月夜遊女

泉鏡花


おとやい、月夜つきよぢやねえかよ、」
 とかぜらるゝ案山子かゝしのやうに、ふら/\とつきゑがだされた、肴籠さかなかご振分ふりわけに、づツしり重量おもみのある天秤てんびんかついで、さきつて歩行あるいたのが、鼠色ねずみいろつやのある淺霧あさぎりをかけた、ひとむらの樹立こだちまへながら、其處そこらの芋苗ずゐきうなづかしむべく、野良のらごゑ調子てうしだか

「まるで晝間ひるまだつぺい。いつかの盆踊ぼんをどり夜中よなかのやうで、かげだかひとだかわかんねえ、さつせえ、おらが道陸だうろくじんたましひはひつてきてるだ。やあ、おと
 う、はあ、皎々かう/\つた月夜つきよとなると、むしふまでがえさうで、それでて、なによなあ、なんだかみづそこでもわたるやうで、また、うかとおもふと、ゆめちうでも歩行あるくやうで、へん娑婆しやばばなれがして、物凄ものすごう、心持こゝろもちぼうとすらあよ、えゝ、おと。」
 とはなしかけても、返事へんじせず、くせひた/\とあしおとは、かゝとについてきこえるので、ことば途切とぎらし、天秤てんびんうへへ、南瓜たうなす捻首ねぢくびで、頬冠ほゝかぶりつらをおつくふさうに振向ふりむいた。

おとやい、なぜだまる。ちつはなしでもしてくべいでねえか。よう、おたがひに、れた道中だうちうでもふけさふけだ。これから突切つゝきつて街道かいだう折曲をれまがる、一里いちりづかへんなだだからな、よくねえよ。ぬしもおらもなまぐさをかついだうへに、お月樣つきさま背負しよつてくだから、ちつとべい氣味きみのいゝことはねえだ。
 なに饒舌しやべらつせえよ。
 こんなときいろばなしもがさすが、法談ほふだんがらにねえ、滅入めいるでな。小恥こつぱづかしく風流ふうりうじん眞似まねをして、お月樣つきさまのうはさをするだが、ぬしなんだまるだよ、やあ、これ、」
 といつてまたまはり燈籠どうろうわすれてまはるあしはこび、もなく、のろくなつて、
おとてえに。」
「むゝよ、」
 とわかいのがやつこたへた。おなじくこれもぼてヽヽをふつたが、背後うしろざるつかさねた、まへなはからげの大魚たいぎよ一尾いちび一抱ひとかゝへある圖拔づぬけな鮟鱇あんかう其状そのさま色好いろこのめる道士だうしたるを、つきにさらしてあからさま、やがてづりにになつてる。

 天秤てんびんぼうもきしむざかり、分銅ふんどうかゝりにおもさうなのを、血氣けつきむかう顱卷はちまきで、染入しみいつきかたあせはせぬが、あをずむうをはだへにも、かさねたざる編目あみめにも、たら/\とあふるゝつゆしもにもならずながるゝばかり。なはて隈行くまゆ小川をがはこゑなく、一寸ちよつとだまると、しんとして、左右さいう刈田かりた何處どこまでもかりかげさへさゝぬのである。

 頬被ほゝかむりなかこゑ滅入めいつて、
おとてえになあ、へんだな野郎やらう、」
「 ・・・・・・・・・ 」
「よう、おとてえば、」と、またがツくり、いきをついたやうに立淀たちよどむ。これにつれて、背後うしろなる壯佼わかいもの顱卷はちまきむすゆすつて、不意ふいとまり、
「えゝ、ちねえ、おらちつめうことかんがへたい。」
 
 足許あしもとのぞくやうに、頬被ほゝかむりなかゑながら、
せやい、おと、こんなところめうことなんかかんがへるもんでねえ。」
「でもな。まあ、さつさと歩行あるきねえな。」
「おい、歩行あるくがの。眞實ほんたうだ、なんだかんねえけんど、眞個まつたくよ、なだしてしまふまではな、そんななんだぜ、めうことなんかかんがへねえはうがいゝぜ。」
 





「おらまたなんだつて、ひるよるとがらり了簡れうけんちがふだかな、我身わがみ我身わがみわからねえだよ。ひるねえな、新宿しんじゆくはま土俵どへうにして、おにとも取組とつくだけれど、」
 と、かごとがましくひつゞくる。

當前あたりまへよ、まつ晝間ぴるま何處どこおにるもんか。」
 と背後うしろから元氣げんきこゑ

「えゝ、よるだツて、られてたまりごとがあるもんか。そつといはつせえよ。おめえおほきなこゑして、まるではあ、おに呼出よびだしをかけるやうなもんだ。」
 とぶつ/\あし捗取はかどらない。

あきれた臆病おくびやうツたらありやしねえや、」
なんだつて、おめえ夜中よなかいま時分じぶん街道かいだう歩行あるくものは、はあ、新宿しんじゆくはまかつしてから、沼間ぬまま田浦たうらよ、金澤かなざはから杉田すぎた山越やまごえはま問屋とんやまで、まあよ、在所ざいしよ夜網よあみあがつてから、うやつてふけに田山たやま突切つゝきつて、堀割ほりわりつてひがししろむまで、ひと幾人いくたりと、くちいたり、てくつたり、きてはたら人間にんげんかずかぎりがあるだよ。

 今夜こんやなんざ、七が一番いちばんがけに、さうだ・・・かついで駈出かけだしたわ。三と、八兵衞べゑ馬力ばりきで二だいな、がたくり/\と曳出ひきだした。おらと・・・ぬしさ、あとおさへだ、背後うしろはうにや當分たうぶん小糠こぬか小糠むしかげはねえと斷念あきらめてるだでな。

 能見のツけんだう手前てまへで、金澤かなざは鹽賣しほうりが、あさ月夜づきよにきら/\としほひからしてるのにつくはしや、いゝつけものだ。かんがへると心細こゝろぼそいではねえか、えゝ、おと

 ぐわツとでもつてねえな、はふして一散いつさんがけに前途さき駈出かけだして、七や三づれにたすけてれい、とやりや格別かくべつ。あとからるものは人間にんげんどころか、氣心きごころれたいぬねえときまつたにや、えゝ、おと心持こゝろもち、おらあおもてえ。ぼツちり、かげ法師ぼふしえねえでも、後前あとさき夥間なかま歩行あるいてるとおもや、どれだけちからになるかんねえが、あとおさへだけにぞく/\すらあ。

 はや一里いちりづか難場なんば押越おつこして、やました立場たてばの、おてつばあさまがみせたゝいて、めしでもいてもらつてよ、そこちかられねえぢや、めう膝節ひざぶしががく/\すら、よう、ろくでもねえ。ひよんとこ汽車きしやくゐまについてまはつた、島田しまだくびはなしなんかおもした。
 たまらねえな。

 うまくくと、七でえゝが、ながんでりや、おツついて一緒いつしよにならうもんねえだが、あひだ我慢がまんだぜ。あれ、一里いちりづかまへけむつてた。また、うまのわらぢが、ふツ/\ツて、いきりつてけつかるいべい。

 あれもさ、され髑髏かうべいきをしてるやうにえてなんねえ。なあ、おと、ほんのこツた、怪我けがにもめうことなんかかんげえまいぜ。いや、どツこい、」
 とさしかゝる、なはてからまつ並木なみきへ、なゝめにかゝつた爪先つまさきあがり。

 姿すがたせたまつ並木なみき故道ふるみち一條ひとすぢしろく、天窓あたまうへながくなつて、もとこみち草鞋わらぢしたから、小川をがはめてくらくなり、はるかにさら/\とみづおと音吉おときち足蹈あしぶみして、

なんだな。なまものをかついだやうでもねえ、ぬしがいふこともこしつきも、はあ、うしかれてるやうだ。
 そんなたが最後さいごよ、さかなえてさがらあ、しつかりしねえな、だらしはねえ。」
 と顱卷はちまきなゝめつきに、しもいてしろわらふ。

「はゝ、うでえ、意氣地いくぢがねえぜ。」
なんていふがな、これで其處そこ一里いちりづかへかゝつてねえ。おつかぶさつたえのきしたに、うま草鞋わらぢばかりあかりくツてよ、鳥籠とりかごのひしやげたかたちのおだうなかから、あのまた地藏ぢざうさま申子まをしごたやうな、異體いたいわからねえ小佛こぼとけが五たいといふもの、おつ往來わうらいてござる。あのまへとほつてねえな、ぬしだつて、ようこれ、あんまりはあ、おほきなくちける義理ぎりではあんめえ。」






「よう、」
 と鮟鱇あんかうおほいなるを、土手どてにつけず飜然ひらりつきに、はらひかりをつらりとつゝ、ざるなはをぐいとつかんで、かるあがつた。音吉おときちは、並木なみき松影まつかげみち眞中まんなか眞明まあかるきに、おさきだちはれたかたち

「さあ、おらが、さきへつてるべい、さつさとねえ。」
ちろい、あとおさへはがねえとふに、うなりやならんで歩行あるくだ。」
 とよこざまに押竝おしならんだ、二人ふたりはせて四角しかくいやうなかげ法師ぼふし

 並木なみきかげよこづたひ、うをのぼ風情ふぜいなる、くだん逸物いちもつあごでさして、
きちやい、おらがめうなことをかんがへたとふのはほかぢやねえだ。」
 
「えゝ、ぬかす。わすれた時分じぶん意地いぢわるまためうことかんがへる、せツてえにな。」
 
「よせつたつてお前等めえらも、おらがはらなかひとりでかんがへるだから仕方しかたがねえだ。チヨツ、いや、ぢや、默然だんまり歩行あるくとするだよ。」
 とそらいて、音吉おときちまつ葉越はごしほしさが上目うはめづかひ。

くよ/\。默然だんまりぢや滅入めいつてなんねえ。くからな、はやかんがへとふのをいつちまひねえ。なりたけなんだぜ、へんでなくかしてくんろよ。」
「むゝ、おらあ、へんなことをかんがへたが。」
 とうつかりる。

なほいけねえ、めうへんになつてはたまらねえだ。ほう、」といふ。
「はゝ、そんねえにおめえら、にするほどのことではねえだよ。めうといへばめうよな、へんといへばへんだけれど、なんでもねえことだとおもへばなんでもねえ。きちやい、ほかぢやねえが。」
「うむ、」とおツかなびツくり、くちびるちかられる。

「そら、」
 一寸ちよつと小手こてして、天秤てんびんさきにいぶりをくれたが、のくらゐなことで、ゆツさりともするやうな、そんなちひさなはらではない、ぎよ道士だうし鮟鱇あんかうあざな泰山たいざんで、づツしりと月下げつかひかれり。

鮟鱇あんかうよ。」
鮟鱇あんかうが・・・・・」
めうことかんがへたとふのはな。」
「ふむ、」
何故なぜはらでつかいか、といふことよ。」
 とはじめていて、おどろいて安堵あんどした、きち臆病おくびやうわすれたやうに、

「は、は、は、馬鹿ばか野郎やらう、くだらなくませやがつた。おたがひ學校がくかうさ、ずるけたはうをとこだけれど、われ、ちつ怜悧りこうだとおちつてつきあつたが、馬鹿ばか野郎やらう。 
 なんだと。 ・・・・・・  

 何故なぜ鮟鱇あんかうはらでつかいだと、當前あたりまへよ。おらと、われと、何故なぜ男振をとこぶりちがふだと、湯屋ゆやあねえかしたも同一おんなじよ。」
 
「むゝよ、おめえ色男いろをとこだよ、色男いろをとこきつねきだぜ、そら、其處そこ一里いちりづかだ。」
「ホイ、南無なむ阿彌あみ陀佛だぶ々々/\々々/\々々/\。」

はなさきにぶらさがつて、しかもな、おらがにへるとふでもねえに、とはじめはたゞうちによ、いまの、はら工合ぐあひかんがへたゞがな、まあ、きねえ。

 こりや、はあ、どうか眞圓まんまるツこくすると人間にんげん一人ひとりはひられさうだとおもつてよ。それも道理だうりだ、ひもゝありや、いともあり、橙色だい/\いろも、樺色かばいろも、あをいんだの、むらさきだの、どしことやまこもるわけだとかんがへるうちに、へゝ、おらあの、きちやい、」
 
「 ・・・・・・・・・ 」

めうことかんがへた。そら、ぱくりとあいたあご牡丹ぼたもちだ。一ばん途中とちう臟物ざうもつひきずりして、きもいて、いもで、ぶらげてつて、おかんばあさんとこおこしてよ・・・・・な。」






「おめえぬくめしひな。おらあ、こいつをぐしや/\と熱燗あつかんだ。鮟鱇あんかうきもが千りやうよ、だまつてねえ、百りやうぐらゐはけてるよ。」
いやだ、野郎やらうういひぐさが強盗おしこみになりやがつた。
 さつせえよ、わることを。
 ぬしかんがへるまでもねえ、鮟鱇あんかうはらのせゐででつかいだ。うりものゝきもいて、だい一おめえ横濱はま問屋とんや承知しようちしめえよ。」
 
「そんなことにぬかりがあるかい。まあ、だまつてねえよ、いや、どツこいしよ。」
「あれ、ろす。やあ、とんところで。そら/\はねえこツちやねえ、みんな呼吸いきいて、もそ/\してる。」
 とあわたゞしくわきへ退いた。えのきこぼるゝ月影つきかげに、一里塚りづかからいてひきがへる氣勢けはひして、のツそりひさうな捨草鞋すてわらぢ

うま草鞋わらぢをな、・・・・・臓腑ざうふのかはりにへしむでごまかすだ。其處そこさぬかるやうなおらぢやねえ。
 先方さきだつて問屋とんやだからな、ぐにつるりにするのでねえ。野毛のげ何丁目なんちやうめかの魚屋さかなやで、のきからうまくつらすのがおちよ。うまく南京町なんきんまちへでもはひつてねえ、鮟鱇あんかうはらから出現しゆつげんまし/\た草鞋わらぢ大王だいわうとかなんとかつて、其處そこ破堂やれだうでも建立こんりふしてまつるべいよ。」
 
 きち前方さきはなれながら、居合腰ゐあひごししたかげなしの駕籠屋かごやまねくやうな、さびしいつきで、しきりにおさへた。こゝろがらとて自分じぶんから幽靈いうれいじみたあはれなこゑで、
石佛いしぼとけがござらつしやるによ、勿體もつたいねえ/\。ぬしふことから亂暴らんばうだ、よくねえよ、/\。よさつせえ。 だい場處ばしよがらが、よくねえだ。わるところだ、陸灘をかなだだぜ。」
 とひかけてぎよツとしたふう猪首ゐくびをすくめて、きよろ/\と、そらたかえのきから、のない、はこごと辻堂つじだうに、五體ごたいひるよりは判然はつきりと、つきあらはれたまふ、ほとけ姿すがたを、恐々こは/゛\なりにみまはして、
「へゝゝ、結構けつこうな、ところでござりますな、へゝゝ。の、へゝゝ、わる眞似まねをするな、よくねえ場處ばしよがらでとまをすんで・・・・・へ・・・・・えい、おとせツてえに・・・・・よ。」
 ざわ/\とこずゑかぜ

「ひえゝ、後生ごしやうだ。これ、せめて、せめて、これ此處こゝて、あかるところつてれ。」
 とさむさうに立窘たちすくむを、此方こなた血氣けつきでおもしろ半分はんぶんえのきみはだかり、みち眞中まんなかなはゆるめた、天秤てんびんしろざるあづけて、鮟鱇あんかうよこざまに、むねぱいはらをかへして、兩手りやうて重量おもみをこたへながら、
馬鹿ばかふもんでねえ。わざツとあかるところて、盗坊どろばうするやつがあるもんか。 おまけになんだぜ、ところ安達あだちはらだぜ。のふくらんだところろ、はだかいた仰向あをむけだ、ーーのはらくだね、はあ、なんすごかんべい。」
 とかさにかゝつて、さかなはらに、ほつペたをツつけて、
「むう、しろやかであつたかい。」
 
やぶりさうなことをする。えゝ、せえ、ぬしくちみゝまでけたやうでねえか。」
 とひとりでつておそろしがる。
「どりや仕事しごとに、」
 とわざ思入おもひいれ、なはをさげてぬいとつ。

「十八九といふところだ、はゝは、」
 と高笑たかわらひ。かさ/\とげてて、ざるふたにだふりとくねらし、筒袖つゝそでをぐいとげた、うでくろく、つかかまへてせ、
「やがて、鮮血なまちが、」
 と心持震こゝろもちふるへてさうなきち見遣みやつて、
「あゝ、何處どこかでいとおとがする。」





ざまあ、すやい、腰拔こしぬけい。」
 街道かいだう並木なみきがくれに、汽車きしやばしりのきちかげ、一さんしたときばかりは、初鰹はつがつをかついだものゝやうであつた。
「たう/\えなくなりやがつた、十町一じつちやうひとのしだ、なんげずとものことを。」
 とおツかけさうな身體からだかまへで、天秤てんびんそばはなれなかつた、音吉おときちは、見送みおくてたが、氣拔きぬけがしたやうな樣子やうすすぢれたうでわすれて、なんとなく四邊あたりられた。
 一人ひとりつたことにこゝろづくと、自分じぶんとても、二人ふたりときほど、豪傑がうけつではかつたのである。

なんつちまはねえだつていものをよ。」
 とおもはず拍子ひやうしぬけの溜息ためいきをすると、ふまでもない一里塚りづかまへには五たい石佛いしぼとけえのきうへおしかぶさつた、しただれのやらわからぬやうな、かさねたざるにたてかけた天秤てんびんぼう
 なはがたるんでふたうへにーーあゝ、つまらぬことをはねばよかつた。尋常じんじやうふくらかなはらをのけざまに、なよ/\とれて、ほふさまなるが、まないたあまつたかしらは、しろずんだ咽喉のど突張つゝぱつて、覺悟かくごして首垂うなだれた風情ふぜいはなく、ものひたげにあごつて、けるがごとみはつた、おほいなるうをつやは、實際じつさいねこのそれよりもかゞやくのである。おほきながまた意地惡いぢわるについて、まいとしてもつきくまに、うごかぬひかりすわつたやうにひとみる。
 おもはずぢつつてると、くる/\とうごく。
 ぎよツとして、そつぽいたが、うごくは鮟鱇あんかうのみでない。

 石佛いしぼとけの五ツの姿すがたも、えのきえだも、うまくつわも、行方ゆくへはるか小山こやまにかゝる一はゞあかるゆめのやうな街道かいだうも、たゝずむものゝ爪尖つまさきも、ぶる/\と、ゑがいたみづせんごとかすかにれるのは、何處どこからともなくさむさがこゝにわたるので、こんなときつきひかりかぜみて、刻々きざ/\しもこしらへる。
 えないしもを、音吉おときちくちけて、咽喉のどつて悚然ぞつとした。

「おゝ、さむい。」
 一めようか ・・・
 とおちつたけれども、のまゝにして建場たてばまでけつけるか。ばゞあみせで、きちふと、彼奴あいつまたあたゝかめしくらつて、つよくなつたところいままでのかへしに、たゝつぶして黒燒くろやきにして弱蟲よわむしにして道中だうちうすがらられよう。
 それも口惜くやしい。
 こゝはどうでも鮟鱇あんかうはらと、おらがきもをばつりかへにすべいきである。
 と茫乎ぼんやり物思ものおもひたひへ、ひやり。

「あツ、」と頸許えりもとからこしつたつて、かさ/\と月夜つきよを一まい足許あしもとが、ふかたにででもあるやうにしづんでちた。
 落葉おちばも、ともさそつて、ばら/\とつて、さつとこぼれて、何時いつ何處どこへやらなくなるやうなのは、掻撫かいなでのざらだけれども、こずゑにもえだにもほしかずよりまばらになるまで、二枯殘かれのこつてるのも、たゞものではない。

「えゝ、なんだい。」
 と叱言こゞとをいふやうな、いはぬやうな、音吉おときち自分じぶんしかるやうに、ぶつ/\・・・・・はけしく一ツよこ顱卷はちまきひきこすつた。
「まゝよ、」
 と、さかなはらのぞむと、あんまりよく、あつらへたやうにざるふたつてて、ちかまへてるらしい,天秤てんびんの、いゝ工合ぐあひなはて眞中まんなかに、によつかゝツて、所在しよざいなささうにえるのも、自分じぶんことながら、たれかが・・・・・たれかが・・・・・






 それでも、がむしやらに思切おもひきつた。音吉おときち血氣けつきだから、一ばんで、片手かたて仰向あをむいた鮟鱇あんかうの、はらしたあたりをおさへつゝ・・・・・

 うまでちかられるにはあたらないのだけれども、なんだか、出逢であつたかたきのやうながしたので、一生懸命しやうけんめい
 ぬめりとなめらかな、して蒼白あをじろい、水紅色ときいろ環取わどつてやはらかなあごすきへ、矢庭やには差入さしいれむとした手首てくびふるへた。
 うはずつてうでこはつたのである。
 おそろしいふち飛込とびこむとおもつたが、ねむつたのである。

いたいよ。」
 トタンにみゝそこへ、とほい、はるかところつたやうにきこえたので、ハツとおもふといた。おと右手みぎては、手首てくびめてさかなあごはひつてた。
 しやにむにからまつた、はらわた曳出ひきださうとほとん夢中むちうひきつかむ。

そつと、」
 とふたゝび、今度こんど何處どこでかこだまがするとおもつたほど、判然はつきりきこえたのである。
 飛上とびあがるほどに、あわてゝくとうごかぬ。
えい、」とくのと、うでがしびれたのと、たなそこあまつたのをはなしたのと、無性むしやうつたのと、地蹈〓ぢだんだんだのとあたか同時どうじで。

 つちへたゝきつけたものから、むら/\といきれがつた、生暖なまあつたかい、せるやうな、湯氣ゆげごと白氣はくきだん
 脈々みやく/\としてそらざまに、ちうゆる音吉おときちかためて、やがて咽喉のどをせめて、ほゝつたひ、おもてつて、つゝんだ。

「わい、」とつて、矢鱈やたらつかんで兩手りやうてのあたりをきのめしつゝ、くる/\とまはつた。が、くるしく一呼吸いきついたときえのきなかに、兩方りやうはうへ、朦々もう/\として眞白まつしろくもの、八九けん障子しやうじごとつらなつて、立迷たちまよつてるのを發見みいだしたのである。

 たゞ狭霧さぎりなかかれたごとく、蜘蛛くもつゝまれたごとく、〓然もうねんとして、身動みうごきもならずながめてると、兩方りやうはうから、すこしづゝうすらいで、段々だん/\に、はてえるのか、のまはりへせまるのか、次第しだいはしぼかしに眞中まんなかくなつて、やがてのあたりにはれぬ、一もとやなぎをふツくりとつゝんだらしい、ものゝ姿すがたが、すらりとかたはらまとまつた。
 トかつぎがすべつた風情ふぜいさつれた、つもつた雪衣せついちたのは、したはひつたらうか、それとも中空なかぞらんだらうか、をりからつきかたはらに、こずゑいて薄雲うすぐもわたつたのである。

 たゝずんだ姿すがたのまゝに、かすみけたやなぎかげつややかにはら/\と黒髪くろかみたけみだして、えだぶりうつつきくまを、もののひだヽヽになよやかな、薄色衣うすいろぎぬ腰細こしほそう、うなじ耳許みゝもとほゝのあたり眞白ましろおもかげつたる美女たをやめ撫肩なでがたのありや、なしや。そで兩脇りやうわき掻垂かきたれたが、爾時そのときほろ/\と衣紋えもんけて、ゆき乳房ちぶされたとゆる、むねのあたりでうつくしい、つゝましげなりやう手首てくびひらくと、鳩尾みづおちかけて姿すがたなゝめに、もすそゆるくはらりとさばいた、つまをこぼれて、たもとにからんで、つきにもゆる緋縮緬ひぢりめん
 うなじかたむけ、つきむかへる、たまかんばせまゆひらいて、恍惚うつとりねむつたまゝ、いまほころびたはなかとばかり、ならぬかをりはツとつて、ホとちひさく、さもくつろいだらしくのびをした。

 をばツとすゞのやう、すゞしきひとみ見向みむけたが、丹花たんくわ朱脣くちびる愛々あい/\しく、二十はたちしたとしごろながら、處女むすめのやうにふツくりと、しもふくれなのがゑみふくんで、じつ天窓あたまからながめたので。

 大入道おほにふだうならやぶれかぶれ、かじりつきもしたであらう、音吉おときちたゞへと/\とこしくづれて、いベツたり尻餅しりもち
 顱卷はちまき天窓あたま伏目ふしめて、美女たをやめは、むかしから馴染なじみらしい、打解うちとけた笑顔ゑがほ莞爾につこり






「えゝ、なんだね、ぐツ、ぐツ、ぐ、いてるのは、ーー川底かはぞこあわつやうな、はあゝ、しほくだかな。」
 とこゑしほ退いて、音吉おときちは (爾時そのとき、) と同一おなじ皎々かう/\たる一たい潮入しほいり小川をがは月夜つきよ田越たごしにそよぐあしなかに、澤蟹さはがにのやうなしやが工合ぐあひむか鉢卷はちまき結目ゆひめてゝ、まるくしてだまつた。 

 かたはらにぬいとつ、二かゝへほどのおほきな姿すがたは、月夜つきよひろがつたかげではない、一人ひとり親仁おやぢの、天窓あたまからすつぽりとしもかついだ夜具やぐである。
 手足てあしとゝもに、からびたこゑして、
「どれ、びく一寸ちよつとせろよ、ついで實檢じつけんさしてやるだ。」
澤山たんとえだよ。」
 
 おとあし手繰たぐつてある、ずぶぬれ投網とあみしたから、眞黒まつくろびくると、ほた/\と枯葉かれはずれ、さむさにかたいやうなしづくおと小夜具こやぐそでからおほきなで、ぐいとつた、親仁おやぢはなさきで、ざら/\とつてかしてて、
「はあ、はぜ馬鹿ばか野郎やらうを二ひきか、海津かいづが一ツな。」
 と、も一ツかたむけてると、ぐツぐツぐツぐツ、しんとしたなかつぶやくものあり。
「これだ。此處こゝにはらんばひにつてござる、のもろあぢめがはらくだ。」
「もろあぢくだとね。へい、さかなはら文句もんくのあるのは禁物きんもつだよ。」
 と薄寒うすさむさうな苦笑にがわらひ。
のしみつたれな了簡れうけんだ。一里塚りづかしたも無理むりはねえ。またもろあぢくこともらねえやうな素人しろうとくせに、なんだつて、鮟鱇あんかう臟物ざうもつねらつたり、一人ひとり網打あみうちになんぞかけるだえ。道理だうりこそ、よひからかゝつて、蚯蚓みゝずのやうな小魚こざかなが三ツ四ツ。あとはびくぱいになつてわたがにおほきいのが、藻屑もくづえた大鋏おほばさみを、トかまへてござる。
 投網とあみかにつて、大事だいじびくれるやうぢや、ともづりで蜻蛉とんぼはうだ。 えゝ、おと。」
「あいよ。」
「お不動ふどうさまいはやしたから、新宿しんじゆく波打際なみうちぎはな、鳴鶴なきづるはま川尻かはじり田越川たごしがはをかけてあみつなら、かくも一ぺんは、伊澤いざはさま別荘べつさうの、の七親仁おやぢことわつてれ。二十だいわかいものが、夜中よなかしもりればとつて、なんだ、なが股引もゝひき草鞋わらぢはよ。 かねえ居候ゐさふらふが、大掃除おほさうぢどぶさらひといふもんだ、はだかれ。
 およいで手捕てづかまへにする心懸こゝろがけでなくツちや、おもふやうにあみてねえ。あわつた烏賊いかぢやなし、なが股引もゝひきおよげるかい、げいもねえ。」
 
「むゝよ、だからよ、なんだな、おらが父爺ちやん同一おんなじやうなことをつて遣込やりこめるよーー(爾時そのとき、) も矢張やつぱり・・・・・そつあみ背負しよつててな、九ぎても一ぴきもかゝらねえだで、茫乎ぼんやりかへるか、ちやう父爺ちやん二合半こなからあふつて、ばたに大胡坐おほあぐら昔自慢むかしじまん潮先しほさきだもの。空畚からびくげてあみをびしよ/\とつたにや、天窓あたまからこかされて、こツそり夜具やぐかぶつても、蒲團ふとんうへはゞかねえツたらねえからな。唐突だしぬけ手柄てがらをして、小遣こづかひぐわんとこせてれうと、其處そこではあ、新宿しんじゆくさおしかけて、網元あみもとから横濱はまゆきを一もらつて、きちやつとつるんでかけた鮟鱇あんかうだがね。 おらあ、眞個ほんのこツた。まへにぶらさがつてるのさて、はじめのうちは、何故なぜはらでかかつべいな、とおもつただよ。 それがおめえ。」
 と呼吸いきをつく。
「むゝ、ちなよ。あんま不思議ふしぎだで、一がいうそツばちだともおもはれねえだ。眞個まつたくだら、はい、七親仁おやぢだとてきかねゝえさ。ーーわれ、こしいて、それから、うした。」






「七親仁おやぢかつせえーー
 眞個まつたくのこツたが、したぱらが、がツくりすると、すぢがへと/\になつたやうだ。こし他愛たわいがなくけたゞがね、はあ、はぢ外聞ぐわいぶんなにもねえだ。」
當前あたりまへよ。きもぬすんで、うまくつへしんでかうとおもつた鮟鱇あんかうはらなかから、そんな別嬪べつぴんつかして、それで取組とつくつたとか、退治たいぢたとか、われがはぢ外聞ぐわいぶんのあるやうなはなしなら、だれけていていべい。・・・・・こしいたで、承知しようちするだ。」
「へゝ、うまでつてくんなさることもねえ。」
 と、親仁おやぢ放下ほかしたびくなかを、人指ひとさしゆびでつゝいてしよげる。

「だつてよ、おらだつてくべいと、附合つきあつてるだからいでねえか、わればかりくとははねえ。」
だれいたつて、あんまではえだからな。」
いわ、それから、われどうしただ。」
「あゝ、うやつてーー莞爾につこりしてなーーしておめえ眞紅まつかなのをちら/\と、」
「はあ、したしたか。」
「うゝむ、すそだよ。なに見得みえふぢやねえけんど、そんな、もゝんがあで、した突出つんだすやうな甘術あまてやつなら、おらだつて咽喉笛のどぶえひつくだよ。」
「いや、はう可恐おつかなかつべい。」
 
いき高等かうとうとやらで、はあ、神樣かみさまのやうな、氣高けだかいだ。
 それからな、の、かみさばいた、取亂とりみだした姿すがたで、すそさ、ちら/\とおめえあしなんぞゆきのやうに、しろいことは、人間にんげんにかはりはねえだ。二あし、三あし、おらがはう寄附よつゝくのだから、たゞう、やたらにお辭儀じぎをした。」

ーー音吉おときち脛白はぎしろ蓮歩れんぽうつした美女たをやめまへに、まはつて、石佛いしぼとけの五たいに五たびえのきに一うまくつかずばかり、夢中むちうになつてをがんだのであつたーー

のうちになんつた、別嬪べつぴんなんつたがな、おらに、(何處どこへおいでだえ) ツてふやうにきこえただ。
 (何故なぜ孕婦はらみをんなのやうだなんて、さかなはらゑぐつた。) とでもいはれりや、一も二もなく天窓あたまからしほだんべいで、みゝがぐわんとつてきこえごとはなかつたゞけれど、ゆくさきをたづねるだから、新宿しんじゆくはまれたさかなになつて、これから山越やまごえ横濱はままでまゐります、とな、返事へんじぶつたやうにおもつただが、こゑたかうだかな、自分じぶんにもわからねえだ。
 魔物まもの見透みとほしだ。それとも、つたゞか、うだかんねえ。

 (わたしを一しよれておいで。)
 (けぬうちに、はやく。) と、あるだね。

 わるくすると、うやつて、こし附着くつゝいてうちに、くびさ、えのきこずゑあがつて、ばた/\手足てあしもがいて自分じぶん身體からだを、たかとこから瞰下みおろされうもんねえだに、れてけはみゝよりだよ。

 せめて、一里塚りづかすだけでも、呼吸いきけると踏張ふんばつて、背中せなかにしてこしつたが。
 後生ごしやうになるから、一人ひとりでさつさとげてけ、とつてれゝば、とおもつたのが、うもかねえ。
 荷繩になはをかけなほすのを、そばつててござるだ。
 鮟鱇あんかうだらけになつて、うまくつなかちてたよ。
 おら、またあたま頂邊てつべんから悚然ぞつとしたい。
 それを、はあ、ひろりにもたげるときは、なんだかんねえ、そつと、別嬪べつぴんかほのぞいたゞね。」
 
「ふん、其處そこ物凄ものすごにらんだか。」
なに矢張やつぱり、たゞ人間にんげんの、ごくしとやかな、柔和にうわな、おもひやりのあるふうで、莞爾につこりわらつてツけ。
 何事なにごとも、承知しようちうへ堪忍かんにんしてくわ、わたしやさしいよ、とつたやうな顔色かほつきで、鷹揚おうやうえただよ。七親仁おやぢ。」






 しも滿けど、つきひかり掻消かきけさまの、いひれぬものありて、あひだへだつるや、かたぶきながらとほいやうな、大空おほぞらあしからあふいで、
矢張やつぱり、こんなつきだつけな。一里塚りづかてから、はあ、街道かいだうへかゝつた。が、並木なみきまつも、あれからやまへかけて段々だん/\まばらにるだから、かぜがなくツてもふきとほすわ。
 それに、またおらがいそいで歩行あるくだから、はら/\とすそたもとおとがして、別嬪べつぴんがな、人懷ひとなつかしさうに、おらと附着くつゝいて跣足はだしだね。

 えのき背後うしろからおつかぶさつてときは、えだがみきかげおもかげつたつペい。地面ぢべたこしいたおらがには、なほことおほきなたか上臈じやうらふえたつけが、ういっして見晴みはらしをならんで歩行あるけば、小柄こがらをんなぢやねえけんど、それでもおらがかたぐれえだ。
 それにまた、さしあたおににもじやにもけさうにもねえだから、けるまでのまんまならなんことはねえ。
 ちく中年増ちうどしまのお孃樣ぢやうさまだ。

 でもよ、おらがいもうととでもみちづれでくやうに、くちける義理ぎりでねえから、だんまりでいそいだが、時々とき/゛\そつぬすむやうにして、横目よこめでちらりとたびに、たゞ悚氣々々ぞく/\あしまでみるのは、妖艶あでやかさよ。
 だがね、七親仁おやぢ
 それだけなら、なにかはつたことはねえだけれど、どうも眞個ほんものゝ人間にんげんでねえことがあつた。」

「ちら/\とえたか。」
 と七親仁おやぢ夜具やぐそでひぢめた。りやう頬杖ほゝづゑで、かへしつゝ眞面目まじめく。

馬鹿ばかいふもんでねえ、尻尾しつぼをつかまへられるやうな、そんな化状ばけざまではねえとふに。
 のな、かはつたことゝふのは、處々ところ/゛\で、ふら/\とおらがつた、大勢おほぜい別嬪べつぴんのおともをするのが、月影つきかげあらはれただよ。」
「おともがな。」
「むゝ、はじめがついたときは、おら、一里塚りづか石佛いしぼとけさ、あのなりで、五たい、ぞろ/\とついてござつたかとおもつたい。二度目どめがついたときは、ツと人數にんずおほかつた、ものの十四五にんつらうか。
 してな、みんな・・・・・婦人をんな姿すがただつたぜ。」
 
奇代きたいだな、すると魔物まものかしらかな。」
なんだかんねえ、みんな、うやつて、」
 と音吉おときちめて、ぐツとかたせばうして、袖口そでくち引合ひきあはせ、
つきさむいからそでしたれて、背中せなかから前途むかうはうへ、さツ/\と、すそがからんでかぜよ。まへへうつむくやうにして歩行あるいてござる。背後うしろへづらりと一人ひとりづゝ、のこらずおな寸法すんぱふをんな姿すがたよ。そでいた、たもとながい、矢張やつぱりすそなびいてな。ちつともちがはねえやうに、そろつて、まへ俯向うつむいたが、たゞかはつてるのは、おらがれのはかみげたに。
 あとへつゞいたのは島田髷しまだまげよ、それも草束くさたばねといふやつだ。くろくねえ、ものゝもかみおないろで、姿すがただつて、はあ、とんと薄墨うすずみの一ふでがきで、〓〓とつたやうだ。初中いつでもえたとふではねえがね。

 それが、あらはれるときは、さら/\とおとがして、すそや、たもとのゆれるのが、紙子かみここしらへたかとおも氣勢けはひよ。
 その十四五にんか、づらりとならんだときもありや、五にんぐれえづゝ、ふは/\と二側ふたがはになつたときもあつたし、三側みかはそろつて、れつみじかくしたときもありな。ひよツとかすると、まへ別嬪べぴんれねえやうに、二人ふたりづゝ、そつかほらしいうへはうのぼやツとしろいものを差寄さしよせて、なにさゝやいたらしいをりもあつた。

 そら、た、またえる。で、それにばかりられて、大分だいぶみち歩行あるいたが。おまけに、それが、たかところたり、づツとひくつたりなんかして、・・・・・何時いつでも、西にしか、ひがしか、みぎか、ひだりか、きつ街道かいだう兩方りやうはう路傍みちばたへあらはれるのを、よく/\をつけてると、れてしろくなつて、さむさうにつてる、唐黍たうもろこしのおばけだつたぜ。」






 七親仁おやぢ聲高こわだかに、
馬鹿ばか野郎やらう大方おほかたそんなことだとおもつた。」
ういふがね、此處こゝでこそういふがね。場合ばあひ差當さしあたつてせえ、唐黍たうもろこしのおばけだぐれえでましてられるわけではねえだよ。なんだつておめえの、とほくにつけて、道筋みちすぢ非情ひじやうのものにたましひはひるだで。をかしなことは、そればかりでねえ。
 芋苗ずゐきがな、またへんだつたぜ。
 處々ところ/゛\物蔭ものかげや、枯草かれくさあかるみへ、くろいんだの、しろいんだの、ひら/\と、あのさ、腹破はらわれでしつツこけの、しやくんだながつらすと、浮出うきだしたやうな目口めくち出來できてな。こちらをいては、はい、好色すきツたらしさうに、おらをなぶるのか、姉樣あねさまながめるか、目尻めじりげちや、にたり/\、」
 
、そいつはいやだ。」
 とまゐつたやうに、夜具やぐなかうなじすくめる。
「な、それだもの、らくでねえ。月夜つきよをちら/\とくもはしるやうににつくからな、追立おつたてられるやうにいそぐだで、途中みちすがらあせびツしより。
 小休こやすみをせうにも、おめえ慄然ぞつとするのがいてござるで、たまらねえぢやなからうか。
 すた/\夢中むちうよ。
 (澤山たくさんたことねえ、)
 て婀娜あだこゑつたんで、またみゝがカンとして月夜つきよひゞいた。
 おら、おめえ吃驚びつくりして立停たちどまつた。

くと、はい、能見堂のうけんだう山道やまみち半分はんぶんとこあがつてるだ。道理だうりこそ、先刻さつきから時々とき/゛\手足てあしかげになつた、おらくらむのだとおもつたに。
 しまつたい、えゝ、おめえ難船なんせん島蔭しまかげと、一里塚いちりづかから手繰たぐりつけるやうにあてにしてた、そら、さかツこの建場たてばさ、何時いつにかとほぎた。
 うまきや、さきばしりの七も甚太じんたよう、婆樣ばあさまのきかきえだつけるを合圖あひづに、妖物ばけものだ! とかなんとかいつて、とほくから怒鳴どならうと、それをちからあへいだに、なんのこツた。

 きち臆病おくびやう今頃いまごろ大根葉だいこんば新濆しんづけ炊立たきたてのめしつてよう。焚火たきび蹈跨ふんまたいで、利七りしちてあひんでるか、ふか/\と湯氣ゆげしるもあんべい。彼店あのみせさ、おばうきてべい、と一時いつときおもすと、くわつ逆上のぼせて、はあ、へと/\とはらいて、げんなりだ。」

其處そこで、またこしいたな。」
「むゝ、まあいたかもんねえが、ぷんと、はあ、蘇生よみがへるやうなかをりがした。
 ものゝ身體からだのそれでねえで、人間にんげんらしい、結構けつこうな、たばこにほひだ。
 てんたすけよ。
 人間にんげんくさいとみまはすと、八九間はつくけんうへ路傍みちばたさ、いばらまじりにすゝきれた、ひく土手どてこしけた、洋服やうふく扮装いでたちおほきな姿すがたが、つきあかりにうすえたい。
 おまけにおめえかたうへへ、キラ/\とひかつてな。」

 と音吉おときちかはべりにおもてした、みづながるゝつきかげ小波さゞなみ掻寄かきよせけむ、晃然きらり一條ひとすぢ彼處かしこなる別荘べつさうの、みづのぞんだ欄干てすりつらぬき、むかぎしなる枯蘆かれあし折伏をりふくまかゞやものあり。うるしぎん竿さを一根いつこん

とほさもちやうどあのぐれえに、おなじやうにひかつてえただ。」
「まさか、山路やまみち釣竿つりざをぢやあるまいの。」
鐡砲てつばうだ。」
「むゝ、まあ、うち御前ごぜんさまつりには、山路やまみちつたつて、かはつたつて、ちつとべこちがひごとはねえけれどよ。」
      
 七親仁おやぢひかけて、あししやがんだが炬燵こたつのやう、差寄さしよつてこゑひそめ、
くせ夜中よなかまでつてござる。矢張やつぱりお部屋へやさますゝめるだよ。たついまも、あゝやつてお寢室ねま附添つきそつてるだがな。また、あのかた世話せわをすると、希代きたいにひら/\とさかなかゝらあ。
 ふむ、尋常ただごとでねえやうだ、おとやい、其時そのときか。ーー・・・・・」





十一


其時そのときだがな、してなにかね、七親仁しちおぢいいま時分じぶんまでお部屋へやさまそばて、お世話せわをするかね。」
 とおとつて、低聲こごゑにうらひかけるのであつた。
一緒いつしよにも。先刻さつきもおめえ、お部屋へやさまさ、れいのそれ、緋縮緬ひぢりめん襦袢じゆばんなにかで、手燭てしよくつて、主公とのさまかたにかけましてかはやにござつた。つてのとほり、ごろぢや、う、ひとりでおひろひはむづかしいで。ーー
 成程なるほどや、去年きよねんだの。・・・・・能見堂のうけんだう居廻ゐまわりへ鐡砲てつぱうちにかしつて、(むかし知合しりあひ婦人をんなぢやが、いのちにかゝはることがあつて、乃公おれそですがつたにつて、なんにもはんでかくまひけ。) とばかりの觸込ふれこみで、いまの、おらんかたれてかへらつせえた、そちこち時分じふんからの、あの病氣びやうきよ。

 なんだつて、主公とのさまたゞ兩脚りやうあし矢鱈やたらとだるくつて、段々だん/\ほそくなるといふ、めうわづらひでねえか。
 此頃このごろぢや、おめえひだりあしなんざ、いてござるつゑよりかほそくなつたぜ。
 いくら丈夫ぢやうぶでおいでなさればとつて、まるツうごくことがなんねえだ、始末しまつわるいよの。どツととこつかゝつて所在しよざいがねえだから、まあ、ながらつりでもなさるだが。

 あのくれえな主公とのさまだから、人泣ひとなかせの、無理むりあたりもはつしやらぬが、よるなんざかんたかぶらずに。
 さいはひ、お部屋へやさまがおつて、片時かたときそばさおはなしなさらねえ工合ぐあひだで、下々した/゛\此方人等こちとらまで大助おほたすかり。
 それに行渡いきわたりはよし、はつくの、たかぶらずよ、やさしいわ。かりなく、いき行届ゆきとゞいて、しかもおめえ、おつとりとしてなさるだ。かげぢやみんな、はい、おらん方樣かたさまをがんでるわけだでな。
 始終しよつちう附添つきそつてさつしやら。

 それ、先刻さつきもな、うやつて片手かたて、お部屋へやさまのかたにかゝつて、片手かたてで、お廊下らうかさ、ドン/\とつゑいて、はゞかりへさしつた。手水鉢てうづばちあらつて、お部屋へやさまが、なまめかしく、支膝つきひざぬぐひつたが、(つきだ、) ツてはつせえたとき、おらを、はあつけさしつた。
 おら、内證ないしようだが、ひよぐりにてな。あゝ、いゝつきだ、とおめえぶるひをすると、川上かはかみで、ざあツ、とやるだ。

 はてな、下手へたさうなさばきだわえ。もつとよひくち今夜こんやあみちますと、七親仁しちおぢいとこことわりにせたでねえから、もぐりだで、うまからうわけはねえ。
 それでも暗夜やみたねえばかりがつけものだとおもつての、きらひでねえだからつきし、一ばんそこいらまでべいか、さむさはさむし、とあしところよ。

 (しち川上かはかみ大分だいぶあらすな。) と主公とのさまがおつしやつたで、今夜こんやおもふやうにかゝらねえかな。かた/゛\おどかしてるべい、と其處そこで、はあ、ぶらん/\下駄げた引摺ひきずつて、其處そこまで、うちのジヨン (いぬ) におくられながら、ると、われが、はあ、よしなかさ、かはうそいて、あみつてをどつてるだ・・・・・」
 
「えゝ! 親仁おぢいうへ、またかはうそかれてたまりごとあるものか、澤山たくさんだ。」
「いや、われよりか、主公とのさまよ。」
「おら、如何いか贔屓ひいきになつて繁々しげ/\別莊べつさうまゐればとつて、お臺所口だいどころぐちか、おにはさきよ。へんにお心安こゝろやすいやうぢやあるけれど、お部屋へやさまさ、るのはちら/\だが、親仁おぢいうやつて寢衣姿ねまきすがたをがむんだ、ひさしうちにや、なにかはつたことでもえだかえ。」

うよの・・・・・」
 と、かぶつてられず、夜着よぎからした小首こくびかたむけ、
べつうてことはねえだけんど、可恐おそろしうみきでの。さへありや、まどをあけたり、はしらつたり、いつもおきはうてござるだ。
 での、かぜか、あめか、うみいろのかはらうといふときは、はあ、かしごとねえ、何時いつでもつてツるだが、其時そのときは、いつまでも見入みいつて恍惚うつとりとしてござる。おきはうさ、故郷こきやうでもあるだかとかげ風説うはさして、またうみいろがかはらう、とふくれゐよ。」
 
 うみなみは、つね美女たをやめ姿すがたまへに、いろをかへて立騒たちさわぐのであつた。





十二


「それにいまもいふとほり、あゝやつて主公とのさま退屈たいくつをさせねえだが、お部屋へやさま世話せわをなさると、不思議ふしぎさかなれることよ。むゝだそれに、なによ、過般このなひだ二尺にしやくばかりのすゞきかゝつて、水際みづぎははなれると、さを滿月まんげつのやうにしなつて、ひかつたときよ。

 (御前ごぜんさま、れましたね、) ツておめえ、お部屋へやさまも、はずまつせえたか、ふいとひぢかけまど小縁こえんうへ飛乘とびのらしつけえ。
 おら、汐留しほどめ蘆垣あしがきかげから、れるだかな、とつてたがの、わあ、げさつしやるか、と魂消たまげたね。
 お部屋へやさまの姿すがたさ、さかさまみづうつつたでねえか。

 主公とのさまたかし、大柄おほがらなり、たか敷蒲團しきぶとんうへに、いまのそれながら乘出のりだしてつてござる。
 ひぢかけだとて、随分ずゐぶんたかいわ。たゝみすわつてさつしやると、おぐしツきや、そとへはえねえやうだに、ひらりとんでな、欄干らんかんたもとがかゝると、いきなり釣絲つりいとかしつけえ。おらすゞきねるのより、しろられて、はあ、なんかるさだ、をどりでゝも仕込しこんだ身體からだだつペいとおもつたが、成程なるほど、よく/\かんがへりや、人間業にんげんわざでねえやうだの。

 のほかにべつに、はあ、うとつて、湯殿ゆどのなかでも、髪結かみゆひにも、かはつたところはかねえだよ。 ・・・
 ぬしも覿面てきめんつてて、べつへんだともおもはねえだか。」

おもはねえ。ついあひだも、ジヨンのやつにからかひながら、お臺所口だいどころぐちつらした、晩方ばんがただつけ、飯時めしどきで、をんなどもさいそがしさうにはたらいてつけえな。
 おくからあのひとてござつて、
 (おいそあそばすよ、) ツて、なんだ、戸棚とだなから、はい、自分じふん西洋皿せいやうざらして、ぐい/\拭巾ふきんをかけながら、土間どましやがんでひたての大根だいこんつゝいてた。おらがはうて、なんにもはねえで、また、あの、莞爾につこりさしつけえ。
 (みん承知しようちだよ、なんにもいひでない、ふか馴染なじみだね、久濶しばらく、) とすゞしいうごきやうと、くちつきの鹽梅あんばいと、ほゝ工合ぐあひで、ちやんと、おらがむねつうじたがね。

 女中ぢよちうさらつて、七輪しちりんで、にほひのしてた、なににくさ、一寸ちよつ一寸/\よそつてぼんにのせてしたのを、のまゝつて、ツイと廊下らうかはうはひらしつけが、つやツぽくんで、赤革あかがはのつまのかゝつた上靴うはぐつなんか穿いてゐるだ。おらんかたは、あれだ、とばかりで、鮟鱇あんかうはらからた、素性すじやうつてもうたげへねえ。たまらねええりツつきの、後姿うしろすがた伸上のびあがつて見送みおくつたゞが、いたほどの、ひれもあらはさねえ。

 あとでお銚子てうしくのをて、あれをきつけの、かんちろり、畜類ちくるゐめ、と妖物ばけものあそばつしやる主公とのさまさ、あやかりたいやうながしたゞが、をんなたちから、はあ、かげながら容體ようだいくと、串戯じようだんではねえ。・・・・・
 いまも、親仁おぢいつけがね。此頃このごろぢや、みぎあしほそつて、押魂消おつたまげたおらぢやねえけれど、おこしけたも同然どうぜんだといふからな、になつてたまらねえぞ。

 つてのとほり、おらがおやぢな、惣領そうりやうな、おらまで御恩ごおんになる主公とのさまだ。
 たゞ病氣びやうきいたところで、かげ信心しんじんぐれゐしなければなんねえだに、うものおわづらひさ、お部屋さまの所爲せゐちがひごとはないとおもふだ。
 魔物まものさ、おらが不了簡ふれうけんから、なかして、途中とちう主公とのさまにおツつけたわけだからな。
 申譯まをしわけがねえ、はあ、うすいべい、とちつとばかりんでることではねえだよ。
 時分じぶんにや、ひおくれた。
 おかくまひなさればとツて、ぐに、あくるからさわぎでねえか。
 伊澤いざはさまのお別荘べつさうへ、天人てんにんたいなお孃樣ぢやうさまが、と先方さきからはなしからけれて、なに、そりや鮟鱇あんかうはらからこれ/\だ、とめんむかつて、なん眞晝間まつぴるまはなされべい。」





十三


「たまには、遠慮ゑんりよのねえともだちに、眞面目まじめざつはなすとな、やつはあたまから不思議ふしぎともへんともおもはねえ。
 龍宮りうぐうから、・・・・・うよ、さかなはらへでも宿やどつてざらに、人間にんげんにやねえ別嬪べつぴんさまだ、と一も二もなく合點がつてんしてしまふでねえかね。なんにもならねえ。
 うち主公とのさま寵愛ちようあいと、薄々うす/\はまきこえるでな、御恩ごおんになる主公とのさまを、おらがくちから魔道まだうおといて、妖物ばけもの婿むこにしてはむめえ。ゆめだ/\とおもふうち、なんだか、うぬがはうゆめになつて、先方さきさまは正眞しやうしんまがひひなしのやうなになつたゞがね、あやしいおわづらひだで、まただまつてられなくなつただよ、むねがむら/\としてるだ。

 先刻さつきからあみつても、さかなよりか、はあ、あの、晃々きら/\する、主公とのさまの釣竿つりざをにばかりられてよ、つたつきるにつけて、うだ、去年きよねん丁度ちやうどつきおもところへ、よう七親仁しちおぢい
 おめえら、此處こゝれたは、神樣かみさま引合ひきあはせだとおもふだな。うそか、まことか、おめえ年紀としこうで、よく分別ふんべつをしてんねえよ。おらにもなんだかわからねえ、馬鹿ばかめ、そんなことがあるもんか、と一くちはれりや、それまでだ。

 おや貧乏びんばふで、年貢ねんぐ未進みしん水牢みづらうぢやねえだから、何處どこ駈込かけこうつたへさするでもねえだが、だまつてちやなんねえから、わらはれるのを承知しようちはなすだ。こしいたまで、白状はくじやうしたで、おらのふことにうそはねえだが、うだね。」
 とつてさむからう、夜着よぎそでせて、音吉おときちふるへたのである。

 親仁おやぢもためいきでいてた。
「むゝ、うもはなし樣子やうすぢや、ばかされたにしても、たしかなものだの。」
 とひかけて苦笑にがわらひ、
なにも、はあ、ばかされたにたしからねえこんだ。だがね、おらもなんだかへんになつた。
 おめえ主公とのさまおもふこと承知しようちなり、氣心きごころつとるで、萬八まんばちとはおもはねえが、成程なるほど、こりやひといても承知しようちはしねえ。それにしても、はい、おらが主公とのさまほどのおかたがよ。希代きたいだな。」
 としきりかたむき、しばらくして七親仁おやぢが、
「で、なにか、おめえ爾時そのとき主公とのさまには、なんにもことはねえだな。」
 ことばしたに、
つたとも!
 つたがな、これがきちなら眞實ほんたうにもしたらうが、主公とのさまほどのおかただから、てんづけ、おうけとりはなさらねえのよ。」
うよ、うよ、そんなものよ。」

「おらは、それ、能見堂のうけんだうてまへの、さか途中とちうで、山獵やまがりにござつた主公とのさまのお姿すがたたゞがな。もつとときだれだかもわかんねえ、すゝきなか影武者かげむしやだね。」
「うむ、うよ。」
姿すがたかりのそれだしよ、鐡砲てつぱう銃口つゝさきさ、あのとほり、竿さをうるしひかるやうにつきうつらあ、おらあ、ぐツとつよくなつた。
 それに親仁おぢい坂道さかみちならんだところは、先刻さつきとほり、華奢きやしやな、かよわい婦人をんなだからな、おな取組とつくむにもまつと、すゝきだよ。
 おまけに、鐡砲てつぱうもありや、ひともあるとおもつたから、くわつとなつて、突然いきなりめえ
 (こんけだものア、) と武者むしやぶりついた。」
 と、ぐツと力手ちからでばしたので、親仁おやぢ退すさつて、あしんだ。

「ふむ/\、」
「ひやりとさはつたのはきものでな、するりと、すべつたとおもふと、わけもなくはした。
 おらつんのめつて、むツくりおきると、
 (あゝれ、)
 ツておめえ何處どこしや、あんな可愛かはいらしい、しをらしい、なさけらしい、あはれつぽいこゑるかとおもふ。」

「ふむ、/\、ふむ。」





十四


繊弱かよわい、ほそい、悲鳴ひめいげて、綺麗きれいとりがそれたやうに、月夜つきよをはら/\として、うぬからおめえ鐡砲てつぱうしたんで、狩武者かりむしやそでへかくれたゞなあ。」
「はての、」
「おら、はあ、呆氣あつけられて、しばらくちうにぶらさがつてたツけよ。
 其奴そいつは、とはうとおもつて、身構みがまへして、さかを、十足とあしばかりあがるとな。」
 
 すゝきなかかげわかれて、すツくとつた狩装束かりしやうぞく。ーー
 ふか/\と煙立けむりたつて、さわやかにつゆはらふ、むらさき煙濃けむりこく、ふと葉卷はまきをくゆらしながら、悠然いうぜんとしてきたむかへた、廣額くわうがく疎髯そぜん鼻隆はなたかまゆせまつて、へうまなこ老紳士らうしんしこれなむがう槐庵くわいあんしようして、湘南しやうなんみやこけた、いま在野ざいやらう政治家せいぢか・・・・・何其なにがしこうであつた。

 (なんぢや、おとか。)
 (ひやあ、主公とのさま。)
 おらをて、いきなりだ。
 (いたづらをするな、) とばかりで、呵々から/\と、はあ、しかりつけるやうにわらはつしやつたらうでねえか。
 とんと、おらが手籠てごめにして、なぐさみかけでもしたやうによ。
 なんでも魔物まものめい、んねえけりやなんねえ義理ぎりがあつて、一里塚いちりづかえのきえだ扱帶しごきをかけてすがつたけれども、石佛いしぼとけさまが五たいそろつてつきあかりでてござるで、後髮うしろがみかれるやうで、れねえし、なねばならず、しく/\いてところへ、おらがとほりかゝつて、無理むりやりにたすけてれて、婦人をんな一人ひとりぢや夜道よみちあぶない、かく一緒いつしよう、わゐいやうにはしねえからつて、れだゝせて、道々みち/\それをおんにして、いろ/\いやなことつたけれど、なうとおもふほどのものが、うしてそんな、野道のみちいたらしいこと出來できよう。
 かぶりばツかりるもんだで、たうとう彼處あすこて、おそろしいことを。あのをとこはいたづらにくらんで、お姿すがたわからん樣子やうす、おかけまをしてすがるだで、たすけて/\とつたものよ。・・・・・畜生ちくしやう現在いまのまに、無理むりのねえところつてたぶらかさあ。

 (どうぢや、婦人をんなういふぞ、) ツて主公とのさまは、それにしてしまはつせる。

 とんでもないことをおつしやらあ、じつはこれ/\でと、さかなはらのことを低聲こごゑでいひ/\、露顯ろけんおよんで、きやツとつておらが咽喉のどへでもかぶりつきはしめえかと、がさすからな、すこはなれた婦人をんなはうを、一寸々々ちよい/\たがな。
 別嬪べつぴんがよ。も/\身體からだして主公とのさまにすがつた、とふうでな、いまのおひざたふんだまゝ、いばらながすそいて、襦袢じゆばんえりけたなり、よこずわりに、尾花をばなえるやうに片膝かたひざついてよ。ふるへながら、しきりとう、おもはせぶりなやさしいつきで、おもいやうにかみでつけてるではねえか。

 主公とのさまは姿すがたと、おらがかほとを見較みくらいべさしけえ。
 (なにさかなきも彼女あれになつた、馬鹿ばかいへ、野郎やらう、) ツて眞個ほんとうにふきさしつけえ。
 くはへてござらしつた、葉卷はまきがの、けむつたまゝで、ばさりとちたで。
 おら、あわててひろつてつた。」
 と煙草たばこはさんだゆびのかまへ、音吉おときちはなさきゆびほん丁寧ていねいゑてかしてせる。

 七親仁おやぢは、きよとんとして、つまゝれがほ
なんだ、それは、」
「一ぽんりやういてら。勿體もつたいねえ、とて突合つきあはせ詮議ぎんみをされたところで、おらが公事くじちさうにもねえだから、せめて、葉卷はまきでとヤケにてな。」
「しみツたれな眞似まねをすらえ。」
「うむ、主公とのさまもはしつけえ。

 (おと、そんなことをする了簡れうけんぢや、いたづらもかねんぞ、さつさとはたらけ。煙草たばこをやるからかへつたらまたいよ。)
 とばかりで、ぽかり、とくつおとさして、婦人をんなそばかつしたが。

 おら、此方側こつちがはをな、荷物にもつかついで、こそ/\と尾花をばなずれにとほけた。なんだか、お邪魔じやまでもするやうでよ。
 そのかはり、たうげのぼつて、おもさま葉卷はまきをふかした。馬鹿ばか加減かげんかつせえ。」





十五


 七親仁おやぢ分別ふんべつがほして、かぶつた夜着よぎをかなぐりいだ。もつとはなしのなかばから、おほ方丈はうぢやう拔衣紋ぬきえもんに、背中せなかけてたのである。
おと、おら、此處こゝいたでうたがはねえだが、その山路やまみちでやられては、主公とのさまでねえとつて、たれがおめえげい、へい。たゞごとでねえな、おと。」
「むゝ、うしいべいとおもふだね。」
ちろ/\、つきおなじ一週忌しうきだ。はあ、何事なにごと年忌々々ねんき/\よ、のお月樣つきさま工合ぐあひでは、」
 と禿げたひたひてらされて、霜置しもおまゆしかめながら、
時刻じこく彼是かれこれときだつペい。う、またしん/\とけるだに、川邊かはべのおちん主公とのさまと二人切ふたりつきりだ。ちよつくらしのんでつていべい。
 なにかゞあるべいさ。つてべい。」
「これからか。」
「おゝよ。」
ぐにな、」
 と、音吉おときちおこしたが、ざわ/\と、あしかぜおほきに逡巡たじろく。

うぬ發頭人ほつとうにんて、なんざまだ、さあ、うよ。」
「だつて、おめえ、だつておめえむかぎしからのぞけばだが、つきあかりではとゞくめえ。よる夜中よなか何處どこからおねやえるもんか。」
其處そこはよ、天道てんだうさまおあつらへだ、ながらつきえるかけよ、おえん雨戸あまど硝子張がらすばりだ。」
 
 石燈籠いしどうろうがあるばかり。かくるゝくまはなかつたが、一めんしば跫音あしおとたず、ぬきあし影法師かげぼふしと、さしあしの四にんづれ、かげ蹈倒ふみたふして一人ひとりづゝ、くろ雨戸あまどつかまつた、なかなる障子しやうじ硝子越がらすごし
 呼吸いきめて、差覗さしのぞくと、たんぽのかをりこもる、蘭奢らんじや立迷たちまよふ、ともしびはたゞはるみづに、つきやゝながおもむきにて、朧々おぼろ/\しいとえんなるに、厚衾あつぶすま敷設ましきもうつけた、金欄きんらん雲高くもたかなかに、むねしたまで掻卷かいまきかけて、まくらしたひぢかけまど主公との片肱かたひぢかけなが細目ほそめけたるまどそとへ、白銀しろがねさをにしつゝ、轉寢うたゝねをしたまふらむ、せきとして、身動みうごきせず。

 る、此方こなたゆきなす頚脚えりあしひたてのつやゝかに、ゑたかと差俯向さしうつむいた。こし扱帶しごき薄紫うすむらさきかすみなびいてそらに、主公とのしとねにすらりとかるう、なかつかゝるやうにした、美女たをやめ後姿うしろすがた

 二人ふたりかほ見合みあはせて、ひツたりと差覗さしのぞく。美女たをやめくて主公とのあしを、やはらかにさすまゐらせつゝあつたのである。
 やがて、するりといて、すらりと障子しやうじかげつた。が、黒髪くろかみいろめて、天井てんじやうたかく、くらく、すごいやうにえたのは、おも二人ふたりまよひであらう。

 ときにはら/\ときぬおとつまはこびにちらめくは、ゆきつゝんだ未開紅みかいこう
 ちら/\としとねはらつて、主公との踏延ふみのばした、爪尖つまさきのあたりへうつつたとききつ艶麗あでやか横顔よこがほで、まくらかた流眄しりめけた・・・・・やうであつた。
 掻卷かいまきすそやはらかに、ふツくりとまはつてむかがは今度こんど主公とのみぎあしを。
 片膝かたひざついてしとねにかけると、ひら/\とほのほえた。

 二人ふたりつらあつかつたが、いなとよ、こぼれた緋縮緬ひぢりめん、やがて白脛しらはぎつめたえた。
 こと差向さしむか風情ふぜいして、そろへてさした白魚しらをゆび左右さいうひらいてしとやかに、つものやさしく、また掻擦かいさすりはじめたとき月影つきかげ彼處かしこくよとする、顔清かんばせきよげて、ながるゝやうなひとみ此方こなたへ、まゆひらいて莞爾につこりして、ぐにもとの、ふツくりとある伏目ふしめになつた。が、その途端とたんに、二人ふたり天窓あたまから慄然ぞつとした、おとごときはげようとして、やつととゞまつた。
 (いゝだ、おとなしくておいで、皆承知みんなしようちだよ、)
 とふやうにえたのである。

 さて、今更いまさら退くにも退かれず、こほつてしまへ、と立窘たちすくむ。
 しばらくして、またひら/\とほのほからんだ。
 吃驚びつくりすると、美女たをやめ袖口そでくちから、主公との掻卷かいまきそでうつつて、めてくやうにあがる。
 あゝ、ひざからもくれなゐが、すそからもながるゝほのほ
 此方こつちそばから、すそをまはつて、むかうにはこんだ歩行あゆみのあと、いかに、いつもはなたず、にも人目ひとめにもつまでの、緋縮緬ひぢりめん襦袢じゆばんとはいへ、かげたゝみあをきにうつつて、友禪いうぜんぞめのはなかはおもかげにこそつたりけれ。其處そこ彼處かしこまがふべうなき、一面いちめんほのほとなつて、けむりむら/\と立蔽たちおほふに、燈火ともしびくらくなつて、なかにも一すぢごときが、はしらいて、をだまきをかけてひらめいた。

火事くわじだアい。」ーー「火事くわじだ、火事くわじだ。」ー-
 わめくもたゝくもほとん同時どうじに、おとしちツのこぶし雨戸あまどゆすつて、いまけむりはかゝらぬ廊下らうかへ、月影つきかげとゝもにをどんだ。
 小力こぢからのある音吉おときちは、ゆめのやうなあつんで、二三ケしよ火傷やけどをしながら、無言むごん主公とのびついた。

てんあみだツ。」
 天井てんじやう破鐘われがねごゑ七親仁しちおやぢ半狂亂はんきやうらんで、仔細しさいあつてしづくらず、先刻さきから引提ひつさげて立忍たちしのんで、はからずもわれうまて、あみつにめうつ、わかをりに、寒月かんげつはだかなみさばいたも、いまときようぞとばかり。

 すツくとつた美女たをやめの、ほのほなか俤白おもかげしろき、黒髪くろかみかけて天井てんじやう一杯いつぱいさつと、あみげたる手練しゆれん
 あみほのほそまつたのを、一て、んでた。庭前にはさきはやあめくゞけ/\、
主公とのさま! 主公とのさま!」

此處こゝだよう、此處こゝだよう、」
 ととほくでぶ、音吉おときちこゑるべに、へい表通おもてどほり、むかがは田圃たんぼまへなる、ちひさな煙草屋たばこや垣根かきねところに、音吉おときちは、主公との附添つきそつて、にらんでたのである。

「おゝ、主公とのさま。」
 と七親仁おやぢは、たゞくる/\とまはつたが、
おとたのんだぞ、」
 とひすてて、はすツかけにまたへいうちんだ。
 やしきうちしんとして、かへつてもんそとに五六にん、わや/\さわひとかげ

 しもよそほ大空おほぞらえて、ほのほいろ薄紅梅うすこうばい火花ひばなほしなか燦然さんぜんとして、え、び、けむりうづいて立騰たちのぼれど、たちま河水かはみづにかすれきて、はままつ夜影よかげつゝまず、櫻山さくらやま頂刈いたゞきかる、利鎌とがまつきてあれば、さわぎぞ、人々ひと/゛\われかくてあらむほどは、たとひ二十日はつかかげなりとて、かばかりのけむりに、月夜つきよにやはくまあらせむ、とひややかに差覗さしのぞける風情ふぜいなり。

 遠近をちこちなはて畦道あぜみち川上かはかみはしうへかけて、提灯ちやうちんかずちら/\と、灯連ともしつれてあらはれた。が、かゝ田舎ゐなかのことなれば、きつね嫁入よめいりふものめく。
 親仁おやぢ主公とのつゑさゝげて、引返ひきかへしてときは、かはのぞんだ一水亭すゐてい母家おもや渡殿わたどのなかばでやけとまつて、おやしきは二かいひと無事ぶじとの報知しらせ

「おちんは、ほねばかりのになつて、はしら鴨居かもゐも、まるでしゆいたものゝやうだ。おとつてべい、御免ごめんかうむつて、」
 と、さそつたには仔細しさいがある。あみせた美女たをやめ亡體なきがらで。
 主公とのなんとなく、だまつてうなづきたまひつゝ、つゑ片手かたてに、片手かたて柴垣しばがきうへにかけて、音吉おときちはなたまへば、いさんで、二人ふたりしてまた駈出かけだした。

 塀際へいぎは差置さしおいた、消防ひけし梯子はしごながさげんばかりなのに、ほせたやうにをかけて、
つていべいか、」
つていべい。」
 かほ見合みあはせてうなづひ、ずる/\と引摺ひきずつて、諸共もろとも取直とりなほした、片端かたはし兩人ふたり
 なゝめたて持直もちなほして、
「ありや、」
「やア、」
 と、きほひの懸聲かけごゑ

 燃殘もえのこつてつた、はしらかべともいはず、鴨居かもゐはず、かはけてめつたき。
 いつると、もうつかれて、
「やあ、ほう、」
「どツこいしよ、」
 としたに、はしら鴨居かもゐゆかの、ひぢかけまどによつた片隅かたすみ上下うへしたにかさなりあひ、ぐら/\とれて水入ざぶんみづ

 の粉
ぱつえて、あふりにひら/\とえながら、かはおもてくだけたが、ほのほあふりかぜおこして、引汐ひきしほどきながちず、さかさ川上かはかみへゆら/\と二三間にさんげん暁方あけがたしほのみち/\てあふるゝばかりのなみれて、ゆらりとやまのぼるやう。

 ほのほまが緋縮緬ひぢりめんればゆる鴨居かもゐすそに、扱帶しごきいろもありのまゝ、從容しようようとして、川浪かはなみたちあらはれた美女たをやめ一本ひともとはしら火先ほさきかひなをからませながら、しろやかに掻取かいとつて、なゝめにかいあやつりつゝ、二人ふたりまたあからさまに莞爾につこりした。
 それもこれもさだまるうんの、主公とのほふらむとしてあやまちし本意ほいなさよ。さらば、とふが・・・・・ひとみ宿やどつた。

 あれ/\とばかりに、二人ふたりほのほふねうてかはぞひに、やがて主公とのの、ましまかた
主公とのさま。」
「あれ/\。」
! たすけんか。」
 とおほするほどに、やまはらこだまして、中空なかぞらわたおとかぜかあらぬか、いはなみが、タトタトタトタトタトとつちきざむできこえたが、眞近まぢかになつてハタととめむと、一個いつこ黒影こくえいつきしたあらはれて、身動みうごきをしたとおもふや、さつかぜごとけてて、あふつて、主公との薙倒なぎたふさうとしてあやふとまつた。

あぶない!」
だれだ、」
 と、しちおとわれわすれて夢中むちう怒鳴どなつた。
槐庵くわいあん々々/\! 槐庵くわいあん!」
 
 かららかに侯爵こうしやくがうんで、まへつゝつたは、白銀しろがねかぶとに、同一おなじ白銀しろがね大鎧おほよろひ、ざつくとた、たけ拔群ばつぐん神將しんしやうゐん
 征矢そや一筋ひとすぢ半弓はんきう脇挟わきばさんで、しゆごとまなこみひらき、藍碧らんぺきおもていかりふくんで、
御身おんみ人爵じんしやくえいて、のためにこうあるが、天職てんしよくわすれたり。よ、あの婦人をんな。」
 とよろひそで水晶すゐしやうけづおとして、かはおもてみかへつたときーー美女たをやめりかへて、はしらきつ小楯こだてつた。

「あの、夜叉やしや足下そくかほろぶるやう、てんおいおきてしたるに、足下そくか怠慢たいまんふたゝうみはなをはんぬ。わざはひ又是またこれよりして幾何いくばくぞ。あれ、よ、いまいつすな、つとめずや、槐庵くわいあん。」
 とてゆみへてあたふるを、らう政治せいぢわれわすれて、をのゝきながらつて、川面かはづらきもあへず、あはれちからなくあしなえて、はたつちうへたふれたのである。

 火事くわじのなごりの薄煙うすけむりみづあかりにさつなびいて、ほのほかいも、ふねも、東雲しのゝめそらまぎるゝ兜鎧かぶとよろひいろわかれて、おきへさして引潮ひきしほどき
 鼻唄はなうたまじりのポンプのおとあかつきなみちはじめた。




           【完】








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