露宿

泉鏡花

全一章

         大正十二年十月

 二夜中よなかーーせめて、たゞよるくるばかりをと、一時ひとゝきしうおもひつーー三午前ごぜんなかばならんとするときであつた。・・・・・
 ほとんど、五ふんき六ぷんきに搖返ゆりかへ地震ぢしんおそれ、またけ、はかなく燒出やけだされた人々ひと/゛\などが、おもひきもひに、急難きふなん危厄きやくげのびた、四見附みつけと、しん公園こうゑん内外うちそといくまん群集ぐんしふは、みなにが睡眠ねむりちた。・・・・・のこらずねむつたとつてもい。あはせ、ござ、むしろとなりして、外濠そとぼりへだてたそらすさまじいほのほかげに、およぶあたりの人々ひと/゛\は、おいわかきも、さんみだして、ころ/\とつて、そしてなえたやうにみなたふれてた。

ーーふまでのことではあるまい。昨日さくじつ・・・・・大正たいしやう十二ねんぐわつじつ午前ごぜん十一五十八ふんおこつたおほ地震ぢしんこのかた、たれも一すゐもしたものはないのであるから。

 麹町かうぢまち番町ばんちやう火事くわじは、わたしたち鄰家りんか二三げんが、みな跣足はだし逃出にげだして、片側かたがは平家ひらや屋根やねからかはら土煙つちけむりげてくづるゝ向側むかうがは駈抜かけぬけて、いくらか危険きけんすくなさうな、四角よつかどまがつた、一ばう廣庭ひろにはかこんだ黒板くろいたべいで、向側むかうがは平家ひらや押潰おしつぶれても、一二しやく距離きよりはあらう、黒塀くろべい俯向うつむけにすがつた。・・・・・のまだはなれないうちに、さしわたし一ちやうとははなれないなか番町ばんちやうから黒煙くろけむりげたのがはじまりである。

ーー同時どうじに、警鐘けいしよう亂打らんだした。が、くまでの激震げきしんに、四見附みつけの、たかい、あの、頂邊てつぺんきてひとがあらうとはおもはれない。わたしたちは、くもそこで、てんすり半鐘ばんつ、とおもつて戰慄せんりつした。

ーー「みづない、水道すゐだうまつた」とこゑが、其處そこに一だんつて、あしとゝもにふるへるわたしたちのみゝつらぬいた。いきつぎにみづもとめたが、注意ちうい水道すゐだう如何いかんこゝろみたたれかゞ、早速さそく警告けいこくしたのであらう。夢中むちうたれともおばえてない。間近まぢかかくれ、むねふせつて、かへつて、なゝめそらはるかに、一ちうほのほいて眞直まつすつた。つゞいて、地軸ちじくくだくるかとおもすざまじい爆音ばくおんきこえた。をんなたちの、あつとつて領伏ひれふしたのもすくなくない。そのとき横町よこちやうたて見通みとほしの眞空まそらさら黒煙こくえん舞起まひおこつて、北東ほくとうの一てんが一すんあまさず眞暗まつくらかはると、たちまち、どゞどゞどゞどゞどゞとふ、陰々いん/\たるりつびたおもすごい、ほとん形容けいよう出來できないおとひゞいて、ほのほすぢうねらした可恐おそろし黒雲くろくもが、さらけむりなかなみがしらのごとく、列風れつぷう駈廻かけまはるーーあゝ迦具土かぐつちかみ鐵車てつしやつてだい都會とくわい燒亡やきほろぼ車輪しやりんとゞろくかとうたがはれた。ーー「あれはなんおとでせうか。」ーー「やうなんおとでせうな。」 近鄰きんりんひと分別ふんべつだけではりない。其處そこ居合ゐあはせた禿頭とくとう白髯はくぜんの、らないらう紳士しんしわたしこゑふるへれば、らう紳士しんしくちびるいろも、尾花をばななかに、たとへば、なめくぢのごと土氣つちけいろかはつてた。

ーーまへのは砲兵はうへい工廠こうしやうけたときで、つゞいて、日本にほんばし本町ほんちやうのきつらねたくすり問屋どひやくすりぐらが破裂はれつしたとつたのは、五六にちぎてのこと。・・・・・當時たうじのもの可恐おそろしさは、われのりたゞよそこから、火焔くわえんくかとうたがはれたほどである。

 が、銀座ぎんざ日本にほんばしをはじめ、深川ふかゞは本所ほんじよ淺草あさくさなどの、一に八ケしよ、九ケしよ、十いくしよからあがつたのにくらべれば、やまなんでもないものゝやうである、が、それはのちことで、・・・・・地震ぢしんとゝもに燒出やけだしたなか番町ばんちやうが・・・・・いまつた、三夜中よなかおよんで、やく二十六時間じかんさかんえたのであつた。

 しかし、當時たうじかぜあらかつたが、眞南まみなみからいたので、いさゝかがつてのやうではあるけれども、町内ちやうない風上かざかみだ。さしあたり、おそはるゝおそれはない。其處そこ各自めい/\が、かのおや不知しらず不知しらずなみを、巖穴いはあなげるさまで、はひつてはさつつゝ、勝手かつてもと居室ゐまなどのして、用心ようじんして、それにだい一たしなんだのは、足袋たび穿はきもので、驚破すは逃出にげだすとときに、わがへの出入でいりにも、硝子がらす瀬戸せとものゝ缺片かけら折釘をれくぎ怪我けがをしない注意ちういであつた。そのうち、すきて、縁臺えんだいに、うすべりなどを持出もちだした。なにうあらうとも、今夜こんや戸外おもてにあかす覺悟かくごして、まだにもみづにもありつけないが、ほついきをついたところへーー

 前日ぜんじつみそか、阿波あは徳島とくしまから出京しゆつきやうした、濱野はまの英二えいじさんがけつけた。英語えいご教鞭けうべんる、神田かんだ三崎みさきちやうだい中學ちうがく開校かいかうしきのぞんだが、小使こづかひ一人ひとりはりひしがれたのとちがひに逃出にげだしたとふのである。

 あはれ、これこそ今度こんど震災しんさいのために、ひといたはじめであつた。ーーたゞこれにさへ、一どうかほ見合みあはせた。

 うち女中ぢよちうなさけで。・・・・・あへ女中ぢよちうなさけふ。ーーさい臺所だいどころから葡萄ぶだうしゆを二びん持出もちだすとふにいたつては生命いのちがけである。けちにたくはへた正宗まさむね臺所だゐどころみなながれた。葡萄ぶだうしゆ安値やすいのだが、厚意こゝろざし高價たかい。たゞし人目ひとめがある。大道だいだう持出もちだして、一ぱいでもあるまいから、土間どまはひつて、かまちうづたかくづれつんだ壁土かべつちなかに、あれをよ、きのこえたやうなびんから、逃腰にげごしで、茶碗ちやわんあふつた。ふべき場合ばあひではないけれども、まことにてん美祿びろくである。家内かない一口ひとくちした。不斷ふだんてきたしなまない、一けんとなりの齒科しくわ白井しらゐさんも、しろ仕事しごとのまゝでかたむかたむた。
 これを二わんかたむけた鄰家りんか辻井つじゐさんはむか顱卷はちまき膚脱はだぬぎの元氣げんきつて、 「さあ、こい、もう一ゆすつてろ。」とむねたゝいた。

 をんなたちはうらんだ。が、結句けつくこれがためにいきほひづいて、茣蓙ござ縁薹えんだい引摺ひきずり/\、とにかく黒塀くろべいについて、折曲をりまがつて、我家わがや々々/\むかうまでつてかへこと出來できた。

 ふすま障子しやうじ縦横じうわう入亂いりみだれ、雜式ざふしき家具かぐ狼籍らうぜきとして、化性けしやうごとく、ふるふたびにをどる、たれない、が二階家かいやを、せままちの、正面しやうめんぢつて、塀越へいごしのよその立樹たちきひさしに、さくらのわくらのぱら/\とちかゝるにさへ、をんなこゑて、をとこはひやりときもひやしてるのであつた。が、ものおと人聲ひとごゑさへさだかには聞取きゝとれず、たまにかけ自動じどうしやひゞきも、さかおとまぎれつゝ、くも次第しだい々々/\黄昏たそがれた。地震ぢしんも、やみらしいので、風上かざかみとはひながら、模樣もやううかと、なか六の廣通ひろどほりのいちちかい十字街じがいると、一やゝ安心あんしんをしただけに、くちけず、一きやうきつした。

 半町はんちやうばかりまへを、もえとほさまは、眞赤まつか大川おほかはながるゝやうで、しかぎたかぜきたかはつて、一たんだんうへけたのが、燃返もえかへつて、しか低地ていちから、高臺たかだいへ、家々いへ/\大巌おほいはげきして、逆流きやくりうしてたのである。

 もはや、 ・・・・・少々せう/\なりとももつをと、きよと/\と引返ひきかへした。が、わづかにたのみなのは、火先ひさきわづかばかり、なゝめにふれて、しもなかかみ番町ばんちやうを、みなみはづれに、ひがしへ ・・・・・五番町ばんちやうはうもえすゝことであつた。

 くもをかくしたさくら樹立こだちも、黒塀くろぺいくらつた。舊暦きうれきぐわつ二十一にちばかりの宵闇よひやみに、覺束おぼつかない提灯ちやうちんひとふたつ、をんなたちは落人おちうど夜鷹よたか蕎麥そばになかゞんだかたちで、溝端どぶばたで、のどにつかへる茶漬ちやづけながした。たれひとり晝食ひるましてなかつたのである。

 るな、るな、で、わたしたちは、すぐわき四角よつかどたゝずんで、突通つきとほしにてんひたほのほなみに、ひと心地ごゝちもなくつてた。

 時々とき/゛\うでのやうな眞黒まつくろけむりが、おほいなるこぶしをかためて、ちひしぐごとくむく/\つ。其處そこだけ、えかゝり、下火したびるのだらうと、おもつたのは空頼そらだのみで 「あゝ、わるいな、あれが不可いけねえ。・・・・・なかへふすぶつたけむりつのはあたらしくえついたんで・・・・・」ととほりかゝりの消防しごとつてとほつたーー


 (ーー小稿せうかう ・・・・・まだ持出もちだしのかず、かまちをすぐの小間こまで・・・・・こゝをさうするとき・・・・・
 「うしました。」 
 と、はぎれのいゝこゑけて、水上みなかみさんが、格子かうしつた。わたしは、家内かない駈出かけだして、ともにかほにぎつた。ーーくはしことあづかるが、水上みなかみさんは、先月せんげつ三十一にちに、鎌倉かまくら稻瀬いなせがは別荘べつさうあそんだのである。別荘べつさうつぶれた。家族かぞくの一にん下敷したじきんなすつた。が、無事ぶじだつたのである。ーー途中とちうあつたとつて、吉井よしゐいさむさんが一しよえた。これは、四谷よつや無事ぶじだつた。がいへうら竹薮たけやぶ蚊帳かやつてなんけたのださうであるーー)


ーーまへのをつゞける。・・・・・
 其處そこへーー
 「如何いかゞ。」 
 とこゑけた一人ひとりがあつた。・・・・・可懷なつかしこゑだ、とると、とんさんである。
 「やあ、無事ぶじで。」 
 とんさんは、手拭てぬぐひ喧嘩けんくわかぶり、 白地しろぢ浴衣ゆかたしり端折ばしよりで、いま逃出にげだしたとかたちだが、いて・・・・・はなかつた。引添ひきそつて、手拭てぬぐひ吉原よしはらかぶりで、えん蹴出けだしのつま端折ばしをりをした、前髪まへがみのかゝり、びんのおくれ明眸めいぼう皓齒こくし婦人ふじんがある。しつかりした、さかり女中ぢよちうらしいのが、もう一人ひとりあとについてゐる。

 執筆しつぴつ都合つがふじやう赤坂あかさかぼう旅館りよくわん滯存たいざいした、いへ一堪ひとたまりもなくつぶれた。ーー不思議ふしぎまど空所くうしよはしかゝつたふすまつたつて、あがりざまに屋根やねて、それから山王さんわうさまやま逃上にげあがつたが、其處そこはれてのがるゝ途中とちう、おなじなんつて燒出やけだされたゝめ、道傍みちばたちてた、美人びじんひろつてたのださうである。

 正面しやうめんの二かい障子しやうじくれなゐである。
 黒塀くろべいの、溝端どぶばた茣蓙ござへ、つかれたやうに、ほつと、くのひざをついて、婦連をんなれんがいたはつてんでした、ぬるまで、かるむねをさすつた。そのをんな風情ふぜいなまめかしい。

 やがて、合方あひかたもなしに、落人おちうどは、すぐ横町よこちやう有島ありしまはひつた。たゞでとほ關所せきしよではないけれど、しもどう町内ちやうないだから大目おほめく。

 次手ついでだからはなさう。これつゐをなすのは淺草あさくさまんちやんである。おきやうさんが、圓髷まるまげあねさんかぶりで、三歳みつゝのあかちやんを十の背中せなかひつ背負しよひ、たびはだし。まんちやんのはう振分ふりわけかたに、わらぢ穿ばきで、あめのやうななか上野うへのをさしてちてくと、揉返もみかへ群集ぐんしふが、
 「似合にあひます。」 
 といた。ひやかしたのではない、まつたく同情どうじようへうしたので、
 「いたはしいナ、畜生ちくしやう。」 
 とつたとふーー眞個ほんたうらん、いや、うそでない。これわたしうちて(久保くぼかん)とめたしるし半纏ばんてんで、脚絆きやはんかたあしをげながら、冷酒ひやざけのいきづきで當人たうにん直話ぢきわなのである。


 「うなすつて。」 
 少時しばらくすると、うしろへ悠然いうぜんとしてつた女性によしやうがあつた。
 「あゝ・・・・・いまも風説うはさをして、あんじてました。お住居すまひ澁谷しぶやだが、あなたは下町したまちへお出掛でかけがちだから。」
 とわたしいきをついてつた、八千代やちよさんがたのである、四坂町さかまち小山内をさないさん(阪地はんち滯在たいざいちう)の留守るす見舞みまひに、澁谷しぶやからなすつたとふ。・・・・・主人しゆじんをんな弟子でしが、提灯ちやうちんつて連立つれだつた。八千代やちよさんは、一寸ちよつとうす化粧げしやうなにかで、びんみださず、つゑ片手かたてに、しやんと、きちんとしたものであつた。

 「主人しゆじんは?」
 「・・・・・冷藏れいざうに、紅茶こうちやがあるだらう・・・・・なんかつて、あきれつちまひますわ。」
 これえらい!・・・・・畫伯ぐわはく自若じじやくたるにも我折がをつた。が、當人たうにんの、すまして、これからまた澁谷しぶやまでくゞつてかへるとふにはしたいた。


 「雨戸あまどをおしめにらんと不可いけません。ちつえてました。あれ、屋根やねうへびます。あれがお二かいはひりますと、まつたくあぶなうございますで、ございますよ。」 
 と餘所よそで・・・・・經驗けいけんのある、近所きんじよ産婆さんばさんが注意ちういをされた。

 じつは、ほのほいて、ほのほそむいて、たとひいへくとも、せめてすゞしき月出つきいでよ、といのれるかひに、てん水晶すゐしやうぐうむねさくらなかあらはれて、しゆつたやうな二かい障子しやうじが、いまかげにやゝうすれて、すごくもやさしい、あつて、うつくしい、うす桃色もゝいろると同時どうじに、中天ちうてんそびえた番町ばんちやう小學せうがくかう鐵柱てつちうの、火柱ひばしらごとえたのさへ、ふとむらさきにかはつたので、すにみづのない劫火ごふくわは、つきしづくさますのであらう。火勢くわせいおとろへたやうにおもつて、かすかなぐさめられてところであつたのにーー

 わたし途方とはうにくれた。ーー成程なるほどちら/\と、 ・・・・・
 「ながれぼしだ。」
 「いや、だ。」 
 そらぶ!ーー火事くわじはげしさにまぎれた。が、地震ぢしん可恐おそろしいためまちにうろついてるのである。二かいあがるのは、いのちがけでなければらない。わたし意氣地いくぢなしの臆病おくびやうだいにんである。うかとつて、えてもかまひませんとはれた義理ぎりではない。

 濱野はまのさんは、元園もとぞのちやう下宿げしゆく樣子やうすつてた。ーーどくにも、宿やどでは澤山たくさん書籍しよせき衣類いるゐとをいた。

 家内かない二人ふたりで、ーー飛込とびこまうとするのをて、
 「わたしがしめてあげます。おちなさい。」 
 白井しらゐさんが懷中くわいちう電燈でんとうをキラリとけて、さうつてくだすつた。わたし口吃くちきつしつゝかうべげた。

 「わし一番ひとつ。」
 で、來合きあはせた馴染なじみ床屋とこや親方おやかたが一しよはひつた。

 白井しらゐさんの姿すがたは、よりもつきらされて、正面しやうめんえんつて、雨戸あまどは一まいづゝがら/\としまつてく。

 いきほひつて、わたし夢中むちう駈上かけあがつて、懷中くわいちう電燈でんとうあかりりて、戸袋とぶくろたなから、觀世くわんぜおん塑像そざうを一たい懷中くわいちうし、つくゑさがを、壁土かべつちなかさぐつて、なきちゝつてくれた、わたし真鍮しんちう迷子まひごふだちひさなすゞりふたにはめんで、大切たいせつにしたのを、さいはひにひろつて、これをたもとにした。

 わたしたちは、それから、御所前ごしよまへ廣場ひろばこゝろざして立退たちのくのにはなかつた。は、二筋ふたすぢけた、ゆる大蛇おろち兩岐ふたまたごとく、一すぢさきのまゝ五番町ばんちやうむかひ、一すぢは、べつ麹町かうぢまち大通おほどほりつゝんで、おそちかづいたからである。

 「はぐれては不可いけない。」
 「てゝもるやうに。」 
 口々くち/゛\かはして、寂然しんとしたみちながら、往來ゆきゝあわたゞしいまちを、白井しらゐさんの家族かぞくともろに立退たちのいた。

 「いづみさんですか。」
 「はい。」
 「もつをつてげませう。」
 おなじむきに連立つれだつた學生がくせいかたが、大方おほかたまはりで見知みしりごしであつたらう。ふよりはや引擔ひつかついでくだすつた。
 わたしは、好意かうい感謝かんしやしながら、ちおもりのしたよくぢて、やせたつゑをついて、うつむいて歩行あるした。

 横町よこちやうみち兩側りやうがはは、ひとと、兩側りやうがはならびひとのたゝずまひである。わたしたちより、もつとちかいのがさきんじて町内ちやうない避難ひなんしたので、・・・・・みな茫然ばうぜんとしてる。あかひたひあをほゝーーからうじてけむりはらつたいとのやうな殘月ざんげつと、ほのほくもと、ほこりのもやと、・・・・・あひだ地上ぢじやうつゞつて、めるひともないやうな家々いへ/\まがきに、朝顔あさがほつぼみつゆかわいてしをれつゝ、おしろいのはなは、え、しろきはきりいていてた。

 公園こうゑん廣場ひろばは、すで幾萬いくまんひと滿ちてた。わたしわたしちは、外側そとがはほりむかつた道傍みちばたに、やう/\のまゝのむしろた。

 「お邪魔じやまをいたします。」
 「いゝえ、お互樣たがひさま。」
 「無事ぶじで。」
 「あなたも無事ぶじで。」 

 つい、となりた十四五にんの、ほとんど十二三にん婦人ふじんの一は、淺草あさくさからはれ、はれて、こゝにいきいたさうである。

 ると ・・・・・見渡みわたすと・・・・・東南とうなんに、しば品川しながはあたりとおもふあたりから、きた千住せんぢう淺草あさくさおもふあたりまで、大都だいとの三めんつゝんで、一めんてんである。なかひつゝ、うづかさねて、燃上もえあがつてるのは、われらの借家しやくやせつゝあるほのほであつた。

 尾籠びろうながら、わたしはハタと小用こようつた。つじ便所べんじよなんにもない。家内かない才覺さいかくして、避難ひなんちかい、四髪結かみゆひさんのもとをたよつて、ひとけ、けつゝ辿たどつてく。・・・・・ずゐぶん露地ろぢ入組いりくんだ裏屋うらやだから、おそる/\、それでも、くづがはらうへんできつくと、いたけれども、なか人氣ひとけさらにない。おなじくなんけてるのであつた。

 「さあ、此方こつちへ。」
 馴染なじみがひに、家内かないちやみちびいた。
 「どうも恐縮きやうしゆくです。」 
 と、うつかりつて、挨拶あいさつして、わたしたちはかほ苦笑くせうした。
 きよめようとすると、白濁しろにごりでぬら/\する。
 「大丈夫だいぢやうぶよーーかみゆひさんは、きれいずきで、それは消毒せうどくはひつてるんですから。」
 わたしは、とるばうもなしに、一れいして感佩かんばいした。

 しらんで、もう大釜おほがま接待せつたいをしてところがある。

 この歸途かへりに、公園こうゑんしたで、小枝こえだくびをうなだれた、洋傘パラソルたゝんだばかり、バスケツトひとたない、薄色うすいろふくけた、中年ちうねん華奢きやしや西洋せいやう婦人ふじんた。
 ーーかみづゝみのしほ煎餅せんべいと、なつ蜜柑みかんつて、立寄たちよつて、ことばつうぜずなぐさめたひとがある。わたしは、ひとのあはれと、ひとなさけなみだぐんだーーいまかるゝ。

 二ーー正午しやうごのころ、麹町かうじまちは一えた。立派りつば消口けしぐちつたのを見届みとゞけたひとがあつて、もう大丈夫だいぢやうぶはしに、待構まちかまへたのがみなかへり支度じたくをする。家内かない風呂敷ふろしきづゝみげてもどつた。女中ぢよちうも一背負しよつてくれようとするところを、其處そこ急所きふしよだと消口けしぐちつたところから、ふたゝ猛然まうぜんとしてすゝのやぅなけむり黒焦くろこげに舞上まひあがつた。うづおほきい。はゞひろい。あたまつてつたほのほ大蛇おろちは、黒蛇くろへびへんじてあまつさ胴中どうなかうねらして家々いへ/\きはじめたのである。それからさらつゞけ、ひろがりつゝちかづく。

 一うちはひつて、神棚かみだなと、せめて、一だけもと、玄關げんくわんの三でふつちはたつた家内かないが、また野天のでん逃戻にげもどつた。わたしたちばかりでない。ーーみなもうなか自棄やけつた。
 ものすごいとつては、濱野はまのさんが、家内かないと一しよなに罐詰くわんづめのものでもあるまいかと、四どほりはひつて出向でむいたときだつた。・・・・・裏町うらまち横通よこどほりも、物音ものおとひとつもきこえないで、しづまりかへつたなかに、彼方あちら此方こちらまどから、どしん/\と戸外おもて荷物にもつげてる。此處こゝはうかへつておしつゝまれたやうにはけしくえた。ひとつない眞暗まつくらなかに、まち歩行あるくものとつては、まだ八時はちじふのに、ほとん二人ふたりのほかはなかつたとふ。罐詰くわんづめどころか、蝋燭らふそくも、燐寸マツチもない。
 とほりかゝつた見知みしりごしの、みうらと書店しよてん厚意こういで、茣蓙ござを二まいと、番傘ばんがさりて、すなきまはすなか這々はふ/\ていかへつてた。
 で、なににつけても、ほとんどふてでもするやうに、つかれてたふれてたのであつた。

 却説さてーーその白井しらゐさんの四歳よつゝをとこの、 「おうちへかへらうよ、かへらうよ。」とつて、うらわかかあさんとゝもに、わたしたちのむねいたませたのも、そのかあさんのすゑいもうとの十一二にるのが、一しやう懸命けんめい學校がくかうよう革鞄かばんひとひざいて、少女せうぢよのおとぎ繪本ゑほんけて、 「なんです。こんなところで。」と、しかられて、おとなしくたゝんで、ほろりとさせたのも、よひで。・・・・・いまはもうんだやうに皆睡みなねむつた。ーー
 深夜しんや
 二ぎてもとりこゑきこえない。かないのではあるまい。ちかづくの、ばち/\/\、ぐわう/\どツ.とおとまぎるゝのであらう。たゞ此時このとき大路おほぢときひゞいたのは、肅然しゆくぜんたる騎馬きばのひづめのおとである。のあかりにうつるのは騎士きし直劍ちよくけんかげである。二人ふたり三人みたりづゝ、いづくへくともらず、いづくからるともかず、とぼ/\したをんなをとこと、をんなをとこと、かげのやうに辿たゞよ彷徨さまよふ。
 わたしはじつとして、またたゞひとへに月影つきかげつた。

 白井しらゐさんの家族かぞくが四にん、ーー主人しゆじんはまだけないいへまもつてこゝにはみえないーーわたしたちと、・・・・・濱野はまのさんは八千代やちよさんが折紙をりがみをつけた、いゝをとこださうだが、仕方しかたがない。公園こうゑんかこひ草畝くさあぜまくらにして、うちの女中ぢよちうひと毛布けつとにくるまつた。これにとなつて、あの床屋とこやが、子供こども弟子でしづれで、仰向あをむけにたふれてる。わづかに一つぼたらずのところへ、左右さいうんで、人數にんずである。もの干棹ほしざをにさしかけの茣蓙ござの、しのぎをもれて、そとにあふれたひとたちには、かさをさしかけて夜露よつゆふせいだ。
 が、夜風よかぜも、白露しらつゆも、みなゆめである。かぜくろく、つゆあかからう。

 、こゝに、ひく草畝くさあぜ内側うちがはに、つゆとゝもに次第しだいく、提灯ちやうちんなかに、ほのしろかすかえて、一はり天幕テントがあつた。
ーー晝間ひるまあかはたつてた。はたおともなくきたはうなゝめなびく。何處どこだい商店しやうてん避難ひなんした・・・・・店員てんゐんたちが交代かうたい貨物くわもつばんをするらしくて、がたには七三のかみで、眞白まつしろで、このなか友染いうぜん模樣もやう派手はで單衣ひとへた、女優ぢよいうまがひのをんな店員てんゐん二三にん姿すがたえた。ーー天幕テントなかで、深更しんかうに、たちまふえくやうな、とりうたふやうなこゑつた。

 「 ・・・・・とまつてけよ、とまつてけよ。」
 「可厭いやよ、可厭いやよ、可厭いやあよう。」 
 こゑころして、
 「あれ、おほゝゝゝ。」

 やがて接吻キツスおとがした。天幕てんとにほんのりとあかみがした。が、やがてくらつて、もやにしづむやうにえた。所業なすわざではない、人間にんげん擧動ふるまひである。
 わたしこれを、なんずるのでも、あざけるのでもない。いはんけつしてうらやむのではない。むし勇氣ゆうきたゝふるのであつた。

 天幕テントえると、二十二にちつきかすかけむりはなれた。が、むか土手どてまつらさず、茣蓙ござひさしにもれず、けむりひらいたかとおもふと、またとざされる。したへ、したへ、けむりして、押分おしわけて、まつこずゑにかゝるとすると、たちままたけむりが、そらへ、そらへとのぼる。斜面しやめん玉女ぎよくぢよむせぶやうで、なやましく、いきぐるしさうであつた。

 衣紋えもんほそく、圓髷まげを、おくれのまゝ、ブリキのくわんまくらして、緊乎しつかと、白井しらゐさんのわかかあさんがむねいた幼兒をさなごが、おびえたやうに、海軍かいぐんふくでびよつくりときると、ものをぢつて、みつめて、むくりとなかきたが、ちひさいむすめさんのむねうへつて、ると、すべつて、ころりとたはらにころがつて、すや/\とのまゝた。
 わたしひざをついて總毛そうけつた。唯今たゞいまおびれたをさないのゝ、ぢつたものにると、おほかみとも、とらとも、おにとも、ともわからない、すさまじいつらが、ずらりとならんだ。・・・・・いづれも差置さしおいた恰好かつかう異類いるゐ異形いぎやうさうあらはしたのである。

 もつと間近まぢかかつたのを、よくた。が、しろ風呂敷ふろしきけめは、四かくにクハツとあいて、しかもゆがめたるくちである。結目むすびめみゝである。墨繪すみゑ模樣もやうが八かくまなこである。たゝみしわひとつゞゝ、いやな黄味きみびて、えかゝる提灯ちやうちんかげで、ひく/\とみなれる、狒々ひゝ化猫ばけねこである。
 わたしぬえふはこれかとおもつた。

 となりとなりうへしたならんで、かさなつて、あるひあをく、あるひあかく、あるひくろく、おようすほどの、へんな、可厭いやけものいくつともなくならんだ。
 みな可恐おそろしゆめよう。いや、ゆめしるしであらう。

 手近てぢかなのゝ、裂目さけめくちを、わたしあまりのことに、でふさいだ。ふさいでも、く。いてれると、したしたやうにえて、風呂敷ふろしきづゝみ甘澁あましぶくニヤリとわらつた。
 つゞいて、どのけものつら皆笑みなわらつた。
 爾時そのときであつた。あの四見附みつけやぐらは、まどをはめたやうな兩眼りやうがんみひらいて、てんちうする、素裸すはだかかたちへんじた。

 土手どてまつの、一じゆ、一かん阿吽あうんひぢつて突立つゝたつた、あかき、くろき、あをおにえた。
 が、あらず、それも、のちおもへば、ふせがんがために粉骨ふんこつしたまふ、焦身せうしん仁王にわうざうであつた。

 や、けむりつゝまれたやうに息苦いきぐるしい。
 わたし婦人ふじん婦人ふじんとのあひだひろつて、そつ大道たいだう夜氣やきつむりひやさうとした。
 ーーわかかあさんにさはるまいと、ひよいとこしかしてた、はずみに、婦人ふじんうへにかざした蛇目じやのめがさしたはひつて、あたまつかへた。ガサリとおとすと、ひゞきに、一時ひとゝきの、うつゝのねむりさますであらう。かささゝへて、ほしざをにかけたまゝ、ふら/\とちうおよいだ。・・・・・このなかでも可笑をかしことがある。

ーー前刻さつきくさあぜにてたかさが、パサリと、ひとりでたふれると、した女中ぢよちうが、
 「地震ぢしん。」
 とつて、むくと起返おきかへ背中せなかに、ひつたりとかさをかぶつて、くび兩手りやうてをばた/\とうごかした ・・・・・
 いや、ひとごとではない。
 わたしつゆつて、みちつた。

 まつとのあひだを、が、なんとりか、とりとゝもにつた。
 が、ほのほいきほひころからおとろへた。しも番町ばんちやうかずにえ、ひとちからまちほろぼさずにした。
 「すこし、しめつたよ。きて御覽ごらんきて御覽ごらん。」 
 婦人ふじんたちの、一をさましたとき、あの不思議ふしぎめんは、上臈じやうらふのやうに、おきなのやうに、稚兒ちごのやうに、なごやかに、やさしくつて莞爾につこりした。


 朝日あさひは、御所ごしよもんかゞやき、つき戎劍じうけん閃影せんえいらした。
 ーー江戸えどのなごりも、東京とうきやうも、その大抵たいてい焦土せうどんぬ。茫々ばう/\たるやけ野原のはらに、ながききすだくむしは、いかに、むしくであらうか。わたしはそれを、ひとくのさへはゞからるゝ。
 しかはあれど、よ。たしかく。淺草あさくさでら觀世くわんぜおんは八ばうなかに、いくまん生命いのちたすけて、あき樹立こだちもみどりにして、仁王にわうもん、五ぢうたふとゝもに、やなぎもしだれて、つゆのしたゝるばかりおごそか氣高けだか燒殘やけのこつた。たふうへにははとあそぶさうである。く。はな屋敷やしきをのがれたざうたふしたきた。ざう寶塔はうたふにしてしろい。

   普賢ふげん影向えうがうましますか。

   若有じやくう持是じぜ勸世くわんぜおん菩薩ぼさつ名者みやうしや

    設入せつにふ大火たいくわくわ不能ふのうせう
    由是ゆぜ菩薩ぼさつ威神力ゐじんりき




                 【完】







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