「扉の歌」
小野寺けやき
 そこは大学から大通りへと続く小道だった。午後の授業が始まったばかりで、人通りも少ない。空に溢れる陽射と足元に広がる落ち葉。銀杏の黄色が眩しい秋の日を独り占めしていた。とても静かで、落ち葉の掠れる音が余計にそれを際立たせた。
 靴の底に落ち葉を感じながら歩く。書きかけのレポート、週末の予定、残り二日分の朝食のパン。とりとめなく思い浮かぶ事の中で結論を急ぐのは、次の授業までどの喫茶店へ入るのかということ位だ。あとはひどく平坦な日常があるだけだった。

 静寂を破る、一筋の旋律。反射的に僕の視線がその源を探す。高音域を鮮やかに駆ける歌声は、長い髪の女性のものだった。十メートルほど先に後姿を認める。どれ程の間、その姿に視線を留めていたのかわからない。ただ、美しいソプラノだけはくっきりと響いて、瞬く間に僕の耳も心も満たされていたのだ。
 傍らまで近づいて、ようやくかける言葉を探した。気がつけば動いていた。一瞬躊躇した僕の気配を察して振り向く、同じ年頃の女の子。驚いて僕を見つめる。
「あ、ごめんなさい」
 咄嗟に謝った。僕の行動は、明らかに彼女を怖がらせるものだったからだ。しかし、彼女は何も言わず笑った。僕は少し安心して、続ける言葉を見つけることが出来た。
「歌を、勉強しているんですか? それとも仕事に?」
「ううん、全く。好きなだけ」
 突然の不躾な問いにも戸惑うことなく答える。明るい微笑みもそのままだった。
「どうしてここで?」
「バイトの休憩時間中なの。こんなにいい天気だから思わず。うるさかった?」
「まさか! 鳥の声みたいにキレイだった」
 答えた直後、恥ずかしさと後悔が僕を襲った。なんて陳腐な表現だろう。すると今度は照れた笑いと共に、彼女が答えた。
「ありがとう。でもね、違うの。私の歌は虫の声と一緒なの」
「虫?」
 彼女が悪戯みたいに落ち葉を蹴ると、小花模様のスカートが揺れた。「そう、虫」
「虫って力いっぱい鳴くでしょ? うるさいくらい。例えば夏のセミみたいに命の限り」
「それと一緒?」
「一緒。穏やかに鳴く秋の虫だって一緒。私もあんな風に、歌わなければいられないだけ。それで充分なの。仕事とか歌う理由を探したこともあったけど、要らなかったわ」

 溢れるほどに笑う、その眩しさに魅せられた。歌を語る彼女は喜びに満ちていた。目を逸らせない。まだ僕は何も知らない。それなのに、虫達の様にただ歌うことがそんな風に君を生かすのなら、どうか僕の元を飛び立たず歌い続けてと、確かに思っていたのだ。
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□名無しさんからの批評 (2003/11/11 14:21) フォント
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歌う彼女がとても魅力的に描かれていて、主人公と同じように読者も惹き込まれます。
主人公の「ひどく平坦な日常」に彼女との出会いが作用するところまで描ければ尚良かったと思います。このまま終わって欲しくない。
□phさんからの批評 (2003/11/11 23:10) フォント
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少女漫画みたいな、可憐な印象の世界でした。プロローグっぽいです。

途中まで主人公は女性かと思いました。朝食のパンに思いをはせるのは女性的過ぎる気がします。
どうせなら、自分の歌が虫の様だと思う少女を中心にしてしまえばよかったのでは。せっかくのアイデアが活かせていない様に思えます。
□名は無いさんからの批評 (2003/11/12 06:04) フォント
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歌う女性はとても魅力的でした。そんな人の歌を聴いてみたいです。
二日分のパン、私も一人暮らしの男ですが気持ちは良く解かります。よって私は主人公を、ある程度自炊を旨としている人物を考えました。すなわち少し真面目な感じです。そう考えるとこの物語もすんなり入り込めました。
ただし、そう考えると『――結論を急ぐのは、次の授業までどの喫茶店に入るのかということ位だ。』という表現には違和感を感じました。この辺は表現の好き嫌いの問題なのかもしれません。著者の独自性と、理解されやすい表現方法を天秤にかけた場合の問題ですし、早急に結論は出さないことにします。自己討論ですみません。
あとは、続きが読みたい作品だと思いました。1200文字で納めてはいけないような、そんな気がしました。
□水夫さんからの批評 (2003/11/12 18:25) フォント
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これは良いですね。非常に彼女が魅力的です。短編の導入、といった感じでしょうか。そういう意味で完結していないのが残念ですが、逆にどこかで続きを書いて欲しい内容でした。
□名無しさんからの批評 (2003/11/12 23:57) フォント
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  「静寂を破る、一筋の旋律」の「、」はないほうがスムースかな。それ以外は自分で書いたのかと思うくらいに好みの文章でした。でも、ここまでロマンティックには書けないなぁ。突っ込まれるとしたら、そこだと思います。気取りすぎといわれかねませんね。
□匿名さんからの批評 (2003/11/14 13:15) フォント
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批評の余地がちょっと見つかりません。(完成度が高いので…)現実にはありそうで、ないのが小説のいい所なんですよね。日常を描いていても。ううむ。好みのお話です。次回も楽しみにしています。
□匿名さんからの批評 (2003/11/14 17:25) フォント
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映画のプロローグみたいですね。ふとしたきっかけで出会った二人がどのような人生を歩んで行くのか、気になります。
朝食のパンが気になってしまうような地に足の着いた平凡な人生を送る「僕」に、彼女の世界観がどのような影響を与えていくのか、想像するのが楽しいです。続きが読んでみたいと思います。
ただ、これだけでは何となくふわふわした印象が残るばかりなので、1200字という制限の中で表現しきれない世界なのかな、と思いました。
□名無しさんからの批評 (2003/11/16 13:40) フォント
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いいですね。
何かこれからもっと物語が展開していきそうな感じがします。
最後の主人公の思い込みがなんかストーカーにも似た台詞で少し怖い感じもしましたが・・・
□名無しさんからの批評 (2003/11/16 13:41) フォント
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↑失敗ですごめんなさい
いいですね。
何かこれからもっと物語が展開していきそうな感じがします。
最後の主人公の思い込みがなんかストーカーにも似た台詞で少し怖い感じもしましたが・・・
□名無しさんからの批評 (2003/11/18 17:30) フォント
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発想はとても素敵だと思います。
良い意味で、少女小説のような少女漫画のような。
導入部分であると思うので、最後の方がちょっと無理矢理っぽい気がします。
無理に完璧に結を作るよりも、もっと余韻に浸るような終わり方でも良いなぁと。
情景がすぐに思い浮かぶのは、すごいですね。
□名無しさんからの批評 (2003/11/24 13:22) フォント
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「鳥の声みたいにキレイ」という言葉から、か細い彼女をイメージしました。ですが「例えば夏のセミみたいに」と言うあたりに、鳥とは対極的な感じがしたので(それが狙いだったのかも知れませんが)違和感を覚え「私の歌は虫の声と一緒なの」に説得力を感じませんでした。
□名無しさんからの批評 (2003/11/29 21:45) フォント
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 鳥の声という言葉を否定して虫の声と言い切ったのに、その理由がよく解かりませんでした。『私もあんな風に、歌わなければいられないだけ』この一文、日本語がおかしいような気がします。「歌わずにはいられないだけ」とか、そういう意味でしょうか。それなら虫の声でも成立すると思うのですが。
 表現力はある方だと思います。頑張ってください。
□名無しさんからの批評 (2003/11/29 21:46) フォント
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↑先ほど批評した者です。

評価を間違えました。訂正しておきます。
失礼いたしました。
□名無しさんからの批評 (2003/11/30 14:52) フォント
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視覚に訴える表現だと思いました。綺麗な映像が目に浮かびます。

彼女に人間味を感じませんでした。それはそれで狙ったのかもしれませんが、だとしたら「バイト」だけがやけに浮いてしまうし。
「僕」にはわかった魅力が私には見えなかったです。

彼女の歌が、僕の耳や心をどう満たしたのかまで書いてもらいたかったです。
その表現がないと、どんなに描写を重ねてもただの「高くて美しい声」になってしまう気がします。

これは私の感覚的なことかもしれませんが、鳥の声ってそんなにキレイだろうか?と思ってしまった。

□名無しさんからの批評 (2003/11/30 17:40) フォント
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最初読んだ時は、現実味の感じられない、少し地上から浮き足立ったお話のように感じてしまいました。物語にしても、あまりに浮いてしまっているような。

けれど何度も読み返すうちに、何ともいえない愛着を感じる作品でした。僕と彼女との出会い。何かが始まることを感じさせる、素敵な物語ですね。

ただ、鳥の声と虫の声の違いは??鳥の声って、たとえばどんな声をモデルにしたのでしょう。そこには違和感があります。
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