「まるごとぜんぶ」
紗島萌未
 例えば、本棚の文庫に挟まれた押し花のしおりや、微かな芳香を放つトイレに飾られたポプリや、下駄箱の隅にひっそりと佇む華奢なサンダル。
 目に見える形で彼の部屋に残るそれらだけでなく、キスの仕方やセックスの手順一つ一つにも、影のように彼に纏わり付く私以外の女の匂いを感じて、私は一人胸を焦がす。
 誰にだって過去はある。私にだって。過去に嫉妬するなんて、私はなんて狭量で愚かな女なんだろう。格好悪い。少なくとも、彼と恋に落ちるまでの私はこんなじゃなかった。自分で自分が嫌になる。
 絶対に顔には出さない。勿論、口にも。瞬間的に沸き立つどろどろとした感情は胸の奥底に沈めて、速やかに文庫を閉じ、歪んだ表情を素早く元に戻してトイレを出、下駄箱は二度と開かない。嫉妬なんて知らない。したことがない。涼やかな顔をして微笑むのだ。
 
 その夜、私は彼を誘って、封切られたばかりのフランス映画を観に出掛けた。
 人間の心に潜む闇を、性描写や暴力描写を多用し、これでもかと濃密に表現している、それはいかにもなフランス映画だった。
「後味悪くてげっぷが出そうだ」
 映画が終わった瞬間、声を潜めて彼は言った。たしかに彼のような快活な人間にはあまり好まれないタイプの内容だろう。私は嫌いじゃない。単純で明快なラブストーリーやアクションものより、よっぽど惹き込まれる。
 余韻に浸る間もなく、「出よう」と彼は言った。私の返事を待たずにさっさと席を立ち、出口に向かう彼の後を追う。
 映画館の前で、思いがけず昔の恋人とばったり会った。きれいな女の人を連れていた。恋人だった人は「久しぶり」と微笑んで言った。私も「久しぶり」と微笑み返した。私にフランス映画の魅力を教えた人。次の回を見るつもりなのだと、恋人だった人は言った。
 連れの女の人は、にこりとも笑わず嫉妬を剥き出しにした表情で私を見ている。押し花が目に触れた瞬間、きっと私もこんな表情をしていた。不思議と不快には感じなかった。
 二言三言、挨拶程度の会話を交わし、じゃあと言って別れた。
 三歩先で、背中を向けて突っ立っている彼の元に私は駆け寄る。
「ごめん、知り合いに会っちゃって……」
 覗きこんだ彼の顔は、怒ったように不貞腐れている。さっきの彼女の表情と重なり、思わず私はくすくすと笑ってしまう。可愛い、と思った。「何笑ってんだよ」と、不機嫌な声で彼は呟く。単純明快なのも、悪くない。私は彼の手を握り、言った。
「私の過去も汚い部分も、全部愛して。私も愛すから」
 過去は私や彼の影ではなく、そのものを形作る一部なのだ。きょとんとした様子で、けれど、彼は小さく頷いた。
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□匿名さんからの批評 (2003/12/10 19:34) フォント
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最後の三行がしっくりこないかな。きょとんとした彼が、うなずくのは、思い出の品を片付けない無神経さがでて、よかったけれど。突然、「私の〜。私も愛すから。」といわれても。説明的な現実味の無い会話にかんじました。下駄箱の下の忘れ物は、いくらなんでも捨てるでしょう?もっと、在っても当たり前なものに嫉妬したほうが、現実的な話になったのではとおもいます。
□匿名批評者さんからの批評 (2003/12/10 22:50) フォント
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話自体は、少しばかり少女っぽさが残る感じがするけれども、話の流れや文章はきちんとしていて読みやすかった。
□セツナビトさんからの批評 (2003/12/10 23:15) フォント
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洒落た雰囲気の漂う素敵な作品ですね。文体も軽やかでリズムがありました。主人公の性格がよく伝わってきます。

特に問題なくすらすら読めました。気になったのは、最後から三行目の台詞。どうも違和感を感じました。他の方が書かれていますが、いきなり現実味の無い「台詞」になってしまったような。それまでの地の文から言っても、この主人公だったらもう少し噛み砕いた表現をするのではないでしょうか。

あと、「押し花が目に触れた瞬間、〜」のくだりで、「えっ、押し花なんて出てきたっけ?」と読み直してしまいました。冒頭にありましたね。最初に「例えば」があったので、ただ単に例えとして引き合いに出されただけのような感じがしたから、印象に残ってなかったのかもしれません。いや、私の読解力が足りないだけですね……。

言葉の運びなどがうまいと思います。あと雰囲気作りも。著者様の他の作品も読んでみたいです。これからもがんばってください。
□名無しさんからの批評 (2003/12/10 23:30) フォント
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この作品のポイントは一番最後のト書き部分「私の過去も……」だと踏みました。オトコとしてはこんなセリフ言われたらブッ倒れますね。で、その後逃げるっ!
じゃなくて、このセリフは好きです。プロットをこのまま生かすなら、このセリフを一番頭にもっていって、練り直すのもいいかも。全体の文章がキチンと描かれている分、このセリフが強烈すぎるのかも?それを生かす方法もありそうです。次回作、期待しています。
□名無しさんからの批評 (2003/12/11 00:08) フォント
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 文章の表現方法(「〜する」なのか「〜だ」なのか「〜だった」なのか)を工夫することで、全体の流れの方向づけや、起伏や、展開の予兆→結論といった、「小説」として一歩踏み込んだ表現を目指すと、もっといい気がしました。自分でもはっきりとは分からないので曖昧な注文をつけてますけど(すいません)、起承転結の起から結への流れが、エピソード的には進んでいるんですけど、主人公の心情的には変化が無いというか感じられないというか。この話では、主人公はその気持ちに最初と最後で変化が生じているのだと思うのですけど、それがそうではなく単に「こうなのでこう思った」「こんなことがあったのでやっぱりこう思った」と続いているだけのように読んで感じて、そこに読者としてちょっと不満を感じたので。もしかしたら「変化」というほどのものは最初から込められていないのかもしれませんが。
□名無しさんからの批評 (2003/12/11 13:51) フォント
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全体的には嫉妬する女性の怖さ(……)がよく書けていると思います。『私の過去も汚い部分も、全部愛して。私も愛すから』唐突でエグイ言葉ですが、小さく頷いた彼が可愛らしかったので個人的にはこれもアリかな、と。「二言三言」「三歩先」音の使い方が面白くていいと思います。

引っかかった表現としては、「たしかに彼のような快活な人間にはあまり好まれないタイプの内容だろう」。彼が快活であるというエピソードがない限りは、ちょっと不親切な言い回しかなと思いました。彼女は彼のことをよく知っていても、読者は彼のことを知らないのです。「思いがけず昔の恋人とばったり会った」最初彼の恋人のことかと思ってしまいました。いやその前にあれだけ彼の女性関係についての描写があるので、つい。連れていたのが女の人であっても、つい。
□名無しさんからの批評 (2003/12/11 14:28) フォント
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流れはきれいでとても読みやすい文章でした。が、流れっぱなしで後に残る印象が薄いです。
後半は良いにしても、前半で彼の魅力が解らず、どうして好きなのか、何が良くて付き合っているのかも解らず、それゆえ最後の部分まで入っていけませんでした。もう少し、人物についての客観的な描写がほしい。
□匿子さんさんからの批評 (2003/12/13 00:13) フォント
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全体の流れは悪くないのですが、集まった作品では「影」の捉え方が一番多かったタイプに分類されるので、何か一歩はちゃけた部分がないと「その他大勢」に割り振られて終わってしまいます。

この先、四つ目くらいに挙がるテーマの方向で新たに話を作ってほしいです。
□名無しさんからの批評 (2003/12/13 00:42) フォント
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テンポもバランスも良く、さらっと読めました。
□名無しさんからの批評 (2003/12/13 03:06) フォント
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彼に対して、サンダルは捨てろよと思ってしまった。無神経な彼ですねー。でも彼女の返事も待たずに先に席を立つような態度とは合っているのか。

文章は危なげない感じで、書きなれていらっしゃるなという気がしました。

ラストの「過去は〜なのだ。」はもう一工夫欲しい。

最後のセリフは地の文に上手く混ぜてしまって、彼に対してはもっと軽めの言葉で良かったような気がしました。
□名無しさんからの批評 (2003/12/13 15:56) フォント
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過去の日記帳を開いて見つけた1頁を小説にしたような感じ。「私」の感情でなく「作者」の感情を押し付けられたような気がした。

「私の過去も汚い部分も、全部愛して。私も愛すから」がキツイ。私がこんな事言われたら、これから先泥沼が待ち構えていそうな予感がして怖いなぁと思うのだけど、彼は小さく頷いたというのだから、凄いなあと思った。
□名無しさんからの批評 (2003/12/13 17:48) フォント
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 一見テンポよく読めそうに見えるのですけど、なんか野暮ったい感じがするのは、メルヘンな女子高生の日記に出てきそうな言葉がつかわれているせいでありましょうか。おしゃれというよりもダサさを感じました。
「人間の心に潜む闇を、性描写や暴力描写を多用し、これでもかと濃密に表現している、それはいかにもなフランス映画」とのことですが、何がいかにもフランス映画なのでしょう?「ポーラX」あたりのイメージでしょうか?そればかりがフランス映画でもないでしょうに。
 無理にオシャレにとおもってフランスにしたとしか思えないのですけど。
□はるさんからの批評 (2003/12/13 19:28) フォント
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テンポがよくすらすら読めました。
内容も女性の心理が丁寧に描かれていて、とても面白かったです。
ただところどころ現実離れした設定があり、気になりました。
せっかくテンポのいい文章なのにそこでつまづくのはもったいないです。
特に最後のせりふは自然さがなくて。
さらっと読める作品なのだから、さらっと、でも印象に残るセリフにしてほしかったです。
□名無しさんからの批評 (2003/12/13 22:42) フォント
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とても読みやすく書かれています。これはとても重要なことだと思います。

最後の台詞、すごいインパクトです。怖いくらい。これだけ書けば、短編でもきちんとメリハリつけられるんですね。勉強になりました。
□名無しさんからの批評 (2003/12/15 21:19) フォント
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 表現は良いと思います。
 それだけに、構成がちと強引で足早すぎるかと。
 女性の嫉妬が嫉妬でなくなるのには、少し理由が少なすぎるようにも思えますね。
 むしろ、嫉妬のまま終わらせても良かったのではないかと。

 「私の過去も汚い部分も、全部愛して。私も愛すから」
 これは、ちょっと、使い古されすぎているような気もしますね。
 表現力はあると思いますので、自分だけの表現で台詞を考えてみては?
□水夫さんからの批評 (2003/12/16 16:00) フォント
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この終わり方なら『単純明快なのも、悪くない。』で切りたいかなあ。
□名無しさんからの批評 (2003/12/17 06:16) フォント
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うまいなあ。
個人的には最後のセリフは直球ストレートよりも、変化球というか遠まわしな表現のほうがいいような気がしたり。
□名無しさんからの批評 (2003/12/19 21:27) フォント
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表現力はある方なんだろうなとは思いますが、もう使い古された表現がちらほら見えて、それが少しもったいないな、と。
最後の台詞、「私の過去も汚い部分も、全部愛して。私も愛すから」も使い古されてはいますが、上手い具合に使ってるなぁと思います。
だけど恋人が出来た時って、やっぱりこんな気持ちになりますよね。
□愛さんからの批評 (2003/12/19 23:38) フォント
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短編小説としての骨格はとてもしっかりとしていて、テーマも起承転結も非常にわかりやすいし、文の表現もとても高いと思います。
ただ構成があまりにもしっかりとしているために、少々不自然さを覚えてしまいました。
特に最後の言葉は会話としてはかなり不自然に感じました。
□名無しさんからの批評 (2003/12/22 00:25) フォント
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 ああ、すごく解かる。批評に個人的な感情を入れてもいいものかどうか悩むところなのですが、すごく共感しました。昔の女の物を捨てない無神経な男っているんですよね。こっちもあえて言わないけど。
 文章のテンポに乗るまでがちょっと時間がかかりました。でも乗ってしまえばすらすらと読めました。
 難を言うとすれば、きれい過ぎる印象です。実際は、嫉妬心ってもっとドロドロしていると思う。
□名無しさんからの批評 (2003/12/22 16:38) フォント
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全体的によく書けていると思うのですが、わたしも「単純明快なのも悪くない」で終わって欲しかったかな。この彼は快活と言うより、無神経で無頓着なタイプのように感じたので、「全部愛して」なんて言われたら引きそうな気がしてしまいました。
文章は良いと思います。テンポ良く、流れるように読めました。このまま書き続けて欲しいと思います。
□名無しさんからの批評 (2004/01/02 05:15) フォント
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これといって優れた発想はストーリー上に展開されていないのが残念ですが、文章力自体は高いので他作品と比べて高得点だと思います。最後の台詞だけ浮いている感も無きしもあらずですが、リズム(というか作風)を崩して強調するという意味では成功でしょう。
□匿名さんからの批評 (2004/01/06 12:36) フォント
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彼のキャラクター作りが上手いと思います。以前の彼女の持ち物を依然として捨てないところや、自分の感情に動かされて行動してしまったり。

男女限らず、嫉妬心ってもっと表に出ない形でどす黒く渦巻いていると思います、私の偏見かもしれませんが。こういう表から見える嫉妬も有ると思うのですが、ちょっと軽い感じがしました。
後、ラスト3行は、私も違和感を感じました。上手く繋がっていないと思います。もしかしたら、このラストのために話を作られたのかもしれませんが。

付き合い始めて日が浅い、若いカップルの間のドラマならありかな、と思います。
文章の運び方はうまいと思いました。
□名は無いさんからの批評 (2004/01/07 20:20) フォント
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私自身も大雑把な人間ですので、細かな所に気がついた表現は良いと思います。
嫉妬の表現がもう少し濃いと、面白いかなとか思いました。最後の彼女の台詞、それが一番言いたかったのでしょうが、浮いている気がどうしてもしてしまいます。
台詞とその下は切ってしまっても良かったかもしれません。
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