さよなら/前篇





「じゃあ、あそこで会おう」
「……わかった、待ってる。気をつけて、後でね」
「ああ、後でな」
そう云って、彼は笑った。



・・・・・



「お嬢さん、お嬢さん。そこで何してんだい?」
見慣れない少女が居たので、思わず声をかける。別に怪しいもんじゃあないよ、と男は続けておく。 ここにどれくらい居るのかは忘れたが、ここには誰よりも長く居座っているのは確かだ。
ここには人なんて寄って来たことはなかった。 いや、人じゃなくても寄ってくる者など居なかった。 田舎道の無気味な竹やぶの近くなんて、気味悪がって誰も近付かないのが当たり前だ。

だから男はいつも一人だった。だが今日は、一人の少女がそこに居る。
そこにずっと住み続けている男ならば、聞かずには居られないだろう。



少女は首を十五度ほど右に向けるが、完全に男の方を振り返ろうとしない。
「お嬢さん?」
「貴方……誰?」
少女の声は冷たかった。 気楽な考えしか持ち合わせていない男は、少し戸惑ったもののそのまま答える。
「わしか? わしはな、ここに住んでる かいと云うもんだ。お前さんは?」
「……那波ななみ
「良い名前だな。して、おまえさん、なぜここに居る?」
「目が覚めたらここに居たの。どうしてかは、わからない」
少女、那波の云うことが本当だと云うことはわかったが、 彼女自身が自分のことを理解している雰囲気ではなさそうだ。





「おまえさん、死人か?」
もともと回りくどいのは苦手である。 界は躊躇うことなく真っ向から聞いてみると、那波はようやく彼のほうに向き直った。 少し戸惑っているようにも見えるものの、あくまでも冷静な顔つきだ。
「あたし……死んだの?」
そうして自分の手を目の前に持って来て、しげしげと眺めていた。 しばらくして立ち上がると竹やぶに近付き、そっと触れてみる。 那波はそれを見てがっくりと項垂れた。手は竹を通り抜け、すかすかと宙を掴んでいる。


「貴方も、死人なの?」
「……ああ、わしが死んだのがいつだったかなんて忘れたけどな。もう何千年も前のことだ」
那波は少し混乱気味だと云っても良いだろう。何回も竹を掴もうと必死に挑戦している。

「止めた方が良い、虚しくなるだけだ」
界は悲しそうな目つきでそう云い、那波を止めた。そういう輩をずっと見て来ているが故の言葉だ。 那波は大人しく竹やぶから離れ、目の前に広がる田んぼを見ていた。




「貴方、ずっとここに居るの?」
ふと那波が、田んぼから目を離さずに界に振った。 田んぼと云うよりは、その景色全体を見ているようにも見えた。
「そうだな、ずっと居る。霊ですらここを気味悪がって近付かんが、わしは気に入っているから」
「それなら、誰か人を見なかった?」
那波が急に界に近寄って来た。その目つきは真剣そのものだ。
「人なあ、この通りはあんま通んねえが……。 おお、この間そこらの村で裏切り者が出てな。その一団は通ったが、特に不自然なところはなかったぞ」
「その中に、あたしと同じぐらいの男の人居なかった?」
界は懸命に問い詰められ懸命に記憶を振り絞るが、 ほとんどが歳をとった年輩の連中ばかりだったこと思い出した。界は溜め息と共に、首を静かに横に振った。





那波は今にも泣きそうな顔をしていたけれど、本当に涙は流さなかった。 それだけ聞くと界から離れ、また田んぼへと向き直る。
「何、深く訊くつもりはないが、友だちか?」
「……貴方には、関係ないでしょう」
それから那波はしばらく話そうとしなかった。



・・・・・



界は生きて居た頃、確かお節介だと云われたことがあった気がした。 その度に違うと否定していたが、それでも那波が気になったから、やはりお節介なのかもしれない。 一体、彼女はどうしてここに居るのだろうか。死んだことを簡単に自覚している辺り、 何かしら思うところはあるのだろうが、こんなにも冷静な少女は初めてだ。

「おまえさん、自分が死んだ時のことも覚えてないのか」
「死んだんだ、あたし。本当に……」
まだ実感が湧いていなかったのか、那波はぼそりと呟いた。 確かに界も、最初はこんなだったかもしれない。だが那波のように思い出せない人は珍しかった。 死んだと云われれば、みんなその時のことを思い出すからだ。
那波は、そこだけ記憶が抜けているのか、それとも死んだと云うことが許せないのか。

「おまえさんの気持ちはわかるがな、いつまでもそうしてるわけにはいかんな」
「……何が?」
「あらゆる生きているものに、別れを告げなくてはな」
別れを告げる、それがどんなことなのか那波にはよくわからないらしい。 顔を少し顰めるて界を見るので、界は苦笑するしかなかった。
「まあ、簡単に云えば、成仏するためには悔いを残さないようにしなければならないからな。 おまえさんが霊としてこの世に戻って来たと云うことは、この世に悔いが残っているからだろう?」
那波は図星を突かれてか、少し肩を振るわせていた。そしてやはり、表情は顔が堅いままだ。

「あたしは、成仏なんてしたくない。あたしはまだここに居たいんだから……」
小さな声だが、界の耳にはっきりと届いた。 しかし、界にはわかっている。霊は成仏しなければならない。 出なければたまに見えてしまうことがあり、人間を怖がらせる要因となるのだ。

「ここに居たいと云う気持ちはわかるが……」
「わかるわけない!」
急に那波が声を張り上げた。 その声は怒りに震えていたが、きちんと那波の声を聞いたのは初めてだった。



「わかったふうな口を聞かないで。貴方なんかにあたしの気持ちがわかってたまるものか!」
那波はそれだけ云うと、また田んぼの方へと行ってしまった。とても声をかけられる雰囲気ではない。
那波の大声は怒りの声に聞こえた。だが改めて考えれば、 わかっているがそのことを認められない、悲痛な嘆きにも聞こえた。



・・・・・



しばらく那波は放って置いた。 界は竹やぶの近くに居るため、那波の姿はちょうど死角になっていて見えなかった。 那波の様子は確かに気になったものの、今は放って置く他ない。余計に刺激して地縛霊になられても困る。 ここは界の、唯一の居場所だ。呪われるなんて面倒くさいことをされても困る。
そのうち、理解する日が来るだろう。ここに居ても、辛いことばかりなのだから。



「……いちゃん!」
物思いにふけていると、突如那波の叫び声が響いた。あの小さな少女の声とは思えないほど、 力のこもった大きな叫びだ。竹やぶから離れ那波の居る方を見ると、そこには一人の少年が立っていた。 花束を片手に持っている。那波は一生懸命、その少年に向かって叫んでいたが、少年は気付くはずもない。 那並が竹が掴めない死人だが、少年は花束を持てる生きている人間なのだ。死人の声も届きはしない。



「ねえ、気付いて。あたし、ここに居るよ!」
那波はそれでも一生懸命に叫び続けた。聞こえないことなどわかっているがどうにか気付いてほしい。 だがそんな那波の気持ちが伝わることもなく、少年は那波の横に持っていた花束を置くと、 長らく手を合わせてから、田んぼの向こうへと去って行った。


「待って行かないで! あたし、待ってるって云ったのに……!」
那波は手を伸ばしたが、少年には届かず彼の姿はどんどんと見えなくなる
「ど……して……、気付いて……!」
那波は膝を抱えて泣きじゃくっていた。そんな様子を見ても、界は何もすることができなかった。 理解する日が、早すぎてしまったように見えた。界はこれでも、ここに長らく居続けている。 だからこそ死んだばかりの人間が混乱しつつも納得する様子を、今までも見て来ていた。 怒りのあまり怒鳴られることもあったし、さめざめと泣かれることもあったが、 時間が経って行きこの触れられない世界に納得して、笑顔で別れられる状態ができあがる。
この世に居ても、悲しいだけだと理解するのだ。




「……この世に居ても、誰も気付いてはくれないんだ」
界はゆっくりと那波に近付いた。 那波は泣きじゃくっていて話を聞いてくれそうになかったが、仕舞いには顔を上げてくれた。
「わしも、気付いてもらえなかった。わしはもう、この世に別れを告げることができなくなった。 何せわしには、別れを云うものがないからだ」
少しは落ち着いたらしい那波は、真っ赤な目をして界を見ている。 まだ少女と云ってもおかしくはない、界から見たら娘とも云える年齢だろう。 そんな子どもが死んでしまうこの世界はいつまで経っても変わらない。 だが死んでしまった彼らに何かしてあげられるのは、自分だけだ。 界は那波の横に座ると、残酷とも云える言葉を吐いた。
「この世に居るべきじゃないって、わかっただろう?」
那波は声を出そうとしなかった。本当は認めたくないだけで、本当は理解している。 それが何千年も前の自分とかぶって見えて、界は気持ちが落ち着かなかった。





「あたし……待ってるって約束したの……」
那波がか細い声を出した。その声は掠れていたが言葉は聞こえたから問題はなかった。 界は那波の頭に優しく手を置くと、彼女の話を促してやる。拒否されることも想定していたが、 案に反してそういうこともなく、那波はぽつりぽつりと話し始めた。



小説 / 後篇へ



2style.net