賣色鴨南蛮

泉鏡花


 はじめ、いたのはーー申兼まをしかねるが、ーーとにかく縮緬ぢりめんであつた。燃立もえたつやうなのに、しゆ處々ところ/゛\ぼかしのはひつたなが襦袢じゆばんで。をんなすそ端折はしよつてたのではない、つま高々たか/゛\かゝげて、ひざはさんだあたりから、くれなゐ がしつとりれて、しろあしくびをまとつたが、うやらぬれしよびれた氣味きみさに、うして引上ひきあげたものらしい。素足すあしまつて、あかいのがうつりさうなのに、藤色ふぢいろおもあつぼつたいこま下駄げたどろまみれなのを、弱々よわ/\内端うちはそろへて、またを一つよぢつた姿すがたで、ふりしきるあめ待合まちあひじよ片隅かたすみに、こしけてたのである。

 日永ひながころゆゑ、まだくれかゝるまでもないが、やがて五ぎた。場所ばしよ院線ゐんせん電車でんしや萬世まんせいばし停車ていしやぢやうの、あのたか待合まちあひじよであつた。

 やなぎはほんのりとえ、はなはふつくりとつぼむだ、昨日きのふ今日けふみどりくれなゐかすみむらさきはるまさたけなは ならむとするめて、いろく、ちからつよいほど、五月雨さみだれなんぞのやうなあめ灰汁あくつゝまれては、景色けしきひとも、神田かんだがは小舟こぶねさへ、皆黒みなくろなかに、紅梅こうばいとも、緋桃ひもゝともふまい、よこしぶきに、したゝごとべに木瓜ぼけの、れつゝばつといた風情ふぜいは、見向みむかふものゝ、おもてのほてるばかり目覺めざましい。・・・・・・

 目覺めざましいのをて、はなし主人しゆじんこうつたのは、大學だいがく病院びやうゐん内科ないくわつとむる、學問がくもんと、手腕しゆわんらるゝ、最近さいきん留學りうがくして歸朝きてうしたはた宗吉そうきちである。

 邊幅へんぷくをさめない、質素しつそひとの、住居すまひしば高輪たかなわにあるので、毎日まいにち病院びやうゐんかよふのに、院線ゐんせん使つかつて、おちやみづ下車げしやして、あれから大學だいがく所在しよざいまで徒歩とほするのがならひであつたが、五日いつか七日なぬか降續ふりつゞくと、何處どこみち宛然まるで泥海どろうみのやうであるから、勤人つとめにん大路おほぢ往還ゆきゝの、ちやなりくろなり背廣せびろくつは、まつたくおほ袈裟げさだけれど、たぬき土舟つちぶねていがある。秦氏はたし多分たぶんれずーーもつといろしろくて鼻筋はなすぢとほつたところむしうさぎぞくしてはるがーー歩行あるきなやむで、今日けふ本郷ほんがうどほりの電車でんしや萬世まんせいばしりて、れいの、銅像どうざうよこに、おほき煉瓦れんぐわくゞつて、たか石段いしだんのぼつた。・・・・・・これだと、一寸ちよつと歩行あるいたゞけで甲武かふぶせん東京とうきやうだい中央ちうあう突拔つきぬけて、一息ひといき品川しながはへ‥‥‥

 が、それ段取だんどりだけのことサ。時間じかん時間じかんだし、あめる・・・・・・此處こゝ出入ではひりむだらう、とおもつたよりはおびたゞしい混雜こんざつで、たゞ停車ていしやぢやうなどゝ、宿場しゆくばがつてすましてはられぬ。川留かはどめか、火事くわじのやうに湧立わきた揉合もみあ群衆ぐんじゆ黒山くろやま中野なかのゆき右側みぎがはも、品川しながは左側ひだりがはも、二ぢうぢう人垣ひとがきつくつて、線路せんろうへまで押覆おつかぶさる。

・・・・・・すぐに電車でんしやところで、うせ一ではれはしまい。
 宗吉そうきち斷念あきらめて、洋傘かうもりしづくつて、かるくろ外套ぐわいたうわきはさみながら、うすかは手袋てぶくろをスツと手首てくびしごいて、割合わりあひいてえる、何故なぜか、硝子ガラスがこひ温室をんしつのやうなのする、雨氣あまけひとの、むつとこもつた待合まちあひうちへ、コツ/\とーー矢張やはりどろつたーーわびしくつさききざむではひつたとき、ふと目覺めざましいところたのである。

 たしか、中央ちうあうだいに、まだおほきはこ火鉢ひばちた・・・・・・其處そこで、ハタと打撞ぶつかつた、縮緬ちりめんほのほから、きふひとみわきらして、横状よこざまにプラツトフオームへようとすると、戸口とぐちはしらに、ボンとた、もひとあかいもの。






 おどしては不可いけない。なに黒山くろやまなか赤帽あかばうで、其處そこ腕組うでぐみをしつゝ、うしろきに凭掛もたれかゝつてたが、宗吉そうきちかほしたのを、茶色ちやいろのちよんぼりひげはやした小白こじろ横顔よこがほで、じろりとめると、
のぼりは停電ていでん・・・・・・くだりは故障こしやうです。」
 と、ひとかほさへれば、返事へんじふものとめたやうにほとん機械きかいてきつた。そして頸窪ぼんのくぼ凭掛もたれかゝつたはしら小突こづいて、超然てうぜんとした。

「ヘツ! のぼりは停電ていでん。」
くだりは故障こしやうだ。」
 ひゞきおうずるがごとく、四五にん口々くち/゛\饒舌しやべつた。
「あゝ、あゝ、」
たまらねえなあ。」
「よく出來できてら。」
こまつたわねえ。」と、つい釣込つりこまれたかして、つれもないぢよ學生がくせい猪首ゐくびちゞめてつふやいた。
 が、いづれも、いまはじめてつたのではさゝうで、赤帽あかばうしか機械きかいてきふのでもわかる。

 かゝ群集ぐんじゆ動搖どよしたに、冷然れいぜんたる線路せんろは、日脚ひあし薄暗うすぐらしづんで、いまにはぜれるからて、とだい都市とし泥海どろうみに、入江いりえごと彎曲わんきよくしつゝ、伸々のび/\しづまりかへつて、くせ底光そこびかりのする土手どてせて、冷笑あざわらふ。

 赤帽あかばう言葉ことば善意ぜんいかいするにつけても、いやしくちう山高帽やまたかかぶつて、外套ぐわいたうふくつた、洋行やうかうがへりの大學だいがく教授けうじゆが、端近はしぢか押出おしだして、其際そのさいじたばたべきではあるまい。

 宗吉そうきちはーー煙草たばこまないがーー火鉢ひばちそば引籠ひきこもらうとして、くつかへしながら、爪尖つまさきれば、ぐしよぬれ土間どまに、ちら/\と又紅またくれなゐつまながれる。
 緋鯉ひごひをどつたやうである。

 おもはず視線しせんむかふのと、かたあはせて、爾時そのとき腰掛こしかけ立上たちあがつた、もう一人ひとりをんながある。丁度ちやうど縮緬ぢりめんのとならんでた、のつれかともおもはれる、大島おほしま羽織はおりた、丸髷まるまげの、たかい、面長おもながな、目鼻めはなだちのきつぱりしたかほると、宗吉そうきちは、あつとおもつた。
 ふたゝび、おや、とおもつた。

 とふのは、頃日このごろいそがしさに、沙汰ざたはしてるが、知己ちかづき知己ちかづきしか婚禮こんれいせきつらなつた、從弟いとこ細君さいくんにそつくりで。世馴よなれた人間にんげんだと、すぐに、「おゝ。」とこゑけるほど、よくる。がるのをおどろいたのでもなければ、おもけず出會であつたのをおどろいたのでもない。まさしくひとおもふのが、近々ちか/゛\かほはせながら、すつとらしてまどからあめそらた、つてもけない、あか他人たにんらしい處置しよちぶりに、一きやうきつしたのである。

 いや、まつた他人たにんちがひない。
 けれども、せい恰好かつかうから、形容なりかたち生際はえぎはすこみだれたところ色白いろじろ容色きりやうよしで、淺黄あさぎ手柄てがらが、如何いかにも似合にあ細君さいくんだが、をんなまた不思議ふしぎ淺黄あさぎ手柄てがらで、びんいろつぽいところから・・・・・・それ/゛\、すこ仰向あをむいてかほつき。他人たにんが、一寸ちよつとまゆひそめる工合ぐあひは、細君さいくん小鼻こばなから口元くちもとしわせるくせがある。・・・・・・それまでが、のまゝで、電車でんしやまち草臥くたびれて、あめわびしげな樣子やうすが、小鼻こばなせたしわ明白あからさまであつた。

 勿論もちろん別人べつじんとは納得なつとくしながら、うつかりくちさうな挨拶こんにちはを、くちびる噛止かみとめて、心着こゝろづくと、いつのにか、あしもやゝちかづいて、帽子ばうしけてきまりわるさに、けて立直たちなほると、雲低くもひくく、下谷したや神田かんだ屋根やねめんあめかすみみなぎつてにごつたなかに、神田かんだ明神みやうじんもりえる。

 縮緬ぢりめんをんなが、おなはうぢつた。






 はなたかかほが、ひた/\とよこつて、むね白粉おしろいくやうにおもつた。
 宗吉そうきちは、愕然がくぜんとするまで、ふたゝび、ひと面影おもかげをんな發見みいだしたのである。

 縮緬ぢりめんをんなは、櫛卷くしまきつて、くろ縮緬ちりめん紋着もんつき羽織はおり撫肩なでがたにぞろりとて、せた片手かたてを、ちからのないえりして、うやつて、引上ひきあげたつまおさへるやうに、ひざいた萌黄もえぎいろのオペラバツグを大事だいじさうにつてる。う三十をいくつもした年紀としごろからおもふと、小兒こども土産みやげにする玩弄品おもちやらしい、粗末そまつ手提てさげを、大事だいじさうに、つてるは、きものも、襦袢じゆばんも、素足すあしも、櫛卷くしまきも、紋着もんつきも、なんとなくちぐはぐなところへ、色白いろじろさうなのが化粧けしやうくちおほきくえるまで濡々ぬれ/\べにをさして、ほそえりの、眞白ましろ咽喉のどながく、明神みやうじんもり遠見とほみに、伸上のびあがるやうな、ぐつと仰向あをむいて、おほきなぢつみはつたかほは、首丈くびたいき人形にんぎやういだやうで、綺麗きれいなよりは、ものすごい、たゞうつくしくやさしく、しかもきりゝとしたのはたぐひなきまゆである。

 まゆは、宗吉そうきちおもふ、わすれぬをんな寸分すんぶんちがはぬ。が、たのは、もう一人ひとり圓髷まるまげはうが、從弟いとこ細君さいくんたほど、適格しつくりしたものではけつしてない、あるひそれあまりよくたのに引込ひきこまれて、こゝろきざんだ面影おもかげ縮緬ぢりめんはう宿やどつたのであらうもれぬ。

 よし、まゆ姿すがたたゞまいでも、はた宗吉そうきちむねは、ゆめ三日みかづきんだやうに、晁乎きらりたふとかゞやいて、ときめいてをどつたのである。

ーーお千とつた、をんなは、じつ宗吉そうきちが十七の年紀とし生命いのちおやである。ーー
 しか場所ばしよは、面前まのあたり彼處かしこのぞむ、神田かんだ明神みやうじんはる境内けいだいであつた。

「あゝ・・・・・・もうひと呼吸いきで、剃刀かみそりで、・・・・・・」
 と、今視いまながめても悚立よだつ。・・・・・・もりのめぐりの雨雲あまぐもは、陰惨いんさん鼠色ねずみいろくまつた可恐おそろしめんのやうで、家々いへ/\むねは、かはらきばみ、かさねた、うへ二處ふたところ三處みところあか煉瓦れんぐわのきと、亞鉛とたん屋根やね引剥ひつぺがしが、たかそらに、かつあか齒莖はぐきいた、ひとくらおにくち髣髴はうふつする。・・・・・・もり樹立こだちは、・・・・・・春雨はるさめけぶるとばかりには、いつたてならべた薄紫うすむらさきまゆ刷毛ばけであらう。なうとしたの、ときおもへば、それさかしまえた蓬々おどろ/\ひげである。

 そらへ、すら/\とかりがね のやうにく、縮緬ぢりめんをんなまゆよ! ひとみすわつて、まばたきもしないで、恍惚うつとりおなところ凝視みつめてるのを、宗吉そうきちまたちらりとた。

 あゝをんな
 となみつてとゞろむねに、停車ていしやぢやうは、だいなるふね甲板かんぱんまはるやうに、みよし明神みやうじんもりけた。
 るばかりちかい。
「なぞへにひくつた、彼處あそこ明神みやうじん みやうじんざかだな。」
 右側みぎがは露路ろぢ突當つきあたりのいへで。‥‥‥

ーーなうとしたあさーー宗吉そうきちは、年紀としうへ友達ともだちに、かほあたつてもらつた。・・・・・・明神みやうじん境内けいだいでアハヤ咽喉のどしたのは剃刀かみそりであるが。

 (一寸ちよつと順序じゆんじよつけよう。)

 宗吉そうきち學資がくしもなしに、鐡砲てつぱうくにて、行處ゆきどころのなさに、ころあるだんの、取止とりとめのない體裁ていさいぐらしのひとたちの世話せわつて、からうじて雨露うろしのいでた。

 其人そのひとたちとふのは、おも懶惰らんだ放蕩はうたうのため、見棄みすてられた醫學いがくせい落第らくだいなかまで、年輩ねんぱい相應さうおう女房にようばう もちなどもまじつた。なかには政治せいぢ半端はんぱもあるし、實業じつげふ下積したづみ山師やましたし、眞面目まじめ巡査じゆんさらうかとふのもあつた。

 其處そこで、宗吉そうきち當時たうじ寢泊ねとまりをしてたのは、おな明神みやうじん ざか片側かたがは長屋ながやの一けんで、こゝにはふやはずの醫學いがくせいあがりの、松田まつだふのが夫婦ふうふた。

 突當つきあたりの、やなぎに、軒燈けんとうかゝつた見晴みはらしのいゝたれかの妾宅せふたく貸間かしまた、つゆれさうな綺麗きれいなのが・・・・・・こゝに縮緬ぢりめんをんなたとおもふ、のおせんさんである。






 おせんは、しのび、人目ひとめはゞかをんなであつた。宗吉そうきち世話せわになる、渠等かれらなかまの、ほとん首領しゆりやうともふいべき、熊澤くまざはふ、おつだい實業じつげふるといた、いたばけ地藏ぢざうのやうな大漢おほをとこが、そんじよへんのを落籍ひかしたとは表向おもてむき得心とくしんさせて、連出つれだして、内證ないしようかこつてたのであるから。

 ふまでもなく商賣人くろうとだけれど、藝妓げいしやだか、遊女おいらんだかーーそれいまおいわからないーーなにしろ、宗吉そうきちにはみつよつツ、もつとかとおも年紀としうへ綺麗きれいねえさん、婀榔あだなおせんさんだつたのである。

 前夜ぜんやまでーー唯今たゞいまのやうな、じと/\ぶりあめだつたのが、はなひらくやうにあがつた、彼岸ひがんまへ日曜にちえうあさ宗吉そうきち朝飯あさはんまへ・・・・・・とふが、やがて、十。・・・・・・此處こゝは、ひもじい經驗けいけんのない讀者どくしやにも推讀すゐどくねがつてく。が、いつにつてもあさ御飯ごはんはなかつた。

 妾宅せふたくでは、まへばんよひに一、てんどんのおあつらへ、夜中よなか時頃じごろ蕎麥そば出前でまへが、ぷん枕頭まくらもとにほつて露路ろぢはひつたことをつてるので、けばなんかあるだらう・・・・・・天氣てんきいとべたい。空腹すきばらいて、げつそりと落込おちこむやうに、みぞつたうら長屋ながや格子かうしけたところへ、突當つきあたりの妾宅せうたくやなぎしたから、ぞろ/\と長閑のどかさうに三人出にんでた。

 肩幅かたはゞひろいのが、薄汚うすよごれたぢやう書生しよせい羽織ばおりを、ぞろりとたのは、長屋ながや主人あるじで。一戸口とぐち引込ひつこむだ宗吉そうきち横目よこめると、小指こゆびして、
うした。」
 と小聲こゞゑつた。
「まだ、おつてゞす。」
 きるのに張合はりあひがなくて、細君さいくんの、まだ裸體はだか柏餅かしはもちつゝまつてるのを、ふと、主人しゆじん一寸ちよつとしたしてだまつてく。

 つぎのは、りたてのあたま青々あを/\とした綺麗きれい出家しゆつけ細面ほそおもていろしろいのが、ねずみ法衣ころもしたうへへ、くろ縮緬ちりめん五紋いつゝもん、ーーおせんさんのだ、ふりあかいーー羽織はおりた。昨夜ゆうべ露路ろぢはひつたときは、むらさき袈裟げさくもごとたふとまとつて、水晶すゐしやう數珠じゆずげたのに。ーー

 、うしろから、拳固げんこで、まへまるあたまをコツンとたゝ眞似まねして、宗吉そうきち流眄ながしめで、ニヤリとしてつゞいたのは、頭毛かみのけ眞中まんなかさら禿はげのある、いろくろい、くぼんだ、くちおほきをとこで、近頃ちかごろまで政治せいぢだつたが、ひるがへ つて商業しやうげふこゝろざした、ために紋着もんつきいで、綿めん銘仙めいせん羽織はおり桁短ゆきみじかに、めりやすの股引もゝひき痩股やせもゝ穿いてる。・・・・・・小皿こざらへいらう
 いづれも、花骨牌はち/\徹夜てつやいま明神みやうじん ざか常盤ときはつたのである。
 行違ゆきちがひに、茫乎ほんやりと、宗吉そうきち妾宅せふたくはひると、ものどころか、いきなりあと始末しまつ掃除さうぢをさせられた。
まないことね、學生がくせいさんにはたらかしちやあ。」
 とおせんさんは、伊達だてまきひとつのえん蹴出けだしで、おめし重衣かさねつまをぞろりといて、くろ天鵝絨ろびろうど蒲團ぶとんつて、火鉢ひばちまへげながらつた。

なに目下もくかあつしたちの小僧こぞうです。」
 と、甘谷あまや横肥よこぶとり、でぶ/\とせいひくい、ばらりとかみながくした、太鼓たいこばら角帶かくおびいて、前掛まへかけ眞田さなだをちよきんとむすんだ、これ醫學いがく落第らくだゐせいつてだい實業じつげふたらんとする準備じゆんびちうのが、わらひながらつたのである。

 二人ふたりが、妾宅せふたくかしぬしのおめかけーーが、ういゝ加減かげん中婆ちうばあさんーーと兼帶けんたい使つかふ、つぎつたに、宗吉そうきちが、ひよろ/\して、時々とき/゛\あさましく下腹したはらをぐつとかせながら、かく、きれいに掃出はきだすと、
苦勞くらう々々/\。」
 と、調子てうしづいて、
「さあ、貴女あなた。」
 と、甘谷あまや蒲團ぶとん引攫ひつさらつて、もとのところへ。・・・・・・身體からだないこしかるをとこ。・・・・・・もつと甘谷あまやも、 つい十日とをかばかりまへまでは、宗吉そうきちおな長屋ながやかし蒲團ぶとんひと夜着よぎで、芋蟲いもむしごろ/\してところーー事業じげふ運動うんどう外出そとでがち熊澤くまざは旦那だんなが、おせんさんの見張みはりけん番人ばんにんかた/\妾宅せふたくはう引取ひきとつてくのであるから、日蔭ひかげものでもおせん主人しゆじんのくらゐなこと當然たうぜんで。

 つい蒲團ふとんを、とん/\と小形こがたなが火鉢ひばち内側うちがはなほして、
「さ、さ、貴女あなた。」
 と自分じぶん退いて、
「いざづ・・・・・・これへ。」とくちもともにかるい、が、起居たちゐ石臼いしうす引摺ひきずるやうに、どし/\する。ーーあゝ、無理むりはない、脚氣かつけがある。あかしはしても、朝湯あさゆにはけないのである。

可厭いやですことねえ。」
 と、婀娜あだで、襖際ふすまぎはからのぞくやうに、友染いうぜんすそいた櫛卷くしまき立姿たちすがた






 さくらにははやい、木瓜ぼけか、なにやら、えだながら障子しやうじうつはなかげに、ほんのりと日南ひなたかをりつて、おせんがもとのいた。
 むかうには、旦那だんな熊澤くまざはが、上下うへした大島おほしま金鎖きんぐさり、あの大々だい/\したので、ドカリと胡坐あぐらむのであらう。
 
「お留守るすですか。」
 宗吉そうきちなんとなく甘谷あまやつた。此處こゝにもえず、つたなかにもなかつた。熊澤くまざはいたのである。
 縁側えんがは片隅かたすみで、
「えへん!」と屋鳴やなりのするやうな咳拂せきばらひひゞかせた、便所べんじよなかで。
熊澤くまざは此處こゝるぞう。」
「まあ、」
隨分ずゐぶんですこと、ほゝゝ。」
 と家主いへぬしのおめかけが、つぎ臺所だいどころとほりがゝりにわらつてくと、おせんさんが俯向うつむいて、莞爾につこりして、
あんま色氣いろけかなさぎるわ。」
其處そこ婦人ふじんどくでげす。」
 と廿谷あまや前掛まへかけをボン/\とたゝいて、
「おせんさんは大將たいしやう彼處あすこところツこちたんだ。」
「あら、隨分ずゐぶん・・・・・・ひどいぢやありませんか、甘谷あまやさん、あんまりだよ。」
 なんにもらない宗吉そうきちにも、間違まちがひわかつた、きたないに相違さうゐない。

「いやあ、これは、失敗しつぱい失敬しつけい失禮しつれい。」
 と甘谷あまや立続たてつゞけに叩頭おじぎをして、
其處そこで、おわびに、ひと貴女あなたかほあたらしていたゞきやせう。いえ、自慢じまんぢやありませんがね、咋夜ゆうべツからまをとほり、野郎やらう圖體づうたい器用きようでも、勝奴かつやつこぐらゐにやたしか使つかへます。剃刀かみそりたしちやたしかです。ーー秦君はたくん一寸ちよつとおくつて、剃刀かみそりりて來給きたまへ。」

 宗吉そうきちは、おせんさんの、にだけはそつつても、床屋とこやへはけもせず、ぶのもつゝしむべき境遇きやうぐううなづきながら、おめかけ剃刀かみそりりてもどる。‥‥‥

「おつと!・・・・・・次手ついで金盥かなだらひ・・・・・・かして、かして。」

 あひだに、いまなにはなしがあつたとえる。
「さあ、きみ此處こゝかほしたり、ひと手際てぎは御覽ごらんれないぢや、おくさん信用しんようくださらない。」
「いゝえ、うぢやありませんけれどもね、わたしまだ、そんなでもないんですから。」
なに遠慮ゑんりよにやあおよびません。間違まちがつたところでたかゞ小僧こぞうかほでさ。・・・・・・丁度ちやうど、ほら、むくえて、餡子あんこ撮食つまみぐひをしたやうだ。」

 宗吉そうきちは、可憐あはれやゴクリとつばんだ。

仰向あをむいて、ぐつと。そら、うです、つる/\のつる/\と、あざやかなもんでげせう。」
なんだかあぶなツかしいわね。」
 とすこひざかしながら、手元てもとのぞいて憂慮きづかはしさうに、うごかすかほが、鐡瓶てつびん湯氣ゆげ陽炎かげろふ薄絹うすぎぬけつゝ、宗吉そうきちに、ちら/\、ちら/\。

だい丈夫ぢやうぶ、それとほり、一寸ちよい一寸ちよい一寸ちよい一寸ちよいと、」

「あれ、して頂戴ちやうだいしてよ。」
 とかしたひざら/\と、そでかをつて伸上のびあがる。
何故なぜですてば。」
あぶないわ、/\。おとなしい、やさしい眉毛まみえを、おとしたらうしませう。」
ことですかい。」
 と、一寸ちよつとめた剃刀かみそり又當またあてた。
かまやしません。」
「あれ、ふちはまだしもよ、うへして、後生ごしやうだから。」
貴女あなた襟脚えりあしらうてんだ。なに、こんなものぐらゐ。」

「あゝ、あゝ/\、あゝあーツ」
 と便所べんじよなか屋根やねげた、筒拔つゝぬけなおほ欠伸あくび

わらつちやあ・・・・・・不可いけない/\。」
「はゝゝはゝ、わらつたつていたつて、なに、こんな小僧こぞう眉毛まゆげなんか。」
いやいやいや。」
 と支膝つきひざのまゝ、する/\と衣摺きぬずれが、とほくから羽衣はごろもおとちかづくやうに宗吉そうきちむねひゞいた・・・・・・たゝみなみ人魚にんぎよ半身はんしん

「どんなおつかさんでせう、このおかた。」
 ゆきあざむかいなそらに、甘谷あまや剃刀かみそりさゝへ、いてはなして、むねへ、くやうにしてぢつた。
うらやま しいこと、まあ、なんて、いゝ眉毛まみえだらう。親御おやごぞ、お可愛かはいいだらうねえ。」

 ちゝ白々しろ/゛\と、やさしさと可懷なつかしさが透通すきとほるやうにながら、きぬあや衣紋えもんいろも、黒髮くろかみも、宗吉そうきち眞暗まつくらつたときかたそでをばけられて、おもて えりせながら、しのねたむねしぼつて、おもはず、ほろ/\とあつなみだ

 おめかけつぎから、
れますか剃刀かみそりは・・・・・・あはせにらう/\とおもひましちやあ・・・・・・ついね・・・・・・」


 自殺じさつをするのに、宗吉そうきちは、床屋とこやつてきませう、とつて、剃刀かみそりつてた。それおなつてからである。
 仔細しさいは・・・・・・






・・・・・・さて、やがて朝湯あさゆから三にんもどつてると、ながいこと便所べんじよ熊澤くまざはも一で、また花札はなふだもてあそことつて、朝飯あさめしすしにして、豆腐どうふ一寸ちよつとぱい、とふ。

 使つかひ次手ついでに、明神みやうじん石坂いしざか開化かいくわ樓裏らううらの、あの切立きつたてだんりた宮本みやもとちやうよこ小路こうぢに、相馬さうま煎餅せんべいーーしほ煎餅せんべいの、燒方やきかたの、醤油したぢに、なんとなくくつわかたち浮出うきだしてえる名物めいぶつがある。ーー茶受ちやうけにしよう、是非ぜひせんさんにもいべさしたいと、甘谷あまや發議ほつぎ。で、宗吉そうきちこれひにられたのがこと原因おこりであつた。

 何分なにぶんにも、十六七の食盛くひざかりが、毎日まいにち々々/\、三食事しよくじにがつ/\してところへ、朝飯あさめしまへとたとへにもふのが、突落つきおとされるやうにけはしい石段いしだんりたドンぞこ空腹ひもじさひ・・・・・・天麩羅てんぷらとも、蕎麥そばとも、燒芋やきいもとも、ぷんしほ煎餅せんべいかうばしさがコンガリとはないて、ふくろつたがガチ/\とふるふ。近飢ちかがつゑに、つめたあせ垂々たら/\うちにながれるがたさ。

 時分じぶん物價ぶつかで、・・・・・・わすれもしない七せん煎餅せんべいなりかさのあるなかから・・・・・・小判こばんごとく、かずまい

 宗吉そうきちは、一坂ひとさかもどつて、段々だん/\一寸ちよつと區劃くぎりのある、すぐにてたやうに石坂いしざかがまたきふる、平面へいめんところで、銀杏いてふはまだあさし、もみえのきこずゑとほし、たてるべきかげもなしに、がけ溝端どぶばた俯向うつむけにつて、うまれてはじめて、ゆるされない禁斷きんだんこのみを、相馬さうまふ、くつわをガリゝ、と頬張ほゝばおもひで、うまくちにかぶりついた。が、うまさとせつなさとはづかしさに、かたつたむねは、おのづからどぶうへへのめつて、れて、煎餅せんべいくちよりもかへつてなかでポリ/\とやぶれた。

 ト突出つきだしひさしひたひたれ、忍返しのびがへしくぎされ、くわとゝもに總身そうしんあつく、忽爾たちまちつみあるへびつて、攀上よぢのぼ石段いしだんは、お七が駈上かけあがつたおもひがして、かうべ太陽たいやうは、いろしてだんながれた。

 宗吉そうきちくてまた明神みやうじん手洗たらしに、さらに、こほりとぢらるゝおもひして、悚然ぞつ寒氣さむけかんじたのである。

「くす/\、くす/\。」
 花骨牌はち/\車座くるまざの、かるゝ、あやふさをかんじながら、宗吉そうきち我知われしらずおもて あかめて、煎餅せんべいふくろわたしたのは、甘谷あまやで。
「おつとた、めしあがれ。」
 と一まいめくつてあはせながら、ふくろをおせんさんのわたすと、これ少々せう/\つかれた風情ふぜいで、なかまへははひらぬらしい。火鉢ひばちへだてたのが請取うけとつて、ひざのぞくやうにしてけて、
馳走ちそうさまですね・・・・・・早速さつそく毒見どくみ。」
 とつた。
 これ又胸またむねいたんだ。だけなら、まだはどまでの仔細しさいはなかつた。

「くす/\、くす/\。」
 宗吉そうきち座敷ざしきはひりしなに、しのわらひのこゑみゝいたのであるが、とき、おせんさんの一枚撮まいつまんだ煎餅せんべいを、ないやうに、一寸ちよつとわきへかはした宗吉そうきちかほに、よこから打撞ぶつかつたのは小皿こざらへいらう。・・・・・・頬骨ほゝぼねつた菱形ひしがたつらに、くぼんだほそく、小鼻こばなをしかめて、
「くす/\。」
 と又遣またやつた。のわるさにちたとえてふだたず、鍍金めつきぎん煙管ぎせるかまへながら、めりやすの股引もゝひきまへはだけに片膝かたひざてゝたのか、膝頭ひざがしら頬骨ほゝぼねをたゝきけるやうにして、
「くす/\くす。」
 つゞけてしのわらひをしたのである。
 立続たてつけて、
「くツくツくツ。」





此方こつちは、びきをかせてれか。」
 とぢやう骨牌ふだめくると、くろ縮緬ちりめんばうさんが、あかうら翻然ひらりかへして、
餓鬼がきめ。」
 とげた。
「うふ、うふ、うふ。」とへいらうしのわらひが、齒莖はぐきれてこゑる。
「うふゝ、うふゝ、うふゝゝゝゝ。」

なんぢやい。」と片手かたて猪口ちよくりながら、くろ天鵝絨びろうど蒲團ふとんうへに、はぎ菖蒲あやめさくら牡丹ぼたん合戦かつせんを、 どろんとした見据みすゑてた、大島おほしまぞろひおほ胡坐あぐら熊澤くまざはが、ぎよろりとへいらう見向みむいてふと、わらひのむし蕃椒たうがらしつたやうに、あかるまでかつ競勢きほつて、
「うはゝゝは、うふゝ、うふゝ。うふゝ。えツ、いや、あ、あ、チ、あははゝゝは、はツはツはツはツ、テ、ウ、えツ、えツ、えツ、えへゝ、うふゝ、あは/\あは、あは、あはゝゝはゝゝ、 あはゝゝゝ。」

馬鹿ばかな。」
 とくちびる横舐よこなめずつて、熊澤くまざはがぬつと突出つきだした猪口ちよくに、しやくをしようとして、銅壺どうこからきかけた銚子てうしめ、おせんさんが、
うしたの。」
「おほゝ、や、おたづねでは恐入おそれいるが、あはゝ、テ、えツ。えへ、えへゝ、う、う、ちえツ、たまらない。あツはツはツはツ。」

したやうだ。」
 と甘谷あまやあきれてつぶやく、・・・・・・と寂然しんる。
 寂寞しんると、わらひばかりが、
「ちやはゝはゝ、う、はゝ、うふ、へゝ、はゝゝ、えへゝゝゝ、えツへ、へゝ、あはゝゝ、うは、うは、うはゝ。どツこい、えゝ、チ、ちやはゝ、エ、はゝゝは、はゝゝはゝ、うツ、うツ、えヘツへツへツ。」  とよこのめりにへいらう煙管きせる雁首がんくび牌腹ひばらつゝいて、身悶みもだえして、
「くツ、くるしい・・・・・・うツ、うツ、うツふゝゝ、チ、うツ、うゝ/\くるしい。あゝ、せつない、あはゝはゝ、あはツはツはツ、おゝ、コ、こいつは、あはゝ、ちやはゝ、テ、チ、たツたツたまらん。はゝゝ。」
 と込上こみあ揉立もみたて、眞赤まつかつた、七てんたう息繼いきつぎに、つぎざましのちやつて、がぶりとると、
「わツ。」とせて、灰吹はひふきつかんだがはず、火入ひいれはひへぷツとくと、むら/\とはひかぐら。

「あゝ、あの障子しやうじを一枚開まいあけていな。」
 とくろ縮緬ちりめんそではらつて出家しゆつけつた。

 宗吉そうきちはりむしろ飛上とびあがるやうに、のもう一まい肘懸ひぢかけまど障子しやうじけると、さつはひ吹雪ふゞきは、すツと蒼空あをぞらわたつて、はるか品川しながはうみえた。が、藏前くらまへ煙突えんとつも、十二かいも、睫毛まつげ一眸ひとめきたかたしたひと雪崩なだれがけつて、崕下がけしたの、ごみ/\した屋根やねへだてゝ、日南ひなた煎屋せんべいやちひさなみせが、あぶら 障子しやうじのぞかれる。

 トなゝめに、がツくりとくぼんでくらい、がけ石垣いしがきあひだの、とほ明神みやうじんうち石段いしだんつゞくのが、おほ蜈蚣むかでのやうに胸前むなさきうねつて、突當つきあたりにきば噛合かみあはせたごとき、ちひさな黒塀くろべいしのがへししたに、どぶから道上はひあがつたうじの、みにくきたなすぢをぶる/\とふるはせながら、めるやうなかたちが、歴然あり/\と、自分おのひとみうつつたとき宗吉そうきち最早もは蒼白まつさをつた。

 此處こゝからられたに相違さいうゐない。
 とおもへいらうは、よだれと一しよに、らしたひざを、手巾はんけち横撫よこなでしつゝ、
「ふ、ふ、ふ、ふ、ふ。」・・・・・・ おほ嘆息ためいきとゝもにしりいたなごりのわらひが、さらに、ぐわら/\ぐわらとかみなり鳴返なりかへごと少年せうねんみゝつ! 

「おせんをめしあがれな。」
 したがけ切立きつたてだつたら、宗吉そうきちは、おせんさんのこゑとゝもに、さかしまちてで五たい微塵みぢんにしたらう。
 うみおや可懷なつかしむまで、まゆ一片ひとひらかばつてくれた、ひとばかりにはづかしい。‥‥‥

一寸ちよいとたくまで。」
 といきんでつたーーうちとは露路ろぢ長屋ながやで。
 宗吉そうきちは、しかし、長屋ながやまへさへ、遁隱にげかくれするやうに素通すどほりして、明神みやうじん境内けいだい彼方あなた此方こなた人目ひとめすき隅々すみ/゛\つて、さへわすれて、半日はんにちいてきくらした。

 ほしくもつたくらに、
「おかみさんーー床屋とこや剃刀かみそりつてまゐりませう。次手ついでがございますから・・・・・・」
 宗吉そうきちわざ格子かうしをそれて、蚯蚓みゝずふやうに臺所だいどころから、そつ妾宅せふたくへおとづれて、家主やぬしから剃刀かみそりとりつた。

 へだてた座敷ざしきに、あでやかなかげ氣勢けはひうつつて、香水かうすゐかをりは、つとはしりもとにもかをつた。が、寂寞ひつそりしてた。
 露路ろぢ長屋ながやあかあかりに、めづらしく、おほ入道にふだうやら、五分刈ぶがりやら、なかにも小皿こざら禿かむろなるかげ法師ぼふしうごいて、ひそ/\とこゑれるのが、しのび、ひけ出入ではひりには、宗吉そうきちのために、むし僥倖さいはひだつたのである。






なにをするんですよ、なにをするんですよ、おまへさん、串戯じやうだんではありません。」

 社殿しやでんうらなる、あき茶店ちやみせ葦簀よしずなかで、一ぱうはしら使つかつた片隅かたすみなる大木たいぼく銀杏いてふみき凭掛よりかゝつて、アハヤ剃刀かみそり咽喉のどてたときすツとおとして、瀧縞たきじまそでいたおせんさんの姿すがたは、・・・・・・宗吉そうきちに、たかこずゑからさつりた、うつくしいをんなかほした不思議ふしぎとりのやうにうつつたーー
 剃刀かみそりをもぎられてあとは、茫然ばうぜんとして、ほとんゆめ心地ごゝちである。

「まあ! かつた。」
 と、ぢて、かたきつゝ、やしろはう片手かたてをがみに、
むしらしたんだわね。いま、おまへさんが臺所だいどころで、剃刀かみそりつてくつてこゑきこえたでせう。ドキリとしたのよ。
・・・・・・はたさん/\とつたけれど、ないでせう。なんだかね、こんな間違まちがひがありさうながしてらない、わたしわたし、でね、すぐにあとから驅出かけだしたのさ。でも、何處どこつてあてはないんだもの。鳥居とりゐまへ彼處あすこ床屋とこやいてたの。まあね、・・・・・・まるでおえなさらないとふぢやあないの。しまつた、とおもつたわ。半分はんぶん夢中むちうで、それでもわたし此處こゝたのは神佛かみほとけのおたすけです。はたさん、わたしたすけるんだとおもつちやあ不可いけない。うござんすか、いかえ、貴方あなた。・・・・・・親御おやごさんが影身かげみつてなさるんですよ。ようござんすか、わかりましたか。」
 と小兒こどものやうに、やはらかむねに、おび扱帶しごきもひつたりと抱締だきしめて、
御覽ごらんなさい、お月樣つきさまが、あれ、のゝさんヽヽヽヽが。」

 わすれはしない、半輪はんりん五日いつかつき黒雲くろくもりるやうに、莊巖さうごんなる銀杏いてふえだに、こずゑさがりにかゝつたのが、可懷なつかしいはゝ乳房ちぶさ輪線りんせん面影おもかげした。

「まあ、これからとふ、・・・・・・をんながしてもつぼみがいま、うしてなうなんてしたんですよ。ーーわたしに・・・・・・わたし・・・・・・えゝ、それがわたしはづかしくつて、ーー」
 ふるへむねひゞく。
なんしほ煎餅せんべいの二まいぐらゐ、貴方あなた掏摸ちぼでもかまやしないーーわたしはね、あの。・・・・・・まあ、とにかくうちきませう。鹽梅あんばいだれないから。」

 うながして、いそいで脱放ぬぎはなしのこま下駄げたさぐとき白脛しらはぎつた。おせんあわたゞしかつたとえて、宗吉そうきち穿物はきものまでは心付こゝろづかず、可恐おそろしいところげるばかりに、いきせいていたのである。

 け、死神しにがみはら禁厭まじなひであらう、明神みやうじん手洗たらしみづすくつて、しづくばかり宗吉そうきち頭髪かみらしたが、
「・・・・・・息災そくさい延命えんめい息災そくさい延命えんめい學問がくもん學校がくかう心願しんぐわん 成就じやうじゆ。」
 と、よりもれたひとみぢて、頚白えりしろく、御堂みだうをば伏拝ふしをがみ、
一口ひとくちめしあがれ、・・・・・・しづめてーーわたしも。」
 と柄杓ひしやくおもげにくちにした。

動悸どうき御覽ごらんなさいよ、わたしのさ。」
 むねとゞろきは、いまよりさきつたのである。

はたさん、わたし貴方あなたれて、彼處あすこへはもどらない。・・・・・・にもいのちにもかへてね、お手傳てつだひをしますがね、・・・・・・じつはね、いま明神みやうじん さまにおわびをして、貴方あなたのおつむらしたのはーーじつは、あの、一うちかへつてね。・・・・・・剃刀かみそりで、貴方あなたを、そりたてのいま道心だうしんにして、一しよようとおもつたのよ。ーーあのね、じつはね、今夜こんやあたり紀州きしうのあのばうさんに、わたしかれて、其處そこへ、熊澤くまざはだの甘谷あまやだのが踏込ふみこむで、不義ふぎいたづらのつみおとさうと相談さうだんに・・・・・・うでも、とつてせられたんです。

・・・・・・あのばうさんは、高野かうやさんとかの、金高かねだかなおたからものをりにるんでせう。何處どことかのおほ金持がねもちだの、何省なにしやう大臣だいじんだのにつてるとつて、だまして、熊澤くまざは皆質みなしちれて使つかつてしまつて、催促さいそくされる、くるしまぎれに、不斷ふだんなんだかわたしにね、ばうさんが厭味いやみらしいつきをするのをつてて、まあだいそれた美人局つゝもたせだわね。

 わたしよわいもんだから、身體からだ度胸どきようもづばぬけてつよさうな、あのひとをたよりにして、こんな身裁みしだらつたけれど、・・・・・・そんな相談さうだんをされてからはね・・・・・・うへに、眉毛まみえてからは・・・・・・」
 と、おせんそつ宗吉そうきちかたでた。

「つく/゛\あんなひと可厭いやつた、ーーそら、どか/\と踏込ふみこむでせう。貴方あなたいて、ちやんときて、居直ゐなほつて、あいそづかしをきつぱりつて、夜中よなかぐに飛出とびだして、溜飲りういんげてらうとおもつたけれど・・・・・・どんな發機はずみで、自棄やけばらの、ひとたちの亂暴らんばうに、貴方あなた怪我けがでもさせたにや、取返とりかへしがつかないから、といまむねいて、分別ふんべつをしたんですよ。

 さ、のまゝ何處どこかへきませう。わたしまかして安心あんしんなさいよ。・・・・・・貴方あなたきつとあのひとたちに二とつきつては不可ません。」

 裏崕うらがけ石段いしだんりるとき宗吉そうきちおほかみたうげして、はなやかなみやこがした。

此處こゝ・・・・・・う・・・・・・」
 おせんさんが莞爾につこりして、しほ煎餅せんべいふのに、晝夜ちうやおびいたのが、やすものらしい、が、萌黄もえぎ金入かねいれ
べながら歩行あるきませう。」


弱蟲よわむしだね。」
 大通おほどほりけるくらがりで、あまく、かんばしく、皓齒しらはでこなしたのを、口移くちうつし・・・・・・






 宗吉そうきち夜學やがくから、徒士おかちまちのとあるうらの、空瓶あきびん襤褸ぼろあひだの、まづしい下宿げしゆくかへると、引傾ひきかしいだ濡縁ぬれえんづきの六でふから、をとこ一人ひとり摺違すれちがひにくと、おせんさんは。パツと障子しやうじけた。が、とこつてある・・・・・・

 枕元まくらもと火鉢ひばちに、はかりずみいで、やぶれた金網かなあみはすせて、おせんさんが懷紙ふところがみ であふぎながら、豌豆ゑんどうもちいてくれた。
 そしてあついのをくちいて、うれしさうな宗吉そうきちに、浦里うらざとはなしをした。
 おせんは、それよりもうつくしく、ゆきはなけれど、ちら/\とはなの、小庭こには濕地しつちの、石炭せきたんがらにつもる可哀かはいさ、痛々いた/\しさ。

 時次郎ときじろうでない、頬被ほゝかぶりしたのが、黒塀くろべいそとからヌツとのぞく。

 おせん脛白はぎしろく、はつとつて、障子しやうじをしめようとするまへへ、トンとりると、つか/\と縁側えんがはへ。
「あれ。」
「おい、どくだが一寸ちよつと用事ようじだ。」
 とそでからへびくびのやうに捕繩とりなはをのぞかせた。
 ひざをなえたやうにきながら、おせん宗吉そうきち背後うしろかこつて、
「・・・・・・ひとは・・・・・・」
「いや、小僧こぞうようはない。すぐおいで。」
そうちやん、・・・・・・あさ御飯ごはんはね、煮豆にまめつてふたものに、・・・・・・べに生薑しやうがと・・・・・・かみおほひかしてありますよ。」

 風俗ふうぞくがゝり草履ざうり片手かたてに、入口いりぐちふすまけてた。

 おせん穿はきものをさがすうちに、風俗ふうぞくがゝりは、うちから、ぢやうをあけたが、のきると、ひたりと腰繩こしなはつた。

 細腰ほそごしはふつとえて、すぼめたかたが、くらがりのやなぎく。
・・・・・・のおせんには、とうに、羽織はおりもなく、下着したぎもなく、はだへたゞしろしま小袖こそでえたるのみ。

 宗吉そうきちは、跣足はだしで、めそ/\きながらあとつた。
 こゝろ眞暗まつくらで、まちところおばえない。さつと一でうつめかぜが、電燈でんとうほそひかりさくらさそつたときである。

旦那だんな。」
 とおせん立停たちどまつて、
そうちやんーーそうちやん。」
 振向ふりむきもしないで、うなだれたのが、かんじて、まゆやさしく振向ふりむいた。
「・・・・・・」
ねえさんが、たましひ をあげます。」ーー辿たどりなからつたのである。・・・・・・懷紙ふところがみ の、しろ折鶴をりづるにあつた。
ところへ、すぐおいで。」

 ほつといき薄紅うすくれなゐ に、折鶴をりづるかへつて蒼白あをじろく、花片はなびらにふつとつて、ひら/\とそらつてく。・・・・・・これちたおほきもんで、はたして宗吉そうきちひろはれたのであつた。


 電車でんしやのぼくだりともほとん同時どうじた。
 宗吉そうきち身動みうごきもしなかつた。
 唯見とみると、丸髷まるまげをんなが、縮緬ぢりめんそばつて、いつか、かたぬげつゝうらすべつた效性かひしやうのない羽織はおりを、うへから引合ひきあはせてりながら、
「さあ、ました。」
自動車じどうしやですか。」
 とみはつたまゝ、縮緬ぢりめんをんなはきよろんとしてた。






 年少としわか驛員えきゐんが、
貴方あなたがたは?」
 とつた。
 あまつた黒山くろやま群集ぐんしふも、二三りやう 立續たてつゞけに電車でんしやが、どろまで綺麗きれいさらつたのに、まだ待合まちあひひじよなかつた女二人をんなふたり、 (べつ一人ひとり) と宗吉そうきちをいぶかつたのである。

 宗吉そうきちつた。
婦人ふじん病氣びやうきなんです。」
 と、矢張やつぱり、けろりと仰向あをむいて縮緬ぢりめんをんなを、外套ぐわいたうひぢかばつてつた。

 驛員えきゐんつたあとで、
唯今たゞいま自動じどうしや差上さしあげますよ。」
 と宗吉そうきちは、やさしくかほのぞきつゝ、圓髷まるまげをんなひとみかへして、
巣鴨すがもはお見合みあはせをねがへませんか。・・・・・・きつ介抱かいはうまをします。わたくしふものです。」

 なふだに醫學いがく博士はかせーーはた宗吉そうきちとあるのをとき、・・・・・・もう一人ひとりた、散切ざんぎり被布ひふをんなが、Pけい直立ちよくりつして、Zのごと敬禮けいれいした、これ附添つきそひ雜仕ざふしであつたが、ーー博士はかせが、從弟いとこ細君さいくんたのをよすがに、これよりさき圓髷まるまげをんなことばけて、人品じんぴんのゆゑにひとをしてうたがはしめず、つれ品川しながは某樓ばうろう女郎ぢよらうで、くるつたゝめ巣鴨すがも病院びやうゐんおくるのだが、自動じどうしやきたい、それでなければいやだとふ。のつもりにして、すかして電車でんしやると、此處こゝ自動じどうしやでないからとつて、なんでもりて、すねたのだとふ。・・・・・・圓髷まるまげ某樓ぼうろう娘分むすめふん女郎ぢよらう本名ほんみやうをおせんくまで、ーー雜仕ざふし物頂ぶつちやううづらしてにらんでた。


 不時ふじ囘診くわいしんおどろいて、或日あるひ助手じよしゆたち、白衣びやくえ看護かんごたちの、ばら/\といそいで、しかも、靜肅せいしゆく驅寄かけよるのを、おもむろに、左右さいうして、醫學いがく博士はかせはた宗吉そうきちが、
「いえ、個人こじん見舞みまふのです・・・・・・みなさん、うぞ。」

 やがて博士はかせは、特等とくとうしつたゞ一人ひとりひざむねも、しどけない、けろんとした狂女きやうぢよに、なんと・・・・・・剃刀かみそりたせながら、臥床ベツドひざまづいて、むねひたひうづめて、ひしすがつて、潸然さんぜんとしてきながら、微笑ほゝゑみながら、わすれてかへつたやうに、だらしなく、なみだひげつたはらせてた。



                【完】













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