紅の妙薬/前篇





「もうここへは来ないでくれないかな」

親友の口調は有無を云わせなかった。 急に発せられた決別の言葉にわたしは目を見開いて彼を見たけれど、 当の本人は窓の方を見てばかりでこちらを振り向こうともしない。
「理由を、訊いても良い?」
私はなぜか落ち着いていた。自分でもそんな自分に驚いたぐらいである。 それはなんとなく彼がそう云うだろうと予想していたからなのかもしれない。 今日もいつも通り訪ねて来た時、彼は本当に驚いていて、そして憔悴していた。
「──理由はもう、知っているだろう?」
彼が呆れたように返す間に、私はゆっくりと彼の座るピアノの前へと近付いた。
「さあ、わからないわ。わかるわけがないじゃないの。 ユーダの考えることが、どうして私にわかると思うの?」
気が付くと少し挑発的になっていたけれど、こんなのはいつものことである。
「メイア、僕は吸血鬼なんだよ。そして君は……」
「知ってるわよ、そんなこと。貴方は吸血鬼、私は魔女。いまさらじゃない。何か問題があるの?」
「それに問題があるんだよ、解っているだろう?」
私メイア・トライスと目の前に居るユーダ・ヴァリカルは親友だ。 吸血鬼と魔女で親友、そんなことは有り得ないと思われるかもしれない。

けれど私たちは親友だ。それだけは、断言できる。



元々吸血鬼と魔法使いは仲が良かった。 魔法使いは人間に戦争の道具として扱われ、吸血鬼は人間から化物扱いされて生きていた。 人間、魔法使い、吸血鬼。この三種族の間で人間が絶対的権力を握っているのだ。 階級の低いもの同士が仲良くなったって、別におかしいことはない。 吸血鬼は魔法使いから血をもらい、魔法使いはその見返りに隠れる土地をもらって生きていた。

そんなある日、吸血鬼と魔法使いに亀裂が入った。 理由はいろいろな説があるけれど、私がおばあ様から聞いたのは、吸血鬼と魔女の間にできた子どもだった。 仲良く共存していたのだからそれは喜ばれるべきなのかもしれないが、 互いの種族にプライドを持つ両族の間には、冷ややかな亀裂が入ったらしい。
そのうちに吸血鬼の方では「魔法使いは吸血鬼を潰そうとしている」、 魔法使いの方では「吸血鬼は魔法使いを潰そうとしている」と噂が流れ、噂は武力による戦いにまで及んだ。

そうして続いた戦いの結果、敗北した魔法使いは絶滅した。魔法使い一族の長、 ラディウド・トライスの娘である私だけが、唯一生き残っている魔女で、全員殲滅させられた。 そんな中で私が生き残れたのは、ユーダのおかげである。私はユーダに助けられたのだ。
完全に魔法使いの負けだったのと云うのに、それには固執せず吸血鬼の長は私を迎え入れてくれた。 それ以来わたしはユーダたち吸血鬼の住む街、ヴァディラウスに一緒に住んでいる。 私のお父様やお母様、仲間を殺したのは吸血鬼一族だけれど、私は彼らが大好きだった。 魔女である私を嫌う人も数人居ることは居るし、そんな彼らを大切に思うのは薄情かもしれない。 だが幼い頃から一緒に居る吸血鬼の一族が、本当の家族のように思える。 ユーダは中でも気が合い、いつも一緒に居る無二の親友だ。




「メイア、死にたいのかい?」
そんなユーダが憔悴しきった顔で尋ねて来るので、少し苛つきを覚えて私は微笑んでみせた。
「別に、死ぬ気なんてないわよ」
「ならどうして逃げないんだ。ここに居れば間違いなく死ぬ」
「どうして? 貴方のお仲間が血に餓えてるから?」
私が核心を突くと、彼もようやくこちらを向いた。そして軽く溜め息。彼の緑の瞳が揺れ動いていた。
「……やっぱり知っているんじゃないか。それなのに、なぜ来たんだ?」
冷たい沈黙が流れた。 外ではこの雰囲気に似つかわしく、じとじととした雨が降っている。空の色が黒に近かった。


吸血鬼は今、絶滅に向かっている。
魔女の呪い。
そんなものが本当にあるとは、魔女の私ですら知らなかったことだ。 ユーダから聞いた話によると、私の母ナスラがかけた呪いらしい。 戦争で魔法使いの敗北が確実になって来た頃、もう勝利はできないと悟ったのだろう。 族長の妻であるナスラが、吸血鬼である彼らに人間の血を吸えなくした。 種族同士で血は吸えない彼らが人間の血も吸えないとなると、必要なのは魔法使いだけになる。
しかし戦争によって魔法使いは滅んでしまい、生き残ったのは私だけ。 吸血鬼一族は戦争が終わってから呪いに気が付き、絶望感に襲われたと云う。 このままでは血が吸えないまま、死んで行くことになる。 そうして月日が流れ、吸血鬼一族は崩壊へと向かっていた。
私はせめてもの恩返しに、彼らに血を分けてはいたが、それも長くは続かなかった。 私の血だけでは足りないらしく、結局は無意味なこととなってしまったのだとユーダから聞いた。



「ねえ、族長は何て云っているの?」
私は質問を無視して訊いてみた。吸血鬼一族の族長は本名を知らないけれどマスターと呼ばれていて、 とても優しく時には厳格で、まさに一同を引っ張るのにはもってこいの素晴らしい人だと思う。 マスターに口を聞いて私を助けてくれたユーダは、苦笑したままだった。
「……マスターも同じ意見だよ、君はそのうち、ここから出た方が良いと」
「どうしてそんなに駄目だって云うの?」
「──僕らが君を殺すからだ」
血が足りない。
私一人の血を吸い取ったぐらいで、吸血鬼が生き残れるとは思わない。 けれど彼ら吸血鬼一族が吸える血はただ一つ、私の血だけ。


「今日は取り敢えず、帰ってくれないか」
私が何とも答えられずにいると、ユーダは静かに云った。
「僕は君に、死んで欲しくない」
ユーダは淋しそう云いながらも、最後には引きつりながら微笑んだ。そんなユーダに私は、
「一曲だけ弾いて欲しい」
といつも通り演奏を頼んだ。
「──何が良いの?」
呆れたと云わんばかりの顔をしたけれど、ユーダはピアノが大好きなのを私は知っている。 ピアノを弾けることと聴いてくれる人が居ること、それがユーダにとっての幸せだと云う。
「なんでも」
私が適当なリクエストをしてから十秒も経たないうちに、狭い部屋中に綺麗な音色が響いた。 これを聞いていれば吸血鬼の問題も片付くのではないかと思うほど、 ユーダのピアノの音色は繊細で輝いている。私に音楽の教養はないが、彼のピアノが大好きだ。 ピアノの音色ももちろんだけど、ピアノを弾いている時のユーダはとても活き活きとしている。 最近仏頂面が多くなった彼を見ている私にとっては、そんなユーダを見ているのも好きだった。

綺麗だけれど物悲しいこの曲は、初めてユーダが私に弾いてくれたあの曲だ。
「──タイトルは?」
何度も聴いているのに、タイトルを気にしたのなんて今日が初めてだった。 しばらく続いた沈黙のあと、ユーダは鍵盤から目を逸らさずに云った。

「──そうだね、『紅の妙薬』かな」
妙薬を探し続けている、吸血鬼らしいタイトルだった。





ユーダの家からの帰り道に、二人の影を見つけた。あれはマスターとその相方ナルーだ。 マスターはいつも漆黒に身を包んでいて顔も姿も隠れていてわからないが、 ナルー以外と一緒に居るところを見たことがない。ナルーが居るのなら、それがマスターだと判断できる。
「……をどうするか、です」
ナルーが深刻な表情をしていて少し恐ろしかったけれど、向こうは私に気が付かないようだった。
「あとはあいつの決断次第だ」
マスターがこんなところを歩いているなんて珍しいと思いながらも、特に気には止めなかった。 ただマスターの声がとても冷たいと思ったのは、この日が初めてだった。 声をかけることができなかったのは、その所為かもしれない。



・・・・・



私は結局、またユーダの家に足を運んでしまった。 ユーダにはまた追い出されるとわかっていながらも来るのは、たぶん勝気な性格も関係しているが、 それ以外には自分でもよくわからないかった。でも一つだけわかっていることがある。


──私は彼らが、吸血鬼一族が大好きだ。

敵の娘である私を世話してくれた大好きな彼らに、何か恩返しができないか。 私はそれを考えている。仮にも戦争中とは云え、私の母が彼らを苦しめているのだ。 記憶のあまりない父母の行いが悪かったとは云わないけれど、 これを処理するのは生き延びた私の使命のような気がしたのだ。 私は吸血鬼一族と魔法使い一族の仲直りするきっかけを作りたい。 最初のきっかけは吸血鬼一族の族長マスターが私を認めて育ててくれたことかもしれないけれど、 これからは仲良く共存できる世界に戻していきたい。だからこそ、 何か彼らが生き延びることに協力できればと強く思う。そう云う思いのなか、私は扉をノックした。


いつもより長い間待たされた。扉を開けて私を出迎えたユーダは、 またもや私が来たことに半分驚いていた。あとの半分は呆れと云ったところだろう。
「来たの」
「いけなかった?」
私が微笑しふざけ半分で尋ねると、思いの他ユーダは淋しそうな表情をした。
「──僕は止めたんだよ、メイア」
そう云いながらも私を家へと上げてくれた。 入ってすぐ居間になっているから、私はいつも通りそこにあるソファに腰掛けた。
ユーダは私の横に座ったがすぐに立ち上がって、落ち着きなくふらふらとしていた。 やっぱり血が近くにあると吸うことばかり考えてしまうのだろうかと心配になるほどだった。

「血、欲しいの?」
私が尋ねるとユーダはびくりと肩を震わせた。みんながこんなにもわかり易いリアクションだったら、 何をして欲しいのか読み取るのがとても楽だろうにと思うほどあからさまだった。
「ねえ、良ければ吸って良いよ」
私が耐えきれずに云うと、ユーダは昨日のように苦笑した。
「──止めてくれ」
「ねえ、どうして我慢するの?」
「抑えが利かないんだ」
「ねえ、私なんでもするから。──みんなには感謝しているの。だからみんなの役に立ちたいの」
私がユーダの腕を掴んで叫ぶと、彼は笑みをすっと消して私をじっと見つめた。 ゆっくり私の腕を掴んで彼の腕から引き離しても、ユーダは私を見つめていた。その瞳がすごく怖かった。 貴方は誰だと問いたくなるほど、彼は私の知っているユーダではなかった。 思わず背筋に寒気が走ったほどだ。





「メイア、お願いがあるんだ」
しばらくの沈黙のあと、いつになく真剣な表情でユーダは云った。
「君が必要なんだ」
そんなことを云われたのは初めてで、いったい何を云い出すのかと正直不安ではあった。 けれど「必要」だと云われて悲しむ人は居ないだろう。私は曖昧な表情を浮かべたまま、 ユーダを見つめていた。変わってユーダはこれ以上にないぐらい真剣な目付きで、私に云った。

「君を殺させてくれ」
私は意味がわからなくて、しばらくそのまま硬直してしまった。
「君の血を、命をもらいたい」



後篇



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