「父のコップ酒」
安原朋子
「お酒、おかわりだって」
 母に言われて仕方なく、私は一升瓶を持ち上げ、トクトクと酒を注いだ。父のコップは、なみなみと注ぐと、ちょうど酒が一合入る。
「おい、香織もちょっと飲め」
 自分のコップが満たされると、父はまだ麦茶が少し残っている私のグラスにも酒を注ごうとした。私は慌ててグラスを退ける。
「ちょっと、やめてよ。明日顔がむくんだら、お父さんのこと一生恨むよ」
「あんた、なに言ってるの。今日くらいお父さんの晩酌に付き合ってあげなさいよ」
 母がそう言うのももっともだった。なにしろ、私は明日嫁に行くのだ。

 母は、父と私をほったらかして、今やらなくてもいいのに、あいた皿などを台所で洗い始めた。定石通り、結婚前夜の娘と父との会話の時間を持たせたいのだろう。
 けれど、私と父はテーブルを挟んで黙ったまま、野球中継を見ながらそれぞれ麦茶と日本酒を飲んでいる。会話がないからと言って、険悪な雰囲気でもない。いつものことだ。
「なにムッツリと睨み合ってるの。本当、香織とお父さんはそっくりなんだから」
 台所から私たちの様子を見て、母が笑う。
 別に、父とは仲が悪いわけじゃない。暴力もない、お金にもだらしなくない、清潔で真面目な良い父だ。なにも言わなくても普段から感謝しているのに、あえてそれを口にすることに、抵抗を感じているだけだ。

 ほとんど会話のないままそうしていると、とうとう野球中継が終わってしまった。間が持たなくなったのか、まだコップに半分も酒が残っているのに、父は立ち上がった。
「さて、今日はさっさと風呂入って寝るか。明日は一日、大忙しだぞ」
「あ、お父さん……」
 さすがになにか言わなければと慌てて父に声をかけると、父はおどけた顔で答えた。
「ケッコンはケッコウいいもんだぁ」
 ……父のオヤジギャグは、いつも無視することに決めているので、聞き流しておいて。
「そんなに残したら、もったいないよ」
 言うなり私は父のコップを横取りして、残りの酒を一気に飲み干した。『お父さんのパンツと一緒に洗濯したくない』などと言い出した思春期以降、私が父の食べ残しや飲み残しに口をつけるのは、初めてのことだった。
 父は驚いた顔で数秒間静止し、それから怒ったような嬉しそうな中途半端な顔で、「ふん」と鼻で笑ったきり、特に何も言わずにそのまま風呂場に行ってしまった。私はただその背中を見送りながら、母が言うとおり、確かに私は父にそっくりなのだと思った。
 半合の酒を一気に飲んだ体に、早くも酔いが回ってくる。そのせいか、明日もし顔がむくんだとしても、父のことは一生敬愛し続けようなどと、私は柄にもなく考えていた。
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□匿名者さんからの批評 (2004/08/15 22:16) フォント
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淡々と進んでいく話には現実味がありますね。大体こんな風に終わっていくんじゃないでしょうか、結婚前夜ってのは。
そつなくまとまってるとは思うが、あまりに盛り上がりが少ないとちょっと楽しめないかなと思う。
でも、最後の部分は結構良い終わり方だとも思う。中間部分にもうちょっと何かあったらいいかなって所でしょうか。
                                     以上。 
□匿名さんからの批評 (2004/08/15 23:07) フォント
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文章力、構成力など、しっかりしたものを持っておられますね。書き手の意識が読み手にきっちりと伝わる作品だと思います。ただやはり、いまひとつ盛り上がりに欠けるような気も……。いやこれは、だからこそほんわかと面白いんですかね。
□名無しさんからの批評 (2004/08/16 01:35) フォント
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かなり上手くまとまっていると思います。流れも自然で違和感が全くない。盛り上がりに欠けるのが欠点といえば欠点か。でも、とても読みやすくて良かったです。
□名無しさんからの批評 (2004/08/18 18:04) フォント
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 お、お父さんかわいいなーと読みながら思いました。

 文中で出てくるほどお父さんと香織がそっくりに見えなかったので、そこらへんをもうちょっと加えてもいいかなと思いました。
□名無しさんからの批評 (2004/08/18 19:44) フォント
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面白かったけどインパクト不足。
現実味のある話しの中にも、きちんと読ませる部分があるという良くできた話しです。ちょっと良くできすぎていて、というところではありますが。
こうなってくると、今度はターゲットを絞った話しが読みたいですね。需要のある話しを作るというやつです。
□辛口侍。さんからの批評 (2004/08/18 21:09) フォント
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むむむ、やっぱり今月はツワモノが多いでござるよ。斬るところを探すのが大変。

“私は明日嫁に行くのだ。”は、個人的な感性としては引っかかる。男からしてみれば“嫁をもらう”的な発想。ま、感性の問題ですから特に問題ありません。“花嫁”という言い方は素敵だけどね。

文章的にはケチがつけれない。あえてつけるとしたら、ストーリーか。そう、話としてこれは面白いのか、ということ。掌編はいわゆる四コママンガ的なオチみたいなのがないと締まらない。明確にそれを必要とするわけでもないが、長編の抜き出しではいけないような気がする。はッ、つぉーおおお、ざっ。一皮剥いたげる斬り! しゅりしゅりしゅりしゅり……先に興味深い“結”を考え出してから物語をつくるでござるよ……しゅりしゅりしゅりしゅり……。
□名無しさんからの批評 (2004/08/19 13:10) フォント
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お父さんのオヤジギャグ……泣かせますな。
淡々としていながらリアルな文章、うまいと思います。お父さんの飲み残したコップに娘が口をつける、というのがクライマックスに当たる部分だと思うのですが、そこまで淡々と書かれちゃってるので、もったいない。ここは解りやすく、もう少し丁寧に書き込んで欲しかったです。
後味は◎。
□名無しさんからの批評 (2004/08/19 18:11) フォント
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 たぶん、あの方の作品かなぁと思いつつ読んでいるので、もし違ったらごめんなさい。
 読みやすいしわかりやすい。特に難しい話でもなく、親しみやすい話と言えると思います。ただ親しみやすい反面、おもしろみが無い。いや、わたしは別に短編だからって必ず起承転結があり山があり谷があった方が良いとは思わないんで、これはこれで良いと思うんですが。
 でもなぁ、これじゃぁただのエッセイみたいな気がします。小説として読んでも、ああ、きっと作者が体験したこと(もしくは聞いたこと)なんだろうなぁと。あまりにも生々しいからでしょうか(現実に実際そうであると思える)
 ああでもノンフィクションとして読めば良いのかな。うーん、ノンフィクション苦手なので、あまり読み込めなかった。ごめんなさい。
□緑の五本指さんからの批評 (2004/08/22 01:58) フォント
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「……父のことは一生敬愛し続けようなどと……」。敬愛という表現以外はないかなあ、と思いを馳せてみたり。難しいですね。「私」のキャラに敬愛は似合わない気もしましたが。
その他はそつがないでつ。
□名無しさんからの批評 (2004/08/29 23:45) フォント
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普通に巧いなあ、と思いながら読ませて頂きました。
言うなり私は父のコップを横取りして……、、、の文。飲み残したのだから、横取りというのは適切じゃないんじゃないかな、と。
□名無しさんからの批評 (2004/09/02 16:28) フォント
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◆発想
 「半」をテーマに組み込むのは難しいですよね。実は私もこの回から投稿しようと思っていたのですが、「半」をどのように消化していいかわからず見送りました。

◆構成
 破綻がない。巧い。でもちょっと描写がくどいかも、なんとなく。

◆表現
 「明日嫁に行く」主人公の、喜びと不安の感情がいまひとつ伝わらない。淡々としすぎている。
 みなさんも同じことを評していますね。ドラマとしての面白みが足りないです。

◆総合
 描写力に優れているけど、人物の内面はあまり描かれていない。もっとドラマティックに。
 ふと、「プール」のマチコさんの文体と合体すれば凄いモノができそうに思いました。
□涼さんからの批評 (2004/09/14 00:36) フォント
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 読ませられます。上手いです。おやじギャグに泣かされます。どこにも粗はないのです。しかし淡泊すぎる感じ。
 何でしょう。ハッとさせられると良いんでしょうか。またはズキンとか。ああ、レベルが高すぎる話で曖昧にしか書けません。
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