「晩夏」
渡瀬 綾
「もう?」
「ごめんね」
 たまらずその首にすがりつく。その瞬間、ちらりと時計を確認する彼のその仕草を見逃す事は出来なかった。忙しい二人の関係は不安定。こんなふうに私はすべてを押しとどめておしやって、無理に微笑み身体を離す。
 楽しんできてとは言いつつも涙目を隠しきれない私と、これからに心を奪われてあっさりとここを出て行く彼と。後ろ姿は扉に切り取られ、すぐに消えた。私はそこから離れられずにそのまま腰をおろす。遠ざかり、階段を降り、砂利を踏み進む、その一連の全ての物音を聴ききるまで必死で耳をそばだてる。
 …彼は完全に立ち去ってしまった。
 そのことを確認すると諦めて扉にそっと鍵をかけた。自然に、深いため息が漏れる。
 狭い六畳はおそろしいほど簡潔に事実を突きつける。今は猫が我がもの顔に陣取っているそこにはもう、既に、彼の姿はない。
 疲れている。
 まったくもって私は疲れはてている。
 はらり、涙が落ちた。
 しばし、温もりが微かに残る寝床でひとり感情の雫を垂れ流す。人前で泣けるほど強くもない私はこうして音も立てずに騒ぐ。
 か細い声で猫が鳴く。私を見つめて。
 ひとつ、大きく伸びをしてすりよってきた猫がまだ彼の残る半裸の胸にぬくもりを押し付けてきた。和毛にこげはほのかにこそばゆくて、優しい。ふと、彼女の気に入りのその寝床に目がとまった。感情に任せて強く引き寄せて抱きしめる。驚いた猫は飛びすさり、抗議の証に一声あげた。気にせずに強くいだくとふんわりと彼が香って。あの身体から発生した微粒子。深くあたしに入り込み、粘膜に付着し、神経を刺激して、脳にまで届いた彼の欠片。逢瀬の度に洗い上げられた枕はとうに柔らかさを欠いて、不恰好に固められてしまった綿わたが無骨に私をあらわにする。
 またきっと、当分彼は現れないのだろう。
 あの瞳は遠くくうを見つめるのだろう。
 それでも…?
 このまま、眠ってしまおう。彼の欠片でこの肺を満たしながら。夢を、夢として閉じ込めてしまうために。今日はこのまま眠ってしまおう。現実の中にある夢は痛いから。
 猫は私の背中に添って長くなった。心地よい振動を発しながら傍らで眠りに落ちるその存在がたまらなく愛しくて、切なくて。
 目覚めたらすぐ、私はいつものように洗濯を始める。シーツ、毛布、脱ぎすてられたパジャマに歯ブラシ。すべてををしまい、片付ける。けれど枕だけはこのまま、そっと、隠してしまおう。そっと、闇の中へと。大切にくるんで、そっと、そっと、奥深く。
 現実の中に夢を持ち込むために。
 そっと、そぉっと、しまいこむ。
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□名無しさんからの批評 (2003/10/11 13:50) フォント
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「私」の感情描写が丁寧でいいのですが、対象となる彼との関係が漠然としすぎていて感情移入するところまで行きませんでした。
また、とつとつとした切なさを表現したいことはわかるのですが、体言止めの多様で文に流れが感じられません。
最後の段落、片付けると隠すの違いが良く解りませんでした。いっそ枕だけはしまわない、としたほうが現実に夢を持ち込むという表現に合っているのでは。
□名無しさんからの批評 (2003/10/11 15:37) フォント
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単語単語にも気を使っていると感じさせる表現方法は良いと思います。
ただ、全体として重たい(読むのに時間のかかる)文章だと感じたので、表現の丁寧さはそのままに、少し全体を軽くするようにすると私としては心地良いと思います。
□名無しさんからの批評 (2003/10/11 18:25) フォント
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ただ気だるい感じだけが伝わってきて、彼への想いが伝わらなかったので、何に「疲れている」のかがわかりませんでした。

恋に疲れているのか、待つことに疲れているのか、寂しさに疲れているのか、それら全部なのかが。


□名無しさんからの批評 (2003/10/11 19:48) フォント
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美しい文章だと思います。
が、主人公が一人で自己完結していて、かわいそうな自分に酔っているだけの物語に読めてしまいます。読者に何も訴えかけてこないのが残念です。
□水夫さんからの批評 (2003/10/14 16:43) フォント
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テーマがぼやけた一人語りに、無理矢理「枕」を力技で持ち込んだ気がします。ルビをわざわざ使うのもしっくり来ませんでした。
□名無しさんからの批評 (2003/10/14 19:17) フォント
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表現については秀逸だと思います。
ただ、この場面、この文章でルビを使ってまでそう読ませなくてはならないのか?と考えるとちょっと疑問符がつきますが。
話としては決しては悪いものではないと思います。
□匿名さんからの批評 (2003/10/15 13:07) フォント
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表現はとても素晴らしいと思います。ただただ待つのみの、女性の物悲しさがよく出ていると思いました。男性もあまり女性のことを顧みていないのでしょう。ほのかに漂う気怠い空気は好きです。
ただ、表現のためにストーリーを無理やりはめ込んだという印象が最後まで拭えませんでした。1200文字という制限では厳しいかもしれませんが、もう少し物語が見えてくるといいと思いました。
□名無しさんからの批評 (2003/10/15 16:28) フォント
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「現実の中に夢を持ち込むために」なぜ枕を隠すのかわかりません。片付けると対照的にするなら、しまわずに出しておくでよいのではないでしょうか。
□名無しさんからの批評 (2003/10/15 19:54) フォント
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〜まったくもって私は疲れはてている。〜
これは推敲された方がいいと思いました。
訴えてくるものがなかったのですが、センスのいい方だと思いました。
□名無しさんからの批評 (2003/10/16 11:03) フォント
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ルビはない方が読みやすいと思います。あと、文字の上に現れる主人公の感情と文体が合っていない気がします。「忙しい二人の関係は不安定」とある割に、二人の間にはそれ以上の亀裂があるように感じるのです。というより主人公側が一方的に悲観しているような印象でした。その悲観に見合うだけの客観的事実が提示されていないので、不釣合いな印象を受けたのだと思います。
□名無しさんからの批評 (2003/10/18 13:48) フォント
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 大切なラストシーンに違和感があります。現実に夢を持ち込むのであれば、隠さずに出したままにしておいた方がいいのでは? 『枕だけはこのままにしておこう』などの表現の方が幾分しっくりくると思います。もちろん著者の方の意図はあるかもしれませんが、そう感じました。
 表現については、言葉の選び方はきれいですが、それが原因で伝わりにくく感じます。

 小説というより、詩のような作品でした。
□名無しさんからの批評 (2003/10/24 01:24) フォント
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世界を持っている作者だな、という感じは伝わってくるのですが、それが逆に押しつけがましいように感じてしまう文章でした。1200字の世界ですから、あまり多くを詰め込むと読者は「重たい」と感じてしまうように思います。
他の評者の方も書かれておられましたが、主人公の"気怠く可哀想な私"な感じが、好きになれませんでした。うーん、うまく書けないんだけど、酔っ払って自分語り始めちゃった人みたいな感じなんだよな。あぁわかる…っていう隙間が全然感じられませんでした。
猫が背中に添って長くなった、という表現だけ、妙にリアリティがあって好きなのですが。
□名無しさんからの批評 (2003/11/01 02:23) フォント
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全体的に倒置法を用いているのが目立ちました。あまり多用されると読むのに疲れます。

『深くあたしに入り込み、』の部分だけ、一人称が私ではなくあたしですが、一人称は変えないほうが良い気がします。

『気にせずに強く抱くとふんわりと彼が香って。』は、猫を抱いたのでしょうか?それとも枕を?
文脈からすると猫と受け取りましたが、猫から彼の残り香というのはおかしくありませんか?枕を抱いたのであれば、この描写ではわかりづらいです。

『逢瀬の度に洗い上げられた枕』を、今回だけは『けれど枕だけはこのまま、そっと、隠してしまおう。』と、しまったということでしょうか?なぜそうしようとしたのか、感情の変化が読み取れませんでした。

いろいろ言いましたが、随所に良い描写はあったと思います。
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