24.裏切るものは
夕暮れが近いせいだろうか?それとも、これから何処にどう自分が向かっていくのかが、わからない不安のせいなのか?建物の外は薄暗く、目に入る全ての物の輪郭が、ぼんやりとしか感じられない。
――怖い。
名前を呼ばれるまでの間、何度か外から銃声のようなものが聴こえた。ざわつく室内を見渡せば、自分のように怯えた様子をみせる者もいれば、怒りや苛立ちをみせる者、そして――自分の思い込みかもしれないが――どこか羨ましそうな表情を浮かべている者……。
――恐い。
自分にはまだ何をどうすればいいのかわからない。
「殺し合いなんてしないよ。絶対に」――和田の言葉が思い出される。
同じチームメイトといっても、まだ、一軍の経験のない入団2年目の自分にとっては、雲の上の存在である和田の言葉は、理解は出来てもどこか遠い。テレビの中でタレントが口にした言葉のように……。
それでも自分は歩いていたらしい。肩から下げたカバンが茂みに当たった音で、それに気づく。茂みにカバンを掴まれたかのような錯覚に引きずられ、その場にしゃがみこんだ。
「誰かいるんか?」
(この声は――)
足音が近づき、止まる。
「どうした?今、出てきたんか?」
「ケースケさん……」
声のする方を見上げると、ファームで二遊間を組む機会の多い先輩――水田圭介が立っていた。
「気分でも悪いんか?」
心配そうな声に、頭を振る。
「そこ、水、入っとるよ」
傍らに転がるカバンを指差され、口を開けようとファスナーに手を掛けた。
音。
重く、鈍く、ひどく近い。
何の音?
確かめようと、耳を澄ませる。
その音は遠のきながら繰り返される。
黒瀬春樹(背番号56)の呼吸が止まるまで。
「隙、見せちゃだめやろ」
うつ伏せのまま動かなくなった黒瀬のユニフォームで、手にしたハンマーに付いた血を拭う。帽子越しに殴ったせいか、飛び散った血の量は少なかった。
「さてと」
黒瀬のカバンを取り上げ、最初にいた木の陰に戻って開けてみる。
(なんや、たいしてかわらんな)
出てきた麺棒を横に置くと、カバンの中身を移し変え、一つにまとめる作業に移った。
「!」
足音が聞こえた。
黒瀬の時と同じように、足音のみから様子をうかがう。
一瞬、立ち止まり、ゆっくりとした歩調に変わる。
「あぁ……く――」
小さな声とカバンが地面に落とされる音。
そこまで確かめると、水田は足音を忍ばせ歩き始めた。
自分に突きつけられた銃口に顔がひきつっている事を自覚しつつ、青木勇人(背番号53)は、その最年長捕手の名前を口にした。その声もひきつり、震える。4、5メートル先の銃口の向こう側から、聞き慣れた声が、今までに耳にした事のない重さで問うてきた。
「青木、か?お前は、やる気なのか?」
「む、無理です」
目で動いてもいいかと尋ね、椎木匠(背番号55)が頷くのを待って、ズボンのポケットに差し込んでおいたスリッパを引っ張り出し、掲げてみせた。
「それが、武器……なのか?こういうのとか、刃物じゃないのか?」
構えられた長さが1メートルはある銃を軽く振ってみせる。
「多分……俺もそう思っていましたけど、他にそれらしい物は入っていませんでしたから……誰かと一緒に行動できればと思って……」
「何、考えているんだろうな。あいつら」
ため息のように呟かれた声とともに、椎木の銃は下ろされ、普通に話せる距離まで近づいてきた。
ここはあのホテルの東側と西側を結ぶ南側の迂回路の中間辺りだ。青木は東側の出口から西、椎木は西側から東を目指していたところだった。
いくら殺し合いだの暴力沙汰は御免だと言ってはみても、支給された武器がスリッパだと分かり、いくらなんでもこれはマズイんじゃないかと、頼りになる仲間を求めてホテルの周辺を歩いてみる事にした。
50番台の選手には青木よりも若い選手が多い。
誰かと一緒に行動できたらと思った時、自分の次に名前を呼ばれる椎木となら心強いのではないかと期待していた。
いきなり銃口を向けられるとは思わなかったが、スリッパのお陰なのか椎木の警戒心を解く事が出来たようだ。
「それ、凄いですね」
「……ああ」
無造作に右手に握られたそれを一瞥する椎木の目は冷ややかだ。そこに沈痛の色が加わり視線は青木に向けなおされる。
「向こうで三人死んでいた……三井、山崎、岡本だった……まだまだ、これからだったのにな」
「俺も、お前さんもだけどな」そう付け加えて、少し笑う。
あの広間で聞こえた銃声や、外に出てすぐに見つけた乾きかけの血溜まりから、どこかで予想はしていた。それでも過去形で聞くことになるとは思わなかった仲間の消息に、青木は言葉を失う。
「あんなのはもう見たくないな」
椎木の目は青木の背後の山に移され、黙り込む。
マウンドからは時にその体格以上に大きく見えることもある椎木の身体が、この時はひどく小さく見えて、青木は目を逸らせた。握られた銃器の重さにさえ耐えられないかのように傾いた椎木の右肩の向こう側を見つめる。
風に揺れる木々の音がやけに耳につく。
二人の間の沈黙は、誰かの悲鳴に破られた。
近い――悲鳴の出所はホテルの屋根が垣間見えるすぐ横の林の中だ。続けて落ち葉を踏み締めて走る音、争いあう物音が聞こえてきた。
傍らを動いた空気に振り向けば、椎木が林に向かって走り出していた。
「椎木さんっ!」
慌てて青木も後を追って走り出した。
「島の南端で」
あの部屋で近くにいた、同じ高卒ルーキーの藤原虹気(背番号63)と取り決めた簡単な待ち合わせだった。
外に出てすぐにカバンを開けてみる。
(これが、武器?)
あまり役立ちそうには思えなかったが、とりあえず身に付け、帽子を被り直す。
コンパスで南を探し、歩き始めて5分も経たないうちに、茂みの陰に白いものをみつけ、足を止めた。
だいぶ日が落ちてきている林の中にあっても、それはユニフォームを着た誰かが倒れているのだと分かる。
恐る恐る近づいてみると、真っ先に目に飛び込んだのは、うつ伏せの背中と56の数字だった。
帽子――頭の形が不自然だ。何よりも青い帽子ににじむあの赤黒い色はなんだ?
その人の名前を呼んだのだと、思う。返事がないことを確信しながら――。
傍らにしゃがみこんで、その身体に触れてみる。冷たいのか、暖かいのか分からなかった。ただ、もう二度と動かないことだけは確かだった。
「星――」
星秀和(背番号61)は驚いて顔を上げた。
「ケースケさん……」
名前を呼ばれるまで、水田が近くにいることが分からなかった。水田はじっと黒瀬の死体を見下ろしている。
「それ――お前が……?」
「ち、違――」
「だよなあ」
思いのほかに明るい声と同時に、何かが空を切る音を星の耳が捉えた。
その音に反応したのか、別の何か――勘のようなものだったのかはよくわからない。
星は腰を引いていた。
同時に金属同士がぶつかり合う音と、額を襲った衝撃に目の前が暗くなる。それでも星の身体は無意識のうちに、後に転がった勢いのままに立ち上がっていた。
はっきりとしない視界に、ハンマーを構えた水田が距離を詰めてくる姿が映る。
「わああぁ」
悲鳴を上げ、水田に背を向け走り出す。数歩も進まないうちに、何か――水田が足元に投げつけた麺棒――に足をとられ、地面に転がった。
立ち上がろうともがく星に、再び水田のハンマーが振り下ろされた。
必死に身をひねり、仰向けになると、両手でハンマーを振り払う。それでも執拗に振り下ろされるハンマーは、いつまでも避けきれる物ではない。なんとか頭部を庇うものの、ハンマーは腕を、肩を殴り、耳もとを掠めて地面を抉る。
(――いやだ!)
痛みさえ分からなくなってきている。どう動いているのかも分からない。
それでもあきらめて、死ぬ事を、殺される事を受け入れることは出来なかった。
「何してるっ!やめろっ!」
グラウンドで幾度となく耳にした。守備の指示を出してくるキャッチャーの声。腹の底まで響いてくる。
声のした方を向くと、棒のような銃を抱えた椎木が走り寄って来る。その後にもう一人。
「チッ」
ハンマーでは分が悪い。
星への最初の一撃で、利き腕に走った痺れはまだ残っているうえに、黒瀬の時と違って抵抗してくる星に、水田も消耗していた。
椎木が銃を構えるのを視界の端に捉えながら、その場を逃げ出す。倒れている星に気を取られて、水田を追ってはこないようだ。
歩調をゆるめ、息を整える。
(ええなぁ……あんなん)
人を――チームメイトを殺し、傷つけた行為よりも、ハンマー以上の強力な武器を手に入れられなかった事の方が、現在の水田には重大な事だった。
殺される前に殺す。そして必ず生き残る。
そう決めた自分には、身を守り、仲間を確実に殺していくための武器が必要なのだ。
出口の近くで、まだ支給品の確認をしていない仲間の隙をついて殺し、武器を手に入れる。
西側の出口を出た水田が見た三つの死体と、中身を物色された形跡のあるカバン。そして自分の武器がハンマーとわかった時に決めた方針。
だが、ランダムで決められるという出口のせいか、水田が木の陰に潜んでから、南側の出口から出てくる選手は少なかった。
(やっと殺せた黒瀬は麺棒やし)
その麺棒も星に投げつけて、置いてきてしまった。
次の手を考えなくてはならない。荷物を背負い直し歩き出す。
(人がいすぎてもやりにくいしなぁ……)
星まで外に出てきているということは、全員が出発するのはもう間もなくだ。他の出口に回っても遅いかもしれない。
上本と落ち合う約束をした寺に行くのもまだ早いだろう。
(……つうか、あいつ、これるんかな?)
あの調子では既に誰かに殺されているかもしれない。
最も待ち伏せに適した場所を探して、この南側の出口近くの林に足を踏み入れた水田が見つけたのは、地図に集中している上本だった。
足音を殺して近づいたが、地図の陰から鉈が出てきたのを見て、声を掛けて隙を窺う事にした。実際に隙だらけではあった。だが、鉈を手にし、体格で勝る上本をハンマーで確実に殺す事は難しいと判断し、その場は話を合わせた。
ここで待てばまだまだ、水田より年下で与し易い連中が、これから出てくる可能性は高いのだから。
(ま、行かんでもエエし……さて、どこ行こ?)
赤みを増した太陽にひき付けられるように、その足は西に向かっていた。
「大丈夫か?」
まだ起き上がれず、両腕で顔を覆って荒い息を繰り返す星は、椎木の言葉に震えながらも頷く。
助け起こすと、星の額に金属片を縫い込んだ鉢巻――鉢金というらしい――が着いているのがわかった。これが致命傷を避けさせたのだろうか?
椎木に追いついた青木が、水田の走り去った方を覗っている。
「やめとけ、スリッパでどうするんだ」
「そうでした」
握りしめたままだったスリッパをポケットに差し込んで、座り込む。
「……水田でしたね」
青木も先程見た光景を思い返しているのだろう。口元を覆った震える手の中で「どうしちゃったんだよ、あいつ……」と呟く。
「ほら、これ」
椎木は自分の荷物から取り出した水の入ったペットボトルを手渡そうとして、星の手が震え、その爪が割れているのに気づいた。蓋を外してから、伸ばされたその手にしっかりと握らせる。
「……ありがとうございます」
落ち着き始めた呼吸の合間に押し出された声は小さく、ひどく掠れていた。
怪我の具合を確認すると、ハンマーが掠めたらしい切り傷が頬や耳に、そして額と両腕に無数の赤黒い痣が浮き出ていた。骨に異常はなさそうではあったが、頭部を殴られているのも気がかりだ。きちんと冷やさないと今夜あたり熱を出すかもしれない。
カバンの中にあったタオルに、水を含ませ土や血を拭う。こうしていると、幼さの残る顔立ちや、身体の細さが目についた。捕手というポジションのせいなのか、時折、19歳のわりには、しっかりとした面を見せる星だが、まだまだ少年の面影が強い。
星の頭部に繰り返し振り下ろされるハンマー。椎木に向けられた感情の汲み取れない水田の顔。先程目にした光景を思い出し、背筋が寒くなる。
「……あの……向こうで――」
ためらいがちに切り出されたのは、黒瀬の死。
星が指し示す茂みの陰で冷たくなっている黒瀬の遺体。首から上は酷い有様で、黒瀬のダグアウトジャケットで覆った。
すでに仲間の遺体を前にする事が初めてではなくなっているとは言うものの、あの部屋で目覚めてからまだほんの2、3時間だ。こんな短時間で慣れる――慣れたくも無い事だが――はずもなく、ただ打ちのめされる。
「黒瀬も水田ですね」
隣で手を合わせていた青木が話し掛けてくる。星の話と黒瀬の遺体の様子からしてそれは疑いようの無いことだった。
「こんなの事するなんて、信じられませんよ……」
ファームで自分のバックを守る黒瀬と水田。球を受ける椎木や星。そこからは余りにもかけ離れた光景。青木はそれを噛み締めているのだろう。もう二度と動かない黒瀬を見つめる目は、そこを見てはいないようだった。
一度強く目を閉じ、立ち上がる。
「水田を止めましょう」
そう言い残すと、少し離れたところで休ませてある星の元に向かい、話し掛け、スリッパを見せている。元気付けようとしているのだろうか。
青木と出会い、この場に駆けつける直前、椎木は死ぬつもりでいた。
最初から殺し合いなどする気はなかった。だからといって、こんな馬鹿げたゲームとやらで死ぬつもりもなかった。
だが、あの広間で見せられた二人の死。そして外に出されて早々に見た三人の死。そして支給された武器が散弾銃――ふざけた説明書によるとレミントン870という名前らしい――だと分かった時、そうしようと思った。
こんな物は、我が身を守る道具でもなければ、誰かを救う力でもない。ただの凶器。命を奪い、傷つけるためだけに存在するもの。
手に取るとその事がもっとはっきりと伝わってくる。
この道具も、状況も自分の手には負えない。
それならせめて人目につかない山の中でと、紙の箱にぎっしりと詰まった弾薬を一つだけ取り出し、ポケットに入れ、残りを捨てて、東を目指した。
自分がこんなにも諦めのいい人間だったとは知らなかった。人一倍、粘り強く、しぶとい人間だと思っていた。そうでなくてはプロ野球の世界で、16年も生き抜いてはこれなかっただろう。
自分自身に裏切られる。水田もそうなのかもしれない。
椎木は自分自身を水田は仲間を殺す事で、ここに連れて来られる前までは、当たり前と思っていた自分というものを受け入れる。
魔が差した。そう言ってしまうのは簡単だ。
辛いのは自分だけでは無いのだと、成す術もなく殺されたであろう黒瀬の無念に比べれば、我儘にすぎない。
そう思ってはみても、この気持ちは変わりそうもない。
(困ったもんだな……)
持て余す自分の感情を突き放し、立ち上がる。
椎木が動き出すのを待っていたかのように、星も立ち上がった。
心配そうに声を掛ける青木に「もう、平気です」と答える星に、落ちていた麺棒と帽子とカバンを渡す。
藤原と約束があるのだという星の言葉を青木が驚いたように復唱する。
「島の南端っ!?」
「分かりやすいかなと……」
黒岩の説明だけでは島の大きさなど解り様もなかったのだから、仕方が無いのかもしれない。合流の約束をしただけでも大したものだろう。
「行きましょう。急げば、途中で会えるかもしれない」
「そうだな。行くか」
もう少し二人の知っている自分でいられるように、動き出す。
それに動いていれば、星の悲鳴に思わずここに駆けつけた自分でいられるかもしれない。
考え込んで動けない野球選手では話にならない。
【黒瀬春樹(56)× 残り48名】