さよなら/後篇





この竹やぶからすぐ近く、田んぼの向こうにある村で反逆者が出た。 平穏にしようとする村長と激しく対立を起こした末、平和な村を武力で壊して行った。 一人の男から始まったそれはやがて群衆となり、次第には村を滅ぼすほどの大勢力となった。
そんな村に、那波は住んで居た。


一人逃げ遅れた那波が家から出ると、そこは既に火の海だった。 歩くのすらやっとの状態で、煙が隙あらば口の中に入ってくる。 那波は服の袖を切るとそれで口を押さえ、村の外へと行こうとした。 村の入り口に行けば、誰か居ると思ったのである。

だが何とか辿り着いた村の入り口に来ても、そこには誰も居なかった。 不安になった那波が、もう一回村に入ろうとした時だった。



「那波!」
「お兄ちゃん!」
那波の兄、那沖なおきが慌てて駆け寄り那波を抱きしめる。 兄と云っても年子だから、ほとんど友人と云っても良いぐらい仲が良かった。


「良かった、家に戻ったら居なかったから。慌てて探してたんだ」
「あたしは大丈夫だけど、みんなは……?」
村民の姿は見当たらない。もう村を離れてしまったのだろうか、無事に逃げられたのだろうか。 不安になる那波に、那沖は説明は後だと云い、妹を村の外へと促した。
「俺はまだ用があるから、先に逃げてろ」
「なんで? お兄ちゃんも一緒に……」
「那波」
一人で行こうとしない那波を、兄の顔になって那沖は窘める。こう云う顔をする時、 那沖は一人前の兄なのだ、と実感し、どうしても逆らえなくなってしまう。
「とにかく、早く逃げて。村を出て、田んぼの向こうの竹やぶで待ってろよ」
「でも……」
「あそこで待ってろ」
那沖は真剣だった。そこまで云われてはダダをこねるわけにいかない。 火はすぐそこまで迫っているし、煙も大量に吸っている。二人で突っ立って居ても仕方がない。 那波が黙ったのを了解と理解したのか、那沖はまた口を開いた。
「じゃあ、あそこで会おう」
「……わかった、待ってる。気をつけて、後でね」
「ああ、後でな」
それだけ云うと、那沖は那波に見送られ火の海へと向かって行った。 那波は後を追おうとしたが、そんなことして怒られるのはわかっている。 兄に怒られるのだけは嫌だ、大人しく村を出て、約束の場所へと向かった。



那沖と約束した場所に辿り着いて何分かしてから、何所かで見たことのある顔が近付いて来た。 墨で黒くなってしまっているから最初は誰だかわからなかったが、声を上げられてようやくわかった。
「那波ちゃん、こんな所に居たのか!」
そう云って近付いて来たのは、那波の家の隣人だった。
「みんな、どうしたの、大丈夫なの?」
「もしかして知らないのかい? 云い難いことだけど、君のお兄ちゃんは……死んだよ」
「お兄ちゃんが?!」
さっき別れたばかりなのに、信じられなかった。だが火の海と化した村に飛び込んで行ったのだ。 助かるかどうかなど、那波にはわかったことではない。 ただ今するべきことは、今すぐ村に戻らなければならないと云うこと。 目を背けてはいけない、現実だろうと嘘だろうと、この目で確かめなければ気が済まない。


「あたし、村に戻らなくちゃ……!」
「……その必要はないよ、那波ちゃん」
「え……?!」
目の前には、ナイフを片手に持った隣人が居た。



・・・・・



那波の記憶はそこで途切れている。 界に話したことで、那波はようやく落ち着きを取り戻したようだ。 まだ目は赤いが涙は止まり、しゃくり上げることもなくなった。


「……やっぱり生きてた、さっきの、お兄ちゃんだった。あたし、待ってた。約束、したから」
那波は言葉に詰まりながら、独り言のように漏らしたが、界はさっきから黙り込んで居る。

そんな界の様子が変に感じられたのか、那波は界の顔を覗き込んだ。
「どうしたの……?」
「……おまえさん、もう大丈夫だろう」
界はそう云ったが、那波は何が大丈夫なのかさっぱりわかっていないようだ。 当然だろう、だいたいの人が、そういう顔をする。そして界は、そういう魂を何人と見て来た。




「どういう、こと?」
「おまえさんの兄貴は、おまえさんに花を与えたろう。まあ、供物というやつだがな」
そう云って、那波の隣に置いてある花束を差した。那波は隣に置いてある菊の花を見つめるが、 手を伸ばそうとはしなかった。どうせ透けてしまうと思っているのだろう。
「おまえさんは、兄貴と話したかったわけじゃないだろう」
那波は首を傾げて界を見る。
「おまえさんは、兄貴の生きている姿を見たかった。 兄貴が死んだということが、事実なのかどうか確かめられずに死んでしまったから。それだけのことだ」
界は笑いながら那波に云った。


「花に触ってごらん」
界は促したが、那波は首を横に振った。
「嫌……」
「良いから、持つんだ」
界に強く云われ、那波はしぶしぶ手を菊に伸ばす。 それはやはり少し怖かったらしく、手が少し震えていた。




目を強く瞑りながら、手を伸ばし菊の花に触れてようとする那波。 手が菊の花に触れると、感触がしたのか、彼女は大きく目を見開いた。 手をゆっくりと広げて花を掴んで持って見ると、花は簡単に持ち上がった。




「持てた……」
「兄貴と会って、自分の存在に気付いたからだ。自分はここに居るべきじゃないってわかったから。 供物が取れたってことは、自分を死人と認められた。そう云うことだ」
那波はしばらくその場に突っ立ってぼんやりしていたが、気がつけば目からは涙が流れている。 兄と話したいと思っていたことは事実だろうが、兄が生きていればそれで那波は良かったのだ。 自分の身に降りかかったさまざまなことを思い出し、悲しみや嬉しさが混じって出た涙だと思う。



また一人、界は迷っている霊を送り出す。

すると突然、菊の花を持っていた手がふと消えかかった。界が那波の足下を見ると、 膝から下はすでに消えていた。困惑した顔で界を見る那波に、彼は苦笑して答えた。
「この世に、別れることができたな」
「……あたし、消えるんだ」
「消えることは名誉なことだ。また、新たな生命に生まれ変わる。そして今度は、なんにでも触れる」
「そっか……」
那波は菊の花をぎゅっと握りしめる。まるでそれが、生き返られる証であるかのように、力強く。




一度は田んぼの向こうを見た那波だったが、何かに気付いたようにふと界を見て、 それから少し申し訳なさそうな、小さな声でそっと尋ねて来る。
「貴方は、まだなの……?」
「云っただろう。わしはこの世を離れることはできんのだ。 わしには、別れを告げるものが何も残っていないのだ」
気付いた時には遅かった、と界は付け足した。 それはさっきも云った。自分自身には何百回と云い聞かせたことだった。 会ったばかりの頃の那波のように、死んだことが認めれなくて、 認められないうちに生きていた時の人は全員死んであの世に逝ってしまった。
思い出す顔はあるものの、それは今、この世には存在しない。今のこの世に、未練がない。


那波は突然、菊の花を一本花束から抜き界の前へと差し出した。
「……御供物、あげる」
界は目を見開いて那波を見る。この花を受け取ればもしかしたら、 あの世に逝くことができるかもしれない。新たな魂となり、この世に存在することができるかもしれない。 ふいにそんな考えが頭を過ったが、界は笑いながら首を横に振った。




「その気持ちはありがたいが、わしは、ここに居るべき霊なのかもしれん。 この先もおまえさんのように迷える霊が来るかもしれんからな。──さあ、おまえさんは行くんだ」
那波は少し戸惑ったようだが、また菊の花を束に戻し頷いた。



「楽しかった、ありがとう……」
最後に笑顔と言葉を残し、少女は消えて逝った。



また、新たな魂として生まれ変わるために。



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