「死骸」
にいつ
 暴力的な日差しが降り注ぐ、溶けるような暑さの夏の午後。偽証で契約したプリペイド携帯電話での通話。機械的であることを意識して声を出す。
「金の用意は明後日まで待つ。警察に連絡したら、息子の命は無い」
「ゆ、裕樹は……裕樹は無事なんだろうな! 声を聞かせ――」
 電話の向こうでまだ何かを喚いている父親を無視して、一方的に通話を切った。
「……ふう」
 柱に寄りかかってため息を吐く。慣れない事をするのはとても疲れる。もっとも、誘拐に慣れている人間なんてそうはいないだろうけれど。
 気がつくと裕樹がいない。広くはない家の中をゆっくりと探す。海よりも山に近い郊外の古い一軒家。裕樹は縁側に座って、膝に乗せた虫かごを眺めていた。昨日、彼があまりにも退屈するので、近所の野原で虫取りをして暇を潰したのだ。
 虫かごを横から覗き込む。中にはごそごそと動く大きな蟷螂が一匹と、食い荒らされた紋白蝶の死骸が一個入っていた。蟷螂と蝶を同じ虫かごに入れて一晩放置すれば、まあ当然の結果だろう。
 幼い視線で僕を捉えて、裕樹が話し掛けてくる。
「なんでころしちゃったの?」
 何故、蟷螂が、紋白蝶を、殺したか。僕は少し考えてから答えた。
「たぶん、それが必要なことだったんだよ」
 裕樹は、「ふうん」と鼻を鳴らして、虫かごの蓋を開けた。大きな蟷螂が鎌を振り上げて小さな男の子を威嚇する。
「いたっ」
 裕樹の伸ばした白い指が蟷螂に裂かれて、赤い血が僅かに浮かんだ。裕樹は蟷螂を掴むことを諦めたのか、虫かごを逆さまにして地面に向けた。紋白蝶の死骸と、蟷螂が庭に落ちた。
「もんしろちょう、すきだったのに」
 裕樹は小さく呟いて、地べたの蟷螂を右足で踏み潰した。「必要なこと」だからではなく。
 僕はポケットに両手を突っ込んで、それをただ眺めていた。左手にはプリペイド携帯電話の、右手には小振りのナイフの感触。体から噴きだす汗と狂ったような蝉の声が不快だった。
 庭の地面には潰れて歪んだ蟷螂と、ずたずたに引き裂かれた紋白蝶。どちらも、動かない。
「ねえ」
 二つの死骸を見下ろしながら裕樹が言った。
「ぼくもいつか、ころされちゃうのかな」
 僕は無言で、汗で湿ったナイフを手の中で弄んでいた。
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□名無しさんからの批評 (2003/11/11 13:00) フォント
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こういう作品好きです。
犯人が退屈する人質のために虫取りをしてやったり、紋白蝶が殺されたことに対して言葉を選んで答えてやったりすることや、何も解ってなさそうで怖いことを言う子供とか、物語としては矛盾スレスレになってしまいそうなところで、スレスレだからこそ揺れ動いている人の感情がありありと伝わってきました。
□名無しさんからの批評 (2003/11/11 21:04) フォント
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 まず、1行目、「偽証」ではなく「偽装」です……。

 蟷螂の行動と少年の行動と、そして主人公のこれからの行動が対比になっていて、物語自体はひきしまっております。しかし、知らない人に連れ去られた少年が泣きもしないで、退屈するところが私には受け入れられませんでした。

特に可も無く不可も無く。ただ、表現は良いと思いました。
□匿名さんからの批評 (2003/11/12 14:53) フォント
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犯人と人質の関係からすると、「ストックホルム症候群」という感じでしょうか?とすると、蝶=少年 カマキリ=犯人という構図が崩れてしまったと受け取ります。特殊な状況下の心理を描くのはなかなか難しいですね。
□水夫さんからの批評 (2003/11/12 17:26) フォント
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ベタではあるんだけれど、裕樹が僕を殺しちゃう展開を考えていました。
「たぶん、これが必要なことだったんだ。」で終わる感じで。

本編の展開はこれはこれで味があります。
□名無しさんからの批評 (2003/11/12 23:14) フォント
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 いいですねぇ。緊張感が絶えずあっていいです。子供と犯人の一種ののどかさと緊張感が背中合わせになっている場面をうまく表現できてると思いました。
 惜しい点が一点。プリペイド携帯の契約に偽造した証書を利用したという意味だと取ったので「偽証」と使ったのだと思いますが、これだと「偽りの証言をする」になっちゃいますね。
□名は無いさんからの批評 (2003/11/14 02:12) フォント
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全体として緊張感があり、よく引き締まっていると思いました。弱いものは殺される、という悲しい現実ですね。
虫をあっさりと殺す少年の無邪気な残酷さや、何か人生の決定的なものに疲れた誘拐犯と、登場人物は良く描けていると思います。
犯人がなぜこういった行為に及んだのかの描写か暗示表現が少しでもあると、物語に入りこみやすくなるかも知れません。
□匿名さんからの批評 (2003/11/15 22:40) フォント
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祐樹の描写がいいと思いました。無邪気が故の残酷さがよく描かれているなぁ、という感じです。
ただ、その祐樹がラストで自分に迫る死を感じていることにギャップを感じます。リアリティのある死を感じているのならもっと怯えさせて欲しいし、そうではないのなら自分の死については触れさせて欲しくなかったです。
□phさんからの批評 (2003/11/16 18:26) フォント
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どきどきしながら読み進みました。
紋白蝶の死骸の存在感がとてもよかったです。
ただ、ちょっと僕の印象が中途半端で、どんな人物なのか想像しがたい感じがしました。
□名無しさんからの批評 (2003/11/17 10:06) フォント
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緊張感が伝わってきて良かったです。
蝶とカマキリの2匹と2人をダブらせるのであれば、もう少しエッセンスが欲しかったです。
なんか最後は2人とも死ぬイメージが強すぎかな
□セツナビトさんからの批評 (2003/11/19 23:15) フォント
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異常な事態の中での二人の冷静さが、緊迫感を増しているように思えました。よく見る対比と言えなくもないですが、好きです。

気になったのは、主人公の特徴ですね。まだ若くやわで気弱なイメージを受けました。なんだかすぐにボロをだしてとっつかまってしまいそうな。そういう人が突然とっぴな行動に出た、という設定なのだと解釈しましたが、それならもう少し狂気の部分を出してみてもいいのではないでしょうか。
あと、裕樹くんも必要以上に冷静すぎると思いました。ひらがなで台詞を書くほどに幼い子が両親から長時間引き離されても冷静とかカマキリを足で踏み潰すとか。四・五歳を想像しました。その年齢でこんな対応を取ることが出来ることから家庭の複雑な事情を推察しましたが、前半の父親の必死さとは噛み合ってないように感じました。

表現にも、ところどころでややぎこちなさを感じました。しかし、話の流れはよかったと思います。センスを感じました。これからもがんばって書いていってください。
□名無しさんからの批評 (2003/11/20 23:50) フォント
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いいと思います。
緊張感もありです。
裕樹の描写もいいです。
でも小説としてはありふれている感ありです。
□名無しさんからの批評 (2003/11/22 22:12) フォント
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静寂の底にある狂気って感じが、すごくドキドキしました。
説明が無い部分が、どこか謎めいたこの小説の空気を壊して無くて、とても良いと思います。
□名無しさんからの批評 (2003/11/23 03:59) フォント
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裕樹は小さく呟いて、地べたの蟷螂を右足で踏み潰した。「必要なこと」だからではなく。

この最後の

「必要なこと」だからではなく。

ですが、「必要なこと」ではないと主人公が決め付けるのではなく、裕樹くんの感情を漂わせる書き方にしてはどうだったかとちらと思いました。
主人公である語り手と言うより、作者である「神」の視点に近いかと。

失礼しました。
□名無しさんからの批評 (2003/11/27 11:08) フォント
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思想的な作品で、なかなか考えさせられます。
でもそれだけ…
□名無しさんからの批評 (2003/11/28 04:23) フォント
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子供の残酷さって好きです。
単純に好き、嫌い、で物事を判断できるというのは素晴らしいことだと思います。
ついでに言うと子供は大人が思っているより敏感ですよね。

という点がありふれていると思いました。
□名無しさんからの批評 (2003/11/30 03:00) フォント
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誘拐した子供を退屈させないように虫取りをさせたり、家の中を自由に歩き回らせたりするとはなかなかいい人ですね。
そんなふたりの関係に多少気を許したかに見えた子供が漏らす「ころされちゃうのかな」が、僕の胸に突き刺さるラストは良いと思います。

『偽証で契約』『広くはない家の中』『海よりも山に近い』など、表現に今一歩な部分が気になりました。
□名無しさんからの批評 (2003/12/01 00:10) フォント
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かなり発想が面白いと思いました。特にこの誘拐犯と子どもとのやり取りというシチュエーションは秀逸です。

ただ、
『金の用意は明後日まで待つ。警察に連絡したら、息子の命は無い』
『ゆ、裕樹は……裕樹は無事なんだろうな! 声を聞かせ――』
この辺りの台詞が引っかかりました。ちょっとありがちかなという印象を受けます。父親の台詞はなくてもいいかもしれません。
それと個人的な好みによるところですが、『たぶん、それが必要なことだったんだよ』もうちょっと別の答えが欲しかったような気がします。いや別にこれはこれで悪くないのですが、誰にとって何にとって、が曖昧で、やはりどこかありがちな印象を受けてしまうのです。「『必要なこと』だからではなく」に被らせる言葉なのは重々承知しているのですが……。
□匿名さんからの批評 (2003/12/04 12:54) フォント
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「必要なこと」と、あえて説明する必要はあるのかなと。
子供の無邪気さは恐ろしいものがありますが、ちょっと中途半端な感じ。泣く。わめく。けろっとする。一度にやりかねないのが子供かと。誘拐のやり取りよりも、祐樹と虫取りにいたるまでに字数を使ったほうが、生きてくると思います。
□名無しさんからの批評 (2003/12/07 19:19) フォント
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 硬い文章の中に裕樹のひらがなの台詞が良い対比になっていると思います。この犯人は実は良い人なのでは? と思いました。映画「パーフェクトワールド」のように、犯人と人質の子供が仲良くなったのかと思ったら、ラストで覆されました。
 ただ、裕樹がラストで弱い部分を見せるよりも、最後まで無邪気で残酷な、或いは何の危機感も無い発言をした方が好みでした。

 誤字は私も気になりましたが、今後もっと推敲をすることを想定して評価には加えませんでした。そういうのを抜きにして、良い作品だったということで。
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