紅の妙薬/後篇





「君が必要なんだ」
それは誰でも云われたら嬉しい言葉だ。
そう思っていたが、この時の私は素直に嬉しいと思うことができなかった。
「君を殺させてくれ」
「君の血を、命をもらいたい」
でもそんなことを云われたら、誰でも混乱して良いものなのかもしれない。 確かに昨日の会話にも似たような話題があったかもしれない。

──メイア、死にたいのかい?
──僕らが君を殺すからだ。
あれはてっきり少しでも私の血を吸わせてしまったら、抑えが利かなくなって、 全部吸ってしまうからと云うことだと思っていた。私を殺してはいけないから、殺したくないから。





「混乱しているね」
私が何も云えず呆然としていると、ユーダは微苦笑して云った。 これに対しても私は何とも返すことができなかった。
「説明しようか」
黙り込んでいる私を差し置いて、ユーダは語り始めた。

「僕ら吸血鬼にかけられた魔女の呪いは知っているよね?」
私は話が少しだけ逸れたおかげためか時間が経ったためか、わからないがようやく頷くことができた。
「君の母上がかけた呪いだ。僕らは随分とこの呪いに悩まされていたよ。 僕らは残った魔法使いの持ち物から魔法についていろいろ学んださ。 そこでわかったのはこの呪いを解けるのが、呪いをかけたものの血族である君だけだと云うこと。 つまりメイア、君の血で僕らは蘇ることができる」
まるで人事のように淡々と話すユーダの顔は無表情で、 どう云った気持ちで話しているのかわからなかった。 私はと云えばただぽかんとした間抜け面で、ユーダを見つめて話を聞くしかない。
「そして血を吸うのは族長の血族であるとされる」
「血族……」
「そう、つまり僕だよ」
「──え?」
私が間抜けな声を出したと同時に、入り口の扉が開かれ、闇が入って来た。 そう、漆黒の闇に包まれている、あのマスターだ。
「決まったみたいだな、ユーダ」
昨日ここからの帰り道に聞いたあの時の声だった。 とても恐ろしくて怖くて、逃げ出したくなるような冷ややかな声。
「父上」
そんな声に怖じ気もせずにユーダは呼んだ。そう、マスターを「父上」と呼んだ。 私には混乱している所為かすぐに状況が呑み込めず、じっと二人を見つめるだけだった。
「決まったみたいだな、ユーダ」
「一族の為です、そう決めました」
「まだ終わっていないのか」
「ええ、残念ながら」
「簡単に済ませなさい、そろそろ限界が来ている」
「はい、父上」
それだけの会話を済ませると、マスターは私に興味などないと云うように、外へと出てしまった。 混乱した顔を向ける私に、ユーダは苦笑しながら云った。
「マスター基ギガルス・ヴァリカル、僕の父親さ」
ユーダがマスターの息子なんて話は、この時初めて知った。 マスターと云うものは普段まったく出て来ることはなく、声はナルーが代弁する。 族の中でも彼の顔や親族を知る者は、一握りしか居ないのではないだろうか。
「僕がメイアを助けたのは本当に偶然の出来事だったけれど、君を助けてから父上は考えたんだ。 育てて血を多くしようと。そして僕が、メイアの血をすべて吸わなければならない。 そうすることで、この呪いは解かれるんだ」
「──そのために、私をこの日までここに置いてくれたの?」
久しぶりに出る声はとても震えていたように思う。


「そうだよ、すべては父上の作戦通り」

ユーダが冷ややかな声で云ったその言葉に、私は倒れてしまいそうになった。 ユーダはいつでも優しくてピアノの音色でわたしを救ってくれた。 あのユーダに云われたことが、ショックだった。嘘でも良いから、否定して欲しかった。 否定している間に死んでしまったほうが、まだ楽と云えた。 しかし身体の中で誰かが倒れるなと云っている。倒れたら本当に殺される。

憎い吸血鬼一族に。

これはきっと、私が魔女であると云う本能だ。

「君の母上がやったことをすべて教えてあげようか」
私が必死に堪えていると、ユーダがふいに云った。
「ナスラさんがやったことは、すべて吸血鬼と魔法使いを決別させるための行為だった。 罵詈荘厳を受けては兄を妬み、その結果があの戦争だ。 あの戦争で何人もの魔法使いや吸血鬼が死に、そして仕舞いにはこの呪い」
「ちょっと待って。兄って何のこと?」
「ああ、知らないか。随分前の話になるけれど、知っているかな。吸血鬼と魔女の子ども」
それはおばあ様から皮肉たっぷりに聞かされた。
「僕の父上が、その吸血鬼と魔女の子どもだ。 そして僕の父には妹が居る。君もよく知っている、この呪いをかけた張本人」
「まさか……」
「あの戦争はね、僕の父上と妹である君の母上の兄妹喧嘩によるものだよ」
私の身体はそこで限界だったらしく、大きくふらついてその場に倒れてしまった。 それをチャンスだとでも云わんばかりに、近付くユーダの姿が見えた。



「責任を償ってもらいたい」
ユーダのこんなにも低い声を聞いたのは、本当に初めてのような気がした。 目の前に居るのは私の親友のユーダではない気がした。
親友。ふいに頭を掠めたその言葉。そうだ、彼は私の親友だ。そして吸血鬼一族は苦しんでいる。 私はそのために、死んでも良いのではないか。しかしユーダは、私をもとから裏切るつもりでいた。 彼は私を親友なんて思ってもいなかった。

ユーダが私の頭に手をかけた。私は呪いを解く方法を必死に考える。 人間の血が毒ではなく吸えるように。吸血鬼一族が生き延びる方法を、ぼやける視界の中で懸命に考えた。
しかし目の前にユーダの顔が近付いた時、私のぼやけていた視界がはっきりとした。 私の服に水滴が落ちた。最初は何かわからなかったが、そのもとを辿るとそれはユーダの目から流れていた。
「ごめん、ごめんね、メイア」
「君に、死んで欲しくなかった」
「でもこうするしか、なかったんだ」
こんなにも感情を面に出すユーダは初めて見た。まして泣いている彼を見るのは、もちろん初めてだ。
私は吸血鬼一族に何かしてやれることはないのだろうか。 してやれることは充分にある、彼に私の血を吸わせるんだ。血を、この命を捧げること。

「早く」
ユーダに微笑んで見せ、私は云った。
「良いから、私。死んで良いから。それがみんなのためになるのなら、それで良いから」
ユーダがびくんと身体を震わせた。そのユーダの頬に手を振れゆっくりと首に近付けさせた。 あとはきっと、ユーダの力だったと思う。長い間血を吸っていなかった吸血鬼の本能。 私の首に傷をつけると、そこから勢い良く出た血を吸い始めた。 私は途切れる意識の中で、ユーダの言葉を聞いた。

「君は大事な──」



・・・・・



「マスター!」
僕は相方のサヴァに呼ばれて振り返った。 なぜ相方にこんな若い奴を選ぶのかと老年の先輩には散々文句を云われたが、 彼は若くて優秀だ。そして僕の良い話し相手となれる友人にもなれる。
「もう娘さんの話を聞きましたか?」
僕が顔を顰めてみせると、サヴァは嬉しそうに微笑んだ。 まだ知られていない情報をみんなに伝えることが、とても楽しいのだと云う。
「マスターの娘さん、ついに力が目覚めたみたいですよ」
「人間の血を、やっと吸えるようになったばかりだよ」
「いえいえ、違います」
そこでサヴァはゆっくりと微笑んだ。
「魔法ですよ」
「魔法?」
僕が素っ頓狂な声を上げると、サヴァは余計に嬉しそうだった。 こうやって人を喜ばせることが好きだと彼はよく云っている。 性格が良いのか悪いのか、いまいちわからない親切心だが、嫌いではない。
「ええ、マスターの親父さん、半分魔法使いだったでしょう?  それが受け継がれたみたいですね」
「僕に魔法使いの血は薄いよ」
「そうですね、さっき学校で大騒ぎだったらしいですよ」
確かに吸血鬼が魔法使いの力を発揮したとは、大騒ぎどころではないはずだ。 若者はまだしも、老年の教師はきっと怒りにまみれているだろう。 それをどうにかするのが、僕の当分の仕事となりそうだ。



「サヴァ」
隣を歩く青年になんとなく尋ねてみたくなった。
「魔法使いも復活できるかな?」
「ええ、マスターの娘さんから広まるはずですよ。あ、ほら、お帰りです」
とサヴァが指を指した先に、一人の女の子が立っていた。間違えることもない、僕の大切な娘だ。

「父上!」
「おかえり、メユ」
飛び込んで来る娘を、僕は抱き上げた。 子どもと云うのはいつの間にか大きくなってしまい、何歳だかもわからなくなって来た。
「聞いて、今日ね。私、魔女の技出したんだって」
誇らしげに語るメユを、僕は褒めてやることにした。 本来なら叱らなければならないのだろうが、その時は僕も、嬉しかったからかもしれない。
「凄いね、メユ。昔、魔女と吸血鬼は仲が悪かったんだから」
「その話好き、もう一度聞かせて!」
メユはこういった物語が好きらしく、これで何回目になるかわからない問いを尋ねて来る。
「昔吸血鬼と魔法使いが争いをしたんだ。 もう魔法使いの負けが見えたと悟った魔女は、吸血鬼に大きな呪いをかけた。 人間の血を毒に変えて、吸った仲間が何人も死ぬような、恐ろしい呪いだ。 戦争が終わり呪いに気が付いた吸血鬼は、絶滅へと向かってしまった。
そこに現れたのが呪いをかけた魔女の娘だったんだ」
話に置いて行かれまいと必死の表情を浮かべて話を聞くメユは、見ていてとても微笑ましい。
「族長の血筋が彼女の血をすべて吸えば、 呪いが解けて吸血鬼は助かるはずだった。しかしその代わり、彼女は死んでしまう」
「そんなの嫌だよ」
「そうだね、彼も嫌だったから彼女を殺せなかったんだ。 彼は父上に散々なじられ、彼女は気を失ったまま目が覚めなくて、大騒ぎになった。 そんな時、我慢できなくなった仲間が人間の血を吸ってしまった。 しかし死は訪れなかった。なぜか彼は生き延びたんだ」
「どうして?」
「呪いを解く方法は、何も一つじゃない。魔女がかけた呪いは魔女が解けるんだ」
どんなに探しても見つからなかった呪いを解く方法はとても簡単だった。 吸血鬼がその呪いを解く必要はない、彼女が解けば良かったのだ。


「マスターは作家になれますね」
などと軽口をたたくサヴァに、メユはむきになって反論する。
「父上はいつも、見て来たようにお話してくれるんだよ」
「見て来たようにって……」
思わず苦笑するサヴァに、僕も苦笑を返さざるを得ない。いつもこの物語を聞かせてはいるが、 細かいだけで本当の話を語っていない。話すべきではあるとわかっているが、なんと云えば良いのだろう、 なんとなく語り辛いものを感じていた。
「見て来たからね……」
「え?」
「──しょうがない、今日は魔法を使えたご褒美にしようか」
「ご褒美? ピアノを教えてくれるの?」
なんとも無邪気に目を輝かせているメユに、そろそろ仕舞いなのだと実感する。 魔法使いと吸血鬼の戦も、すべては遠い昔のこと。新しい世が刻々とでき始めていると実感する。
「その、前のマスターは、僕の父上だよ」
「え……? じゃあ、メイアのお爺様になるの?」
「──うん、そうなるね」
最初はマスターなんて呼ばれるのは恥でしかなかったが、最近ようやく慣れ始めて来た。 前マスターが居なくなったことで、族の世界は変わりつつある、だから僕も変わらなければならない。
「じゃあその魔女の血を飲んだのも、父上なの?」
「そうだよ、情けなく馬頭されたのが僕だ」
白くなって行くメイアを見て、どうしても諦めきれなかった感情がせり上がって来た。 仇であるはずの僕を親友だと断言する彼女の強さに驚き、それと同時に恐怖を感じていた。 どうしたらこれだけ強い信頼を寄せることができるのかと、不思議でならなかった。

どうかこんな争いとは無関係に生きて欲しい、平和な場所で静かに暮らして欲しい。

どれだけ飲んだかわからないまま、冷たい彼女を見て、僕はその場で崩れてしまった。
「父上って、そんな凄い人と友だちだったの?」
メユが興奮したように尋ねてくるので、僕は思わず笑ってしまう。
「そうだよ、凄い人なんだ」
「今その人は何所に居るの? 助かったんだよね?」
目を輝かせて云うメユが可笑しかったのか、ずっと黙っていたサヴァも笑っている。
「それなら家に帰ろうか」
メユが怪訝そうな顔をしていたので、僕は付け足した。
「家に居るはずだからね、張本人のメイアが」
「ええ?! 今の、母上の話だったの?」
「そうだよ、誇らしい母上の話だよ」
魔女の呪いは魔女が解決すると云うことをしなかったのは、 吸血鬼がそろって信用していなかったからだ。加えてメイアは魔女であると云っても、 幼い頃に両親をなくし、魔女としての力を蓄えてこなかった。 成功する確率はほとんどなかったし、加えて当代のマスターは彼女を邪魔だと思っていた。 何所かしら妹の影を持つ彼女を消してしまいたかったと告白していた。 それでも助けたのは、唯一呪いを解くカギになるとわかっていたからだろう。


そのあとメユは何やら話しかけて来たけど、帰ったら聞いてごらんとだけ云ってかわし続けた。 最初こそ不満そうだったが、どうあっても折れないのを見ると諦めたようで、メユも黙って家路を歩いた。
メユと手を取って歩いた先に、あの小さな家の前に、彼女は居た。
「おかえり、ユーダ、メユ」
メイアが微笑んで迎えると、メユはすぐに僕の手を離して彼女に飛びついた。
「ねえ、母上。さっきね、父上からおもしろい話を聞いたんだけど、本当かな?」
「なあに、何の話?」
「あのね、吸血鬼と魔法使いの……」
そうして物語は受け継がれ、双方にはようやく安息が訪れた。



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