【野口晴哉語録など】 全体を表そうとして抽象的な言葉が多くなってしまいましたが、 各著書では具体例がたくさんあってとても面白いですよ! 「回想の野口晴哉 野口昭子 ちくま文庫」より レントゲン写真を持って面会に来た人が帰った後で先生が言った。 「いくらレントゲンで写しても、切り開いて見ても、借金も失意も 嫉妬も見当たらないよ。大事なのはそういうことなんだ。 幸いなことに、背骨は外から指で触るだけでみんなしゃべって いるんだよ。口は嘘をつくけれども、背骨は嘘をつかない。だか ら面白くてやめられないんだ。」 「今の学問が、人間はどんな要素から構成されているかを 分析追求しているときに、先生は最初から、”それらの要素を 集める力は何か”ということに着眼していた。『その力を失った ものはどんなことをしても死ぬ、その力のあるうちは生きると、 僕は簡単に結論をだしていたんだ。』」 先生も息子も、平然としているのに、私だけが我慢できないほど 不快に感じ、気分まで悪くなってくるのはなぜだろう。先生に聞く と、「私はすぐに覚悟した。あんたはまだ不平を持っている」  ハッと急所をつかれて「ああ、そうか」と思ったら落ち着いてきた。 「治る治らないは自分で決めることだ。」 「いつからでも気がついたときから回復要求が起こる」 「治療というもの、相手の体が為すなり、それ以上巧妙に為し  得るつもりになるは人間の慢心なり」 「健康生活の原理 全生社より」 何をやっても結局生きられない人も、何もしないのに丈夫に 生きている人も見てきました。その理由をいつまでも考えました。 自然に病気を経過した後は、病気をした後、元気になります。 けれどもその経過の中で、不安に、臆病になり、焦ってしまうと 病気した後、体が弱ってきます。しかし、一方的に凝り固まった 「心の角度」をちょっと変えると、心も体もすっと変わってくる。 「月刊全生増刊号」 より 指導するものは、故障探しではいけない。その裏にある人間を 捕まえて、その人間に合う方向に誘導していくということが大事 で、生理的な背き、つまり異常を起こしているということは、自由 抑え、性の抑え、成長の抑え、自発性の抑え、要求の抑え、こう いうものの反動が多いのです。病気の中にはそれに不平、不足 つまり満足の抑えといったものをひっくるめて体の病気として 返ってきているものが意外に多いのです。 「体運動の構造2」より 後頭部に硬直があれば、ただ呼吸しているだけでもくたびれます。 相手の心の中に火をつける。火がつけばあとは燃えていくのです。 「整体法の基礎 全生社より」 治療は、誰かの力を借りなければ丈夫になれないという考えの まま行えば、世界中の半分が医者になってもまだ足りない。それ よりも一人一人が自分の裡(うち:体の内側)なる生命の精妙な 働きを自覚し、発揮すれば、人の力を借りないでも丈夫になれ るのです。そのように誘導していくことが本当だと気がつきまして、 治療術という面を全部捨てたのであります。 病気や怪我はもちろん、精神的ショックによる不調でも深い 眠りがあれば回復する。不安をかかえ眠りが浅いと経過が悪い。 症状にとらわれず、心と体を緩め、呼吸と眠りを深くすることで、 生命力を高め、自然と回復することを待つ(swingy 編集)。 「人間の探求」より もっともらしく手を当てたりしていますが、実はたいしたことは していないのです。人間は意識で納得しても、体は変わって こない。私は潜在意識に話しかける技術をもっていて、相手の 心を自分の心のように動かすことができるのです。それで 私と話しているとみんな元気になってしまうのです。 感情は意志にもっていく、意志は判断に、判断のつかえたものは 意志に、意志のつかえたものは信念にもっていくというように、 相手の心の中で、その動きを違う場所へ移し、これを2,3回 行き来させるとそれで鬱散してしまう。 効かない薬で治すのが技術 整体とは押したり揉んだりすることではなく、呼吸の技術である。 人間は言葉では何も言えない 出典・・・忘れた(笑) 本当は手を当てることすら余分で、目を見ただけで良くなるのが 理想。 原典  不明 あらゆる行動の出発は感ずることによってなされる。考えている うちは行動にならない。頭の中の先入主に感ずるということを 乱されていることがよくある、その上、その先入主的考えを感ずる ことと間違えていることがある。しかし、感ずるということは頭から 生ずるものではない。感ずるということは生命にある。 「風声名語 全生社より」 断食して丈夫になる人あり 餓死する人あり 食いたくとも食わぬ人には断食は健康法になり 食いたいのに食えぬ人は餓死する 生と死の境「わ」と「え」のみ 養生の第一歩は心の「わ」と「え」を切替えることにある 「え」から出発した如何なる行為にも鍛えるということは含まれては おらぬ 「わ」から出発した如何なる行為も人間を鍛える 余分に気張らず生活するには、自然の中に生きている自分を信 じることが大切です。それが自分の中心を充たす唯一の道です。 私も整体指導を行いだして50年になった。私の見てきた人間の 体というものは、みんな健やかで、活発であった。年がたつほど その働きに対する信頼は高まった。患っている中にも、怪我を している中にも、活発に働いているその体を見ないで、その体 の働きである痛いとか、熱がでるとかいうことを敵のように思って 気張って、苦しんでいる人をみると、もう少し素直に人間の生を 体の働きのもたらすものと見られないものかと思う。 「偶感集」より 病気が治ったらこうすると言っている人は、病気が治っても何もでき ない。こうするんだと立ち上がった人は、病気がなくなってしまう。 病気になると「病んでいるのが体である」ということを忘れ、その体の 持ち主である人間(魂)までが、病気になってしまうことがあります。 しかし病気は、持ち主が病まず、天の蒼さを知って動じなければ、 夕立のごとく過ぎ去るものなのです。その熱も、痛みも、下痢する ことも、出血することも、それを制することを考えるより、心に息を みたして自然に経過させれば、自ら去って、あとは爽快な心と、 清浄な体が残るのです。人間の体はそういう構造をしているので す。 遺稿より 「我が説きしこと、一言に言えば、虚の活かし方なり、無の活動法なり 人皆、物の学あれど生物の学無きなり。生のこと説きても、物の学に つかえて判らぬなり。」 ----------------------------------------------------- ■客観的に見た 野口晴哉、野口整体とは? 「気で治る本」 宝島社  津村喬の文章より 「老荘と禅をベースにした広い意味での東洋医学思想、現代心理学 から超現実主義運動への流れ、そして日本の神道系の霊学が3つの 源泉」 Swingyがまとめてみました。 ↓ 野口整体 施術、体操、各種膨大な健康のための知恵が集まっている。 極力人為的な治療をせず、呼吸、眠りといった自然の健康 回復運動の手助けをすることを中心とする。 治癒は、自分には治る力があるということを自覚し、その力を 信じることから始まる。その力を自覚しないで何もしないのと 自覚して何もしないのでは雲泥の差がある。 野口晴哉語録のまとめ 「人から水を浴びせられれば風邪をひくが、自ら浴びれば丈夫に なって風邪をひかない。疲れずに眠り、腹減らぬのに食えば体は 毀れる。要求のないところに生はない。心も体もすっかり緩め、内 なる声を聞こう。病気している中にも健やかな動きがあることを見つ めよう。自然の力を信じ、そこに生まれた自分の力を信じることだ。」 野口晴哉が大切にすべきと説いたことは、 「感じる 信じる 覚悟する それから行動する そうすれば 疲れない、痛めない。病まない。感じられないほど強張って しまった時は私が緩めましょう。」 ということじゃないかと感じた。 野口晴哉 20世紀を代表する治療家・健康指導者。整体法の創始者。 心と体の関係を研究し、心に働きかけて体を治し、体に働きかけて 心を正した。治療、健康、しつけなど、多くの著書は、みな心と体の 関係について、とても興味深くかかれている。 著書「風邪の効用(ちくま文庫)」 体のことなら「体運動の構造」 全体像を知るなら「健康生活の原理」「風声明語1,2」 心と体 特に心について「人間の探求」 人間関係と病気について「病人と看護人」 子供の体と心と教育について「叱言以前」 奥さんの本で野口晴哉の人となりや、彼の主張も客観的にわかる。 「回想の野口晴哉(ちくま文庫)」「子育ての記」 野口昭子 ちくま文庫からのもの以外はこちら 全生社 http://www.zensei.co.jp/ 野口晴哉が主宰し、現在も引き継がれている整体協会のHP http://www.seitai.org/ おまけ 野口整体を中心に分かりやすい健康法が書かれたページ 福井自然体健康塾 http://www.shizentai.com/index.html