宇宙はブルーベリージャムよりも甘い
※『読み物.net』さま「短編小説コンテスト」(シアン大賞)参加作品
少しだけ太陽が傾くと、白いペンキを塗ったばかりのハーシー家はすもも色に染まる。夜になればぶどう酒を垂らしたような濃い紫色になるだろうし、そして朝が来れば再び生クリームのように柔らかな白になるに違いない。
そんな家の主のキッシュさんが仕事を終え、真夏の灼熱の帰り道からやっとの思いで戻ると妻のマドレーヌさんから相談された。五歳になる息子のジャムのことだった。
「あの子ね、今日は一日じゅう瓶を眺めていたのよ」
豪奢な金の巻毛を簡単にまとめたマドレーヌさんは肩をすくめた。それを聞いたキッシュさんは特に気にかける様子もなく息子に視線をやる。
確かにジャムは彼が帰ったときから出窓の縁に腰かけて、赤い夕陽を背負ったまま透明な瓶をじっと見つめていた。まるで他のものは何も見えないといった風だ。
「いったいどうしたって言うんだ」
と、キッシュさんはくたびれたネクタイを外しながら尋ねる。
「あなたも最近、あの子が朝にブルーベリージャムを食べていたの知っているでしょ」
「ああ……」彼は、マドレーヌさんの言葉に相槌を打った。
「でも、あの子が今持っているのは空の瓶だ」
「それが問題なのよ。うっかり切らしちゃったの。そしたらあの子ずっとあんな調子で」
「買い物に行かなかったのか?」
キッシュさんの問いにマドレーヌさんが首を振った。
「行ったけど、なかったのよ。だから明日もあんな調子なんじゃないかしら」
その声が沈んでいるので、キッシュさんはまた息子のほうを見やった。
ジャムは相も変わらず瓶を覗き込み、眉間に時折子供らしかぬ皺を寄せている。そうしてふっ、とため息をついては瓶を白く濡らすのだ。
「可哀そうだな」
そう漏らすと、マドレーヌさんも頷いた。
その夜、隣の家に住むウィンダン・ベリーが突然やってきて、このように問いかけた。
「ね、マドレーヌさん。ぼくは今日一日じゅうジャムくんを観察していたんですけど、どうして瓶ばかり見ているんですか」
「あのジャムをずっと? ……あなたも変わった子だこと!」
「いいから訳を教えて下さいな」
マドレーヌさんが驚きを隠さずに上ずった声で訳を話すと、ベリーは首を傾げてニッコリと笑った。
「なあんだ、そういうことですか」
そう言って彼はハーシー家にあがるや否やジャムの姿を探しはじめる。マドレーヌさんとキッシュさんはそのあんまりといえばあんまりな態度にお互いの顔を見合わせたが、ベリー少年のほうは全く気付いていない様子でハーシー家の中をくるくると歩き回った。
背にハーシー夫妻を引き連れて彼はついにはリビングまで歩を進めてジャムを見つける。驚くべきことに彼はまだ瓶を眺めており、ベリーはゆっくりとその傍へ歩を進めた。
そして、その隣にそっと腰を下ろして夜空を振り仰ぐ。
「ごらん、ジャム。星が綺麗だよ」
そうは言ったものの、ジャムは俯いてばかりで一瞥もくれなかった。しかしベリーは大して気にしていないように足をぶらつかせて空を眺める。
口当たりの良さそうな闇に滑らかな光を放つ月が浮かんでいる。星々の角砂糖は甘く溶け込んで苦い夜の味をいっそう奥深いものにした。
重いような軽いような不思議な沈黙を過ぎて、ベリーがもう一度ジャムに話しかける。
「お母さんから聞いたんだけど、ブルーベリージャムを切らしたんだって?」
すると今まで微動だにしなかったジャムが目配せしてきた。ベリーの瞳に星が映る。
「どうして元気がないのか教えてほしいな」
ベリーのまっすぐなアメジスト色の瞳にジャムも真摯に応えた。俯くのを一瞬だけやめて年上の来客を見据え、それでも少しだけ視線を外してから説明する。
「ボク、ブルーベリーの色がすきだったのに、食べるとおいしくて、どうしても食べちゃって、食べちゃったら色がどんどん消えちゃうんだ。だからちょっとずつ食べてたんだよ。それでもすぐになくなっちゃうんだ。ぼくががまんできなくて、最後まで食べちゃうもんだから……」
ジャムは自分でも何を言っているのかよくわかっていないようだった。それを聞いたベリーは口元に穏やかな笑みをたたえながら困ったように頷く。
「難しい問題だね。ぼくも君の倍以上いきているけど、答えに困っちゃうな」
「ボク、どうしたらいい」
目に涙をたたえるジャムがベリーにすがりついた。これにはさしものベリーも返事に窮したか、目を瞬きさせてはううんと唸る。
傍らで見守るハーシー夫妻も揃って不安顔だ。
そうしてしばらく経ったあと、ウィンダン・ベリーは顎を撫でてジャムから瓶を取り上げた。ジャムは顔色を変えたが何も言わなかった。
「ごらん、ジャム。綺麗な色が戻ってきたよ」
彼が高く上げた瓶には香り高い夜空が透けて見えた。
ジャムは口元をほころばせたが、すぐにムッとして口を曲げる。
「……そんなの、いんちきだい。朝になったらまたなくなるもの」
だが今度のベリーは全く動じず、瞳を輝かせて言った。
「ジャムだって、ずっとおんなじ場所に居るわけじゃないだろ。ブルーベリージャムだって朝になったら出かけるんだよ。でも夜にはこうして戻ってくる。まん丸だったり細長かったりするお月さまや綺麗に輝く色んな星を連れてより美しく、より美味しくなって、ね」
「よくわかんないよ」
「よくわかんないもんなのさ」
ベリーは片目をつむってみせた。「だから気にしないで元気に暮らすことだね」
そう言われてはジャムも納得せざるを得ず、ベリーの手に握られている夜空を溢れんばかりに詰め込んだ瓶を見上げる。ベリーがじっとしていないので中身は絶えず変わっている。
不満がありそうな顔をしたジャムを面白そうに眺めるベリーは、片手に瓶を持ったままでもう片方の手でポケットを探る。それからいったん手を止め、あるものを取り出した。
「あげよう」ベリーがこんがりキツネ色の美味しそうなクッキーをひらつかせる。
ジャムは一瞬だけ怪訝そうな表情を浮かべたが、すぐにそれを手にとって口へ放り込んだ。そしてすぐに頬を紅潮させて微笑み、ゆっくりと噛みしめるように味わう。
そこにベリーが疑問を投げかげた。
「ブルーベリージャムとどっちが美味しい?」
ジャムは身をすくめて答える。「そんなの、決めらんないよ」
真っ赤な頬を膨らませた彼にベリーがくすくすと笑って言った。
「ま、何なら今度はブルーベリージャムでも付けて食べてみたら。ぼくはいちごジャムのほうが好きなんだけど……気が向いたらそっちも試してみてよ」
ジャムはベリーの言葉に微笑んでみせた。
「そうしてあげてもいいよ」
二人は声をあげて笑った。それを見守るハーシー夫妻も安堵の笑みを浮かべて周囲は爽やかな夜の匂いに包まれる。
ベリーの手の中の瓶に詰められた夜空も、ちらちらと色を変えていた。