22.悪魔の提言



貝塚が建物から外へ放逐されてからまず目に入ったのは、遠くの緑の丘陵地、青い空、やや錆びかけた案内板、そして3名の遺体だった。
「ひっ…」
息を呑み、誰なのか確認しようとしても足が動かず、その場に立ち尽くす。強い風が吹き、草木が揺れ、ざわざわと音をたてた。
「ちょっと待てよおい。」
立ちくらみのような感覚に襲われる。ふらつく足で、よろよろとその場を離れて木陰に入る。頭がぐらぐらする。
落ち着け、落ち着くんだ貝塚政秀。何度も自分に落ち着けと言い聞かせ、深呼吸して肺に新しい空気を送り込む。血が全身に回る感覚とともに、ようやく立ちくらみが治まる。ごまかしきれない血の臭いに震える手で鞄の中身を確認する。
中身は防弾ジャケットだった。生き残りたいあなたに最適、防弾性能は9mmパラベラム、357マグナム程度まで防ぎます。使い方はこれを着るだけ。説明書きはこれだけだった。
遺体のある木のたもと、その方角を見て心の中ですまないと呟く。そして防弾ジャケットを上に羽織り、ただ真っ直ぐに走りその場を離れた。

「あ、貝塚さんお疲れ様です。」
周囲の物音に怯えつつ、ようやくゴルフ場のバンカーの陰に隠れた貝塚だったが、そこには先客がいた。その先客は手の中の物の汚れを拭いている最中のようで、作業を止め顔を上げて貝塚を見ると嬉しそうにニッと笑う。石井義だ。
建物のなかで機嫌悪そうな顔をしていた石井義を思い出す。あのときはあんなに機嫌が悪そうだったのに、今はひどく上機嫌に見える。何故?普段なら、かわいらしく見えなくもない草食獣のような笑顔が、今は肉食獣の舌なめずりに見える。
感情の起伏が激しく、キレると何をしでかすかわからないところのある彼と、できればこの状況で会いたくはなかった。どうして俺はここに来てしまったのか。貝塚は後悔する。
「ジャッキ、それ…。」
「ワルサーP5っていうらしいですよ。マイナーですよね、始めて聞きました。どうせならワルサーP38のほうがルパンみたいでいいなあって思うんですよ。」
作業の手を休めず石井義は答え、ルパン・ザ・サード、と鼻歌を歌いはじめる。呆気にとられて鼻歌を歌う石井義をまじまじと見つめ、いやそうじゃないと気をとりなおして貝塚は石井義の手の中の、分解されている銃を見る。
「いや、そうじゃなくて、なんで分解して部品を拭いているのかってことなんだけど。」
「オートマチック・ピストルは撃った後ちゃんと掃除しないと弾詰まりを起こす危険があると説明書に書いてありました。だから掃除です。」
「撃ったのか、あの銃声はお前が?!」
銃声、血の臭い、土井コーチを、長田を、躊躇いなく殺した黒岩代表の晴れやかな笑顔、様々な光景が脳内でぐるぐると回る。何故、湧き上がる疑問と怒りにまかせ石井義の肩を掴む。
「離してくださいよ、貝塚さん。痛いじゃないですか。」
石井義が腕を振り払うといつの間に抜いたのか、右手にナイフが握られている。貝塚の鼻先に突きつけられたナイフが滑る。貝塚の左頬を撫で、うっすらと赤い線を描く。うずまく疑問と怒りが、頬を薄く切られた痛みによって醒めていく。
刃渡り15センチくらいはありそうな、切れ味鋭そうなナイフが目の前できらりと銀色に輝く。血抜きの溝に流れた血の跡が残っているのが見える。やはり、お前はもう仲間を殺したのか?
「俺、今は誰とも争う気ないんですよ。だから貝塚さん、落ち着いて俺の話聞いてくださいよ?」
ナイフを左右に振りながら、面倒そうに喋る。
「確かに撃ちましたけどあれは事故ですって。たまたま争う物音が聞こえたから見に行ってみたら三井さんが暴れてて。かわいそうに、岡本刺されて死んじゃいましたよ。
で、まあいいやって思ったんですよ。あそこで振り返られたら俺刺されちゃいますからねえ。正当防衛、正当防衛ですって。」
「正当防衛って、お前。」
わからない。確かに正当防衛だったのかもしれないが仲間を撃ち殺しておいて、どうしてこんなに陽気にしていられるんだ?湧き上がる疑問と恐れに被せるように石井義が話し始める。
「そんなことより先のことですよ。貝塚さん生き残りたいですよね?拳銃の射程って結構短いんです。そう、確実に当てて大人しくなってもらう距離だとまあ20メートルってとこです。正面からだと2,3秒で詰められる距離なわけですよ。」
指示棒か何かのようにナイフを振り振り、石井義が拳銃の射程の話をしている。
そういえば野田が言っていた。ジャッキが野田さん、と呼ぶときは何か面倒なことをお願いするときだと。普段なら浩輔とか浩輔さんとかなのに、まったく調子のいい奴。そう言って野田は笑っていた。
「1発外したらもう一発撃てるかどうか微妙だと思いません?それに2射目は反動もあって撃ちにくいですし。そうそう、反動大きいんですよね、こいつ。」
これは、何かお願いが来る。それもとんでもないお願いだ。
「貝塚さん、それ防弾ジャケットですよね。それ着て正面から相手の気を引いてもらえません?その隙に俺が後ろから撃ちます。相手が怒って貝塚さんを撃つなり斬るなりしようとしても、その防弾ジャケット着ていれば命に関わるようなことにはならないでしょ。」
ほらきた、とんでもないお願いだ。
「名案でしょ?貝塚さんは手を汚さずに敵を減らせますし、俺は安全に敵を減らせます。あとは貝塚さんが、はいと返事してくれればいいんです。」
何か面白い遊びを思いついたかのような子供の笑顔で石井義は目を輝かせる。僕って賢いでしょ、とでも言わんばかりだ。彼はこの状況を理解しているのか?それとも理解しているからこそ、こんなに楽しそうなのか?
わからない。貝塚の心の中で怒りを押しのけて恐怖が増していく。このゲームに夢中になって楽しんでいるのは、もう既に人を殺したことで起きた余裕なのか?それとも、元から殺人者としての素質があったということなのか?
「チームメイトを、売れと。」
断らなければならないと理性の声が叫ぶ。だがこれを断ったら、かんしゃくを起こした子供が玩具を踏みつけて壊すように、右手のナイフを何の躊躇いもなく俺に突き刺すのだろう。仲間を売りたくない、でも自分も死にたくない。葛藤が貝塚の心を蝕む。
「何言ってるんですか、これはそういう仕事なんですよ。なにしろ、球団代表の黒岩彰さんがやれって言ってるんですよ。代表の命令ってことは仕事ですよ。これがもし悪いことなら、取らなきゃならない責任は彼にあります。俺らが悪いわけじゃないですよ。」
空気が重い。馬鹿をいうなと叫ぶ意識と、その通りだ命令した黒岩代表が悪いんだ、俺が悪いわけじゃないと叫ぶ意識の狭間で、口を塞がれたように声がでない。
手の平、脇の下に気持ち悪い汗が流れるのを感じる。打席に立つときの緊張感など比べ物にならない程の緊張感が貝塚の行動を抑えつける。
「何故、俺を誘うんだ?」
ようやく声を絞り出す。自分の声と思えないほど、その声は小さく震えていた。そんな貝塚の疑問に石井義は無邪気に答えた。
「だって、ひとりじゃ寂しいじゃないですか。どうせなら他の人と一緒にやるほうが楽しいですよ。そうだ、浩輔さんも誘っていいですよね?」
そう言ってはしゃぐ石井義を見て貝塚はおびえる。理解できない者を見た恐怖が心を掴み締め上げ、正気を砕いていく音が聞こえた気がした。
「風、出てきましたね。日暮れが近いみたいですよ、貝塚さん。行きましょう?」
作業が終わったのか石井義が立ち上がり風をみる。そして屈託なく笑いながら石井義は貝塚に手を差し出した。貝塚はその手をとる。俺はこれで悪魔に魂を売ったのだ。貝塚は苦しげな顔をした。そんな貝塚の表情を見て石井義は心配そうに言った。
「大丈夫ですか?どこか具合悪いなら病院探しに行きましょう。集落に出ればあるかもしれませんよ。」


【残り49名】


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