母性と父性の定義
母性の定義を見ようと思って、岩波の『心理学小事典』を見ると、ほとんど載っていない。
おやと思い、ネットで検索すると、やはり載っていない。『発掘あるある大辞典』で、大脳生理学の方からの検証が紹介されているのを読んて、感心したりする。(04-06-27検索結果。最近04'08月では、ぞくぞく掲載され始めている。)
「と言う事は、これは定義してはいけないものなのか ………」
つまり、定義して固定化してしまうと、我々が母性や父性を身につける事の妨げになると ………
まあ、色々あるのでしょうが、ここではこのページで私が使った母性と父性の意味を、民間信仰的に述べておきます。
母性とは、自分自身を安楽で良好な状態に保とうとする性質。
内側を安立する感性と感情の力。
母性を確立するとは、それを自分の中に持つ事。
父性とは、自分の欲動を制御し、うまく道筋をつける性質。
外へと向かう認識と意思の力。
父性を確立するとは、それを自分自身の中に持つ事。
母性がなければ、危なっかしくてかないません。まったく無防備で、ちょっとの危機で、すぐに死んでしまいます。もちろん、他者が死ぬのも、当たり前です。
父性がなければ、目をつむって全力疾走するようなもので、自分の力で自分を殺してしまいます。もちろん他者も、殺します。
しかしもちろん、自我を発展させて行く過程で、父と母の制止を振り切って、少々危険な事をする必要がある事は、言うまでもありません。
たとえば私の甥っ子は、大学の研究室に寝袋を持って泊り込みました。ソファーに寝たら良いように思うのですが、「そういう事をしてみたかった。」のでしょう。
いったい我々は、どうして子供に『マッチ売りの少女』や『よだかの星』、あるいは『フランダースの犬』などを読ませるのでしょう? 子供は読んで、悲しむのに。
それは我々が、「悲しみを教えたら、
欲動には本来、対象の区別はありません。他を傷つける心は、自虐へ向かう心と同じもので、他を慈しむ心がなければ、自分をうまく安定させる事も出来ません。
『慈・悲』とはよく言ったものですね。ところがこの二つは、表面的には正反対に見える。表面と本質は、しばしば相反するからです。
同様の理由で、「いのちの大切さを教えたら、子供は生命を攻撃し始める」訳です。この場合は、「慈しみを教えて、悲しみを殺している」と言う事に成るのでしょう。
また父性は、フロイト時代から「欲望の抑止力」として、有名です。衝動も相当に、抑止してくれます。
母性と父性を自分の中に持つ事で、我々は父母から独立する事が出来る。
たいていは、父となり母となり、それぞれに苦労する事で、母性と父性は確立するようです。
母性と父性の欠落・喪失が、現代の異常な事件に深く関わっている事は、言うまでもありません。
欠落と言うほどでもなく、少々欠如しているだけでも、本人は相当に苦しみます。
さまざまな異常な事件の当事者達の内面の苦悩と、その反対に苦痛に対するひどい無感覚は、我々の常識を相当に超えているのでしょう。これは今まで文学が、ずいぶんやって来た事と思います。
父と母が我々を、何から守ってくれたかと言うと、「それは『死』だ」と言えるでしょう。
母性と父性はそのまま『生きる力』と言い替えても、良いかも知れません。これが二つに表われたものでしょう。
そして明らかに、おかげで我々は、ちゃんと死ぬ事もできるのです。
母性と父性の欠落は、何より一番に危険なものです。
欠けているのなら、何とかしなければなりません。本編で紹介した早川徳次は、母性も父性もまったく欠落していた。ところが人生の歩みの中で、それを見事に確立してしまった。
まったく、勇気づけられます。