「名残の影」
小鳥遊苗
 そのときまで、わたしは自分がそれほどその男に執着しているということに、気がついてはいなかった。
 彼はいつも影の薄い、控えめでおとなしい、ひそりと佇むようにして居る男だった。わたしのためにいつも力を尽くし、わたしが呼べば従い、わたしが泣けば抱きとめてくれた。それがあたりまえのように続くものだと思っていたし、よもやそれが崩れる日が来たとしても、さほど堪えないと思っていた。
 思って、いたのに。

「別れたい」
 彼は今までと変わらない淡々とした口調で、しかしきっぱりと言った。わたしは意味が理解できず、瞬きを何度か繰り返す。
「きみよりも大切なひとが出来てしまったから。だから」
 だから?
 わたしは瞬きをする。世界がそのたびに断絶される。明るい世界と、瞼の裏に縫い閉じられた暗い世界。光と影の間を何度か行き来して、わたしは漸く、どうして、とだけ呟いた。部屋の隅で切れかけた灯りが幾度か、わたしと同じように瞬き、その所為で白い壁紙に彼の影がゆらゆらと、留まらずに揺れた。
「別れたいんだ」
 厭。
 口にすることは彼の言ったことを理解したことになる。それが厭でわたしはまた、どうして、と言葉を曖昧にして、現実から目を逸らす。
 不変な愛情なのだと、思っていたのに。
 彼がドアのノブに手を掛ける。さよなら、と微笑んだように見えたけれど、わたしは動けない。
 かろうじて口だけが開く。いかないで、と言いそうになってわたしは初めて自分の執着に気がついた。
 足が重い。よろめきながら彼のもとまで辿り着く。しかし男は、そつとわたしの肩に手を置いて留まらせると、そのままドアを開いた。
 やや暗かった部屋に外の明かりが差し込む。眩しかった。部屋の入り口まで、彼の影が黒々と伸びた。
 男が出てゆき、ドアから手を離す。ゆっくりと反動で戻り来るドアが光を絞る。隙間から差し込む光で、男の影が次第に細まり、形を成さなくなり、わたしは慌てて手を伸ばす。
 ノブに手が届く前に、わたしの足は彼の影を踏みしめたが、容赦なく扉は激しい金属音を立てて閉じ、世界は閉ざされた。わたしの足元には、黒く影が溜まっている。たぶんこのわたしの影の中に、彼の影は解けていって、そうして無くなったのだ。
 これが、自分のあの男に対する執着の証かとわたしは回らない頭で思う。
 足元の影が、いつまでもわたしを飲み込んでいた。
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□ともぞうさんからの批評 (2003/12/11 01:29) フォント
発想
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題材・発想としては、よくあるシーンではありますが、それを巧くテーマと絡めて、独特の描写をなされていると思います。
光と影、出会いと別れ。
彼女の焦りや悲しみが伝わってきました。
□名無しさんからの批評 (2003/12/11 01:51) フォント
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よくある別れの風景なので、物語についてはもう少し工夫がほしいような気もします。が、最後の部分ではなく中盤の、「瞬き=光と影の間を行き来」という表現がとても印象的で、すばらしいと思いました。これだけで作品がひとつ書けそうなくらい世界観のある言葉だと思いました。
□名無しさんからの批評 (2003/12/11 17:54) フォント
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上の方々と被るのですが、物語そのものの発想と構成はありふれている印象ですが、光と影の描写は細やかで鮮やかに伝わってきました。
ただ話の筋がぼやけているせいか読後感が薄かったです。
□名は無いさんからの批評 (2003/12/12 01:59) フォント
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重たいなぁ…。失恋の話はいつも私の気分を重たくします。しかし他に好きな人ができた。はいさよなら、というのは酷いですな男も。

さて、男を表す表現が「彼」「男」と使い分けられているのですが、「男」としたときの突き放した感じが、上手く活かせてないように感じました。執着があるのなら「彼」のままか、呼び名を使っても良かったかもしれません。
□秘密さんからの批評 (2003/12/13 00:17) フォント
発想
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一人称をうまく書きこなしている印象を受けました。

しかし、展開、発想ともにありふれています。
ただ、似たような方向で捉えている中では「話」としてよく出来ていると思いました。
イメージではなく、そのものを捉えるとかにして作品作りをしてみてはいかがでしょうか?
□名無しさんからの批評 (2003/12/13 09:36) フォント
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表現はわかりやすくく、情景はよく浮かんできた。
光と影云々のところがいくつか、少々強引というかくどすぎる気がしました。
□名無しさんからの批評 (2003/12/14 01:47) フォント
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 この手の話にはもう飽きている読者がほとんどではないだろうか。それ覚悟した上で、客観的に光と影を表現することでなんとか読者を引きつけようとしているのかもしれないが、それが冗長さを生んでしまっている。突き放したイメージを描くのか、主人公に感情移入させるのか狙いを明確にすべきだったろう。
□名無しさんからの批評 (2003/12/14 18:06) フォント
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考えての事だとは思うのですが、句点の使い方が間を空けてしまってまどろっこしい。言い回しが使い古されている。
□名無しさんからの批評 (2003/12/16 03:02) フォント
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激戦区の「別れ話」ですね。恋愛モノは私、書けないので、それだけでいいなあと思ってしまいます。
 たとえば、「流行り歌」は恋愛ってのが基本ですし、(ときどき、ヤキイモとかサカナの場合もありますが……)文字で「恋愛する、別れる」ってのは激戦区だけあって難しいです。
 
いっそのこと「影」という言葉をもう少し外してもこの作品の場合、いいんじゃないか?と思います。文中の「影」という単語の使い方にちょっと無理があるような気がします。
□水夫さんからの批評 (2003/12/16 17:51) フォント
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そつと、に促音を使わないのは意図的なのかtypoなのか、どちらだろう。意図的なら中途半端かと。

ベタなシーンを無難に書いた印象。この路線としては悪くないです。
□郵一郎さんからの批評 (2003/12/17 19:07) フォント
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テーマである影を意識しすぎてしまったかな、と思いました。
最初と最後の影の使い方はとても素晴らしいと思います。それ以外はいらなかったかもしれません。
□名無しさんからの批評 (2003/12/21 05:10) フォント
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うまい。ストーリにこれでもか、というほどベタな設定を用いつつも、余りある表現力で物語に締りを効かせている。他の批評者がなぜ低評価なのかが気になるくらい。次作もよろしくお願いします。
□名無しさんからの批評 (2003/12/22 00:01) フォント
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表現力は素晴らしい方だと思います。ただ、作品中に影という単語が出すぎているように感じました。もちろんテーマは影ですが、そこまで連呼しなくても、と思ってしまいました。
 ただ、主人公の心理描写が絶妙で、強がっている気持ちと弱い気持ちが上手く表されていると思います。切なくなりました。
□む。さんからの批評 (2003/12/22 12:52) フォント
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話自体はありがちだと思いますが、「わたし」から見た世界に徹底した描写や、「わたし」の心の動きの表現はとてもよいと思いました。こういう、二人の世界を片側の視点に徹底して描いた作品を見ると、もう一人の視点から見た場合にどのような話になるのか、いい意味で気になります。
個人的には、「彼」がいいキャラ出してるなぁ、と思いました。彼の世界から見たら、影から光の世界へと羽ばたいていく、という感じの話になるのですかね。「彼」の淡白な描写も上手いと思います。

後半、表現が少々くどいと思いました。光と影を対比させるためだと思いますが、重たくて息苦しいです。
□セツナビトさんからの批評 (2003/12/27 09:35) フォント
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総合
あー、この主人公の気持ちがよく分かります。そこにあるうちは失ったとしても大したこと無いって思ってるんですよね〜。でもいざ失ってみると……

さて、徹底した影と光の描写ですが、最初のうちこそ素晴らしいと思えたのですが、後半になってくると重さだけがあります。やはりテーマに縛られた感があるかと思います。面白い言い回しなどもあったのですが。

そしてそれを除いたら、他の方々のご指摘のとおりよくあるお話になってしまいます。もしかしたら今回は描写に重点を置いたのかな、とも思いましたが、やはり何か事件が欲しいものです。

もっと長いお話の1シーンだったら素晴らしいと思うのですが、これだけの長さでは少々物足りません。描写力はかなり高い方だと思います。それを生かして、次回もがんばってください。
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