「結晶の作り方」
市原玲司
 押さえつけられそうな灰色の雲の下で、笹原純一は一眼レフのデジカメが入ったケースを肩に下げて歩いていた。レンズ1つだけで十数万円する。そのレンズの重さや値段に加えて、先程から冷たい風が吹いて体温を奪っていくので、肩がちぎれるように痛い。
 眼前には雲を突き抜けるかのように、10階立てのビルが立ちはだかっていた。それが担当しているコラムの今回の取材先である、薮内教授の研究室がある大学の校舎だ。

 研究室に入ると暖房の温風が身体を包み、逆に冷えていた体が痛痒く感じた。その部屋の中で取材相手の薮内教授は微笑んでいた。
 好々爺。ずばり、そんな印象を受けた。しかも、話してみると、予想していた人柄は真実味を帯びた。笑うと目尻の皺がこれでもかと言うほど深く刻まれる。それに反して、自分の研究である人工雪の話をする時は、目を黒曜石のように光らせ、子供の顔に戻った。
 笹原はその顔を見逃さなかったが、話の最中にシャッターを切るのは失礼すぎる。ファインダーを覗きたい欲求に駆られながらも、薮内の話に聞き入った。こんな時、理想と現実のギャップに苛まれる。
 その話の最中、薮内が大学で教鞭を取るきっかけの話になった。何でも、有名な化学メーカーを辞めてまで大学院に入り、博士号を取り、講師から教鞭を取り始めたというのだ。
「給料は半額になりましたがね、やはり、やりたいことをやりたいと思うのが人の常というものですよ」
 それを聞いて、笹原の頭には先月の給与明細が浮かんだ。先月、初めて出版社のカメラマンとしての給料をもらった。しかし、それはコラムを1つ任されているとは言え、フォトコンテストで賞を取る前までに貰っていた、他の会社での給与の半分にすぎなかった。
 笹原は意を決して、自分がこうして出版社のカメラマンとして働いている経緯や撮りたい物と撮らされる物との差、そして、今と昔の給料の差について打ち明けた。
 薮内は少し困った顔をしたが、すぐに奥の戸棚から古いアルバムを探り出し、数枚の写真を机に広げた。それには六角板状や星の形、様々な形をした雪の結晶が写っていた。
「笹原さん。雪の人工結晶と言うのは、結晶が成長する温度の違いで様々な形を見せます。ただ、結晶には芯となるものが必要でしてね。貴方もちゃんと芯さえ持っていれば、きっと良い形の結晶を作ることができますよ」

 校舎から出ると、風は止み、灰色の雲も見えなくなっていた。笹原がコートの襟を正してカメラケースを担ごうとすると、一片、粉雪がそのケースに落ちていった。
 もう、何も怖くない。大事なのは自分で決めたこの道を、自分自身が信じることだ。
 上を見上げながらケースを肩にかけると、肩に食い込む紐の痛みが和らいだ気がした。
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□名無しさんからの批評 (2004/01/10 12:17) フォント
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もう、何も怖くない。大事なのは(中略)信じることだ。の、二行は無いほうがよかった。
好きな話だっただけに、もったいない。
□ななしーずさんからの批評 (2004/01/11 04:28) フォント
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読みやすい文体です。
教授の魅力が読み取れました。
「給料は半額に〜人の常というものですよ」の部分、ここを際立たせる為の二人の登場人物なのかなと思いました。
やりたい事をやれてる人は魅力的ですよね。

なんか、ただの感想になってしまってすいません。
□名無しさんからの批評 (2004/01/11 16:05) フォント
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うまくまとまっていて、話の盛り上がりもまとめもしっかりしている、まさに「芯」の有る話に見えました。
その分、突然取材先の教授に自分の話をしだしてしまうのが、いまいち納得いかなかったりします。

連作ですよね? そう考えると、蛍の写真で大賞をとったということは、主人公は教授の顔写真を撮りたかったというより、目的は結晶のほうだったんでしょうか? 結晶写真を撮るには、普通のカメラでは取れない(顕微鏡でとるでしょう)し、もし撮る気なら三脚の方がカメラより重いし……って、妙に細かいところが気になってしまいました。
□郵一郎さんからの批評 (2004/01/11 18:53) フォント
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雪の結晶を人としての成長と絡める手腕が素晴らしいと思います。 自分に突っ込めるところは皆無です。
□名無しさんからの批評 (2004/01/11 19:18) フォント
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男性的な、力強い作品だと思いました。

ただ主人公が中盤から後半にかけて受けた感動、恐らくこの作品が読者に伝えたいものは、自分には伝わりませんでした。進行のしかたが単調なので、読み砕こうとする当方の心も最後まで単調で、揺さぶられなかったのかもしれません。
□名無しさんからの批評 (2004/01/11 20:49) フォント
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 「笹原純一」とわざわざフルネームにしているのは連作だからってことですかね。この先何か意味を帯びてくると思ってよいのでしょうね。
 「目を黒曜石のように」という表現は綺麗なんですが、黒曜石を身近に感じる人って少ないのではないかと。その具体的イメージが浮かばない比喩は比喩にならないと思い込んでいるので気になった次第です。
 「もう、何も怖くない〜」の一文は蛇足です。なくても十分、こちらに伝わってきますから。
 物語は説教くささを感じて引いちゃうんですが、こういうものの方が万人に理解しやすくていいでしょう。ということで高評価といたしました。
□名無しさんからの批評 (2004/01/13 00:21) フォント
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 選ばれた言葉がきれいに連なっていて、読んでいてとても心地よい物語でした。短い中なのに、ささやかな勇気をいただいた気分。
 特に指摘するところはみあたらないのですが、確かにラストもう少しさっぱり終っても良かったかも?
□名無しさんからの批評 (2004/01/13 02:09) フォント
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いい話ですね。安心して最後まで読めました。
“先月、初めて出版社のカメラマンとしての給料をもらった。〜フォトコンテストで賞を取る前までに貰っていた、他の会社での給与の半分にすぎなかった。”
この文だけ、この話だけだと、彼がカメラマンに転身したこと、カメラマンとして始めての給料、というのが解り辛いかな、と感じました。
□名無しさんからの批評 (2004/01/13 20:44) フォント
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ほぼ完成形だと思います。
主人公が自分の身の上話をする部分だけ、少々唐突だったかもしれません。なぜ「意を決し」たのかが書かれていた方が自然でしょう。この部分、少し構成をいじるだけで変わりそうです。

作品の批評とは違うかもしれませんが、前回の作品で足りていなかったものが今回きちんと消化されているのが伝わってきたので、前回批評に参加できたことをとても嬉しく思います。
□名無しさんからの批評 (2004/01/14 15:46) フォント
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ストーリは気に入りました。プロットも、そして表現もまとまっているし、連作とは読まなくても完結してるのでコレでいい。完成してると思います。でも、何かが足りないんですよねぇ、それは作者さんが一番ご存知なんでしょうが、、何だろう。何が足りないんだろう。それは次回作に期待という事で。
□名無しさんからの批評 (2004/01/15 09:25) フォント
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まとまっているな〜と思いました。
もう既に指摘されていることですが、主人公の打ち明け話が少し唐突だなと思います。
それと、細部を説明しようとしすぎていて蛇足が少しばかり多い気がします。
書かずにも伝わることはあります。
その余韻をもう少し大事にしてほしかったです。
余韻が十分感じられ、力のある話なのに、そこをわざわざ書いてしまってはもったいないと思いました。
□名無しさんからの批評 (2004/01/15 23:25) フォント
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国語の教科書に載せられそうな良い作品だと思いました。
□名無しさんからの批評 (2004/01/17 18:44) フォント
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今と昔の給料の差について打ち明ける辺りに強引さを感じたし、それで「何も怖くない」と感じた笹原に単純さを感じた。
□名無しさんからの批評 (2004/01/19 18:35) フォント
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良いと思います。多数指摘されている唐突感さえなければ、最良の短編だと思います。あとは、表現を無理して書いている感じがあるように思えました。

それにしても、説教臭い(笑)こういう話がお好きなんでしょうか。いや、批判でもなんでもなく。ここで書かれている筆者陣の中でも特質な感じがしました。
□nobodyさんからの批評 (2004/01/20 12:58) フォント
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単発作品としても十分に読める作品だと思います。というか、連作であることに他の方の批評を見るまで気が付きませんでした。

「フォトコンテストで賞を取る前までに貰っていた、他の会社での給与の半分にすぎなかった。」ここの一文だけがわかりにくかったです。今までとの生活のギャップと、それに対して漠然とした不安を抱いているという描写はここにしかないので、もう少しわかりやすい方がよかったかなぁ、と。

自分次第では、いくつになっても夢を実現させることができる。自分がふらふらと無駄に時間を消費しているせいか、こういう作品は身に沁みるのと同時に、なんとなく勇気も与えられますね。
□名は無いさんからの批評 (2004/01/27 21:41) フォント
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整った作品だと思います。小説を形作ると言う意味においては完成されていると言っても良いかもしれません。
こうなってくると問題となるのは個々の表現、場面の見せ方、テーマの消化の仕方が鍵となってくると思うのですが、これはなかなか私なんぞが人様に口出しできる分野ではない問題です。
それでもあえて私に指摘できるところを上げるとすれば、笹原さんの心情変化が早すぎて、単純な人間であるような印象を与えてしまう点ではないかと思います。夢を実現した好々爺の教授に対比すると、どうしても彼の浅さが際立ってしまうのでしょう。1200文字では登場人物を掘り下げていくのは難しいと思いますが、それに甘えない事もここでは重要だと思うので、その点は次に期待したいと思います。
□名無しさんからの批評 (2004/02/07 01:54) フォント
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教授の「いい顔」を撮りたいと思ったカメラマンとしての笹原と、社会人としての常識のせめぎあうあたりの描写は良かったです。
欲を言えば『その顔』ではなく「その表情」の方が更に良かったかと。

皆さんも唐突と指摘している部分は語らせるのであれば「意を決して」ではなく、教授の好々爺的なイメージにほだされて、少し弱音を吐いたことにした方が自然か。

やはり『もう、何も怖くない。〜』は書かずともと思います。

相対的な評価になりますが、個人的には今までの作品の中で一番良いと思います。
□名無しさんからの批評 (2004/02/08 14:00) フォント
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完全に市原さんの世界を構築しきっており、描きたいものに向かって着実に歩を進めている作品だと思います。連作だとしても掌編だとしても成功しているように思いました。

あえて言うならば、上記批評で他の方も仰っているように、主人公の感情の切り替えが(字数制限のためもあるのでしょうが)早かったことでしょうか。
その言葉を聞いて自分の不安が確立するまでの感情を、もう一歩踏み込んで欲しかったように思います。主人公が置き去りでストーリーだけが進んでしまっているような気がするのです。

今後どのように市原さんの世界が進んでいくのか楽しみでなりません。
□セツナビトさんからの批評 (2004/02/09 18:56) フォント
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うまい。もう批評の糸口を見つけるのが嫌になるくらい。以下、ちょっと気になったところを書かせていただきますが、ただの感想になっている部分もあります。どうかお許しを……

主人公が自分のことを話し出すことについて。ああいった風に語られると、自分の不安などを語りたくなるものだと思います。だから打ち明けること自体は違和感が無いのですが、「意を決して」より『打ち明けたい、でも打ち明けたら迷惑になるかも』という葛藤や切り出すまでのじりじり感が描写されていればもっと自然につながると思います。この字数では難しいかもしれませんが。

あと、ラストの「もう、何も怖くない。大事なのは自分で決めたこの道を、自分自身が信じることだ。」はない方がよかったように思います。そう断定してしまっているので、少し思考が単純に思えてしまえます。その次の「上を見上げながら〜」で、『はっきりとした答えは見つからないけど少し心が上向きになった』といった感情が表現できていると思うので、それで十分でしょう。

なんだか読んでいて励まされてしまいました。薮内教授の話、いいですね。名言です。本当に、素晴らしいお話でした。

最後に言わせていただくと、今までの作品も今回の作品も淡々とお話が進んでいてあまり起伏を感じませんでした。それはそれでお話の雰囲気に合っていると思うのですが。次は起伏のあるお話を読んでみたいです。期待しています。
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