「女心と冬の空」
千村はつひ
 本日ひとつめの取材が済んだのは、午前十一時半過ぎだった。僕は丁寧に礼を言い、市ヶ谷にあるその会社を後にする。外は澄んだ晴天だ。乾燥した空にきらきらと塵が舞う。
 次のアポは水道橋で、午後一時過ぎの予定だ。電車に乗れば五分程度だから、一時間以上余る計算。昼飯時の飲食店で長居するのは気が引けるし、何かをするには中途半端だ。
 天気が良い。時間もある。最近、運動不足。目的地まで約二キロ――よし、歩いてみるか。
 外堀通りを飯田橋方面へと進む。
 会社を辞め、フリーランスになって早五年。サラリーマン時代に作った人脈に助けられ、なんとか生きている。やりたくない仕事も請けるが、やりたい仕事もあり、総じて充実感はあった。失ったものは、彼女くらいか。学生時代からつき合ってきたのに、定収入がなくなった途端、振られた。現金な女め。あれ以来、僕は女が面倒で、ずっと独り者だ。
 ……厭なことを思い出してしまった。散歩の時は何も考えず、風景を楽しむに限る。
 左手には車道。それなりの交通量だ。みんな結構飛ばしている。天気の良い冬の午前中に車を飛ばすのはさぞかし気分が良いだろう。
 右手には壕。水位は普通。水鳥が気まぐれに遊ぶと周囲に波が立ち、光を乱反射する。枯れた都会と小さな生命のコントラスト。
 そんな美しい光景の先に、それは見えた。
 水面に浮かぶように張られたテラス。開かれたパラソル。ぎっしり並べられたテーブルには、よくよく見ると人がまばらに座っている。奥には小屋のような建物もある。その室内で食事をしている人もいるのだろう。
 電車ではよく通りかかるし、近くを歩くこともあったが、こんな店を意識したのは初めてだった。さすがにこの寒さの中でテラス席を利用する気にはなれないが、なかなか趣深い。よし、ここで昼飯でも食おう――僕はその入り口を見つけ、そこへ近づいていった。
『CANAL CAFE』
 看板にはそう書かれていた。店名に聞き覚えがある。会社を辞めた頃のことだ。彼女が「行ってみたい」と何度か僕を誘った店。
 店頭に掲げられたメニューを見ると、たいしてお高くもなかった。雰囲気は良いが、決して敷居の高さを感じさせない店だ。なんで、こんなところに彼女は来たがったのだろう。僕はかつて、もっと高級な店や小綺麗な店に彼女を連れていったこともあったのに。
 ――いや。自分のことで手一杯だったあの時期、僕は彼女の話をよく聞いてやれなかった。きっと、疲れている僕もここにくれば「趣深い」と感じることを、彼女は知っていたのだ。彼女が現金だったわけではない。当時の僕は、「こんなところ」にさえ彼女を連れてきてやれなかった。それが事実だ。
 冬らしく澄んだ空を仰ぐ。空が青い原理を想いながら、僕は再び歩き出す。今の僕が彼女の為にしてやれることは、この店に独りで入らないこと。ただそれだけのように思えた。
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匿名さんからの批評 (2008/02/24 02:06) フォント
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主人公が会社を辞めたときに、失っていたものはどんなものなのか気になりました。それを知れば、主人公が未来に向けて思っていることに、もう少し共感できたような気がします。
kenさんからの批評 (2008/02/26 04:51) フォント
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店には入らなかったんですね。残念です。その店で重大ななにかを発見して物語が完結するのかと期待してしまったのでちょっとだけ物足りなさを感じました。
それでも、失恋の切なさをチクりと刺激されて心が動かされました。
【【【】】】さんからの批評 (2008/02/26 06:20) フォント
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 恋愛関係に関する描写のクオリティがいつも異常に高い。あれですか、人生経験ですか。
 他の作者が多かれ少なかれ【終わり】を意識しているのに対して、既に【終わった】物語を書く辺りが流石としか言いようが無い。左斜め四十五度の真新しいナイフを伝う雪解け水並みにクール。自分で言ってて良くわからないけどダダイスムってことでここは一つ。
 そんでもって一見してブルーな終わり方をしているように見える作品も、カフェの名前を考慮すれば決して彼女の別れたことが主題ではないということが解る。なるほど何かの終わりは何かの始まりですか←なんだこの安っぽい言葉は。
 描かれているのはつまり、別れても生きているということだ。生きなきゃならないのか死ねないのか、あるいはただ単に死に損なっているのか。それは解らないが、とにかく心臓はポンプとなって血液を全身に巡らせ、肺はボールのように空気が抜けたり入ったりしている以上は、何事も終わりながら・途切れながら続くということだ。
 もちろんそこに絶望することもできるだろうけれど、この主人公は再び歩き出している。それは皆が皆憧れるような歩き方ではないかもしれない。でも、歩き出した以上はどこかで落ちている幸せを見つけることができるのだ。言い切ってみた。『成熟した大人は理想のために矮小な生を選ぶ』と、かの【J・D・サリンジャー】も仰っていたし。

 それにしても。一つの作品でここまで濃くも深い心理描写を綴れるとは……あなたが神か。そして神の弱点はそこに追求してしまうが故の……何かではないだろうか、とふと思った。根拠は無い。具体的には……なんだろ、古さ? 大衆性? あるいは作品内だけであまりにも完成・完結されすぎているのかも。まとまりすぎてるーみたいな。じゃなかったら小説の限界とか? とにかく、壁……とまではいかなくても、貴族の家のベランダで水を上げている少女を薄汚れたスラムから眺めているような、そんな差異を感じるのはぼくだけか。
 なんでもケータイ小説を読んでる方は情景描写とかがあると「拒絶された」と感じるらしいですね。それを踏まえて考えると、ぼくは主人公に感情移入できても作品の世界に現実感が移入できないのかもしれません。まあぼくが薄っぺらい人生を送ってきたからでしょう。ていうかケータイ小説を引き合いに出しましたけど、あれは小説じゃないとか。新しいメディアらしいです。完璧に余談ですね。読み流してください。
名無しさんからの批評 (2008/02/26 22:01) フォント
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まるでどこか誰かの日記を読んでいるようなそんな感じです。
続きが読みたくなりました。
エッヂさんからの批評 (2008/03/12 05:35) フォント
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>天気が良い。時間もある。最近、運動不足。目的地まで約二キロ――よし、歩いてみるか

 中盤の「体言止め」と「短い文」でテンポよく歩いている感じがよく伝わってきますが、この文のときはまだ歩き始めていないので、この文は普通に表現して、この次の文から「体言止め」と短い文を多用し始めたほうがよりよかったかな、と思います。


>乾燥した空にきらきらと塵が舞う。

 全体的にとても女性的な文章だなあ、と感じたのですが、たとえばこの文に書かれているように、細かい「塵」にまで意識がいく繊細な男性が彼女の気持ちがわからなかったのは少し腑に落ちませんでした。彼の気持ちが以前よりずっと落ち着いて、このような些細なことがらにまで気がつくようになった、ということを表現したかったのだと思いますが、五年という歳月が過ぎ、年齢的にも落ち着いて、さらには時間的に余裕ができたことで起こる、男性の変化は、より自分らしく、本質的な自分に近づくのでは、と思いました(もちろん、その男性が五年間にどのような人生を送ってきたかにもよりますが)。そうすると、この男性はもともと繊細な性質を持っていたということになります。自分のことで手一杯だったとしても、どこかにその繊細な性質は現れたのではないでしょうか。


>空が青い原理を想いながら、

 この小説の主題をあらわしたアイコンのような文だと思いますが、この文が表すものは「いままで気にもとめなかったものの、その存在の理由をあらためて思う」であり、この文章全体の主題は「いままで気にもとめなかったものの、その存在の理由を初めて理解する」だと思いますので、少しずれているような気がします。
 前者は、主人公がそのとき突然、空が青い原理(たしか、青色の光の波長が他の色より短いとかなんとかだったと思いますが、すいません、よくは知りません)をひらめくことはありえない(絶対にということはいえませんが、科学者でないなら、その可能性は限りなく低いと思います)と思いますので、以前知っていたその知識を思い出す(あらためて思う)ということになります。一方、後者は、いままで気にもとめなかったもの(彼女のことば)の理由に初めて気がつく、というもので、それは以前から知っていたわけではなく、そのとき初めてたどり着いた心理です。
 ですから、いままでよく知っていたものの中から初めて何かの存在に気がつく、というようなもののほうが相応しかったように思います。



 全体的な感想は、率直にいって、とてもおもしろかったです。
 主人公は自分の好みの店を見つけるが、そこがまさに自分の好みの店であるがために、入らないことにする。
 当然起こるべきことがらが、起こらない。当然起こるべき理由があり、その理由が同時にそれが起こることを妨げる理由にもなる。ひとつの理由が相反するふたつの行動に影響を及ぼす――

 とてもおもしろい心理描写だと思いました。要約すると複雑そうに思える心理をシンプルかつ自然に描いています。このような心理と行動を文章で表すのはかなり技術が必要で難しいものだと思います。
かかしさんからの批評 (2008/03/13 01:32) フォント
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さらさらっとスケッチした画のような、心地よい作品でした。
作品と離れますが、ずいぶん前から私も「CANAL CAFE」に興味があり、電車の窓から眺めるたび、行ったみたいなあと思いつつ、まだ行ったことがありません。そして、なぜかいつも行ってみたいと思うのは冬(秋に近い冬か、春に近い冬)なので、不思議な心持ちで読みました。

読み終えて、あらためて題名を見て、作品とのずれを感じました。どちらかと言えば「女心」ではなく「男心」を描いているように感じます。なにかちがう題名のほうがよかった気がしました。
全体として風景の印象がつよく感じられ、主人公の「僕」を点景として見てしまい、うまく心情が伝わってきませんでした。現実に生きているはずの「僕」が、ほんとうにそこにいるのかどうかさえ、おぼつかない。もしかすると「僕」の見ているものが、五年も前に別れた「彼女」と「美しい風景」だけであって、ほかの人の姿、きっとそこにいるだろう人の様子を、描いていないからかもしれません。仕事の合間であり、まっとうな生活を営んでいそうな主人公にしては、あまりにも浮世離れして見えました。「女が面倒」なだけでなく、すべての人を視界に入れまいとしている。どちらかと言えば、
>右手には壕。水位は普通。水鳥が気まぐれに遊ぶと周囲に波が立ち、光を乱反射する。枯れた都会と小さな生命のコントラスト。
と描写される、ちらりとだけ見えた「水鳥」のほうにこそ、たしかな生の感触を抱きました。
あるいは作品に対する作者の目が、「僕」からではなく、もうすこし高いところから見ているような、そんな気もしました。
そういった見方をしてしまったためか、「CANAL CAFE」も風景に溶けて見えました。もしかすると、仕事のことや最近の生活をあれこれ思いめぐらせながら散歩していた「僕」が、ぽんと「CANAL CAFE」に行き当たったことで、「彼女」のことを思い出す、という構成だったなら、もっとちがった世界になったかもしれません。五年まえの「自分のことで手一杯」で「疲れている僕」がふいに思い出され、現在の自分と比べ、「彼女」の心情まで浮かび上がってくる、というような。
また、「趣深い」という言葉が、気にかかりました。好みか、あるいはイメージのちがいかもしれません。思わず「僕」の中からぽろりと出てしまった言葉、ふだん誰もが使う、なんてことのない言葉のほうが、しっくりと収まる気がしました。

辛辣な言葉を並べたうえ、さらに邪推すれば、ただ「CANAL CAFE」あたりの風景を描きたかっただけかもしれない、と思ってしまいました。そうだとすれば、私も見たことのあるあの風景を、やわらかな筆で、まったくちがう感覚で描いた、素敵な絵画を見せてもらったような気がします。「僕」がなにを思っていようと、小さくて、一枚の絵画の隅でしかない。それがかえって景色を際立たせ、都心の平日の昼らしい、つかみどころのない空気を上手に描いているように感じました。
なんだかとても「CANAL CAFE」に行きたくなりました。
名無しさんからの批評 (2008/03/14 21:55) フォント
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なぜかは分からないけど、はじめに「僕」とあるのに、「失ったものは彼女くらい」ってでるまで、主人公は女だという気がしてならなかった。
あ、レズって事もありうるか。
名無しさんからの批評 (2008/03/14 23:20) フォント
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カナルカフェ、いいですよね。読んでいて、久しぶりに行きたくなりました。
でも、あんなに目立つカフェに「電車ではよく通りかかるし、近くを歩くこともあった」人が気がつかないというのも、なんだか不自然ではないかと思いました。特に、そういうのを趣深いと感じるような人が。冒頭に「取材」とあるので、この人の仕事はフリーのライターかエディターかカメラマンあたりではないかと思うのですが、そういう人なら尚更、カナルカフェくらい知っているのではないかと思ってしまいました。
また、「空が青い原理」がとても重要な鍵を握っているはずだと思いますが、私にはその原理がよくわからないため、実は雰囲気に騙されているだけで物語を読みこなせていない気がします。ここは、空が青い原理について簡単にでも説明があったほうが良いと思います。
上記の点を除けば(あるいはそれを理解できなくても十分に)読みやすく、情景もきれいに思い浮かび、感情もよく理解できました。
生足さんからの批評 (2008/03/15 18:24) フォント
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これが「本当こと」であることと「創作であること」の間には、いったいどれだけの距離があるのだろうか。

完成度。それは、時として「読者を置いてけぼりにしている」ということでもあると思います。つまり、独走状態にあるということ。文章がある意味独りよがりで、先走ってしまっていて、何もかもを置いていってしまっています。読者は当然のことながら、作者も、そしてこの文章で伝えたかったことさえも置いて、文章の上手さや流麗さが勝ってしまっているのではないでしょうか。しかしそれでも読者がついてくる理由は、アイキャッチの上手さゆえです。場所のチョイス、職業とライフスタイルのチョイス、アンドソーオン。

さて、読解ですが。私にはこのレストランがどうしても別れのための場所にしか思えません。ここが幸せな二人の憩いのためのハッピーなプレイスとは、どうしても思えない。こんなのは私の手前勝手な感性ですが、個人の感性とはこのように手前勝手なものなのです。なので、彼女は彼を癒してあげたかったのではないと思います。彼女は迷っていました。二十台も後半になり、このまま彼と付き合い続けるか、それとも……。そういう心境を象徴するのがこの場所ではないかと思えます。そう、彼女は彼を試したのだと。なぜなら女性の与える試練は、いつもこんな風です。「もっと論点を明確にしてくれれば見事に対応できるのに」という感慨をいつもいつも抱かせます。そういう迷っている気持ちも、もっとはっきり言ってくれればいくら仕事に忙殺されていても、きちんと取り合うのに。まあ、これは男理屈ですね。
結局、彼は彼女と話し合いもせずに別れてしまった。「なんで?」や「どうして?」は別れる段になって今更いくら言っても届かない。その時その瞬間に、彼がこうしてくれなかったから。そんな理由で――世の女性が往々にしてそうであるように――彼女は気持ちを決めてしまうのだった。そして。男はいつまでもそのことは分からず、別れてもなお彼女のことを自分に都合のいい偶像として捉え思い続ける。それはもちろん、もう終わったことだ。それでも、終わってもなお人生は続くし、勘違いをしながら人生は続く。

いつも思うことなのだが、千村さんの作品は内容に比べてタイトルがよくない。この「よくない」というのは当然「私にとっては、本を手に取りたくなるようなタイトルではない」という意味だ。この非常に短い短編はよくできていて、描かれていることも言葉の額面通りに受けて破綻がないし、私のように手前勝手に読んでも深い。まあ、多少読者を置いていっている感はあるが、それでも「続きを読みたい」と思わせる力があり、人を唸らせる力がある。しかしどうだ、このタイトルは。絶対に映画化しない。いや、映画化したいなんて言ってないけど、この手の小説がそう思わせなくなったらそれはそれでひとつの終わりなのではないかと、私は思う。「素敵なタイトルさえあればよいのです。文章力なんて飾りです。偉い人にはそれが分からんのです」と誰かは言っています。(言ってないけど。)そこで、私が推したいタイトルはずばり。『空が青い理由』だ。これは作中でも触れられているし、テーマにもなっている。私のような変態が勝手に再構築する際のテーマとも符号する。そういう空虚な素敵さを操る陳腐さも、時として必要なのではないか。
空が青い理由は人の心に準えられている。それは、人の心は思いを100%透過するわけではないということ。そして気持ちのある部分は、人に向けられたとき、真っ直ぐ進まず乱反射を起こしてしまい、結果「青い部分」だけが散乱されてしまう。(理系じゃないので細かいツッコミは誰からもやめてくれ。)
では、「青い部分」て何さ。これは通常の読解をすれば、「いい部分」だろう。人は、相手と向き合っている最中にはその人の慎ましい美点は心に真っ直ぐ届かない。「いい部分」は散乱してしまい、その代わりイガイガしたものばかりが真っ直ぐ届く。では、人と人とが向き合うことはおしなべて悲しむべきことかというと、そうではない。人は、向かい合うのをやめた後でその人のことを思ってみれば、向かい合っているときには分からなかったその部分が分かりすぎるぐらい分かり、心の中いっぱいに広がっているものだ。それが、『空を仰ぐ』ということだ、青空を眺めてさわやかな気分になるということだ。
しかし、だ。私はそうは取らない。私は「青い部分」を慎ましい美点ではなく「エゴ」と捉えた。「青さ」。これこそ額面通りの意味の、人の未熟な部分。分かって欲しい、思って欲しい、と相手に望む気持ち。相手を思うばかりに時として相手を慮れなくなる、その部分。この小説を読むと、彼は彼女のことを「実像以上に」よく考え、美点の多い人物と解釈しているように思う。つまり、届いていなかったのは「いい部分」ではなく、実は「悪い部分」だった、ということ。別れと再起がさわやかに描かれ、この主人公もなかなかに好人物と感じられるからこそ、こういう読解も面白い。

いずれにせよ、人の心のフィルターと空を準えているところは読む者にとってうまく馴染み、感じやすいことと思う。それだからこそ、表面的な文章力で足早に立ち去らず、もっとスローペースになって、読者と一体になることを考えるのも、また一興かもしれない。
名無しさんからの批評 (2008/03/15 21:24) フォント
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文章は読みやすく、内容もわかりやすい。情景描写も的確で、冬のポカポカと温かく柔らかな日差しを感じることもできる。どこにも澱むことなく最後まですっきりと読み切ることができる。

しかしこれを読んだ後、私の頭を過ったフレーズ。
「そうだ、京都行こう」
何と言うか、非常に商業的な、コマーシャル的な凡庸さを感じた。
文章が整っている事が今回は少しアダになっているかもしれない。こういった言い方は失礼かもしれないが、この手の文章はよく電車のつり広告で見かける。
文章に粗はないが、心にも響かない。うまく言えないけど、読んでいて熱を感じられない。

作品としては非常によくできていると感じます。でも、何かが足りない。そんな漠然とした印象です。
名無しさんからの批評 (2008/03/15 23:14) フォント
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文章力向上委員会で、初めて「千村はつひ」の名前で出された作品にしてはいささか凡庸な内容に思える。

描かれている情景や、心情が凄く伝わってくる。日常を1200文字できりとった中に、これでもかというほどの要素がつめこまれている力量は圧巻。

たぶん、この何気ない日常とその中での心の変化を描くといのが千村さんの真骨頂なんだろうなぁ。

作品の好き/嫌いは別として勉強になります。
名無しさんからの批評 (2008/03/15 23:41) フォント
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さすがです。
が、読点の打ち方のせいかつっかえて読ませられる印象を受ける。
それと、男性の視点でかかれているのだが、どうしても「女」の文章になっている。

最後の一文は気に入っています。
名無しさんからの批評 (2008/03/16 12:08) フォント
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総合
作者がこの作品の中では「男」になりきれていないと感じた。風景や心情変化が如何にも女性的に描かれている。いっそ女性が主人公で男性に振られた話にしても不都合は無かったように感じる。

「空が青い原理」−これを作者がどういう真意で終幕に置いたのかは分からない。が、自分がこの「空の青さ」を読んで感じたのは、「他人が色彩をどう認識しているのかは分からない」という認知心理学の根本問題だった。自分が見ている空の青さ、自分が「青」と認識する色と他人が「青」と認識する色はもしかしたら違うかもしれない。これは色盲とは全然違う話で、色盲の場合は我々が共通して認識する「青」を「赤」と呼んだりする。そうではなくて、自分にとっての「青」が他の健常者にとっての「赤」なのかもしれないという事。例えば青空を指して「今日は晴れてるね」と言う。「うん、そうだね」と相手は答える。その時相手の目には僕が「赤」と認識する色が空一面に広がっているのかもしれない。そして僕も相手も共通して「空は青い」と言う(ここが色盲と違う所)。異なる人間の目に同じ色がどう映っているかは全く確かめようがない。

それと同じで、「CANAL CAFE」という1つの店に対する認識が僕と彼女の間で違っていた。彼女は僕に小休止してもらいたくて水辺の店に行きたがった。僕はただ「こんなところ」と感じて興を示さなかった。人と人の間の絶望的に埋め難い溝。どれだけ心から寄り添っているように見えても究極的には人間はいつまで経っても1人ぼっちだ。それが例え親子であれ、兄弟であれ、恋人であれ。そんな事を感じた「空が青い原理」だった。




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