ!・・・・・うして、使つかひして君命くんめいはづかしめるやうな半間はんまなのぢやあない。

小父ぢいちやん、みちよか、よう。」
 と鼻聲はなごゑいろつぽくあまツたれる。如何いかゞ未來みらい外交官ぐわいかうくわんれい夫人ふじんうけあひと才媛さいゑん

 此方こつちは、そんなことひやく承知しようちで、
「あかべろ、ちよん/\。」
 とべツかツこをしてせると、外交官ぐわいかうくわん令夫人れいふじんだけにけてはない。たちまち、まるくして、出額おでこしやくつて、

「ぢゞい!」
此奴こいつめ。」
「きやツーー」

 くツくツ、けた/\とわらひながらげてく・・・・・いきほひうしても追駈おつかけずにられますか。どツこいしよ、とときはおつこふだが、さあ、つたわと、いきほひよく追騒おつかける、げる、追駈おつかけ追廻おひまはすーーちやから、となりの座敷ざしき女中ぢよちう部屋べやけて、玄關げんくわんをぐる/\とまはる。途中とちゆうで、わざぎやくまはつて、げるのとばつたり出會でつくはす。

「きやツ」とふ。
 あひまには、ストン/\と尻餅しりもちをつく、みんみいばかりに尻餅しりもちかせてけない、おなじく此方こつちもすとん/\。

小父ぢいちやん、ーーなんです。おいたがぎますよ。」
 あたか來合きあはせて、臺所だいどこ敷居しきゐぎはかるつゝ、ながしのもと小母をばちやんと、世帶しよたいばなしなにかしてかあさんが、小父をぢちやんのはう叱言こゞとふ。

 から、だらしはない。・・・・・いや、をかしい、うもうれしい。






 元來ぐわんらいつかけつこは、みなもとを、たもと團扇うちはの「ない/\ばあ。」にはつするとおもはれる。すこつと障子しやうじ硝子がらすのぞきつくらーー時分じぶんには、つかまりだちをして、よち/\とさんすがつて、ちやう硝子がらすめたしたさんから、やつ眉毛まゆげだけがるのである。これ縁側えんがはあそぶのだが、わずか障子紙しやうじがみまいばかりに、かほぐるみ身體からだあらはれたりえたりする。

 今度こんど出窓でまどうへせまえんをーー勿論もちろんこのみによつて抱上だきあげるのでーー格子かうし障子しやうじあひだを、むかうへけ、此方こつちけ、すつ/\と、つまさへひき加減かげん可愛かはいらしい酸漿ほゝづきむすめ (緋色ひいろのめりんすをたのをづける、帽子ばうしあかい。) が、たくみにつたりたりして、むかうの襖際ふすまぎはで、小母ばあちやん、ばあ、此方こつち茶棚ちやだなうへから、小父ぢいちやん、ばあーー  天稟てんぴんだ。

 何處どこ嬰兒あかんぽおんなじで、ひとれつこにつてるから、別段べつだんあらためてだれにおれいふでもないが、これがこれだけに、人間にんげんわざや、ぜんまい仕掛じかけうごけるものならうごいてたがい、眞個まつたく世界せかいぢう奇蹟きせきである。

 さて、室内しつないはた行列ぎやうれつーー段々だん/\はたばかりではきよくがないから、旗々はた/\各自てんでんえり差翳さしかざすことにして、押立おしたてたる、もの、えりにあれは、なんぞとてあれば、はたきに、ものさし心張棒しんばりぼう。いで高箒たかばうきの、かけものざを。いつも小父ぢいちやんが先陣せんぢんで、女中ぢよちうまじりに小母ばあちやんが殿しんがり眞中まんなかはみんみいが、かけものざをでもてばいのに、なんでもおほきなものがすきだから、これかなら高箒たかばうきで、ぶうか/\で、よろ/\ひよろ/\・・・・・ころぶとあぶないから、扱帶しごき腰紐こしひもたすき兵兒へこおびところを、張廻はりまはしたのだけれど、道中だうちうながつて、女中ぢよちう部屋ペやから縁側えんがはおよぶと、なか/\、そんなくらゐではおツつかない。工夫くふうをして、神田かんだ親類しんるゐからつゞみりてたーーみんみいの綺麗きれいでいゝ、とくと、所作しよさごとのやうにえるが、じつ荒事あらごとでーー次第しだい調子てうしづいていきほひすと、わツしよい/\。

 あゝ、はらがすいた、御膳ごぜんにしよう。
 へば、一しよにものをべさせて、きもひやしたことがある。いま思出おもひだしても慄然ぞつとする・・・・・じつは、おぜんむかうへすわらせるのに、背後うしろから背中せなかおさへて時分じぶんことで、一そうあぶない。・・・・・たひうしほがあつたーーみんみいがだいすきだから、一じつおきにでも調こしらへたが、これはふくめるのに細心さいしん注意ちういえうする。・・・・・小父ぢいちやんのでは不安ふあんふので、小母ばあちやんか、あるひかあちやんがうちから出張しゆつちやうるのだつけーーとき女中ぢよちう附添つきそつてさかなをむしつた。

「おいちい?」
「おいちい。」
 女中ぢよちうはよく世話せわをする・・・・・可愛かはいがつた。滿更まんざら夫婦ふうふにお齒向はむきばかりでもないやうであるから、安心あんしんをしてまかせてくとーー一寸ちよつと猪口ちよくいて、雜誌ざつし挿畫さしゑなにのぞいて途端とたんに、
「はい。」とつて、女中ぢよちうがついとつた。  一品ひとしなたせて寄越よこすのに、小母ばあちやんが臺所だいどこからんだのである。  ると、ちやうぜんうへに、ふつくりとあごだけがる。をぱつちりとゑて、ぢつ小父ぢいちやんのかほはうながら、ふくんだくちをむぐ/\してる。しきりにむぐ/\する。・・・・・むしらすか、ハツとおもつて、おもはず背中せなかから抱込だきこんで、                          

「あん、」とふと、‥‥‥  怜悧りこうだ、怜悧りこうだ。くちけた、よくけた。くちなかが、たひかまほねでザク/\、椿つばきつぼみ霜柱しもばしらつやうにつてやうではないか。  あをくなつた、が、神佛しんぶつまします、・・・・・此處こゝあわてるところでないと、震聲ふるへごゑして、
「ちやいして、ちやいして、」
 あゝ、怜悧りこうだ、よくわかつた。あてがつた小皿こざらうちへ、ぱら/\とすつかりしてくれた。大丈夫だいぢやうぶほついきいた。

 猛然まうぜんとして、づか/\とつた、女中ぢよちうしつしようとしたのであるが、臺所だいどころ出口でぐち敷居しきゐで、ハタととまつた。さむつたやうな心地こゝちがして、いきほひくじけたのである。

 つてかへして、きよとんとしてるみんみいの背中せなかたゞでゝ、
「いゝだ、いゝだ。」
 
「はい、お待遠まちどほさま。」
 と、其處そこ小母ばあちやんが、えり前掛まへかけを一しよはづしながらあかるた。

たすかつたよ。」
 と唐突だしぬけつて、圭吉けいきちは、おもはず細君さいくんのまだみづ仕事しごとれたまゝのを・・・・・らうとした。が、今度こんど小母ばあちやんがむしをおこすと不可いけない、とおもつて見合みあはせた。






 おもちやで、おもひのほかだつたのは、おほき甲蟲かぶとむしの、ぶうんとうなつて、駈廻かけまはるのと、黒奴くろんぽがぐわちや/\ぐわちやと、胡瓜きうりのやうにつたくつ歩行あるやつで、どつちも鐵葉ぶりきせいのぜんまい仕掛じかけつてた。

 四谷よつやではじめてうたとき、お巫山戯ふざけでない。これつけたときは、小父ぢいちやんは、おにくびでもつたで、ぞみんみいがよろこぶだらうと、自分じぶんひものもーー懷中ふところ都合つがふでーー半端はんぱにして、一さんうちかへると、あひ宿しゆくだとえて、みんみいがない。

生捉いけどれ。」
 と號令がうれいはつして、おもはせぶりに、兩方りやうはうたもとおさへて、浴衣ゆかただつけが・・・・・小母ばあちやんにもせないでつてると、午睡ひるねをしてところだつたさうだけれど、女中ぢよちゆうが三法師ぽふしまる見得みえで、高々たか/゛\いて、莞爾々々にこ/\と、それ、御光來おいで御光來おいで

 庭敷にはしき眞中まんなかゑた。

「そら、みんみい。」
 ぶうんとうなつて、ぐる/\とまはつて、ぶうん、ぐる/\と甲蟲かぶとむし飛廻とびまはる、・・・・・
「わあ。」
 とつて、ひらいて、へんあとじさりをする。

御覽おみよ、・・・・・あれ/\。」
 などゝ、小母ばあちやんがそばから景氣けいきをつけても、一かう機嫌きげんえない。

し、ぢやあ今度こんどいぞ。うだ此奴こいつは。」
 とはなすと、黒奴くろんぽがピーンとつた。とおもふと、ぶる/\と出尻でつちりゆすりをくれたが、高帽子シルクハットよこツちよにかぶつて、をぎよろんと、あの、疣々いぽ/\のあるあかくちびるをべろりとそらした。丈立たけだちくぢらで一しやくばかり。燕尾服えんびふく扮装でたちで、洋杖ステツキをついたのが、いまのゆすぶりにれて、ぷいと高慢かうまん反返そりかへると、くつでポンと鼻頭はなつさき蹴上けあげて、ぐわちやん/\ぐわちやん/\・・・・・歩調あしなみたゞしく兢々きよう/\として、姫君ひめぎみえつしてすゝむ。

「あら/\、」
 と小母ばあちやんはほそうしてうれしがる。
「とわい。」と、みんみいはをすくめた。
 ぐわツちやん/\。
今日こんちは。」
 ぐわツちやん/\。
「とわい。」
可恐こはくはないよ、みんみい。」
「とわい。」
 ぐわツちやん/\。
「とわい、可恐こはい。」と爪立つまだちあしが、それもちからなく、わな/\と震足ふるへあしつて、ふすま取着とりついて、ぐわツちやん/\のるのと、ぎやくに、よろ/\とげるときが、ぜんまいのやんだときで、小刻こきざみつて、黒奴くろんぼは、くつをがつちん!・・・・・がち/\/\がち/\と方向むきみだれて、みんみいのげるはうへ、めんむかつて、ぶる/\と、がつちん!・・・・・がち/\/\/\/\。

「あツ、」とおびえて、小母ぱあちやんのむねかほおしつけて、潛込もぐりこんだとき、ゴツンととまつて、黒奴くろんぽは、仰向あをむけにつてきよろんとした。

 一室ひとま寂然しんしらけると、
「はツくしよん。」
 黒奴くろめくしやみをした。

 夫婦ふうふぎよツとした。が、なに小庭こにはむかうのへいうへ野良猫のらねこ三毛猫みけねこたのである。

 二品ふたしなは、みんみいの兄妹きやうだいしう進上しんじやうこと

 いや、また、みんみいの「とわい。」とへぱ、こゝに一寸ちよつとすごいやうで、しかもえんことがある。






 「おぼろに、ほしかげさへ二つ三つ、四つか五つのかねも‥‥‥  ほしはあつたが、くらかつた。五月雨つゆあがりの戸外そとめづらしさに、小父ぢいちやんは、みんみいを、よいと恰好かつかう棒抱ぽうだきにいてかどたーー銀杏いてふしたから、かど乾物屋かんぶつやを、きた横町よこちやうまがつて、中六なかろくとほりて、かたぱかりだけれど、兩側りやうがは店屋みせや一寸ちよつとあかるところけた。・・・・・うかして、みんみいのうちまではいておくつたことはあるけれど、こんなにしたことかつてない。・・・・・これかさないでれてかへれぱ、一ぱしの手柄てがらる・・・・・小母ばあちやんなぞは初陣うひぢん功名こうみやうをしてかへつたぐらゐにおもふだらう。

にぎやかだ、にぎやかだ、そら/\。」
 と、駈出かけだしの天狗てんぐが、祇園ぎをん祭禮さいれいせるやうなことつて、うれしがらせながら、一廻ひとまはりして、我家わがやちかはうひがし横町よこちやうはひると、なにかくさう、兩側りやうがはとも此處こゝおほきやしきへいつゞきで、くらくて、さびしい。

 いたむねも、みんみいの身體からだしづかつた。 其處そこきこえたのである。

 「むねときうつおもひにて、くるわけし十六夜いざよひが、ちて行方ゆくへ白魚しらうをの、ふね篝火かゞりあみよりも、
   人目ひとめいとうてあとさきに、‥‥‥

「みんみい、三味線ペんペんだよ。」
 はてな・・・・・みんみいがなら小笛ぴい/\などゝはくらべものにらない、えらいピヤノだの、みんみいのうた小兎こうさぎよ、小兎こうさぎ唱歌しやうかなどはおよびもつかない、れいの「お」ののつくことだのは、あさからうけたまはらされるのだが、つひぞかない、不思議ふしぎえたじめがする‥‥‥

「ね、三味線ペんペん.・・・・・」

 婀娜あだめかけしてうはさもなし・・・・・つけの鮨屋すしやにおさとず・・・・・何處どこかの二かいへ、下町したまちむすめ泊客とまりきやくでもあるのから。

 「しばしたゝず上手うはてより、梅見うめみがへりのふねうた・・・・・

さびしい? かへるか。」
 と歩行あるして、
「みんみい、うさぎさんをうたはないかい。」
あまいーー」
 とときーー
あまい。ーー」
 とときいち見附みつけ新坂しんざかあたりとおもふ、とほところこゑひゞいた。

あまい。」
 あか行燈あんどんがスツと、雨上あめあがりの濡道ぬかるみくらやみをとほかげかよつた。

「とわい。」
 とちひさなこゑふ。
可恐こはいものか、ーー甘酒あまざけだよ。」
あまアゝい。」
「とわい。」
 と、今度こんどほそこゑ。ーー眞綿まわたのやうなかるが、しつかりと小父ぢいちやんのゆびつかんだ、がねつとりとあせばんでるのである。    

 「くもあしはやきあまぞらも、おもひがけなく吹晴ふきはれて、かはすつきかほかほ、・・・・・‥
あまアゝい。」
 片手かたてをしつかりとかたすがるとおもに、いまのあつあせが、ひやりとしてつめたくつた。

「あゝ、眞個ほんとうかーーそんなに可恐こはいかいーー大丈夫だいぢやうぶだ。」
 とおもはず意氣いきんだ。恐怖きようふをのぞくには、われてきをばおそれまい。

 確乎しつかりくと、軒燈のきあかりにほんのりと、かほしろつてすゞしに、一杯いつぱいなみだたゝへつとかほを、ひつたりとむねにつけた。前髪まへがみつめたいやうに、はだとほつてゾツとする、とさつれるやうに幻影まぼろし島田髷しまだえた。    

 「きしよりのぞく青柳あをやぎの、えだもしだれてかはおもみづいりなむ風情ふぜいなり。・・・・・

あまい、甘酒あまざけ。」
 これならねよう。・・・・・小父ぢいちやんは相濟あひすまんが、心中しんぢう刹那せつな體驗たいけんした。

 小父ぢいちやんは、ものにおそはれたやうに駈出かけだした‥‥‥

 如何いかに、に、くちにはさぬ程度ていどでさへ、「とわい。」とおもはせるやうなことを、世間せけんは、ひとは、戀人こひゞとは、をつとは、しうとは、のちおいおこなるか!  あいらしく、すこやかに、幸福さいはひあれ、みんみい、Mimmyーー






 格子戸かうしどを、がた/\。
たぞ。」
 そんなにたてつけはわるくないのだけれど、みんみいのはすこしづゝだから、すぐにわかる、がた/\。 

 朝早あさはやく、一寝込ねこみて、はなつまみ、つゝき、おでここつ/\で一さわさわいで、ときはすた/\かへつたつけ。ーーやつ不承々々ふしようぷしようきて、火鉢ひばちまへでなま欠伸あくびつてるところへ、もう二度目どめかほせた。

 おゝ、めづらしく帽子ばうしつてる・・・・・あをいリボンがひらりとかゝつて‥‥‥

 きものも背中せなかひもがけにあゐちゞみだ。おめしかへーー出額おでこいろくろいから、眞紅まつかいものよりういつた色合いろあひがよく似合にあふーーう一つか二つとしつてからのことであるが、マントでも肩掛かたかけでも、みせれてつて、小母ぱあちやんが「みんみい、どれ。」とくと、自分じぶんえらぶのが、をんな不思議ふしぎなもので、自然しぜんとうつりのいゝ萌葱もえぎあゐ、などのつたのを、「みんみい、こエ」とつたものださうである。一時あるとき小母ばあちやんがれて、銀座ぎんざ何處どこかへ、冬帽ふゆばうひにつて、あれ、これとつてると、かひものに來合きあはせた、何處どこのか西洋せいやう婦人ふじんが、ちよちよツとつて、なかから、葡萄鼠ぶだうねずみ天鵝絨びろうどに、あゐのリボンのあるのをつて、すまして、みんみいのあたまに、しよつとかぶせた。「可愛かはいぢやうちやん、似合にあひます。」と、すましてひもむすんでくれたさうである。ちゞれてても、あをくつても、心意氣こゝろいきうれしいよ。つた。みんみいによく似合にあつて、いろしろく、きれいにえた。あゝ、かずに、いつまでもかぶつてたつけ。

ーーあとはなし

 いつもはうるさがつて、身體からだよりまへに、麥藁むぎわらばうをかなぐるよりはやく、スボンとはふりむのを、おとなしくかぶつたまゝで、おつすました顔色かほつきで、くせようありさうにつてる。

 はゝあ、ゆひつけ草履ざうりか、くつ穿いてるから、がせて、とふのであらう。が、よくのまゝあがつてない。ーー小母ぱあちやんのせつによると、いまに御覽ごらんなさい、おむかうから一人ひとり歩行あるいてられるやうにると、勝手かつてとき出掛でかけてて、此方こつちのつかないときは、くつでも、かツこでものまんまであがつてますから・・・・・と豫言者よげんしやのやうな、をさまつたかほをしてつたことがある。が、さてもなかつた。がた/\とふから、たぞと、ると、かまちから玄關げんくわん腹這はらばひのやうにつた、あしには、あかくつ穿いたまゝ、とうちに、すぼ/\と歩行あるいてる、「つたな、えらい!・・・・・」と小父ぢいちやんはおもはずめたし、小母ぱあちやんは雜巾ざふきんちながら、「ね、はたせるかなでせう、」と豫言者よげんしやだから、おぼえの漢語かんご使つかつて、雜巾ざふきんつた豫言者よげんしやは、豫言よげん的中てきちうしたのを得意とくいらしいかほをしてたーー

「みんみい、くつか。」
 默然もくねんとして、ゆすぶるやうに帽子ぱうしつたが、
「いらつちやい、小父ぢいちやん。」
「あゝ、散歩さんぽか。ーー散歩さんぽ晩方はんがたぢやあないか。」
 なつことゆゑ、トひながら、わざ卷莨まきたばこあたらしいのにけて敷居しきゐつた。ーーけだしおとうさんのするのをやう眞似まねに、「散歩さんぽ。」とふと、卷莨まきたばこちたがつたからである。

小父ぢいちやん・・・・・のんで・・・・・」
 つて、卷莨まきたばこらずに、小父ぢいちやんのたもといた。にくばりものゝ養老瀧やうらうのたきみづ團扇うちはつてて、格子かうしそと眞紅まつかちひさな洋傘かうもり仰向あをむけにしてげてある。

 ひろつてたせると、すましてさす。
傘々かさ/\さして、えん/\えんか。」
 だまつて、矢張やつぱたもといて、おほ銀杏いてふはうへずん/\く。よそほひちひさな貴婦人きふじん風采ふうさいがある。ただし、やつぱり出額おでこいろくろい。

 が、小父ぢいちやんは、つひぞ、うした場面ばめんにつかはれる俳優やくしやでないから、臺辭せりふのかきぬきがわたつてない。

今日こんにちもおあつことで。」
ことで・・・・・」
 とげてつて、せつ/\いそぐらしく、またたもと引張ひつぱる。

 いまや、おむかうの、みんみいのうち出窓でまど格子かうしに、かあちやんの束髪そくはつかほえるかと、した洋傘かうもりうへからすかすが、かげえない。これ手放てばなしで一人ひとりあるかせるのか、と前後あとさきみまはすと、銀杏いてふ上風うはかぜせみこゑかるながれて、あさ一寸ちよつとしづかで、くるまとほらぬ。いやとほつてもよからう。おや獅子じし獅子じしためす・・・・・たましひ附添つきそつてて、怪我けがのさせツこはない、とおもひながら、ひかれた何時いつ此方こつちいてた。

 露地ろぢはひつた。

 みんみいのうち露地ろぢで、ぐるりとかぎ折曲をりまがつてて、此處こゝ抜裏ぬけうらではない。 羽目はめつた廂合ひさしあはひつちには、松葉まつば牡丹ぼたんがちら/\といてる。みんみいのおとうさんは草花くさばなだいすきで、専賣局せんばいきよくへつとめのあいだへば、如露じようろいぢりをする。夕顔ゆふがほを三はち早咲はやざきかせてせると丹精たんせいして、やがてつぼみも四つ五つ。一りんづゝ、いまやひらくと間際まぎはに、三はちぐるみ夜中よなかぬすまれなすつた。「られたの、」と、みんみいまでつたので、一寸ちよつと見舞みまつたことがある。それに‥‥‥

 「いくらいても我兒わがこくは、
    お花畑はなばたけのきり/゛\す。」

 やんちやんのために、威勢ゐせいよくいてると、かへつて安心あんしんで、いゝ心持こゝろもちで、町内賑ちやうないにぎやかなやうでうれしいがする。が、夜中よなか夜更よふけにひいときふきこえると、大丈夫だいぢやうぶとはりながらあんじられる。「いてる、いてるな。」小母ばあちやんをおこすのもどくだから、獨言ひとりごとのやうにふと、
のみでじれるのでせう。」と、いや、小母ばあちやんもられない。・・・・・「おはらぢやあないかい。」ーー「ませう。」「わたしく。」で、掛鍵かけがねをはづすことが毎度まいどある。ーーそんなときは、そつと足音あしおとしのんで、ぬきあしさしあしはひるのが露地ろぢで、ーーなかほどに小窓こまどがあつて、した附着くつゝいて二人ふたりしやがむ。ーー

 とふのは、こゑをかけないでも、跫音あしおとがすると、うれしいことには、たちまかんづいて、むつくりきて、さらのやうにして、「ばゞんちかう。」とつて、夜中よなかかまはず兩親りやうしん迷惑めいわくする。で、しやがんでる。ーー泣留なきやめば、のまゝスッとて、ばた/\とかへるが、いつまでもいてると、たまらなくつて、小母ばあちやんがゾツと窓下まどした羽目はめをトン/\とたゝく・・・・・あゝ、かあちやんは、そんなときは、またきつきてるのだから、すぐにすつとまどける、ひつたりかほせて、くちけただけで意味いみつうずる。・・・・・「腹々ぽん/\?」「いゝえのみ。」「では安心あんしん。」ーー

 いま、まどたのである。
 が、みんみいは、もつとたもといた。

 じつは、のさきへも、折曲をりまがつたおくへも、まだ一はひつたことはなかつたのである。露地ろぢまはると!

 あゝ綺麗きれいだ。
 みんみいの眞赤まつか洋傘かうもりは、いて、はなつゆぐやうである。

 おとうさんの丹精たんせいで、溝際みぞぎは空地あきちつて、細長ほそなが花壇くわだん出來できた。一夏ひとなつ避暑中ひしよちうの、眞奥まおくやしきへいまへ駒寄こまよせまで草花くさばなゑたので、・・・・・千鳥草ちどりぐさ、をぐるま、向日葵ひまはりは、みんみいよりたけたかい。雛芥子ひなげししぼりのこつて、みんみいのふくかげうつす。かをりたか大輪おほりんすみれ咲殘さきのこつた。あの、いろ/\な松葉まつば牡丹ぼたんが一めんで、あかいのにくつがちら/\。みぞべりには、せた杜若かきつばたが、うつくしいつゆげてた。

綺麗きれいだね、みんみい。」
 團扇うちはづかひをしながら、
小父ぢいちやん、こえ。」
綺麗きれいだ。」
「こえ、小父ぢいちやん。」
「おゝ、綺麗きれいだ。」
今朝けさいたの、こえ。」

 とす。・・・・・まだぱかりのはぎかげに、姫百合ひめゆりが一りん、ぽツと俯向うつむいてたのである。      

小父ぢいちやん、き?」
大好だいすき。」
 と、それよりも、みんみいのかほて、感激かんげきしてうでぐみをして凝視みつめた。
 途端とたんに、うちはも、洋傘かうもり投出なげだすと、
「ちやい!ちやい!」
 とあふつて、くつでポン/\とはななかんだ。ブーンとつのを、
「ちやい!」
 とまたふ。
 蒼蝿ぎんぱへまじりに、はへうなるのであつた。

「ちやい! 小父ぢいちやんが、きらひよ。畜生ちくしやう
「あゝ、すきにつてもい。」

 小父ぢいちやんは、ちひさなつて、かふにぽツつり一つある、てふごと黒子ほくろ接吻キスした。







 黒子ほくろのあるやさしで、背中せなかをトン/\たゝいて、
「ねん/\よう、ねん/\よう。」
 と子守こもりうたと、寢轉ねころべ、と請求せいきうを、一しよにして、小父ぢいちやんを、なが火鉢ひばちそばへごろんとかして、
「おとなに、ちなちやい。」
 と、ついと臺所だいどころく。

ーーふゆは、けてみたーー
 う、おさだまりの、くゝりまくらおほきなのをおんぶで、子守こもりうたで、しかつたり、すかしたり、おしりから揺上ゆすりあげる眞似まねをして、ステンと尻餅しりもちをつくなどは、とうまへで、みんみいめ、小父ぢいちやんを嬰兒あかんぽにする。

 で、肱枕ひぢまくらると。ぱた/\とつてて、
なつきするの、」
「‥‥‥‥‥‥」
なつきよう。」
くのか。」
「あん/\あんと。」
し!」
 といきほひよくふと、一寸ちよつと魂消たまげかほをする。其處そこで、
「あん/\あん。」
 とく。くのをきながら、みんみいはスツと臺所だいどころく。
「・・・・・」あみだいてなければらない。
 とた/\とけてて、背中せなかでゝ、
「おゝ/\おゝ、嬰兒あかや、嬰兒あかや、なつきちないの・・・・・‥かあちやん、お臺所だいどこ、ごようよ。」
 とふ。

 める‥‥‥
 枕頭まくらもとへ、トンとすわつて、
いて、小父ぢいちやん。」
またくのか。」
「うむ、いて。」
「あん/\あん。」
「もつと。」
「あん/\あん、」
「まぢや・・・・・」
「わーいの、わーいの、わー」
「をかちい。ーーいて。」
「あん/\あん。」

 今度こんどは、しのあしをしてそつく。

 臺所だいどこでは、さむいが、なんとなく湯氣ゆげなかに、小母ばあちやんは、女中ぢよちうと一しよはたらいてる。鉢皿はちざらだの、庖丁はうちやうおとにまじつて、みんみいの、こちや/\とはなこゑきこえる。

「‥‥‥‥‥‥」
 だまると、わすれたかとおもふのに、襖際ふすまぎはまでて、
いて。」
「あーん、あーん/\。」
「ぱゞん、おちいちい。」
 とあの、「おいしい」だか、「おつゆ」だか、兩方兼帶りやうはうけんたいこゑけて、おかずうかゞふ。

「あーん/\。」
「みんみい、そら、嬰兒あかちやんがいてるぢやないの。」
「・・・・・いそがしい。」
「おや、のんきだね。」
「あーん/\、」
 とかせていて、臺所だいどこ障子しやうじと、座敷ざしきふすま小暗こぐらところに、人形にんぎやうのやうにつて、ちやすかしてめてる。

「あーん、あーん、わあ/\わあ。」
小父ぢいちやん、いゝだね。」
 と小母ぱあちやんがわらふと・・・・・
「ぱゞん、そツとして。」
「ほゝゝ。」
「あーん/\。」
 まだめてる。
「あーん/\、かあちやん、かあちやん。」
「あい/\、あい。」

 ばた/\ばたと、小刻こきざみにかけてると、こんどは、ひつたりと寄添よりそつて、小父ぢいちやんの背中せなかかゝむやうにして、あまちゝかをりのほんのりとするむねいて、
「おゝ/\、かはいそ、かはいそ・・・・・嬰兒あかや、嬰兒あかや、かあちやん、たよ、よち/\。」
 とやはらかに背中せなかさする。情人いろにもんなおぽえはあるまい。おんなじに兩親りやうしんたぬ小母ぱあちやんもうらやましからう、ひとりでに、あまい、あたゝかい、可懷なつかしなみだくのであつた。



             【完】







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